第211話「懐かしい、かつてアイノと一緒に歩いた場所だ」
収穫祭を終えたのが合図だったかのように、聖竜領の周辺も朝の冷え込みが一段と厳しくなった。
俺はいつも通り早めに起きて自分の畑を確認し、森の外に出て見ると、地面に霜が降りているのに気づいた。
天気は晴れ、冷えた空気が心地よく、気分も悪くない。
アイノを救うための魔法を行使するには良い日だ。
魔法を使う場所は聖竜の森の奥にある、聖竜様の領域。かかる時間の方はわからないが、早ければ半日かからない。それでも、留守にするのは変わらないので、サンドラ達に挨拶をしておくことにする。
「アルマス、成功を祈っているわ」
「お二人でこの屋敷にお越しくださいますように」
屋敷に行くとサンドラとリーラがそう言って送り出してくれた。俺が挨拶に行くのを察して待っていてくれたらしい。
二人に礼を言って、俺は再び森の中へ。そのままエルフの村に入り、族長のルゼに挨拶をする。
「エルフ一同、妹さんの無事の帰宅を祈っていますよ」
こちらも待っていてくれたルゼがそう言ってくれた。
現在、聖竜の森への経路にはエルフによって迷いの森の魔法がかかっている。ルゼから魔法避けの護符である、小さな木のお守りを貰って、森の中を歩いて行く。
懐かしい、かつてアイノと一緒に歩いた場所だ。あの時は薄暗いどんよりとした場所だったが、今はエルフ達の手が入り、明るく生命に溢れた森に変わっている。
歩くうちに森の中の景色がどんどん変わっていく。これまで見かけなかった大木が並び、暖かな光が溢れる不思議な場所。
久しぶりに俺は聖竜様の領域を訪れた。
『よくぞ来たのじゃアルマス。では、扉を開くぞい』
「お願いします。聖竜様」
俺の言葉に応じるように、周囲が光に包まれて、視界が一気に切り替わる。
「なんだかその姿を見るのは久しぶりですね」
『眷属といえど、ここに呼ぶことは滅多にないしのう』
数瞬で俺の立つ場所は聖竜様の領域に切り替わっていた。
光り輝く地面の無い空間と、そこに浮かぶ無数の木々。地面がないはずなのに、足の裏にはしっかりと感触がある。相変わらず、不思議な場所だ。
そして、目の前に浮かぶのは銀色の巨大な竜。
俺の三倍以上ある体躯をもつ巨大な存在が、優しい眼差しでじっと見下ろしている。
『今更じゃが、準備は良いな? もし問題があればすぐに止めるのじゃ』
「承知しています」
『では、はじめるとするのじゃ』
宣言と共に、俺と聖竜様の間が光り輝いた。
そこに現れた、静かに浮かぶのは、俺より一回り小柄な人間。
明るい茶色の髪に、優しげな顔つきをした、くたびれた旅装の少女。
久しぶりに見る、妹の姿がそこにあった。
『以前より良くなっているじゃろう。お主にもわかるはずじゃ』
「はい。たしかに。ありがとうございます」
眷属の目でアイノの体を流れる魔力を視ると、聖竜様の言うことがよくわかった。体内を循環する魔力の一部が暗く淀んでいる。
だが、一部だ。最初にここに来たときは全身こういう状態だったと聞いている。
「以前、『嵐の時代』の遺跡で見つけた技術のおかげとはいえ、よくここまで治療できましたね」
『まあ、ワシ結構凄い存在じゃからのう。とはいえ、このあと少しが大変なんじゃよ。アイノの精神に影響がでない所で留めているからのう』
「そこでこれの出番ですね」
俺は持って来た大きな羊皮紙を広げて、アイノの下に敷く。
そこに描かれているのは、聖竜領の魔法士達とサンドラに力を借りて作り上げた、精神防御の魔法陣だ。
「これを起動することで、アイノの心を守ることが出来るはずです」
魔力の変異が精神に影響するのを防ぐ魔法。ロイ先生を使っての実験では完璧に機能した。少なくとも、全く役立たないことはないはずだ。
『お主を通して見たワシの目にも、問題なさそうに見えた。覚悟が決まったら、やってみるのじゃ』
「もちろん、できていますとも」
俺は聖竜の杖を取り出し、魔法陣に軽く触れる。
魔力に反応して魔法陣が輝き出し、幾重もの光り輝く丸い帯が生み出される。
それらの光はゆっくりと回転しながら、アイノを包み込んでいく。
妹を、アイノを守るかのように光の帯が球状を形作ったところで変化が終わった。
「準備できました」
杖に魔力を込めながら言う。ここからは、時間との勝負だ。アイノの治療が終わるまで、俺は魔力を流し続けなければいけない。普通の人間なら、一時間で魔力切れを起こすような魔法陣をひたすら維持し続ける。聖竜様の眷属でなければ、これはできなかった。
『うむ。では、アイノの中にある混沌の浄化をはじめるのじゃ。念のため、少しずつゆっくりとな』
聖竜様から銀色の輝きがアイノに注ぎ込まれていく。
魔法陣越しに、アイノに莫大な力が干渉しているのが伝わってくる。聖竜様の力のほんの一欠片にすぎないものだが、人間相手には大きすぎるのがよくわかる。最初に時間がかかると言われたわけだ。下手をすれば、人間など消し飛んでしまいかねない。
『うむ。魔法はちゃんと稼働しているようじゃ。少しずつ力を強めるから気を抜くでないぞ』
「もちろんです。いくらでも続けられますよ」
今この瞬間に限っていえば俺は疲れ知らずだ。一日でも十日でも一年でもこれを続けてみせる。そんな思いと共に、俺は魔法陣の維持を続けた。
聖竜様と俺による魔法の行使は、丸二日続いた。
時間の感覚が曖昧な空間で、聖竜様が『うむ。二日とは思ったよりも早かったのじゃ』と言った時、俺の前で変化が起きた。
「ん……」
軽い声と共に、アイノの瞼が僅かに揺れた。それだけじゃない、指先や口元も僅かに動き出している。
「……ア……アイノ?」
アイノの目が開き、茶色い瞳が顕わになり、俺を写す。
それから、約四四〇年ぶりに、妹の声が耳朶を打った。
「……兄さん、元気そうで良かった」
まだ体の感覚が戻っていないのか、ぎこちなく微笑むその姿は、紛れもなく、俺の妹のものだった。
「おかえり、アイノ」
ずっと言いたかった言葉を、俺はようやく口にすることができた。
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