第27話 大人の噂話

 翌火曜日。

 昼前に石田が見舞いに来た。

「警察病院なんて言うからさ、受付で身分証提示させられたり身体検査されたりするのかと思ったら、普通に入れちゃうのな?」

 いささか残念そうにあっけらかんと言い、ヒロも

「なんだ、そうなのか?」

 と拍子抜けした。警察病院と言っても元が警察官の福利厚生施設だったと言うだけで、警察組織の機関というわけではなく、現在ごく普通に一般人の診療を行っているのだ。ヒロはあの刑事にいかにも警戒厳重な留置所みたいな治療施設と思わされていただけだ。石田はヒロの腕の包帯を見て。

「大したことなさそうだな? つまんねえ」

「バッキャロー。ものすげー痛かったんだぞ?」

 石田も本気で言ってるわけではなく、ヒロもふざけた調子で言い返したが、言ってることは本当だ。夜熱が出て少しうなされた。入院は正解だったかも知れない。

「おまえ大学は?」

「様子見に行ってきて、これから戻る。俺講義は4限の一つっきゃねーもん」

「おまえは思いっきり学生生活をエンジョイしてやがるよなあ?」

 石田は車を所有している。大学との行き来なんて楽なものだろう。

「で? 大学の方は、どうだった?」

「まだ警官があちこち立ってたぞ。尾崎先輩まだ見つかってねえから」

「そうか……」

 外での目撃は絶対無いから、警察もまだ広いキャンパスのどこかに潜んでいることを考えているのだろう。

「昨日はすごい騒ぎだっただろう?」

「おう。なんてったって殺人事件だもんな、パニックにならないように部屋ごとに警官が回って、全員正門からチェックを受けて退出するように指示されたぞ。駐車場も一台一台車を調べてたなあ」

「犯人は分かってんだもんなあ……。あ…、分かってたんだよなあ?」

「分かってたみてえだな、警察の動きを見るに。ニュース見てびっくりしたぜ、まさか尾崎先輩が人殺しなんてなあ。ゼミの助教授だってよ? おまえに二股かけて、妻子持ちのイケメン助教授と不倫してたんだぜ? ちぇー、美人も信用できねえなあー。おっと、そうそう、それでおまえのことが気になってな。まさかけがをさせられた男子学生っておまえじゃないかってな。それで水神先生んとこに掛けたら、やっぱりそうだって。で、この入院先を教えてもらった。警察病院なんて面白そうだと思ったのになあ?」

「一言余計だ。水神先生はおまえを俺の親友だとすっかり勘違いしているようだなあ?」

「おまえもそうやって憎まれ口たたけるだけ元気で安心したよ」

 悪友同士笑って、

「で?」

 とヒロは話を向けた。

「他にも話したいことがあるんじゃないか?」

「まあな。その傷に障らなければいいんだがな。

 ……先生のお姉さんの自殺についての続報だ。聞きたいか?」

「話せよ」

「うん。行動力の固まりの俺様は元看護士大森さんに紹介された同じく旧・光済病院の元看護士さんに会いに行った。ま、昨日大学を追い出された足でいても立ってもいられなくて行ってきたぜ。こちらは別の病院で看護士を続けていてな、病院つーか個人経営の診療所な。幸い患者が誰もいなくてな、受付で暇そうにしている看護士さんに訊いたらそれが目指す彼女でな。よほど暇らしくて喜んでおしゃべりしてくれたぜ」

「ふうん。いい相手を紹介してもらったもんだな?」

「そうだな。木下さんっていうちょうど40くらいの、ミーハーなワイドショーなんか好きそうなおばさん」

「打ってつけだな。それで?」

 石田は刑事みたいな黒手帳を取り出して開いた。

「色々教えてくれたぜ?

 先生のお姉さんが病気がちだったって言うのは本当だ。一時期は別の病院に半年くらい入院していたこともあるらしい。そのせいか綺麗だけど神経が細くてヒステリックな感じの人だったってさ」

 先生の姉・鶴橋今日子が今生きていれば38歳。この木下さんとはだいたい同年代と言っていいか。

「その木下さんって、お姉さんのことをどの程度知っていたんだ? お姉さんって、病院で何か勤めていたのか?」

「いや、それなんだがな。お姉さんは専業主婦だ。でも割としょっちゅう病院の旦那のところに来ていたって。昼休みにお弁当持ってきたりな。親父さんが院長だからな、そっちの方にも顔出しして。だから平の看護士でも顔は合わせて挨拶はしてたって。でだな、作りたてホカホカの愛妻弁当を配達に来るなんて旦那の若先生とラブラブみたいだけどな、そこにはどろどろした裏があってな。旦那の若先生が浮気してたんだとよ、それも、病院の若いピチピチの看護婦さんと。ちきしょー、どいつもこいつも、許せねえスケベ野郎だよなー?」

