第30話 衝撃の告白

 ヒロはどうやらケンカしたらしく元気のない二人を心配して、トモキを追いかけて元気づけようと試みたことを話した。先生はひどく不愉快そうで、それを隠そうともしない陰険な目つきに脂汗が流れる思いがした。

 先生はヒロがトモキに何を言ったのか、具体的に思い出させて話させた。

 話を聞き終えた先生はますます不愉快そうに鼻でため息をついた。

「で?」

 先生に視線を向けられ、サオリはビクッと怯えて震えた。

「二人のケンカの原因は、なんなんだね?」

「それは…………」

 サオリはうつむき、先生の視線から逃げるようにして、とても言えない様子だった。横から見かねてヒロは言った。

「先生。二人とももう大人なんですし、男女のプライバシーに踏み込むのはちょっと……」

 遠慮してほしいというニュアンスを濁すと、先生はジロッとヒロを睨んだ。

「君が邪魔なんだ、と言いたいところではあるが、君なしでは話が進まない、と……」

 先生は忌々しそうに眉をゆがめ、ふうと顔を傾け息をつくと、幾分柔らかな表情をサオリに向け、訊いた。

「つまり、男女の仲に関するような事が、あなたとトモの間にあったということだね?」

 サオリは頬を赤くするよりも、紙のように白くして、屈辱的に顔をゆがめた……この感情は、なんなのだろう?

 先生はじっとサオリの表情をうかがい、

「分かりました」

 とうなずいた。壁の時計を見上げ、

「もう、着いてるかな?」

 机の上に置いた携帯電話を取り、どこかに掛けた。しばらくじっと待ち、相手が出たようだ。

「もしもし? やはりそこだったね。うん、別にかまわないよ。そこにいてくれて安心した。今、ここに……、君の恋人がいる……。うん、お友だちもいっしょだ。……つらいかい? もう、耐えられない? ……わたしから話してもいいかな? …………うん、安心しなさい、わたしは絶対に君の味方だ。君は安心して、休んでいなさい。出来るだけ早く帰るよ。ちゃんと話してあげるから、待っていなさい。それじゃあね、うん」

