第235話「なにかこう、多少のあれこれがあってもいいんじゃないかと思うのだ。」

 雪の季節が過ぎ去り、聖竜領に春が来た。

 氷結山脈の積雪は溶けることがないが、麓は違う。人々の動きを止める雪が溶け、緑色の草原と冬の間に力を蓄えた畑が姿を現す。

 聖竜領の人々も大地が姿を現した頃に、それぞれの仕事に戻っていく。

 寒く過ごしにくい冬の休息を終え、再び動き出す季節の到来だ。


「……代わり映えのしない景色だな」


「そうですね」


 そんな時期に俺はルゼと共に、聖竜領南部の低山にいた。

 雪が降ってからの穏やかな日々は充実していた。アイノと過ごす時間が沢山あったのはとても良かった。なにより、困りごともなく日々が過ぎ去ったの最高だ。


 まさにスローライフ。妹も帰ってきて俺の生活は完成したんじゃないかという充実の日々。 それが春になると同時に終わった。

 南部の雪が溶けるなり、低山の様子を見て向こう側へ行くよう、サンドラから依頼を受けたのである。


 仕事自体に不満はない。そもそも昨年から予定されていたことだし、南部の山地から道を作り、第一副帝のおさめる帝国南東部との行き来ができるようになるのは聖竜領にとっても利益が大きい。

 

 既に予定されている移住者達、それに物資や労働者などがクアリア方面以外から入るのは有り難いことだ。


「思ったよりも緑が多いな、ルゼは前にここまで来たことがあるのか?」


「もう少し聖竜領よりの山地までですね。それと、山の緑が以前より濃く感じます」


 周囲を見回しながらそんな会話をする。南部は低い山がいくつか連なる地域。草木が茂り、落ち葉で柔らかくなった地面が心地よい。


「俺の認識でももう少し植生に元気がなかった。もしかしたら、ハリアのいる湖から川が流れ込んだ影響かもしれないな」


「なるほど。水竜の眷属の影響ですか。川の水自体も、一度聖竜領を経由しているから、あり得ますね」


 南部の湖から始まる川はこの山地で地面に潜って消えてしまう。それ故に、この辺り一帯に影響を与えたというのは考えられる。


「少し、人が歩くのに向かない感じになっているな」


「ですね。この辺りの土地はあまり変化させられないという話でしたが」


 最近あまり使っていないが、俺は聖竜様から土地を自在に変化させる能力を授かっている。使い方を誤ると魔物が大量発生したりして大変なので、注意が必要なので滅多に使わないのだが。


「…………」


 俺は杖を出して、意識を集中させた。辺りの魔力の流れ、淀みがないかを把握し、手を入れても問題無さそうな場所を把握していく。


「少しなら手出しできそうだ。道にできる平地を作って、後から木を切るなどの工事が必要だな」


 この辺りは『嵐の時代』でも竜脈にそれほど手出ししていなかったのが幸いした。おかげで逆に手出しできる場所が多い。


「軽く道を作るから、それから歩くとしよう。少し待ってくれ」


「わかりました。また地図が変わるので楽しみです」


 言葉通り楽しげなルゼの返事を聞いてから、俺は地面に杖を強めに突き刺して、眷属の力を発揮した。


 低く響く地鳴りと共に、目の前の景色が変化していく。以前、聖竜領でやった山が消えるような大きなものではない。木々や山肌が少しずつ動いて道らしき平地ができる。そんな変化だ。

 とりあえず、先ほど俺が感知した場所まで地形を作り直し、俺は再度竜脈を確認。


「よし、行くぞ。……地図はほどほどにな。今回は道行き優先だ」


「はい。未知の場所に向かうとつい」


 荷物から新しい紙と筆記具を出してウキウキしているルゼに一言言いつつ、俺達は歩きやすくなった道を進んでいく。


○○○


 低山が続く山地とはいえ、一日で踏破できるものではない。道を確認し、作りながらならば尚更だ。

 そんなわけで、山の中で日が暮れてきたので俺達は野営することにした。

 それぞれの天幕を張り、焚き火を起こし、軽く食事をする。エルフと聖竜様の眷属。用意されたエルフの携行食は美味しくて元気になる。クアリアでもかなり売れている人気商品だ。

「春になって早々に家を空けることになっていますが平気ですか? 工事が始まっていますが」


「ゼッテルとビリエルの二人に任せてあるから安心だよ。それに、増築についてはアイノに一任だ」


 春になったことだし、冬の間に諸々準備していた俺の家の増築作業が始まっている。図面や資材、家の周りの整地はもう終わっているので後は職人達の仕事に任せるのみだ。

 増築部分にはアイノが住むので気になったら好きに口を出していいと言ってある。性格的に無茶なことを言わないだろうから、これも安心である。


「なんだか、アルマス様がずっと屋敷に住み続けている気がしたものですが。ちゃんと森に帰ってきてくれて一安心です」


 焚き火と魔法具の明かりを頼りに、手元の紙に地図を書き込みながらルゼが言った。


「森は聖竜様の領域だからな。俺がいなきゃならない」


 イグリア帝国的にも、聖竜領の森は俺と聖竜様の領域と言うことになっている。今はエルフ達も住んでいるので、それなりの管理をする気もある。


「妹さんも帰ってきて、すっかり落ちつきましたね」


「それが問題なんだ」


「?」

 

 俺の発言に、ルゼがわかりやすく疑問を浮かべた。


「これまではアイノを助けるという目標があって生きてきた。それが達成されて、思ったよりもアイノが早く自立できそうなんでな。今更自分の生き方について考えている」


 そうなのだ。我が妹ながらアイノは優秀で、このままなら数年で完全に自立する。スローライフを送ることは俺の目標だ。だが、のんびり過ごす日々の中にも、なにかこう、多少のあれこれがあってもいいんじゃないかと思うのだ。


「ルゼ達エルフは長命だな。その時間をどう使っているんだ?」


 長生きの先輩であるエルフに、率直に聞いてみた。


「そうですね。趣味を見つけるとか……。大抵のエルフはちょっとした楽しみを持っているものです」


 実に納得のいく、わかりやすい回答だった。趣味に生きている本人が言うと説得力がある。族長なのによく出かけるしな。


「趣味……趣味か……」


 読書は好きだが趣味というほどではない。なかなか、難しいものだ。


「それこそゆっくり探せばいいと思いますよ。時間はたっぷりあるのですから」


 幸せそうに地図を書き込みながら、ゆったりとした口調でルゼがまたも説得力のあることを口にした。

 少なくとも、焦るようなことではない。

 趣味に生きるエルフの族長を見て、俺はそんな風に思い直すのだった。

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