「高校生」

 一方的な口喧嘩だった。吉田は悪くない。運が悪いだけだ。彼に告白してきた女の子が、山崎くんの初恋の相手だなんて。親友の僕も知らなかった事だ。


 罵倒。今日の山崎くんはブレーキが壊れていた。自制心が坂道を下っていく。止まり方を忘れているから。


「なんでお前なんだよ。死んでくれよ」山崎くんは言った。


 山崎くんを止めようとして僕が、二人の間に割って入ろうとした。その一瞬に。吉田はとんでもないことをした。


「わかった、いいよ」と言って、彼は水泳選手みたいなフォームで橋から川に飛び込んだ。笑顔で。なんの躊躇ためらいもなく。


 死ねと言った山崎くんも、割って入った僕も呆気に取られて何もできなかった。長い間を置いてからドボンと重たい音。その音を聞いて、止まっていた時間が動き出す。

 僕ともう一人は橋の欄干らんかんから身を乗り出して、下を覗いた。


「浮かんでこない」山崎くんが言った。「死んだのか、吉田」


 冬なのに汗が出た。気がつくと、僕は橋から飛び出していた。同時に山崎くんもだ。

 普通だったらこんな事しない。けどその時の僕らは普通じゃなかった。


 重力に任せて身体が川面に向かっていく。空が下にあって、川が上。すごい高さ。

 一瞬だった。ボチャリ。音は二つ。水中。冷たい。十二月。視界には一緒に飛び込んだ山崎くん。吉田はどこだ。見つからない。探しているうちに、流れに捕まった。身体の自由が効かない。下がって。突き上げられるようにして水面に浮かび上がる。空気。

 僕は手足で水を蹴る。勢いでローファー靴が脱げた。学ランが鬱陶しい。顔を出して息を整える。

 大きく吸い込んで、今度は自分の力で潜った。探す。吉田は見つからない。まだ探す。限界が来た。上がる。

 必死に水を掻いて、顔を出す。呼吸。身体に力が入らなくなってきた。立ち泳ぎもそろそろ続けるのが厳しい。


 山崎くんの声が聞こえた。ぼくよりも下流。彼は中洲の近く、かろうじて足のつく場所で立っていた。何かを支えてる。それは吉田だった。ぼくは彼らの方に泳いで行く。

 二人の場所にたどり着くと、なんとか底に足がついた。吉田の方を見る。彼は笑っていた。


「なんでこんなこと」山崎くんが言った。「俺が死ねって言ったからか?」


「うん」吉田が返す。「そうだよ」


 それを聞いて黙ってしまった山崎くんの代わりに、僕は言った。


「寒い。こんなとこ、早いとこさ、あがろう」


 二人で、吉田を両わきから支えながら岸に向かう。浅い場所に流れ着いたおかげでなんとか足場は探せた。慎重に進む。

 河川敷のコンクリートブロックにたどり着いた僕らは、ぐったりして地面に寝転んだ。もう動けない。


「あんな女、僕はどうだっていいんだ」吉田が言った。「大事なのは二人だけ。僕には君たちしか大事じゃない」


「だから僕はね。君に死ねって言われたら死んじゃうんだよ」


 ずぶ濡れで、仰向けになって空を見ている吉田の顔は。ずっと笑顔だった。飛び込んだ瞬間から。ずっと。

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