 先生は電話を切った。

「もしかして……、先生のご自宅ですか?」

「察しがいいね? その通り」

 サオリに視線を向け。

「トモはわたしの家で無事だ。安心しなさい。……安全が確認できたから、ここから先の話は付き合わなくていいけれど? あなたも自分の家で休んだらどうかな?」

「先生の家って、どこです?」

 先生はため息をついた。

「この鈍感男に話をしたら後始末してすぐに帰るつもりだけれど……、それまで待てないかな?」

「トモといっしょにいてあげたい……。それに……、話は聞きたくないですから…………」

「そう…。タクシーを使いなさい。でないとわたしの方が先に着いてしまうよ?」

 先生はメモに住所を書き込みサオリに渡した。

「行けば、ああここかと分かるよ。例の病院の近くだ」

 と、ヒロに意味ありげに視線を寄越した。

「それじゃあ、お家、お邪魔します」

「待った。鍵」

 先生はデスク脇の鞄からキーホルダーを取り出し、鍵を一本抜いてサオリに渡した。

「わたしが帰ったら鍵を開けてくれたまえよ?」

「はい。ありがとうございます」

 サオリは頭を下げ、ヒロを見ると、

「それじゃあね、ヒロ君。さようなら」

 なんとも言えない悲しそうな顔をし、出ていった。

 ヒロはなんとも言えない胸騒ぎを覚え、サオリの姿が閉まるドアの向こうに消えると、先生を振り向き勢い込んで言った。

「教えてください、トモキ君は、いったい何をそんなに悩んでいるんです!?」

 先生は値踏みするようにじいっとヒロの目を覗き込んだ。

「覚悟があるか?」

「はい」

「いいな? あの子を傷つけるような真似をしたら、殺すぞ?」

「はい」

 先生の目は本気だった。きっと、先生にはそれが可能なのだろう…………

「いいだろう。

 ……君には、トモは家族との間に深刻な問題を抱えている…と説明しておいたか?」

 ヒロはうなずいた。

「それは本当だ。だが、その問題の根本は、トモキ本人の事情だ。……

 彼には2つ年下の妹がいる…今高3だな、その妹に言われたんだよ、

  お兄ちゃん、気持ち悪い、

 と。

 トモキが高2、妹が中3の時だそうだ」

 ヒロは首を傾げた。トモキは少女マンガの王子様のごとき超イケメンで、妹としては自慢の兄だろうに。先生はヒロの察しの悪さに呆れ返ったような顔をした。

「君は湖南沙織が好きなんだな?」

 ヒロはムッとした。

「今はトモキ君のことでしょう? 僕のことはどうでもいいですよ」

「よくないんだよ、馬鹿」

 先生はストレートにののしった。ヒロは困惑した。先生は非常に面白くないように言い放った。

「この馬鹿。

 トモは、君が好きなんだよ」

 ヒロはギョッとしながら、自分の言葉の解釈を疑った。

「友だち…ってことでしょう?」

「逃げるな、馬鹿者。トモは君が好きで、愛しているんだ。それが川上友樹の抱えている問題だ」

 ヒロは、今度こそ、頭の中が真っ白に焼けるようなショックを受けた。

「……それじゃあ……………、トモキ君は…………ホモ………………?」

 先生は思いっきり軽蔑した目でヒロを睨んだ。

「だったらどうした? 君は、ホモセクシャル、同性愛者を、気持ち悪いと、毛嫌いするのかね?」

「い、いえ……、そういう気はありませんが…………」

 男女平等、性差による差別の禁止、ジェンダーフリー…………先生が熱心に講義し、トモキがそれに応える熱心さで先生に学んでいたのは……自分自身の抱える問題について、精神的な折り合いを付けるためだったのか…………

「認めたか? トモが君を愛しているという事実を?」

 ヒロは頷き、いやいやと、首を振った。

「あんまり突然だからまだ受け入れられません。だ、だって…、男の子から好きなんて告白されても……」

 言い訳するヒロを先生は冷たい目で睨み、その冷たさにヒヤッとして、ヒロは真面目に言った。

「トモキ君の気持ちは分かりました。僕にそれを受け入れろと言われても困りますが」

「なんで? かわいいじゃないか?」

 先生は言って、ニッと笑うと、また冷たい顔に戻った。

「男の子から告白されても、か。

 男性が同性を愛するのには、二つの場合がある。

 性的嗜好として男が好きな場合。これは、ホモ、単なる変態だ」

 先生は冷たい顔で差別意識剥き出しに言った。

「もう一つの場合は、

 男を愛する男性が、その実、男性ではなく女性の場合だ。

 体の性は男性でも精神的、すなわち脳は、女性である場合だ。

 性同一性障害だよ」

 ヒロは再びギョッとした。

「それじゃあトモキ君は……体は男だけれど、心は女…………」

 先生はため息と共に言った。

「湖南沙織さんは彼が大好きで、愛しているのだろう……。頭では分かっていても、彼女の体の性が、男性としてのトモを求めてしまったのだろう。これも、トモが自分の性に悩んでいるように、仕方のないことだ。彼女にとっては、友樹を愛してしまったのが不幸だったな……」

「そうか……」

 トモキの誕生日の夜、サオリはトモキに自分を女として、トモキには男として自分を愛してほしいと望んでしまった。そこに決定的な気持ちの行き違いが生じ、二人の関係は壊れてしまったのだ。

 ヒロはまたギョッとした。

「俺……トモキ君の気持ちなんか全然知らなかったから、サオリちゃんのことを好きだ、君にはサオリちゃんと仲良くしてほしい、って……」

「そういうことだ。君の言葉は君を愛しているトモの心を傷つけ、所詮自分が男である事実を突きつけ、決定的に追いつめてしまったのだ。ま、知らなかったんだからしょうがないが…………罪なことをしてくれたな?」

