第20話 危険な関係

 火曜。千恵美と学食でランチデートした。にぎわう食堂の中、美人の千恵美に学生たちの注目が集まっているのに改めて気づいた。うらやましくも彼女と向かい合って食事している自分も値踏みされるように。

 千恵美は好きな映画や音楽など、当たり障りのない話題を楽しそうに話した。つき合いが始まったばかりだし、1年上の彼女がゼミや進路のことなど、お姉さんぶった話題を避けたのもあるだろう。しかし美術館デートを望むアカデミックな趣味の彼女は、やっぱり映画も音楽もアカデミックな視点で語り、話についていくのに一生懸命にならなければならなかった。

 昼休みが終わりに近づくと、

「じゃあ、また明日」

 と、千恵美は次の予定のため足早に食堂を出ていった。

 食堂にはトモキとサオリ、石田たちのグループも、それぞれのテーブルについていた。

 千恵美が出ていくとトモキが手を振って挨拶したので手を振り返してそちらのテーブルへ向かうと、途中で石田が

「よっ! 上手くやってるみたいだな?」

 と、にやけた顔で言った。

「まあな」

 とちょっと得意そうに返してやり、トモキとサオリ、二人のテーブルの仲間に入れてもらった。

「あれが3年生の彼女?」

 微笑みながらトモキはちょっと寂しそうに言った。

「うん。尾崎千恵美さん。なかなか美人だろう?」

 ヒロはおどけて言い、

「今度ダブルデートしようか?」

 と誘ったが、千恵美とこの二人が合うようには思えなかった。

 次の時間講義はないためそのまま三人で過ごした。トモキは病院で桝岡が消えたことも知っていて、ヒロは本当に二人の間には秘密がないんだなあと内心呆れながら千恵美とのデートとその後病院に行って起こったことを、当たり障りのない範囲で話した。石田たちグループは連れだって出ていった。

「デートなのになんで病院にお見舞いになんて行ったの?」

 サオリの疑問も当然で、仕方なく千恵美が「赤いドア」にひどく興味を持っていることを話した。元々はヒロがこの二人に事件現場で「見た」事を話したのが発端なので自業自得だ。

「変な人」

 と、サオリはこれまた当然の感想を口にし、トモキも、

「何だか……信用できない気がするな……。千恵美さんって、本当にヒロ君のことを好きなのかな? 何だか……騙されて利用されているだけのような気がするけど……」

 と、遠慮がちだが珍しく人の悪口を言った。ヒロもついムッとして、

「どこが信用できないんだ?」

 と怒って聞き返した。

「だって…、態度がコロコロ変わっているじゃないか? その場その場で自分の都合のいいようにヒロ君をコントロールしているように思えるじゃないか?」

「お互いにまだ理解が足りないんだよ。まだつきあい始めたばっかりで、これから、深く知り合おうとしているんじゃないか? ずっと長い間いっしょにいる二人とは違うんだよ」

「うん…。ごめんね」

 怒ったヒロにトモキはすっかりシュンとしてしまった。ヒロは悪いなと思いながら、仲のいい恋人同士の二人になんで人のカノジョが悪く言われなければならないんだ?と腹の虫が治まらなかった。

『放っておいてくれよ』

 と、これはさすがに口に出さなかった。

 これ以上千恵美の話をしてもろくな事になりそうもなかったので、次の講義に備えて先週分のリポートのすり合わせで時間を潰した。面白くはなかった。



 講義後。

 トモキは「じゃあ」と日課の水神ルームへ行ってしまった。

 後に残された二人は何となく気が重く、

「あのね」

 とサオリの方から話し掛けてきた。

「土曜日、トモの誕生日なんだ……」

「えっ」

 ヒロは驚いた。

「そう……だったんだ? えーと……、知らなかった……」

 仲のよかった三人が気まずい雰囲気になってしまって、なんとなく全部自分が悪いような気がしてしまった。サオリは

「二十歳の大事な記念日だぞお?」

 としかめっ面で睨んで、あまり元気なく笑った。

「そっかあ…、俺だけ年下になっちゃうんだ?」

 サオリは4月生れで、トモキが10月。ヒロは2月生れだった。

「それでね、あの…、誕生日のお祝いをしてあげたいんだけど…………、ヒロ君、どうかな?……」

 サオリが遠慮がちに訊くのは千恵美とのデートがあるかもと考えたからだろう。図らずも先週とまったく同じパターンだ。

「いいよ。土曜日は予定無いから。っていうかさあ、俺がいた方がいいの? 二十歳の大事な記念日だろ? 恋人二人きりの方がいいんじゃないの?」

「それは夜に取ってあるからいいの」

「あっそう。参ったね、こりゃ」

 ヒロがあらぬ方に視線を泳がせて頭を掻くと、サオリはようやく可笑しそうに明るく笑った。

「じゃあ、参加してくれる? 今度はどこ行って遊ぼうか?」

「いやいや、待て待て。遊ぶのなんていつでも出来る。ここはやっぱりスペシャルに……。そうだ、じゃあ俺に土曜日のリベンジさせてよ? 俺がランチの準備してやるからそれまでトモキ君をどこかに連れ出しててくれよ?」

