第60話「不安げにいう聖竜様だが、もうやってしまったことは仕方ない」
俺の住む地域が聖竜領と呼ばれるようになって最初の冬が来た。
木々の葉が散り、冷たい風が吹くようになり数日がたったある日、雪が降った。
有り難いことに、この地域は気温は低いものの雪はそう多くない。氷結山脈で雪雲が止まるらしく、家から出れなくなるくらいの積雪は珍しい。
今回も指先ほどのうっすらとした積雪で、翌日には溶けてしまった。
とはいえ、聖竜領の住民に冬の訪れを実感させるには十分すぎる出来事だ。
それぞれが、冬に合わせた生活を少しずつ始めていた。
勿論、俺も例外じゃない。
冬の朝、俺は自分の感覚を頼りに目を覚ます。
室内は窓を閉めているのもあって暗い。秋の間に窓ガラスを発注したが工事が間に合わなかった。幸い、俺の体内時計はとても正確なので朝目覚めるのは造作もない。
「寒いな……」
ベッドから起き上がるとすぐに明かりの魔法を使う。室内は昼間のようになる。 室内は暖かい。床に設置した風と熱の魔法が程よく暖かい風を行き渡らせ、冷え切った室内を快適空間にするよう調整されているからだ。
もしかしなくとも、暖炉で温めている領主の屋敷よりも快適かも知れない。
俺は窓をそっと空けて外の様子を確認する。
よし、雪は降っていない。
すぐに茶を入れて、テーブル上でまったりとした時間を過ごす。
冬は畑仕事も多くない。一部のハーブと魔法草の世話くらいなので、時間に余裕がある。
さて、今日は何をしようかと考えていると、頭の中に声が響いた。
『おはよう、アルマス。爽やかな朝じゃな』
『おはようございます。何か用件ですね?』
聖竜様のことだ、わざわざ俺が起きるまで待っていてくれたのだろう。急ぎでないときはそういう気の利かせ方をしてくれる竜だ。
『うむ。すまんが南へ行ってくれんかの。森の向こうの荒野じゃ。確認してほしいことがある』
『南の荒野ですか。構いませんが、一人の方が良さそうな話ですね』
聖竜領の南は森が続き、その向こうには何も無い荒野が広がっている。更に南下するとそこそこ険しい山々があり、それを超えなければ人里には辿り着けない。
ちなみに森を抜けて荒野までは普通は歩いて二日はかかる。
『うむ。時間をかけることもないし、他の者が必要でも無い。軽く走ってくれんかの?』
『承知しました。ちょっと行ってみましょう』
お茶を飲み終えた俺は立ち上がり、近くにたたんでおいた作業着に着替える。
物をあまり置かれていない棚から一枚の紙を取り出し、外に出る。俺の部屋が殺風景なのは掃除の手間を無くすためだ。家事が苦手なので、極力やらない状況を作るという生活の知恵である。
外に出ると冬らしい冷え切った冷気が俺の頬に当たってきた。吐く息も白い。雪こそ無いが、氷が張るくらいの寒さはとうにやってきている。
「竜になって良かったのは、環境の変化に強いことだな」
今の俺は多少温度が上下したくらいでは活動に支は無い。
極端な気温の時には非常に有り難いことである。
俺は扉の中央に後から設けられた小さな掲示板に一枚の紙を小さな釘で貼り付ける。
そこには『外出中。ちょっと出かけてます。 聖竜の眷属』と書いてある。
俺は意外と家にいないので、スティーナがつけてくれた伝言板である。
「これでよし」
『自分から不在を知らせるのは不用心じゃないかのう』
『盗られるものもありませんから』
我が家に貴重品は存在しない。
収穫した魔法草は領主の屋敷の倉庫だし、俺が稼いだ金はローブや杖と共に聖竜様の次元に保管している。
家の中には物が殆どないので盗み甲斐がない物件だろう。
何より、今の聖竜領は全員顔見知り、盗みを働くものなどいない。
そういう心配は、これから先のことだと思っている。
「それじゃあ、行くとするか。南に行くのは久しぶりだな」
