第301話「移動の疲れもあるし、今日はもう駄目だな。」

 今年もまた、聖竜領に雪が降った。冬の本格的な始まりを告げる降雪だが、今回はとても控えめで、領内にうっすらと積もっただけだった。

 晴天がくれば、すぐに溶けて消えてしまう積雪。だが、領内の人々に静かな日々が来たことを告げるには十分な存在感があった、


 俺とリリアを中心に南部で作業をしていた面々も一休みとして、全員で領内に引き上げた。地面を掘り返したりする工事は概ね完了しているので、これから少し作業速度を落としての業務となる。


 色々と確認して小休止のため、戻ってきた領内は賑やかだった。


「今年も色々あったが、南部の作業そのものは順調で良かったよ」

「はい。思った以上に進みましたからね。これはもう、春までのんびりお酒を飲んでもいいんじゃないかと思います」

「いや、リリアはもう来年のことを考えた方がいいんじゃないか?」


 テーブルの向かいに座るリリアは顔を真っ赤にしてジョッキを傾けていた。こちらに来てからもう仕事は終わりとばかりに、飲みまくっている。彼女の場合、室内の仕事もあって冬もそれなりに忙しいんだが……。まあ、今日くらいはいいだろう。

 なお、こういう時にリリアの相手をすべく酒場に現れるスティーナは今も禁酒中である。なんだか最近はスッキリした顔をして外を歩いているという。何か悟ったのかもしれない。


「来年のことは来年考えればいいんですよぉ。それよりアルマス様だって、雪が降ったから妹さんが帰ってくるんじゃないですか? 離れ離れなんだから、しっかり一緒にいてあげないとぉ」

「む、そうだな。アイノも帰ってくるか」


 そう考えると冬も悪くない。雪が積もって交通が不便になる前にクアリアで買い物でもしておこうか。

 そんなことを考えながら、付き合いで酒を飲んでいると、酒場のドアが勢いよく開いた。


「アルマス様はいらっしゃいますか!」


 大声をあげて入ってきたのはメイドだった。聖竜領のメイドは訓練を積んだ能力の高い者ばかり。それがこれだけ焦るのは珍しい。


「ここにいる。どうかしたのか?」


 声をかけると、周囲に謝りながら素早く駆け寄ってきた。


「クアリアにいるサンドラ様の下に、マイア様に求婚している帝国五剣が現れました」

「……なんだと。想定外だな。どうなった?」


 今、サンドラは色々な相談のため、クアリアのスルホと打ち合わせをしている。もう少し余裕があると思ったし、クアリアは通過する可能性が高いと思ったんだが。


「帝国五剣の方、お名前はモート様と言うのですが、聖竜領へ向かう前に、スルホ様達のご懐妊を祝いに来たとのことです。第一副帝様からの書状もお持ちでした」


 そうか。仕事で立ち寄ったところで、サンドラと鉢合わせたか。第一副帝の名代みたいになっているという話だったが、早くも事態に影響したな。


「モートとやらはどんな様子だった?」

 

 俺の大雑把な質問に、メイドは少し考えた後、困った顔をして答えた。


「それが……大変良い方に見えました。とても礼儀正しく。サンドラ様へのご挨拶の際も粗相はなく。シュルビア様の身を案じて、持参した薬品類などをスルホ様に献上なさりました」

「良い方に見えたというのは、君の個人的な主観だな?」


 この問いかけに、メイドはゆっくり首を振った。


「いえ、私だけでなく、サンドラ様とリーラ様も同様の印象を抱いたようです。帝国五剣に相応しい、品格を持った方だと。個人的には、とても爽やかで、時代が時代なら、吟遊詩人の題材にでもなりそうに思えました」

「凄まじい高評価ですね。私はモート君のこと、よく知らないんですよ。先代なら仲良かったんだけれど」


 リリアからの情報は当てにならなそうだ。


「サンドラ様からの伝言を一つ預かっております。『好人物だから、気をつけて』とのことです」

「……厄介だな」


 一番面倒なことになってしまった。上手いことマイアを遠ざける理由を作りにくい。


「ん? マイアも護衛でクアリアに行っていたはずだが。どうしたんだ?」


 もしかしたら、すでに最悪の事態が起きてしまったのかもしれない。


「ご心配なく。気配を察してクアリア内に潜伏。現在、こちらに向かっているはずです」


 その言葉と同時、酒場の扉が荒っぽく開いた。


「アルマス様! 大変なことになりました!」


 すごい勢いで俺のテーブルまで来ると涙目になってマイアが言った。馬車に乗ったり潜伏したりして来たのだろう、少し服が汚れていた。


「今、話を聞いた。……どうしよう?」

「私が聞きたいくらいです! なんだかスルホ様達からとても信頼されてしまったようですよ! まだ結婚は嫌だというのに!」


 空いてる椅子に座って嘆き始めた。困ったな。


「まあまあ、マイアさん。今日のところはお疲れですし、飲んで休んじゃいましょう」

「うう……かたじけないです」


 リリアがどこからか持ってきたジョッキがテーブルに置かれると、マイアはそれを勢いよく飲み干した。

 彼女はあんまり、酒に強くない。移動の疲れもあるし、今日はもう駄目だな。


「報告ご苦労。戻って休んでくれ。酒場か屋敷で好きなものを頼んでいいぞ。支払いは俺がする」

「ありがとうございます」


 そう伝えると、俺の前に立っていたメイドは優雅に一礼して去っていった。


 相手が好人物か……。これはもう、正直なところを話して対応するくらいしかないな。というか、それしか思いつかん。


 早くも酔いが回っている様子のマイアを横目に見ながら、俺は漠然とそう考えた。

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