「本格的なの作れる?」

「うう〜〜む、リベンジだからな、ちょっと頑張っちゃうぞ?」

「じゃあ、ランチじゃなくてディナーにしてよ?」

「いいけど……、俺んちで?」

「そうだなあ…、あたしんち……は恥ずかしいから、トモんちでいいんじゃない?」

「いいけど、びっくりパーティーにはならないな」

「あたし、トモの部屋の鍵持ってるよ?」

「持ってるの? …いや、しかし断りもなしに勝手に入るのはまずいだろう?」

「いいわよ、ヒロ君なら。トモも許すわよ」

「そう? いいのかなあ………」

「いいって。それよりも!トモをびっくりさせる豪華ディナーを頼むわよ?」

 サオリは気合いを込めてこぶしを握り。

「ふうむ。じゃあ腕によりをかけて、二人の披露宴を準備させてもらいますか」

「恥ずかしいなあ……」

 ポッと頬を染めた。

「自分からふっといて、自業自得だ」

「あちゃー。失敗失敗」

 サオリがお茶目に自分の頭をコツンとやって、二人揃って笑った。元通り仲良くなれる兆候にヒロは嬉しかった。

 同時に、トモキともさっさと心のわだかまりを解消したくなった。

「サオリちゃん、今日の予定は?」

「ああ、あたしバイトのシフト入っちゃってる」

 サオリもショッピングセンター内のB級スナックコーナーで調理と接客のアルバイトをしている。申し込みした曜日時間帯で1週間ごとにシフトが決まるのだそうだ。だいたい週3日の割合でやっているようだ。トモキはアルバイトはしていない。

「そっか。じゃあ今日はここで解散な。俺も水神ルームに行ってちょっと二人と話してくるよ」

「びっくりパーティーのことは内緒だぞお?」

「分かってるって」

「うっかりしゃべっちゃうんじゃないわよ? どうもヒロ君はお調子者で口が軽いところがあるからなあ」

 信用のないサオリの言葉に

「…………はあい、気を付けまーす」

 ヒロは反論できずに返事した。


 ルンルンとスキップしたいような気分と、早く悪い状態を解消したい気持ちとない交ぜになって廊下を急いでいたヒロだが。

 その時何故そうしたのか分からない。何かハッとするようなテレパシーでも感じたのかも知れない。

 前庭の端に4階建ての塔みたいな小さなD棟があった。外部の団体が研修会の際に使う会議室のような部屋が入っていて、各部屋には鍵が掛かっていたが、外の廊下までは自由に入れた。その廊下の窓からなら水神ルーム=B−302号室が覗けるのではないかと思いついたのだ。

 ヒロはくるりと向きを変えるとわざわざ表のD棟に向かった。火曜は夕方の倉庫バイトは休みだった。二人が二人きり?でどんな風にしているのか覗いてやりたい気がしたし、やっぱり気後れするところがあったのかも知れない。

 D棟3階まで上がり、誰もいない廊下からB−302号室を眺めた。4、50メートルほどの距離で、ほぼ正面に望むことが出来た。

 ヒロはこの覗き行為をひどく後悔する羽目になった。

 デスクの向こうに黒いスーツの水神先生がこちらに背を向け立っていた。その背中を、二つの白い手が掻き抱いていた。先生は自分の胸に顔を寄せすがりついている者の頭を優しく撫でる仕草をしていた。先生の背中を抱いていた手が下がり、膝立ちから立ち上がると、先生はその頬に手をやり、引き招くと、顔を伸び上がらせてくっつけた。唇を重ねているのだろう。先生の顔が離れると、口づけを受けた者はうっとりした表情で先生を見つめていた。キラキラと、頬が濡れていた。その涙がなんのせいなのか分からない。

 ヒロは階段へ戻り、下りだした。

 悔しくてならなかった。やっぱり二人はそういう関係だったのか。裏切られた気がしたが、二人の関係は、自分が考えるよりもっと深いもののような気がして、急速に怒る気力が失われていった。

 トモキ……。

 先生もトモキも、教師と生徒のくせに不潔な奴ら!……とも思えなかった。二人とも常人とは質の違う特別な人間たちで、二人の間には特別な理解があり、けれどそれは、自分や……サオリには……、理解も、共感も、出来るものではないように思えた。

 サオリがかわいそうだった。トモキと先生の関係と絆には、恋人のサオリさえ立ち入れぬ特別のものがあるように、ヒロには感じられた。

 なんだよ…………。

 一度断ち切ったつもりだったサオリへの思いが、まだありありと自分の心に残っているのを思って、ヒロは苦しかった。

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