第79話「唐突に聖竜様が脳内に割り込んできた。俺と同じ感想だ」
西の畑と水路がほぼ完成し、種まきを終えた頃、聖竜領に珍しい客が来た。
隣町であるクアリアの領主スルホである。
相変わらず穏やかな彼は挨拶もそこそこに執務室に案内された。
どうやら俺にも用件があるらしく、森の中で作業をしていたら呼び出された。
「なんだか久しぶりに顔を見る気がするな」
「実際ここに来るのは久しぶりです。冬の間も手紙のやり取りくらいはしていたのですがね。大分忙しそうだね、サンドラ」
「おかげさまでね。人手の件など、色々と手を尽くしてくれてありがとう」
「クアリアは聖竜領と良き関係だからね。シュルビアを助けてくれた恩人だ」
相変わらずの好青年だ。彼がクアリアの領主で良かった。
「さて、忙しい時期に仕事の邪魔をするのも悪いので、先に用件を。……お二人ともぼくの結婚式に出席して頂けますか?」
かしこまった態度でスルホが取り出したのは綺麗な封筒に入れられた二通の手紙だ。
それぞれ俺とサンドラ宛である旨が記されており、クアリア領の封が押されている。
スルホとシュルビアの結婚式は予定が定まり次第行うという話だった。
一年近くかけて、ついに決まったのか。
「喜んで出席しよう。おめでとう。聖竜様も祝福してくださるだろう」
「もちろん、わたしもよ。本当に良かったわ。シュルビア姉様がこちらに来る算段もついたのね」
「はい。式は東都で行います。どこも春は忙しいので仕事が一段落する夏の前に開催されます。ぼくとしてはもっと小さなもので良かったのですが」
「無理よ。シュルビア姉様は第二副帝の娘で『東方の宝石』とまで呼ばれる人なんだから。それなりのものにしないといけないわ」
「まあ、ぼくと結婚が決まった段階で継承権とかは破棄しているんだけれど。そのとおりでね……」
照れながら言うスルホもまんざらではない様子だ。そういえば妻になるシュルビアは美人な上に庶民派だから人気があるとどこかで聞いたな。大きな祝い事にしないと色々言われてしまいそうだ。
「夏の前に東都か……。都合良く出向く用件ができたのは助かるな」
「? なにかあったのですか?」
「実はアルマスにクロード様からの手紙が来てね、そのうち東都に行く必要があったの」
「……なるほど。クロード様のことだから、ぼくの結婚式で来ることを折り込んでことだったのでしょう。恐らく、結婚式のことはぼくが伝えるべきだと考えて書かなかったのではないかと」
「意外と気をつかうものだな……」
あの手紙にそこまで気が回されていたとは。半分以上自分の欲望がダダ漏れに見えたのだが。
「結婚式にアルマスの用、東都に行くために色々と仕事を片づけないと」
嬉しそうにサンドラが言った。彼女はスルホとシュルビアを実の兄姉のように慕っているのだ。
「それなんだけれど、少し気になることがあってね。……君の二番目の兄、ランツ・エヴェリーナも出席する」
「ランツ兄様が……?」
サンドラの表情が途端に厳しくなった。後ろで聞いていたマイアが顔をしかめる。
その場の雰囲気に促されて、スルホが続きを語る。
「彼は今、同年代の貴族で派閥を作ろうとしています。ぼくの結婚式は帝国内の有力者も多く出席しますから、勢力拡大を狙って動くつもりでしょう。恐らく、そこでサンドラにも声をかけて虫のいい話をするはずです」
スルホの語り口には嫌悪の感情が混ざっていた。彼にしては珍しいことだ。ランツというサンドラの兄が好ましい人物でないことは間違いない。
「自分の派閥をこれ見よがしに喧伝して、わたしへの支援を申し出るというところかしら?」
「そうだね。辺境で苦労している妹を手助けするとかの美談に仕立てるかもしれない。既に一部の貴族の間では聖竜領のことは評判になっている。どうにかして利権を得ようとするだろう」
「そんな手助けは必要ないだろう? 既にスルホと第二副帝が助けてくれるし、一番大変な最初の状況はサンドラが自力で乗り切っているぞ」
昨年の皆の頑張りをそんなくだらない欲望のために美談で塗りつぶされてはたまらない。とても受け入れられるような話ではないぞ。
「ぼくはサンドラの味方ですが、結婚式で手一杯になるのであまり手を貸せません。クロード様も有力貴族が集まる手前、聖竜領を必要以上に特別扱いするのは控えるでしょう……」
第二副帝にも立場というものがあるということか。基本的に味方だが、全面的に頼るわけにはいかなそうだ。
