第28話 決心

 夜、またあの刑事が相棒といっしょに訪れた。刑事は何故かヒロを見ると崩れた苦笑いを浮かべた。

「俺も焼きが回ったかな?」

 丸椅子を引っぱり出し、思わせぶりにニヤニヤして腰掛けた。

「なんです?気持ち悪い」

「君の意見を真に受けて、ひょっとして…と光済病院に行ってみた」

「どうでした?」

 勢い込むヒロをますますニヤニヤ眺めた。

「中に入って一通り見て回ったが、桝岡亮二や尾崎千恵美が隠れている様子はなかった」

「二人でですか? 病院だって部屋がたくさんあって、広いですよ? 他の部屋を捜している隙に別の場所へ、ぐるぐる逃げ回ることだって出来るでしょう?」

「プロを舐めちゃあいかんよ? それに、君は二人があそこにいると思っているのかね?」

「……いいえ。何か怪しい物はありませんでしたか?」

「別に、これといって」

「全部の部屋を調べたんですか?」

「漏れなく、一応すべての部屋に入ってみた」

「すべて……8階の……手術室は?」

「入った……な。何もありはしなかったよ。8階の手術室がどうかしたかね?」

「あそこに女の幽霊が入っていくのを見たんです」

「ははははは」

 可笑しそうに笑った。

「犯人が幽霊じゃあさすがに逮捕できんな」

 どうせ信じやしないだろうと思っていたが、笑われると腹が立つ。

「8階の手術室は、どんなでした?」

「ふん、いかにも手術室って感じで手術台も機械も残っていたが……」

 刑事は急に真顔になってヒロを白い目で見た。

「幽霊を見たって?」

「入っていくスカートの裾だけですがね」

「どうせ誰かに聞いたんだろうが……そこが鶴橋今日子が首を吊っていた部屋だ」

「えっ!?」

 驚くヒロの顔をまじまじ観察して、刑事は言った。

「演技でもなさそうだな。知らなかったのか?」

「はい……」

「ふうーん…。じゃああながち幽霊ってのもいるのかも知れんなあ。ま、幽霊が魔法で生きた人間を誘拐するとも思えんが」

「はあ……」

「君ね、明日退院してかまわんよ。お大事に」

 刑事はポンとヒロの右肩を叩き、立ち去った。

「なんでい。永遠に見つからない逃亡者を捜してればいいさ」



 ※ ※ ※ ※ ※


 水曜、朝。

 ヒロは水神先生を訪ねた。

「君はまたどうして水曜日になると訪ねてくるのかなあ? 明日なら講義があるでしょう?」

 水曜は先生はゼミの日だ。

「どうもすみません」

 石田を使って自分(?)に何やら仕掛けているのを思うとまともに謝るのもしゃくだ。

「けがは? もう出てきても大丈夫なの?」

「どうも。おかげさまで」

「そう。それはけっこう」

 水神ルームには既に3年か4年の熱心な女子学生が2人いたが、ヒロはかまわず訊いた。

「尾崎千恵美さんに何を吹き込んだんです?」

「さて? なんだか不穏な言い方ねえ?」

「先生は熱心に僕に千恵美さんをここに来させるよう命じましたよね? 来たんでしょう?ここに、千恵美さんは? 先生、彼女に、何をしたんです?」

 先生はチラッと女子学生たちを気にしたが、軽いため息をついて、迷惑そうに半ば呆れた顔でヒロを見た。

「彼女がああいう凶行に出るのは十分予想できたわ。だから急いでここに来させたのだけれど、彼女の精神の病巣は思った以上に根が深くて、もうわたしの手に負える状態ではなかった。ああいう結果になってしまったのは、とても残念ね」

「『赤いドア』はどうしました?」

「赤いドア?」

 先生は小首を傾げたが。

「今さらしらばっくれるなんて狡いですよ? それをエサに千恵美さんを呼ばせたんじゃないですか?」

「ああそうね。彼女もずいぶん熱心に信奉していたみたいだけど、そんなのは世間を騒がせるために面白可笑しく作られたおとぎ話なのよ?って諭してやったわ」

「嘘だ。千恵美さんは…………『赤いドア』の存在を信じ切っていた……。だからこの世とさよならするつもりで恋人を刺し殺したんだ」

「やれやれ。恐ろしいことねえ? まさしく、現実逃避の幻ね? 本当にその幻に飲まれてしまって……彼女はどこに行ってしまったのかしら?」

 いかにも物知り顔に薄く微笑む先生が憎らしかった。

「不倫していた助教授を殺させたのは……お姉さんの復讐ですか?」

 先生の眉がちらりと不快そうに跳ねた。

「殺させた、とはまるで犯罪者扱いね? 確かに、風間助教授は妻子ある身で将来ある学生と淫らな関係に陥ったのは教育者としてそしりを免れないわね。自らの不明が招いた結果ですから、自業自得とは思うわ」

「あくまで自分のせいではないとおっしゃるんですね?」

「長谷川君。君が怒っているのは風間助教授が殺されたことではないでしょう? 尾崎千恵美さんを彼に取られたのが、悔しいんでしょう?」

 ヒロはかあっとなって、恐い顔で先生を睨み付けた。

「そうかも知れませんね。僕は嫉妬に狂ってるだけかも知れない。僕もその風間助教授のことを悪く言えないかも知れない。他の女の子と天秤に掛けながら、でも、彼女を失って僕は物凄く悔しい思いをしている。それは、先生の言うとおり、嫉妬なんでしょうね。でも、僕は、先生が千恵美さんを何とかしてくれると期待していたんだ。先生を、信じていたんだ」

 先生は白けた目でヒロを見やった。

「ご期待に添えなくてごめんなさい。かいかぶっていたわね?」

「まったくですね」

 ヒロは先生を睨み、まるで動じない柳の涼しさにクッと奥歯を噛みしめ、背中を向けた。

「失礼しました」

 出ていこうとすると、

「ああ、ヒロ君」

 先生が呼びかけた。

「トモ君に気を付けてあげてくれたまえ。ずいぶん動揺しているようだから」

 ヒロは答えずに部屋を出た。

 なんなんだ? どこまでトモキが大事なんだ? えこひいきにも程がある!

 千恵美は殺人犯になってこの世から消えてしまったんだぞ!?

 憤まんやるかたなく廊下を歩き、階段を下り始めると、窓からD棟校舎が見えた。ハッと、もしや先生は部屋の窓から一部始終を見ていたのではないか?と思ったが、部屋の内部は壁があって見えないし、階もここより上なので見えないなと思い直した。自分は何が何でも先生を犯人にしたがっていると思った。

 興奮したせいか包帯の下で傷がうずいた。千恵美に付けられた傷だが……

 好きだったんだな……、と改めて思った。

 いなくなってしまったからセンチメンタルにそう思うだけかも知れないが、もはや自分の心を確かめる術もない。

 生きていれば、いずれその内決定的に趣味が合わず、別れる羽目になっていただろう。そう思うと少し笑えた。

 ちゃんと別れてからいなくなってくれればよかったのに。狡いよ……。

 サオリとも、

 ちゃんとお別れしておかなくては駄目だなと思った。

 こっちは自分の勝手な片思いで、サオリにとってははた迷惑な空回りだろうけど。

 千恵美がいなくなったからまたサオリに……というのは自分の気持ちが許せなかった。

 独りよがりでも何でも、ちゃんと別れておこう。

 そう思った。

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