第100話「東都から十日、俺達は聖竜領に帰ってきた」

「ようやく見慣れた光景になってきたな……」


「ええ、正直、落ち着くわ」


 馬車の窓から見える景色を見ながら言った俺にサンドラが同意する。

 東都から十日、俺達は聖竜領に帰ってきた。

 よく整えられた街道を行く馬車は揺れが少ない。今回の旅でわかったのだが、昨年の工事後に整えられたこの道はかなり良いものだ。


 窓の外は林と草原。もう少しすれば春に開拓した農地と水路が見えてくるはずである。

 時刻は夕刻。東都とは対照的な夕暮れ時の景色が俺達を迎えてくれるだろう。


「お嬢様。長旅でしたから夜の報告は手短いにお願いしますね」


「ええ、色々気になっているから長くなってしまわないよう気を付けないと」


 東都行きでサンドラ・エクセリオと名字を改めた件といい、話すことは多い。要点だけをかいつまんで話すべきだろう。


「ん、後ろの方からハリアが飛んでくるな」


「う、うわあああああ! なんだありゃあ!」


 俺が言った直後、御者が悲鳴を上げた。

 席を立って御者台に向かって言う。


「あれは聖竜領にいる竜だ。物資を運んでいるだけだから、害はない」


「……そ、そうですか。は、話には聞いてましたが、凄いところだなぁ」


 御者の向こうの空には今まさに俺達を追い越していくハリアの姿が見えた。

 翼を持たない水竜だが、魔法の力で飛ぶその姿は迫力がある。

 高度は低く、胴の下に物資運搬用らしい巨大な箱をぶら下げていた。


「聞いたとおり、輸送の仕事を始めたみたいね」


「巨大なものが飛ぶ姿は迫力がありますね」


 外の様子を見てサンドラとリーラがそんな感想を言う。ハリアのことを知らなければ、二人だって悲鳴をあげていてもおかしくない。大きいというのはそれだけで脅威を与えるものだ。


「今ので俺達がもうすぐ着くことも伝わるだろう。きっと皆、待っている」


「みんなの元気な顔を見るのが楽しみだわ」


 ようやく我が家に帰れる喜びだろうか、サンドラが穏やかに微笑みながら言った。


 馬車は順調に進み、俺達はおよそ三十日ぶりに聖竜領に帰還した。


○○○


「さて、帰ってきて早速で悪いけれど。色々と報告ね。まずはみんな、お疲れ様。そしてありがとう。わたし達が留守にしている間、この聖竜領を守ってくれて」


 屋敷へ到着し夕食を終えた後、サンドラの発言で領地会議が始まった。

 聖竜領へ帰った俺達は屋敷の前で待つロイ先生とアリア、メイド達に出迎えられた。


「特に困ったこともありませんでしたから何とかなりました。サンドラ様達も無事に目的を果たされたようで」


「そうね、無事といって良いわ。色々あったけれど……」


 穏やかにいうロイ先生にサンドラが苦笑気味に返した。


「やっぱり色々とあったんだねぇ。ただじゃ済まないと皆で話してたけどさ」


 大工のスティーナの言葉にサンドラは頷く。


「でも、全て良い方向に物事が進んだと思うの。順番を追って話すわね。まずわたし、サンドラ・エヴェリーナは、サンドラ・エクセリオと今後は名乗ることになったわ。簡単に言うと、エヴェリーナ家を捨てたのね」


