「黒猫」
サン・アンリ広場には噴水がある──
噴水の近くには昔からベンチが置かれていた──
晴れた日には人で溢れる広場も、曇り空の日には
二本目の煙草に口をつけたとき、向かいの家の窓から猫が出てきた。猫は黒い毛皮をしていて、首には鈴つきの首輪をはめている。僕は煙草に火をつけるのをやめて、ケースに戻した。ちっちと舌を軽く鳴らして猫を呼んでみる。黒猫は小さく耳を動かしてから、こちらをゆっくりとした動きで見た。猫は人間の視線を嫌う。僕は、彼(彼女かもしれない)と目を合わせないように気を付けながら、何気ないふうを装い、向こうが興味を持ってくれるのを待つことにした。
また雲を眺めながら、ぼうっと待ち続けていると、黒猫はこちらに少しづつ寄ってきた。最後には、にゃあと小さく鳴いて、僕の膝上に飛び乗った。軽く喉を撫でてやると、気持ちよさそうに丸くなった。このままこうしていたら、彼は眠ってしまいそうだった。
「こんにちは」
小さな女の子が僕に声をかけてきた。猫をかわいがるのに夢中で、近くまで来ていたのに気が付けなかった。女の子の声を聞いた黒猫は僕の膝をおりて、そのまま彼女のもとに行く。毛皮の感触が少しだけ
「こんにちは。もしかしてこの子、きみの猫?」僕は尋ねた。
「うん」彼女は微笑んだ。「チャーミーっていうの」
「良い名前だね」僕も笑顔を返す「名前がある猫は幸せな猫だ」
彼女は足元にすり寄ってきたチャーミーを抱きかかえた。チャーミーは幸せそうに一声だけ鳴いた。
「この子ね……怪我してるのを拾ったの。どうして黒猫はいつもいじめられるのかしら? きっと他の猫にやられたのよ」彼女はチャーミーを撫でながら言う。
「黒猫は優しいからね」僕は返した。「優しいと、やり返せなくて、他の子にいじめられてしまう」
「それって可哀そう」
「でも今は幸せそうにしてるよ、その子。だからまるっきり可哀そう、というわけではないかもしれない」
「ありがとう」彼女はさっきより子どもらしい笑顔で言った。「おじさん優しいね」
「黒猫ほどじゃないけどね」僕は言った。
ベンチから立ち上がり、彼女とチャーミーに別れの挨拶をした。空を見ると、雲が流されて日が差してきていた。僕は広場を背に煙草に火をつけ、横丁に向かって歩き始めた。
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