第16話 デートの行方

 翌日曜日。

 尾崎千恵美と駅前で待ち合わせて、今日は文化的に美術館デートをすることになった。

 ヒロも精一杯おしゃれしてきたが、ファッションのセンスは全然自信ないのでユニクロのマネキンのコーディネートそのままだ。尾崎も、年下のヒロに合わせてくれたのか、カジュアルなファッションでメークもスッピンかと思うくらいナチュラルだった。スカート丈が大学にいるときよりちょっと短いのが眩しく嬉しかった。

 電車に乗り、駅からほど近い緑の公園の中に建つ美術館に入った。印象派以降の近代の美術をテーマにした美術館で、この日も後期印象派の画家の特別展をやっていた。ヒロはアカデミックな教養などまるでなく、さっぱり訳の分からない現代芸術の抽象画でないのは助かったが、ただ穏やかな風景をいかにも高校の美術の時間に習ったような画法で描いた作品は正直退屈な物だった。

 しかし美術館のデートというのは案外ありがたかった。この画家が人気があるのかないのか分からないが、ロケーションのよい日曜昼の美術館はほどほどの客の入りで、美術鑑賞というのは基本的に黙って行うものなのだろうから、何か話さなくてはという気遣いもしないで済み、さりげなく尾崎の綺麗な横顔を楽しむことが出来た。

 お昼も美術館内のレストランで量の割にはお値段のお高いおしゃれなパスタを食べて、割り勘で、半端な分はヒロが払って男の面目を保ち、そんなヒロを尾崎はニコニコ笑って見ていた。

 美術館を出て、爽やかな青空の下、親子連れでにぎわう公園を散策し、そろそろ会話を盛り上げなくてはなとヒロは話し掛けた。

「あのー、尾崎さん、付き合っている男性は……」

 尾崎はニッコリ笑って返した。

「いるわよ」

 ヒロは思いっきりずっこける思いがしたが、かえって気が楽になった。

「そんなに『赤いドア』のことを知りたいんですか?」

 彼氏がいるとなれば尾崎の興味はそこにしかないだろう。

「ええ、知りたいわ。ヒロ君、美術館は退屈だった?」

 ヒロは友だちはヒロって呼びますと教えてそう呼んでもらうことにした。

「ええ、まあ……」

 ヒロが正直に苦笑いを浮かべて言うと、尾崎は気を悪くすることもなく笑った。

「ま、そうだったでしょうね。でもわたしはけっこう面白かったわよ? この特別展は前から見に来ようと思っていたの。今日来られてよかったわ」

「ふうーん、絵がお好きなんですか?」

「ええ。絵って、描くのに時間が掛かるでしょう? でも、描かれるのは、時間の連続の、その瞬間だけよね?」

「はあ…、そう言うことに…なりますね…」

「神秘を、感じない?」

 尾崎はキラキラ輝く目でヒロの顔を覗き込んだ。微笑みを浮かべた妖しい表情の美女にヒロはドギマギした。

「描かれたのは一瞬なんだけど、そこに永遠の時が込められたように感じないかしら? ……うふふ、感じない?」

 わたしって変かしら?と問いたげな、ちょっと不安を含んだような瞳が、かわいい、とヒロは感じた。

「いいえ。そういう風に感じられる人は……芸術的な感性が鋭いんですよ。うらやましいです」

「わたしはあんまり芸術的でもないんだけどな」

 尾崎は軽やかに笑って、脚をぶらんぶらんと前に振りながら歩いた。

「なんでかなあ人がいなくなっちゃう都市伝説になんて引かれるのは……。わたしも…、逃げ、かなあ?」

 綺麗な後ろ頭が揺れる。卒業後大学院に進まず就職を考えている3年生は今の時期みんなたいへんなのだろう。子どもたちがどうのと言っていたが、本音は自分自身の興味なのだろう。尾崎は振り向き、微笑みを浮かべながら目は寂しそうにヒロを見た。

「実はね、今日のデート、精神的には浮気なんだ」

 反応を探る目つきにヒロはまたもドキッとさせられた。

「ちょっとね、将来のことについて彼氏と意見が合わなくてね。むしゃくしゃしてたから、話を面白いかな?って思ったし、そういう体験をした君にも興味を感じたし。場合によっては……」

 ほとんど後ろ向きに歩いていた尾崎が急に立ち止まり、ヒロはうんと距離を縮めて止まった。

「本気の浮気をしちゃおうかなあ……って。もしかしたら…、本当に恋しちゃってもいいかなあ……って…」

 尾崎の両腕がヒロの肩に乗り、後頭部を抱いて、唇を触れ合わせた。ほんの一瞬のソフトタッチで離れたが、顔はしばらく間近にあって、行為を味わうようにしていた目が、きつくヒロを見つめ、離れた。ちょうど道のカーブした茂みの陰で人の目が遮られ、尾崎は計算してこの位置で行為に及んだのだろう、後から歩いてきた中年夫婦が談笑しながら二人を追い越していった。

「こういうの、気持ち的に許せない?」

 ヒロはすっかりカウンターを食らわされた気分で、衝撃が大きすぎた。

「どう? 本気でわたしを好きになってくれる?」

 尾崎の強い視線に、ヒロも負けないように瞳に力を込めた。

「本気なら、俺も本気で答えなくちゃ」

「ほんと? ありがとう、とお礼を言ってもいいのかな?」

「ううん。俺の方こそ……嬉しかった」

 ヒロにとってファーストキスだった。

 尾崎は微笑み、悪戯っぽく自分の唇に人差し指を当てた。その仕草をヒロはまたかわいいと思った。

 尾崎は付き合っている彼氏と行き違いがあって、彼氏を思いきってしまおうと思っているようだ。今のところその本気度合いは五分と五分に思えるが、彼女がそれを期待しているのなら、男として応えてやらなくてはならない。

 尾崎千恵美の心を奪ってしまえ。

 彼女に本気になることで、自分もサオリを忘れてしまおうと思った。相手を利用しようと言うのはお互い様だが、嘘が本気になれば、それは真実だろう。

 尾崎千恵美は、自分の人生には想像もつかなかった美人だ。ちょっと性格に危ないところも見え隠れするが……それも含めて情熱的な女性なのだと思う。

「尾崎さん」

「今から、千恵美って呼んで?」

「千恵美さん……」

「ヒロ君」

 千恵美がヒロの手を握ってきて、二人仲良く歩き出した。

 ああ、なんだか、すごく嬉しい…………

 ヒロは天にも昇るような気分だった。


 駅まで帰ってくると、千恵美は言った。

「もう一つ、行きたいところがあるんだけど、付き合ってくれるかな?」

「いいけど、どこ?」

 千恵美は笑って、握った手を引っ張って、ヒロを駅前広場のバスターミナルに連れていった。

 前に立ったバス停は、県立病院行きだった。

 ヒロは思わず顔が強張った。千恵美はぎゅっと熱い手でヒロを握りしめたまま、笑顔で言った。

「お見舞いに、わたしも同行させてね? いいわよね?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る