「………わかったわ。そちらに対しては手を打っておく」
髪をいじりながら話を聞いていたサンドラが静かに、だが何らかの決意を込めて答えた。
「ありがとう、スルホ兄様。自分のことで忙しいだろうに、わざわざ警告のために来てくれるなんて」
「気にしなくて良いよ。この招待状は絶対に手渡ししろとシュルビアにも言われていてね。それと、忘れないでくれ。ぼくとシュルビアはサンドラの味方だよ」
「うん。考えがあるから、あとで魔法具で手紙を送って相談するわ」
手紙を送る魔法具か。昨年、シュルビアに害を与えた魔法士を捕らえた際の副産物だが、思った以上に役立っている。
そういえば、ユーグなら第二副帝に直接報告するあの手の魔法具を持っているはずだな。
今後はそれを使って連絡を取らせてもらおう。情報は速度が命だ。
しかし、聖竜領以外の場所でサンドラの実家と対決するのは少々心細い。ここなら彼女の味方しかいないので多少は気楽なのだが。
ここは俺も頑張りどころということか。
「サンドラ、俺も君に協力する。必要なことがあれば言ってくれ。これは聖竜様に言われたからじゃないぞ」
「…………あ、ありがとうアルマス」
なんだかサンドラが驚いていた。そんな珍しいことを言ったろうか?
ともかく、これで東都行きは決定だ。
○○○
スルホは屋敷で一泊することになり、俺もついでに泊まることになった。
彼は屋敷のメイドが増えたことや客人が多いことに驚いていた。隣町といえど実際目にしないとわからないものらしい。
夕刻、俺は屋敷の外を散歩していた。
高台にあるこの場所からは日が暮れ始めたばかりの聖竜領全体がよく見渡せる。
家が数軒に後は畑だけの田舎の村だ。領主の屋敷には鶏小屋まである。
一年でよくぞここまで来たものだ。
人の営みの尊さを感じながら屋敷の周りをふらついているとサンドラがいた。
屋敷を出てすぐの場所に置かれたテーブル。彼女はそこにティーセットを置いてお茶を飲んでいた。
一人というのはなかなか珍しい。
「あらアルマス。お散歩かしら?」
「君の方は休憩か? 護衛もつけずに」
「ここでリーラが帰ってくるのを待っているの。宿屋の様子を見にいっているから」
まあ、屋敷の近くだし、俺がいるから護衛もいらないか。
なんとなく俺も椅子に座ってテーブルに向かう。サンドラがすぐにお茶を淹れてくれた。
「懐かしいの。一年前、ここでアルマスがパンを食べて涙を流したのを思い出したわ」
「そんなこともあったな……」
俺の食事環境もあの時に比べれば大分改善したものだ。あと、あの時のパンは本当に美味かった。
「ランツと言ったか? 君の兄はどうなんだ?」
「デジレ姉様はでしゃばりで不出来で小心者だったから簡単に退散させれたけれど、ランツ兄様はちょっと手強いかも」
我ながら意図を得ない質問にサンドラはきっちりと答えてくれた。デジレに対する容赦ない評価付きで。
「そうか。どうにかなると良いのだが」
「どうにかするのよ。わたし、ここの生活が気に入ってるの。まあ、問題もあるんだけれど」
「問題?」
「前に約束したでしょう、一緒にスローライフというのを目指そうって。なのに、どんどん忙しくなってるのよね。これをどうにかしないと、わたしがのんびり過ごせない」
心外だ、と言わんばかりに自分のお茶をつぎ足すサンドラ。
「実をいうと俺は割とのんびり過ごす時間も増えて来たんだがな……」
忙しいときもあるが、領主のように事務仕事が無い俺は時間がある時は結構ある。恐らく、春の大工事が終われば自分の畑の手入れを中心とした生活に戻れるだろう。
「協力してもらうわよ。約束なんだから……」
それを把握しているのだろう。サンドラが恨みがましい目をして言ってきた。
これから先、兄との対決が待っているとは思えないくらい気負いが無い姿だ。
『サンドラも成長したのう。これなら安心じゃ……』
唐突に聖竜様が脳内に割り込んできた。俺と同じ感想だ。
「今、聖竜様が何か言ったの?」
「ああ、今の君なら少しくらいの苦難ははね除けるだろうとな。それでも難しそうなら、俺が力を尽くそう。約束だからな」
サンドラは少し焦ったような態度をとると癖毛をいじりながら言葉を返す。
「ありがとう。頼りにしているわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます