第36話「俺の穏やかな時間はあまり長く続かないのが欠点だ」
聖竜領に本格的な夏が来た頃には街道工事はほぼ完了していた。
これでクアリアの街までは徒歩なら二日、馬車なら一日で到着するようになった。
大幅な時間短縮だ。本格的な人の行き来が始まり、先日など領主の屋敷に行商人がやってきた。
俺自身の周辺も大きく変化していた。
なにより大変めでたいことに、ついに自宅が完成した。
春から工事していたスティーナ達には感謝したい。
今度の俺の家は凄い。
なんと、部屋があるのだ。
丸太で組まれた家はそれなりに大きく。リビングと寝室に別れている。外には屋根付きの炊事場が設けられ、雨の日でも煮炊きができるようになっている。
壁は丸太そのものではなく、ちゃんと木を板に加工したものが打たれており、内装は思った以上にしっかりしたものになっていた。
家が完成した日、全員で室内を見学してから、さっそく俺は引っ越しをした。
俺の私物はほとんどないので、領主の屋敷で余っていたベッドを運び込むだけだ。
窓は木の板で閉じる簡単なものだが、将来的にガラスをいれたいとスティーナは言っていた。他にも暖炉を設置するスペースまで用意されていて、こちらも資材待ち。
サンドラ達が来て4ヶ月あまり、俺はついに豊かな生活への第一歩を歩み出していた。
「む、朝か・・・・・・」
夏のある日、開けっ放しの窓から差し込む朝日で、俺は目覚めた。小鳥の鳴き声と木々のさざめきが心地よい朝だ。
手早く着替えて、魔法でお湯を作ってハーブティーを用意する。
いつもならこれだけで済ませるところだが、今日は違った。
テーブル上にパンのような四角い食べ物が置かれている。
「ついにこれを食べるときが来たか」
ルゼ達エルフの移住者が作った携行食である。聖竜領の素材で製造された第一弾だ。
俺はハーブティーを一口飲んで心を落ち着けると、ゆっくりと携行食を手に取った。
とりあえず一口。
「……うまいなこれ」
不思議な味だ。ビスケットのような食感なのだが、口の中に広がる味は全然違い。
程よい甘みと香ばしさ、しっかりとした歯ごたえが確かな満足感を与えてくれる。
「いやこれ本当にうまいな。これが主食でいいんじゃないか?」
そんなことを呟きながら、俺はあっという間に携行食を平らげてしまった。
これはきっと特産品になる。俺もたまに買おう。
程よい満腹感と共に食後のお茶を楽しんでいると、ドアの外に気配がした。
「ルゼか。入ってくれ」
外に立つ者の魔力の質で誰かはわかる。
すぐにドアが開き、そこには想像通りのエルフがいた。
「あの、ノックする前に声をかけられると凄い驚くので、ほどほどにしていただけると……」
なんだか戸惑っていた。びっくりしたらしい。
「それは申し訳ないことをした。今ちょうど携行食を食べたところだ。――率直に言って、美味かった」
「ありがとうございます。お役に立てそうですね。それとは別にご相談があるのですが」
「俺で力になれそうなことならいいぞ。あがってくれ」
そんな感じで朝からエルフの若長の話を聞くことになった。
○○○
「相談というのは、この森のことです。地図をみてください」
俺の淹れたハーブティーが置かれたテーブル上に、ルゼは何枚かの紙を置いた。
手書きの地図だ。
俺の家から少し離れた場所に村を作って以来、聖竜の森のエルフ達は周辺の状況を確認するために、自力で地図を作っている。
一応、危険な場所などもあるので、俺もたまに助言したり、一緒に探索したりもしていた。
「大分奥までいったな。ここから更に東に行くと断崖絶壁で、海が見えるぞ」
「はい。木に登ったら海が見えました。アルマス様が言うように森の中心部は聖地として近づかないようにします。木にも魔法をかけて……」
「氷結山脈の方も近づかない方がいいぞ。たまに魔物が降りてくる。それと……」
こんな風に、聖竜の森について定期的に情報交換を行っている。
「立派な地図になったな。ルゼの本業は医者だというのに」
「病人と怪我人がいなければ出番がありませんし。エルフとしてこの森を見逃すわけにはいきません」
一通り話し合いが終わると、俺達はそんな世間話をしていた。
ルゼの本業は医者だ。エルフの医者は長生きしている分、知識も経験も豊富である。はからずも、聖竜領は大変貴重な人材を手に入れてしまっていた。
「正直、医者としての仕事を放り出して、森の中を気ままに冒険したい時もあるんですが……一月くらいいなくなってもいいですか?」
「いや、それは困るからやめてくれ」
にこやかにとんでもないことを言ったりもする。ちなみに本気だ。昔から外の世界に興味があったらしい。
ルゼが連れてきたエルフ達も若長に似て、好奇心が旺盛で、聖竜領によく馴染んでいる。
更に自分達の仕事以外にも、森の中のハーブ畑などをよく世話してくれているのでありがたい。
ちなみにハーブ畑は領主の所有で、そこで働くと売り上げから給料が払われる仕組みらしい。人口が爆発的に増えたりしない限り、領民の収入をそこからも得られるようにしたいとサンドラが語っていた。
「そろそろ古い洞窟内なんかも探索したいんですが。アルマス様に同行してもらっても良いですか?」
「いいだろう。あの携行食を作っておいてくれ」
冗談交じりに、依頼を受ける。
最近の俺の日常はこんな感じだ。隣人となったエルフと話したり、畑の様子を見たり。たまに領主の屋敷の方へいったりと時間に余裕がある。
色々と一段落したのと人手が増えたおかげで、穏やかな日々なのだ。
「…………む、穏やかじゃないのが来たな」
「…………?」
俺の発言に怪訝な顔をするルゼ。しかし、すぐにそれは来た。
「アルマス殿、おはようございます! マイアです!」
「ああ、普通にいるぞ」
やってきたのは帝国五剣の直弟子マイアだ。以前のような戦装束ではなく、作業用の衣服を着ていていかにも聖竜領の住民らしい。
彼女はサンドラの部下としてこの場に残った。普段は農作業を手伝ったり、鍛錬をしている。
帝国五剣の直弟子というのは、いるだけで政治的に大きな効果を持つという。サンドラが言うのだから間違いない。
ちなみに俺が折った剣はそのまま保管されていて、今はクアリアの街で買った普通の長剣を腰に佩いている。
「なんのようだ。マイア」
「一つ手合わせなどを……」
「断る」
俺は即答した。
「冗談です。サンドラ様からの伝言です。今日の夕方、話し合いをするので屋敷に来て欲しいそうです。勿論、夕食の用意もしています」
「お前、サンドラに俺を夕食で釣れって言われてないか?」
「ああ、なるほど、そういう意図でしたか」
「あいつ…………」
サンドラめ、相変わらず俺を食事で釣れると思っているな。
「そういえば、クアリアから行商人が来て、トゥルーズ殿が沢山食材を仕入れていました」
「よし行こう。夕方だな」
これは行くしかない。なんだかルゼが苦笑しているが気にしないことにする。
「では、私は畑の手伝いがありますゆえ。……あの、稽古をつけてもらうことは?」
「それは諦めてくれ。そもそも、俺は剣の技術は詳しくない」
とにかく隙あらば俺を相手に剣の技術を高めようとするこの剣士はちょっと困りものだった。
『別にケチらずに教えてやればいいじゃろうが』
『俺は剣の扱いは本当にあんまり詳しくないんですよ……』
いきなり話しかけて来た聖竜様にそう答える。
「…………諦めませんよ、私は」
なんだか、マイアがじっとりとした目で俺を凝視していた。
元々こういう性格だったらしい。ちょっと恐い。
「本当に面白いところですねぇ、ここは」
ふと見れば、ルゼが自分でハーブティーを淹れて楽しそうにそんなことを言っていた。
まったく、俺の穏やかな時間はあまり長く続かないのが欠点だ。
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