「真面目に話せ。それ本当かあ? だってさ、奥さんの親父さんが院長やってる職場だぞ? するか?そんな危ない場所で浮気?」

「デマだってか? 浮気は事実だってよ。現場を何人も目撃してんだってよ」

「そっか…。なんだかなあ、医者ってたまにいるよな?日頃人の生き死にを当たり前みたいに見てやたら人生達観しちゃってんのか、欲望に自堕落な問題医師がさ?」

「医者と坊主は信用できねえな」

「ま、それにしてもそこまでインモラルだと……、なんか変だな? よっぽどの好き者で我慢できない困った奴か……、ばれても言い訳の通る裏事情があったのか……」

 なんだかどろどろした大人の汚さが感じられて、ヒロは胸くそ悪くなった。

「うーん…、言われりゃそうか。医者としての評判は良かったってよ? 外科の先生で、手術の腕もかなり立ったらしい。わざわざ遠くから評判を頼って手術を受けに来る患者もいたってよ」

「表と裏は別の顔、か。腕のいい医者が必ずしも人格者とも限らないだろうからな。医者だって商売でやってんだろうし。病院には俺が必要だろう?って足もと見てたのか。………で?」

「お姉さんが旦那のところにしょっちゅう通っていたのはこの若い浮気相手の看護婦を牽制してのことだったらしい。たまたま二人が出会うとお互い火花を散らすようなスゲー迫力だったってさ」

 ヒロは驚いた。

「じゃあ浮気相手の看護婦は浮気を隠そうともしてなかったのか?」

「そうなんだよ。なんかスゲー堂々としたものだったってさ。いずれは自分が若先生と結婚して婦長になっていずれは院長夫人になるんだから、今からゴマすっておきなさい、って早くも女王様気取りだったってさ」

「なんだバレバレかよ……」

 呆れ果てた。ろくな病院でなかった気がしてきた。が。

「うん? それって変じゃねえか? 院長の子どもは、奥さんの方だろ? 夫婦が離婚して夫の医者と結婚したって、それで院長の跡取り夫婦にはならないだろう?」

「あ、そっか。確かになあ? なんなんだろ? ま、本人はすっかりその気になって、仕事のえり好みはするし、室長には口答えするし、思いっきり威張りまくってたって」

「よっぽどの馬鹿か、よっぽど自信の裏打ちになる事情があったんだろうな?」

「うーん…、そうだなあ……、好色先生に女王様看護婦か……。そこら辺はまた次の調査だな」

「しっかし旦那も、浮気相手としては最悪の女を選んじまってるな?」

「性格は最悪だがな、ルックスは最高のモデルみたいな美人だったって」

「うーーむ……、それはそれは……」

「愛人だったら最高だよな? なんかなんの後ろめたさも感じないで浮気できそうだもんな? …そうか、そういうことかも知れねえな? 旦那先生は全然本気じゃなくて、愛人だと割り切ってるから喜ばせるような口約束ばっかり平気で言ってたのかもな? 女の方はそれを真に受けちまってて」

「考えられるな。それで、どうなったんだ?」

「それからな、そのセクシー看護婦が、突然やめちまったんだって」

「辞めた?」

「おう。月曜日にメールだけで勝手にな、顔も出さずに。病院じゃスゲー迷惑したってさ」

「それで、その看護婦は、その後は?」

「分からん。それっきり、音沙汰なしだってさ」

「それじゃあ……、まさかその看護婦も……」

「消失か? それはない。マンションは解約して、大荷物持って海外旅行行くみたいなかっこうで出ていくのを日曜の夜にたまたま近所に住んでる同僚の看護婦が見たってさ。推測するにだな、けっきょく愛人として遊ばれただけだってのが分かって、ケンカ別れして、それまでさんざん大口叩いてえばり散らしていたし、腹立たしいのもあって、とても病院に顔を出せなかったんだろうってさ。その当日こそ大迷惑したけど、元々問題だらけの看護士だったから、辞めてもらってかえって清々したってさ」

「それも冷たいって言えば冷たいけど…、ま、自業自得か。じゃあ、確かに自分から姿をくらましたんだな?」

「その後なんにも問題になってないんだから、間違いないだろう?」

「そうか…。それは時期はどうなるんだ? その…、お姉さんが自殺するまでの?」

「それがまた変な話でな。愛人が負けを認めて姿をくらまして、これで夫婦の危機は去ってめでたしめでたしになるはずだよな? ところがさ、それを境に奥さんの方もおかしくなっちゃって、病院にやってくると、まるで幽霊みたいに生気がなくてぼうっとして、なんかもう半分死んでるみたいで気味悪かったって。すっかり鬱状態で、旦那が一生懸命励ますみたいにしてたってさ。それからわずか1ヶ月後に、奥さんは病院で首を吊って自殺したって」

「ふうーーん…………」

 ヒロは深いため息混じりにうなった。

 いかにも裏に秘密のありそうな話だが、その事が、妹である水神先生と関係あるのだろうか?