誰ともなしに呟くと、俺は冬の空気を切り裂いて一気に駆け出した。南に向かって。
○○○
家を出て全力で道なき道を走ること数時間。
森の密度は徐々に薄くなり、俺は荒野へと足を踏み入れた。
目の前に広がるのはわずかばかりの草と茶色い起伏のある大地。
何も無い砂漠よりはマシ程度の光景だ。
『アルマス、もう少し東じゃ。川がある』
『川? ああ、なるほど。聖竜領から流れ込んでいるんですね』
『うむ。そうしたら川沿いに進むが良い』
聖竜様の指示通り、荒野を走る。
川はすぐに見つかった。今年の春に聖竜様が蘇らせた流れは、領内のものよりも大きくなり、水量も多くこの荒野を貫いていた。
見れば、水場の周りだけ植物が群生している。
「全然気にしていなかった。まさかこんな変化が起きているとは」
『ゆるやかじゃが、この地に生命が戻っておるようじゃな。アルマス、南じゃ。そこを見てから説明をするのじゃ』
『承知』
俺は川沿いに南下。勢いよく駆けると一時間もしないうちに聖竜様の見たかったものが正体を現した。
そこには川からの流れが注いで出来た大きな池があった。
いや、これはもう池といっていいものか、そろそろ湖と言えるのではないか。そのくらいの規模だ。
『うむ。やはりこうなっておったか。昔、ここには大きな湖があってのう。周りには緑が生い茂る、豊かな地じゃった。『嵐の時代』で世界中の魔力が乱れて酷い有様じゃったが』
『つまり、かつての姿に戻っていると?』
『うむ。しかし、時間が経ちすぎておる。このままではいかんじゃろう』
川は巨大な魔力の流れ。この地に良くない影響を及ぼしかねない。
なるほど。これを調整するために、聖竜様は俺をこの場に赴かせたということか。
『理解しました。しかしこの水、南にまっすぐ向かってますけど、そっち方面に迷惑かけないでしょうか?』
遙か南に見える山の向こうには人里があるはずだ。うっかり水害とか発生しないか心配だ。
『地下にあったものが地上に出ただけだから大丈夫じゃ。更に念のため、ワシらが手を加えるわけじゃからな。ほれ、用意せい』
『承知』
俺は杖を出し、地面に突き立てる。
すぐに聖竜様の強大な気配が近づき、地面に莫大な魔力が走った。
泉や荒野のそこかしこが魔力で明滅し、ところによっては形を変えていく。
恐らく、聖竜領まで巨大な地鳴りが聞こえているはずだ。後で謝ろう。
『よし、完了じゃ。春には綺麗な湖と草原が出来てるじゃろう』
程なくして作業を終えると聖竜様はそんなことを言った。
『湖と草原ですか。色々と利用できそうですね』
人間だった頃、湖畔の周りに金持ちの別荘が建ち並ぶ場所を訪れたことがある。戦争中だったので半壊していた。平時ならば良い場所だったろうにと残念な気持ちになったのを思い出す。
周囲が草原なら家畜も放てるかも知れないし、これは聖竜領にとって良いことかもしれない。
『しかしここ、ちょっと遠いですね。俺が様子を見に来るにしても頻繁に来るのは難しそうだ』
普通に歩くとここまで俺の家から一日はかかってしまう。それなりに忙しい現状の聖竜領ではちょっと目が届かない。
『ふむ。元が荒野だから管理人が必要かのう。よし、ワシに任せておくのじゃ』
なんだか乗り気な聖竜様が請け負ってくれた。きっと眷属の俺には思いも寄らぬことをしてくれるに違いない。
『では、聖竜様のお心のままに。じゃ、帰りますね。サンドラに報告しないと』
『今思ったんじゃが、説明無しに行動したから怒られないかのう?』
不安げにいう聖竜様だが、もうやってしまったことは仕方ない。
俺は開き直るつもりで、聖竜領への帰途へとついた。できるだけゆっくりしたペースで。
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