 その言葉に室内が一気にざわついた。家を捨てるという言葉のインパクトは凄まじい。


「なるほど。たしかに、聖竜領の開拓にエヴェリーナ家は協力していません。第二副帝とクアリアの協力があれば、今後もやっていけそうだと踏んだわけですね」


 事情をいち早く察知したロイ先生の一言に室内のざわめきが収まった。


「そう。みんなのおかげで、聖竜領はエヴェリーナ家の力に頼らずにやっていける。だから、いっそのこと面倒なことを斬り捨てたということね」


「サンドラ様はそれで良いのですかー?」


「悩まなかったと言えば嘘になるけれど、これで良いと思っているわ」


 アリアの問いかけに笑顔を浮かべながら、はっきりとサンドラは答えた。


「エクセリオは今は亡き母様と一緒に消えてしまった家の名前でもあるの。名乗れるのはちょっと嬉しいかな。それと、聖竜領の立場は今まで通りで影響はないから安心してね」


 サンドラに異論を唱える者はいなかった。ここにいる皆にとってエヴェリーナ家が味方という印象がないからということもあるだろう。


「他に報告としては、マノンという子を勧誘したわ。わたしの学生時代の同級生で、とても優秀。貴族間の情報に詳しいし立ち回りも上手よ。今後はロイ先生に代理をさせないで済むと思う」


「それは助かりますね……。正直、何か起きたらどうしようかと思っていましたから」


 ため息を吐いたロイ先生を見て、皆が笑った。


「わたし達に遅れて、東都で買ったお土産とか物資も届く手はずになってるわ。細かくは書類にまとめてあるから、確認してね。あとは、アルマスかしら?」


「ああ、俺の方も順調に事が済んだ。妹の治療が進むかも知れないそうだ。個人的な事情で済まないが……」


「……そんなことないよ。良かった」


「アルマスさま、おめでとー」


 トゥルーズと膝の上のハリアがそういうと、事情を知る人達が異口同音に祝福してくれる。

『ふむ。これは気合いを入れて頑張らなければいかんのう』


『あまり無茶はしないで良いですよ。確実が一番です』


『うむ、わかっておるのじゃ』


 様子を見ていた聖竜様がやる気を見せていた。自分に手出しできないのは歯がゆいが、後は聖竜様次第だ。


「わたし達からはこのくらいね。聖竜領であったことを教えて貰ってよいかしら? 細かい事情は明日以降確認するから手短にね」


 そう言って、ハーブティーを口にするサンドラ。長旅の後ということもあり、飲んでいるのは眷属印の特別製である。


「承知しました。では、僕からですね。魔法草の研究工房がエルフの森の中に準備できました。後は機材を運び込んで、ユーグが引っ越せば完了です。それと、ハリアさんが空を飛んで荷物を運んでくれるようになりましたね。練習も兼ねて三日に一度くらいの頻度ですが、クアリアから二時間くらいです」


「二時間……早いな」


「これでもゆっくり飛んでるよ。にもつ、大事だから」


「そうか。竜の飛行速度は速いからな……」


 空を飛べばクアリアから障害物なしで直線だ。その上、竜というのは結構早く飛べる。

 なんだかとんでもない輸送機関が生まれてしまったな。


「大きな工事などがあれば大活躍でしょう。それと、僕で決められなかった工事がいくつか。汚水処理の魔法装置の設置に、水路の増築、水車小屋の建設ですね……」


「明日、早速細かく話し合いましょう。優先するのは水車ね。それと、屋敷内の改築も考えてるのだけれど。執務室と応接を分けたり……」


「ん、いいけど人手がなぁ……」


 サンドラの言葉にスティーナが反応し、やり取りが始まった。

 まずいな、長話になりそうだ。

 そう思っていると、珍しく不安げな視線でサンドラを見るリーラが目に入った。


 昨年、サンドラはクアリアから帰った直後に発熱している。

 長旅の後という意味では今と状況は似ているな。


「サンドラ、詳しい打ち合わせは明日以降が良いと思う。帰ったばかりだから、休んだ方がいい」


「……そうね。スティーナ、ごめんなさい。詳しくは明日ね」


「ん、そうだね。悪いね、仕事のこととなると歯止めが利かなくて」


 俺の発言の意図が伝わったらしく、二人ともそこで話し合いを打ち切った。


「ごめんなさい、今日は要点だけって言ったのにね。改めて、報告を聞かせてちょうだい。そうね、農地の方はどうかしら?」


 気を取り直したサンドラが仕切ることによって、その後の会議は円滑に進み、早く終わったのだった。

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