第15話 定番料理

 ヒロは、何故か日曜日に尾崎千恵美とのデートを約束させられた。石田のヤツがはしゃいで、

「こいつ、きっと『旧・光済病院』の悪霊に取り憑かれてるんですよお?」

 なんて余計なことを言って、興味を示した尾崎にべらべら肝試しのことをしゃべったのだ。尾崎は驚いた顔をしてますます興味を深め、

「じゃあ、もしかしたら長谷川君といっしょにいたら『赤いドア』に遭遇する可能性があるってことかしら?」

 と、彼女は異常な熱心さで「赤いドア」の実在を信じているらしかった。ヒロでさえ自分の頭を信じられないでいるというのに、変な人だな?と思った。

「じゃあ……日曜日一日、いいかな?」

 と、デートをしようと言うことになってしまったのだ。石田のヤツはヒューヒュー口で言い、鈴音までこっそり『イエー!』とヴイサインを出した。

 3年の尾崎はヒロたちほど暇ではないらしく、腕時計を見て、

「ごめんなさいね、ちょっと予定があるから。じゃあ、長谷川君、後で打ち合わせしようね?」

 と、携帯の番号を交換した。カノジョのいない男子にとっては夢のような展開で、「じゃあねー」とヒロに手を振って去っていく後ろ姿を眺めて、これは実に喜ぶべき奇跡だ、と頭の中がピンクに染まる一方、なんとなく寂しい胸の痛みを感じた。自分のピュアな気持ちを自分で裏切ったような感じがするのだ。そんなことほぼ100パーセントあるわけないが、もしこのまま尾崎と付き合うことになったら……サオリのことをなし崩しに忘れてしまうのだろうか?

 尾崎は出口で一度振り返り、指をひらひらさせてバイバーイとやった。

 明らかに自分なんかには高嶺の花の美人に心の中の思いとは裏腹に、いいなあ……、と、やっぱり若い健康な男子としてぼうっとしてしまうのだった。



 土曜日の午前10時。

 ヒロはトモキのアパートを訪れた。大学からほど近い学生アパート街の、軽い坂の途中にトモキのアパートはあったが、道にトモキとサオリが出て迎えてくれた。ヒロは自転車を降り、アパートを見上げた。

「ここがトモキ君のアパートだったよね」

 二人が前に出て待っているのだからそうなのだが、ここを訪れたのはこれで2回目だ。薄い黄緑色の塗り壁をラベンダー色のレンガで装飾された、ちょっとメルヘンチックなおしゃれな建物だ。同じ規模のアパートがあちこち何十軒もあるので、それぞれに学生受けしそうな外観をしている。駐車場はないが駐輪スペースはあって、トモキの自転車も他の自転車やスクーターに混じって置かれていた。ヒロの自転車もそこに止めさせてもらって、

「歩きでいいの?」

「駅前はごちゃごちゃしているし、盗まれるのも嫌だからね」

 と、秋晴れの空の下、のんびりと、まずは大学前駅目指して三人並んで歩き出した。

 本日は三人でデートし、夕飯はトモキのアパートに戻ってきてトモキが手料理をご馳走してくれることになっている。災難に遭遇したヒロを元気づけるのと、この間の「簡単はさみ揚げ」のお返しをしてくれるのだ。トモキの料理の腕前がどんなものか楽しみだが、まずは駅から繁華街に出て、映画デートだ。……ヒロは明日も尾崎とデートの予定で、なんて贅沢だろうと思いつつ、やっぱり無難に映画かな?だぶらないようにそれとなく誘導しなくては、と二股掛けのスリルを味わった。

 大型デパートに入り、ハンバーガーで軽く食事をして、シネコンで児童文学が原作のファンタジー映画を観た。この監督らしいブラックユーモアの詰まった子供向けらしからぬ怪作だった。土曜昼間の人気作ということで席は指定だったが、隣が女性だったので、サオリ、トモキ、ヒロの順で座った。ヒロは映画を見ている間中サオリがどこで笑うかななんてことばかり気になっていた。

 その後サオリに付き合ってウインドウショッピングして回り、地下で食材を買って早めに帰ることにした。何しろ今日はトモキの手料理がメインなのだから。

 4時前にアパートに帰ってきた。

 トモキの部屋は2階の一番奥205号室だった。

「どうぞ」

 招かれ、

「お邪魔しまーす」

 と入ると、石鹸の香りにふわあっと包まれた。アパートの間取りなんてだいたいどこもいっしょで、ここもまずキッチンになっていたが、壁に調味料の棚があり、包丁やまな板も鉄のフレームに収納され、キッチン台の上は何もなくきれいで、ぴかぴかに磨かれていた。わざわざ食器の棚まで置いて、中に少ないが真っ白なお皿類が並んでいた。

