第82話「なんだか滅茶苦茶大変そうなことをしれっと言うリーラである」
聖竜領から東都までは馬車で四日の日程である。
イグリア帝国は街道がよく整備されている上に治安も良いので移動に苦労はない。
クアリアの街を通り一路西へ向かっていくにつれ、少しずつ通り過ぎる景色に変化が起きてきた。
街と街の間に森や草原があるのは聖竜領の周辺と変わらない。
しかし、通りぬける街の規模が少しずつ大きくなっていく。人の多い場所へ近づいている証だ。
移動開始から三日目、クアリアよりもだいぶ規模の大きな街に立ち寄った時、サンドラの提案で本屋に寄ることになった。
「なんでまた本屋なんだ?」
「あなたのためでもあるのよ、アルマス。ここは大きな本屋もあるし、都合がいいのよ」
「行きましょう、こちらです」
宿で書いて貰ったメモを片手にしたリーラに先導され、俺達が向かったのは街の中心部にある大きな本屋だ。
かなり大きく、聖竜領の領主の屋敷くらいある。サンドラの話によると紙の大量生産と印刷技術とやらのおかげで本が求めやすくなっているそうだが、この店はきっと特別だ。
「大きいな……」
「この辺りだと東都にあるものの次に大きな書店なの。ここなら色々と良いものが手に入る」
「詳しいんだな」
「お嬢様は本がお好きですので。昔は本家の書庫に閉じこもっておりました」
「そのうち自分の書庫を持ちたいものね。さ、入りましょ」
楽しそうな軽い足取りで店内に入るサンドラに俺達も続く。
「おお…………」
中はまるで図書館のようだった。
天井近くまで伸びた棚にはびっしりと書物が詰まっている。棚には分類を示す札がつけられ、わかりやすく整備されている。まるでよく管理されている図書館だ。
「これが全部売り物なのか……」
「大半は安い紙で作られた薄い本なのだけれどね。でも、役に立つわ。えっと、こっちからしら」
棚を見渡して歩き出したサンドラに俺とリーラはついていく。ここにつれてきた彼女の意図はわからないが、俺も賢者と呼ばれた男だ。せっかくだから何冊か欲しいのでじっくり店内を見たい。
「あった、これがいいわ。はい、アルマス」
サンドラが足を止めたのは『国内旅行』という札のかかった本棚だった。その中から一冊を取り出すと、俺に手渡す。
俺に手渡された小さくて薄い本には『イグリア東都・食べ歩きガイド』と書かれていた。
「何日も滞在することになるのだし。こういうものがあると良いでしょ? きっと、一人で歩くことも多いから。……なに、その顔は」
「いや、確かに有り難い配慮だとは思うが、なんで『食べ歩き』を選んだ?」
「好きでしょ、食べるの」
「否定はしないが……」
他にも『名所・旧跡』だとか『歴史の旅』だとか俺向きのはあると思うんだが。どういうことだ。
「別に一冊じゃなくてもいいのよ。ここで何冊か買うつもりなのだし」
「む、そうだな。……とりあえずこれを買っておこう」
果たして『食べ歩き』とやらができるかはわからないが、興味がないと言えば嘘になる。とりあえずは買っておこう。なんだかサンドラが「やはり」みたいな顔をしているが俺は大人だから何も言わない。
「では、これからは自分の買い物をしましょう。この街は二時間ごとに鐘が鳴るから、次の鐘までね。集合場所は入り口の近く」
「承知致しました」
「もちろん、アルマスの分はわたし達が出すから気にしないで。あんまり高い本はやめてほしいけれど」
「別に自分で払うが……」
俺だってそれなりに稼ぎはあるし資金はもってきている。今手にしたガイドブックは大した価格じゃないので普通に買えるのだが。
「いつものお礼だと思ってくれればいいわ。久しぶりに聖竜領の外に出たのだもの、楽しんで欲しいの」
「わかった。お言葉に甘えよう」
なんだかサンドラが楽しそうだったので俺は提案に乗ることにした。
○○○
鐘が鳴るまでの間、俺は五冊ほどの本を選んだ。
イグリア帝国の歴史と地理を扱うものが中心だ。厚さはまちまちだが、どれも値段は高くなく、新しめのものである。軽く読んだ感じ、内容もそれほど深く掘り下げたものではないようだが、とりあえずはこれでいい。
二階の奥の方にもっと専門的かつ立派な装丁の物も並んでいたが、そちらは値段があんまりにも高いのでやめておいた。