「それから?」

「病院には悪い噂が立つようになって、若先生もすっかりしょげ返って奥さんと同じノイローゼみたいになっちまって、病院は1年を待たずに営業停止、閉鎖になったってことだ。以上、おしゃべり好きのおばさんの話は終わり」

 パタンと手帳を閉じた。

「これからどうするんだ?」

「そうだな、セクシー看護婦のその後を追跡したいところだけど、そりゃまあさすがに専門家でなけりゃ無理だろうから諦めて、俺の得意分野と言えば怪しいお化け話だからな、廃病院をさまよう美女の幽霊を調べてみるさ」

「賛成できねえな。それこそ、そこがおまえのデッドエンドになりそうだぞ?」

「美女に純情をもてあそばれた上にナイフで斬りつけられたおめえに言われたくねーぜ。ちくしょー、俺がそっちの役を受け持ちたかったぜ。なんでおまえばっか美味しい役やってんだよ?」

「どこがだよ? 恐ろしい目にばっかり遭ってんじゃねーか?」

「俺は『猟奇の徒』なんだよ」

「なんだそれ?」

 ハハハー、と、石田は自分にだけ分かる理由で笑った。言葉の感触からして出典は江戸川乱歩かなんかだろう。

「そうだ、おまえに一つ文句を言ってやろうと思ったんだ。この葉山市で行方不明者が特別に多いって前に言ってたよなあ?」

「ああ。言ったぞ」

「昨日刑事さんに訊いたら、行方不明者なんて年間9万人もいるんだ、一地域で突出して多いなんてことはない、って言われたぞ?」

「へえー? そうなんだあ?」

「こらっ。おまえ、どっから持ってきたデータだよ?」

「ネットだよ。『赤いドア』関連の記事を調べてたらそういう話があったんだよ」

「なんだよ、もっともらしく言いやがって。信用のおけるデータなのか?」

「いや。…と言う話、と言う話だったなあ」

「又聞きかよ。全然当てになんねえじゃん?」

 ヒロは呆れ返りながら、それでも……と考えた。

「でも『赤いドア』が都市伝説として流通しているのはこの辺りだけなんだよな? それは……何故なんだろう?」

 やはり具体例があると考えたくなる……今回の桝岡や千恵美のように……。

「おう、それな、答えらしき物を見つけたぞ」

「なんだ?」

「いやあ、逆にこの辺りにだけ根強く流通している答えにもならないんだが……。パロディーがあるんだよ、大っぴらには言えない話なんだがな」

 石田は背中を丸めてコソコソ話した。

「ドアが現れるんだが、それは赤じゃなくってピンクなんだ。で、ドアが開くと、だるまを逆さまにしたような体型の青い謎の生物が現れてな、誘われてうっかりドアに入っちゃうと、自然豊かな、小規模の美しい未来都市もある、理想郷が広がっているのだよ。そこに行ってしまった人はあまりの素晴らしさにすっかり元の世界に戻りたくなくなってしまうんだが、実はその理想郷というのは未来のテクノロジーで開拓された遠くの惑星で……」

「こら」

 ヒロはまじめくさった顔で話す石田の頭をチョップした。

「それは猫型ロボットの『ドラえ……」

「しーーーーっ! こらっ、著作権に引っかかるから言っちゃあ駄目なんだよ!」

 呆れるヒロに石田もニタッと大きく笑った。

「だからさ、そうやってSFマンガにしちゃったパロディーがネットに流通して、笑い話になっちゃってるんだよ。元々ホラーよりファンタジーみたいな話だろう? 笑われちゃったらなあ、誰もまじめに受け取らなくなっちゃうだろう?」

「そうかも知れないけど……、それはこの地域だっていっしょだろう?」

「だな。だからさあ、ここだけ、笑い話に出来ない事例が、やっぱりあるんだよ」

 石田は腕を組んでうんうんうなずいた。結局たどり着くところはそれで、桝岡や千恵美も、そうやって「赤いドア」伝説を補強する事例になっていくのだろう。それはニュースとしてはありふれた、全国的にはすぐに忘れ去られてしまう事件だから、地元の人間にしかリアルな記憶として残らないのだ…ろう………。

「なるほどなあ……」

 考え込んだヒロをしばらく眺めていた石田は、

「んじゃな。俺は行くぜ。講義が俺を待っているからな。おめえもその程度のけがでいつまでもサボってんじゃねーぞ?」

 と腰を上げた。

「こっちだってその気はねーよ」

「へへー。じゃな。大学で待ってるぜ!」

 石田はかっこつけて手を振って、病室を出ていこうとした。

「おい、石田」

「なんだ? まだ名残惜しいのか?」

「手ぶらでお見舞いありがとうよ。石田。おまえには鈴音ちゃんていうかわいいカノジョがいるんだからさ、鈴音ちゃん泣かすようなことするんじゃねえぞ?」

「フン。大きなお世話だ」

 石田はニンマリ笑って出ていった。

「まったく、どいつもこいつも。もっとてめえの幸せを大事にしろってんだ」

 ヒロはいつもの癖で頭の後ろに手を組もうとして、左腕の強張りに慌てて腕を下ろした。

「何してっかな、二人…………」

 トモキとサオリのことが妙に恋しく、心配に思われた。

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