「なんかイメージ通りだね」

「いやー、まったく、感心感心」

 サオリも腕を組んでうんうんうなずき、トモキは苦笑し、さりげなく

「サオリちゃんは案外大ざっぱなんだよね」

 と暴露した。

「えーえー、見かけによらないがさつ女ですとも。手伝ってやらないから」

「けっこうです。どうぞ、ヒロ君といっしょにお客さんになっていて」

 と言うのでヒロはサオリと二人で部屋で待たせてもらうことにした。

 部屋も、フローリングの床に明るいオレンジ色のじゅうたんが敷かれ、その上に載った白いテーブル以外は、カーテンもベッドの寝具一式もクッションも水色に統一されていた。窓際に白ネコのキャラクターのぬいぐるみが座っていて、

「あ、これ、あたしがプレゼントしたの」

 とサオリが嬉しそうに言い、ヒロは

「道理で異彩を放っていると思った」

 と、子どもっぽいセンスをからかった。サオリはムッと唇を尖らせ、

「小学校の時の誕生プレゼントよ」

 と反論した。

「ふうーん…、そうなんだ……。大事にしてるんだね」

「かわいい子なのよ、トモは」

 キッチンからは今買ってきた野菜を洗っている音がしている。

「二人は?子どもの頃からいっしょなの?」

「うん。家が近所だから。そうそう、トモのお料理の師匠はあたしなんだからね? 子どもの頃おままごとできたえてやったから」

「迷惑な女ボスだなあ」

 サオリは勝手にコンポにCDをセットしてお気に入りのポップスをかけ、子ども時代の思い出話を聞かせた。中学高校時代のトモキのモテモテぶりの話になると、炒め物に掛かっていたトモキが

「サオリちゃん。恥ずかしいからやめてくれよ」

 と堪らずクレームを付けたが、サオリは

「ヒロ君の採点が待ってるんだからしっかり料理に集中しなさーい!」

 と命令し、ますます調子に乗ってバレンタインデーのチョコ50個伝説なんかを楽しそうにしゃべった。

「高校大学もずっといっしょなんだね?」

「うん。ずーーっといっしょ。もうトモの専門家よ?」

 トモキのことで知らないことは何もないと言わんばかりの自信の笑顔に、ヒロは、場所的にも、複雑な思いになった。きっとサオリは、これからもずーーっとトモキといっしょに過ごしていくことをみじんも疑っていないのだろう。自分は二人の、一時のお客さんなのだろう。

「ここも、よく来るの?」

「うん? ……うん、まあ、ね……」

 サオリもさすがにちょっと赤くなって、顔を逸らして視線を泳がせた。

 軽快なポップスが流れていく。

 キッチンからジュウとしょうゆとみりんの美味そうな匂いが広がってきた。


「はい、お待ち遠様」

 並べられたメニューは、肉じゃが、焼き小魚のおろしポン酢がけ、しらたきに千切り野菜の辛子ソースサラダ、お漬け物、きのこのみそ汁に、白米。

「う〜〜〜む」

 簡単手抜き料理に出来合いのサラダをよそっただけの超お手軽メニューを得意になって提供したヒロが思わずうなってしまう本格的な手料理だ。

「わーい、お母さんの献立だー」

 と、サオリも喜んだ。

「いただきまーす」

 キノコの出汁のよく出たみそ汁で喉を湿らせ、さて気になる肉じゃがを食べてみると、

「う〜〜〜〜ん、美味い」

 続けて箸が伸びてしまう。濃い味付けではないが、しっかり下味がついていて、旨味がしっかり感じられる。どれもこれも派手さはないが一人暮らしの学生が飢えている家庭の味で、しかも本職の料理屋張りに個々の味が鮮烈で美味い。

「参りました。これから師匠と呼ばせていただきます」

「いやいや。お口に合いましたか? けっこうでした」

 トモキもすました顔をしながらまんざらでもないように笑いをかみ殺していた。

「ほんと、参っちゃうわよねー、トモったら完璧すぎて全然つけ込む隙がないんだもん、やんなっちゃうわ」

 と言いながらサオリもパクパク美味しそうに食べている。

 実に美味しく、楽しい夕食会だった。


 夕食後、お開きにするのも名残惜しくて、昼間観た映画と同じ監督の「ハサミ男」のDVDをトモキが持っていたから三人で見た。今度はサオリを真ん中にベッドに背をもたれて並んで見た。悲恋のファンタジーにサオリは目をうるうるさせていたが、ヒロはこの映画はどうも好きではなかった。主人公の人造人間が、どうして手がハサミなんだろう?、という基本がどうしても気になってしまって素直に見られない。