今更だが、この国の歴史と文化におおざっぱに触れておこうと思ったのだ。とりあえずはこれでいいだろう。気になったら、後々深く掘り下げていけばいいのだ、こういうのは。
本を抱えて集合場所に向かうとサンドラとリーラはすでにいた。
一階には休憩場所になる一画が設けられていて、そこのベンチに二人は腰掛けていた。リーラが籠を持っており、その中に何冊か収まっている。
「結構買ったのね。何を選んだか聞いてもいいかしら?」
「主にこの国の歴史などについてだ。今更だがな。それと、過去の戦争についてまとめた本もあったので買ってみた」
俺が籠にいれたタイトルを見てサンドラは一瞬だけ眉をひそめた。
「戦争ものはイグリア帝国びいきだからあまり内容は信用できないかもしれないわ。歴史の方も簡単なものみたいだけれど」
「時間つぶしにちょうどいい。気になったらまた学べばいいだろう」
この手の書物という物は書いた人間の考えや視点がどうしても入ってしまう。それはしょうがないことだし、そこもまた楽しみなところでもある。
「サンドラ達は何を選んだんだ?」
「わたしは新聞や好きな学者さんの出した本ね」
見ればリーラの持つ籠の中に分厚い書物が一冊あった。見るからに難しそうだ。勤勉だな。いや、単純に学ぶのが好きなタイプなのかもしれない。
「ん? 他にある小さめの本は小説か?」
「これは私の分です」
「リーラは恋愛小説を読むのが好きなのよ」
「恋愛・・・・・・」
なかなか意外な事実だ。サンドラ以外に興味はないと思っていたのだが、人間わからないものだな。
「アルマス様、人間わからないものだな、と考えましたね」
「……心を読んだのか?」
「いえ、よくわかる感想ですので。元々、お嬢様の勉強の合間に手にとってみたのが思いの外面白く、趣味になったものでして」
聞いてもいないのにリーラがベラベラと喋り出した。もしかして、動揺してるのか?
「わたしが勉強してる横で、夢中で読んでいるのは驚いたわね」
「不覚でした。ですが、自分には無縁といえど、こうした物語はなかなか良いものです。夢がありますから」
「別にリーラだってそういうのに無縁じゃないとは思うが……」
普通に考えればリーラは美人だ。相手だっているだろう。いや、サンドラにかなり入れ込んでいるから難しいか……。
「アルマスも気の利いたことを言うのね。わたしも同意見だわ」
サンドラは一言多いな。俺だって人間時代の常識はある程度持ち合わせている。それに照らし合わせたまでだというのに。
「問題は私よりもお嬢様です。少々興味がなさすぎて、このままではそういった感情と無縁なのではないかとたまに心配になりますから」
リーラが無表情かつ無感動な口調でそう言った。この一年と少しでわかったのだが、このメイドがこういう態度になった時、自分の感情を誤魔化していることが多い。微細な変化だが、よく話すものなら気づいている。
「驚きだ。リーラがサンドラの恋愛について心配していたとは。てっきり、一切許さないと思っていたぞ」
リーラのサンドラへの愛情は主従のそれを明らかに超えている。娘が好きすぎて面倒になっている父親のような領域だ。そこからこんな台詞が聞けるとは思わなかった。
「許さないわけではありません。ただ、私が認めた相手ではなければいけないだけです」
なんだか滅茶苦茶大変そうなことをしれっと言うリーラである。
「サンドラに求婚する相手は相当大変なことになるな」
「今のところ、相手の影も形もないのが幸いだといえるわ。さ、行きましょう」
俺の軽い口調でいうとサンドラは実に素っ気ない態度で流して、立ち上がって会計に向かっていった。
サンドラと共にその後ろをついていくと、リーラが俺にだけ聞こえるくらいの小声で言う。
「この新刊、アリアに読ませてロイ先生への焚き付けに使おうと思うのですが、どうでしょうか?」
「あんまり人間関係に影響を及ぼすようなことはやめておいた方がいいと思うぞ……」
無感情そうに見えるリーラにも、意外な一面があるものだ。普段と違う環境にいくと色々と見えてくるものがあるものだ。
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