第263話「物憂げに流れる水面を眺めるというのは、マイアらしくない光景だ。」

 聖竜領の夏は、日中暑い。夜になると涼しい風が氷結山脈から吹き下ろしてくるおかげで快適なんだが、昼は夏らしい気候となる。


 気温が上がりそうな朝、俺はいつものように森を出た。

 領地に向かうまでには、かつて俺が蘇らせた川があり、この季節でも十分に水量があって、今ではそれが当たり前になっている。


 森と領地を隔てる境界線のような川。当初は丸太の橋がかけられているだけだったが、今は立派な石造りの橋に変わっている。

 その橋の上に、珍しい人影がいた。


「なにをしているんだ、マイア」


「……アルマス様。おはようございます」


 橋の上で静かに佇み、水面を眺めていたのは、昨日の夜に帝都の剣術大会から帰って来たばかりのマイアだった。

 非常に珍しい状況だ。この時間、この場所でマイアに会えば、大抵は走り回っているか、剣の素振りをしている。なんなら、朝の稽古の付き合わされることだってある。

 物憂げに流れる水面を眺めるというのは、マイアらしくない光景だ。


「帝都でなにかあったのか?」

「あったといえばあったのです……」


 これはもしかして、深刻なやつではないだろうか。普段なら元気な返事をするであろう彼女が、深く思い悩むんでいるかのような言葉遣いだ。


「随分と悩んでいるようだな。役に立てるかわからないが、俺で良ければ話くらい聞くぞ」


 剣の道で壁にでもぶち当たったのだろうか。普段明るい人間が躓くとドツボに填まるからな。案外、そういうタイプかもしれない。


「結婚を、申し込まれたのです」


「……結婚?」


「はい。春に行われた帝都の剣術大会。そこで私は見事に優勝しました。日頃の修行の賜物でしょう。そこで、商品として帝国五剣との特別試合が組まれたのですが……」


「勝てたのか?」


「いえ、普通に負けました。結構良いところまでいけたのですが、あと一歩というところです。ただ、対戦相手に気に入られ、結婚を申し込まれまして」


「……なるほど。気に入られたか」


 こう見えて、マイアは元気なだけの女性ではない。部下への指導も一通りできるし、貴族としての振る舞いも一応できる。サンドラの護衛として申し分の無い能力があるのだ。それを見抜き、申し込んだと言うことだろう。


「それで、困っているのです。どうしたものか……と。家同士のこともありますので、その場で断るわけにもいかず……」


「よし、今からサンドラのところにいこう」


 どう考えても俺の手におえそうにないので、人を頼ることにした。


○○○


「……厄介なことになったわね」


 朝早くから執務室を訪れ、事情を話したところ、サンドラがとても難しい顔をした。


「厄介か。そこまではっきり言うのは珍しいな」


「相手は帝国五剣。こちらはマイア。わたしが介入しにくいのよ、家同士の関係だけでなく、政治的な関係もあるのよ。この場合」


 わかっているでしょうとばかりに、サンドラが視線を向けるとカップの中のお茶を眺めていたマイアが前を向いた。


「そうなのです。帝国五剣の家同士が縁を結ぶのは基本的に良いこととされているのです。それも、帝国の歴史的に」


「帝国の剣術が更に発展することを見込んで……だったかしら。それに、マイアの様子を見る限り、ロジェ様も反対していないようだし」


「はい。お爺様は味方になってくれるかと思ったのですが、「ひ孫か……」と一言いったきりでして……」


 あの老人、意外と私欲を優先するな。


「話が出てからというもの、両親も乗り気になっていまして。今まで私が好きに生きていたのもあり、そろそろ落ちつけと……」


「マイアは立派に自分一人で生きているじゃないか」


「そうね。今のままでも十分立派だと思うわ」


 俺とサンドラがそう言うが、マイアは浮かない顔のままだ。


「失礼ながら。娘の将来を心配するのも親として十分ありうる気持ちかと」


 横で静かにしていたリーラが遠慮がちに言った。


「……そう、普通の親はそういうものなの……そうね。一応知ってるのよ、本とかで」


「サンドラ、気を落とすな。まともな親を知らないのは俺も同じだ」


「な、なんだか申し訳ありません」


 マイアを心配するつもりが、逆に心配される展開になってしまった。

 ただ、ここまでの話ではっきりしたことがある。


「これは少し時間をかけて対応策を練った方が良さそうだな」


「そうね。色んな人の意見を聞いてみましょう。大丈夫、マイアにとって良いようになるよう、頑張るわ」


「あ、ありがとうございます! お二人とも!」


 マイアは感激しているが、要するに先送りである。

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