 先生は嫌味たっぷりに繰り返してくれた。

 そんな先生に、ヒロは今までもさんざん感じていた違和感を改めて感じた。

「先生。

 先生がトモキ君のことをそれだけ気に掛けて心配するのは……大事な教え子だからなんでしょうけれど……

それだけなんですか?」

 先生は片眉をつり上げ白けた目でヒロを見ている。

「実は先生も…………見た目の性と……中身の性が…違うんじゃないですか?」

 ひょっとしたらと思ったのだが……

 先生は笑いもせずにさも当然のように言った。

「そうだ。わたしも性同一性障害だ。わたしの場合は肉体が女性で、精神は男性だ。

 実はわたしはかわいい女の子が大好きなのだ。中でも、

 川上トモは一番のお気に入りだ。彼女は個人的に特別の存在だ。

 わたしは彼女を愛している。

 だから本当のことを白状するとね、君なんか、腹立たしくて、大嫌いなんだよ」

 先生は清々したように、ものすごく嫌な笑いを浮かべた。


 ※ ※ ※ ※ ※


「わたしだけがトモの心を救う事が出来る。同じ問題を抱える者同士だからだ。わたしたちはお互いを認め合い、精神を交換し、自分の肉体を愛することが出来た。端から見れば変態行為以外の何ものでもないかも知れないが、わたしたちにはそれがノーマルなセクシュアリティーを感じられる唯一の方法だったのだ。

 だが、トモはわたしを理解者であり医者であると認識して信頼はしてくれているが、彼女の愛は、わたしにではなく君にある。まったく、腹立たしいこときわまりないな」

「先生は、これからトモキ君を、どうするつもりです?」

「君、トモを『女』として愛せるかね?」

「それは…………」

「フン、別に期待もしてないよ。だが、わたしはあの子をなんとしても幸せにしてあげたい、他の何ものを犠牲にしてもだ」

 ヒロはまた引っかかるものを感じた。

「どうやって? どうやってトモキ君の問題を解決してやるつもりなんです?」

 普通に考えれば性転換手術を受けさせるのだろう。今は法的にも医療として認められていると思ったが……

「性別適合手術だよ」

 先生はヒロの思考を読んで指摘した。

「我が国においては1998年に公式な性別再判定手術が行われた。が、」

 先生は大いに不満な様子で白い目をして言った。

「それは形を真似るだけの不完全なものだ。男の骨格を残したまま、ホルモン注射で無理やり性を矯正して副作用に苦しまなければならない。そんな不完全で自己満足にしか留まらない手術など、あの子に受けさせてなるものか。

 わたしはもっと…」

 先生の笑顔がニヤリと歪んだ。

「完璧な性をあの子にプレゼントしてやりたいのだ。なんの苦しみもない、あの子本来の姿を、与えてあげたいのだ」

 ヒロには先生が何をしようと言うのかさっぱり理解できなかった。多分それは、現在の普通の医学では不可能なことなのだろう。しかし先生の…いささか狂ってはいるが…自信満々の表情は、それを可能とする手段を、持っているように、思えるのだ。

「さてと…」

 先生は時刻を確認した。

「もう湖南さんは着いている頃かな? わたしたちも行くか」

 先生は椅子から立ち上がり、距離の縮まったヒロを憎々しげに笑って見上げた。

「本当はね、トモは君の前から姿を消して、数年後に、生まれ変わった姿で再会する予定だったのだよ。しかしトモは君に自分への愛がないと知って絶望してしまい、わたしもそのプランは大いに面白くないので意地悪をして君にばらしてしまった。トモには恨まれるだろうが、ま、君は彼女の良き友人でいてくれたまえ」

 ポンポンとヒロの肩を叩いた。ヒロはもう先生に妖しいときめきなんてまるで感じなかった。この人は、正真正銘、女の皮を被った男そのものなのだ。こうなると熱心な女性の人権の講義も怪しく、不純な動機に思われた。

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