 雪の舞い降る美しいラストシーンを迎え、

「あー、やっぱり名作ねえ」

 と、赤い目をしながらさっぱりした顔でサオリは言ったが、

「そうかなあ」

 と、つい、ヒロは言わなければいい批判がましいことを言ってしまった。

「なんかさあ、最初っから無理やり悲劇になるしかない設定って、どうなのかなあ? ストーリーとしてはさ、ちゃんと幸せになる道も残しておかなきゃ、腹立たしいだけって思うんだけど?」

 案の定サオリがムッと怒って反論した。

「世の中には生まれながらにどうにもならないことだってあるでしょう?」

 やっぱり言わなきゃよかったなあと後悔しつつ再反論を試みる。

「どうにもならないことを物語にしても面白くないと思うんだけどなあ?」

「ヒロ君、人でなし」

「え〜〜、そこまで言われなきゃ駄目かあ?」

 ヒロは不満を抱きながらトモキに意見を求めた。

「トモキ君はどう思う?」

「僕は」

 あれっ?、と思った。トモキもサオリみたいに赤い目をしていた。

「この映画好きなんだけど」

 そりゃそうだ、これはトモキが買って持っているDVDなんだから、本人は好きに決まっている。

「はい。すみませんでした」

 2対1では仕方ないのでヒロは謝った。トモキは笑って慰めた。

「女の子はエドワードに恋するキムの立場で見ているからね、敵に回しちゃ怖いよ? ヒロ君は…、幸せになれない人造人間の立場で見ているんでしょう?」

「そりゃあ……そうなんだよね」

 そうだ、だからこんなに腹が立って、面白くないんだ。どうにもならないって、自分で認めたくない……。

 トモキも男主人公の立場で見るだろうに、なんでこの映画で泣けるんだろうな?、とヒロは不思議に思った。


 さて、DVDで映画も見て、もう帰らなければならない時刻になった。なにしろ明日も尾崎千恵美とのデートが待っているのだ。

「今日はごちそうさま。美味しかったよ。いつかまたリベンジしたいけどね」

「喜んで、いつでも挑戦を待っているよ」

 ふふふふふーん、と男同士静かに火花を散らし合って、

「じゃ、ここいらでおいとまさせてもらうよ。え…と、」

 ヒロはサオリを見た。

「サオリちゃんは……どうするの? ……お泊まり?……」

 サオリはトモキに視線を向けた。

「泊まってっていい?」

「うん……、かまわないけど……」

「うふふ、今日は帰る。ヒロ君、送っていって」

「いいけど、いいの?」

「うん。お泊まり道具、用意してきてないから」

「あっそう。じゃ、送ってくよ」

 と言うことでサオリをアパートまで送っていくことになった。

「じゃあね、トモキ君。今日はありがとう。また月曜日にね」

「うん。また。気を付けてね?」

「トモ。バイバーイ。また明日ね?」

「うん、また明日」

 手を振って、ドアを閉めた。


 外に出ると夜の空気が冷たかった。自転車を道に出し、

「こっち」

 と、サオリの案内で自転車を引いて歩いた。

「近所?」

「うん。1本通りを越えた、向こう」

 坂道を下っていく。邪魔な街灯を越えると、真っ黒な夜空に星が点々と静かに針で刺した穴のように鋭い光を見せた。

 何かしゃべらないとずうっと黙ったままになりそうで、ヒロは言った。

「二人は、本当に仲がいいんだね?」

「うん。いいよ」

 サオリは照れもてらいもなく素直に言った。

「あたし、トモキのこと大好き。愛してるわ」

 サオリは振り向き、まともにヒロを見た。陰で表情は分からないけれど、目に夜空と同じようにくっきりした星が反射していた。サオリが自分の好意に気づいているのは明白で、これは彼女からの返答だろう。ヒロは頷き返した。

「そうか。それじゃあ、末永くお幸せに」

 今度はサオリが笑ったのがはっきり分かった。

「ありがと」

 後ろに手を組み、ステップを踏むように歩き出した後ろ姿に、こんちくしょうめ、と恨みを込めて教えてやった。

「実は俺、明日デートなんだ」

 サオリは顔を振り返らせて、ステップを続けながら言った。

「ほお。それはどなたと?」

「教育文化学科3年の尾崎千恵美さん。知ってる?」

「知らない」

「ふっふー、すごい美人だぞ?」

「まあびっくり。どういういきさつで?」

 ヒロが食堂で見初められたことを説明している内にサオリのアパートの前に着いてしまった。

「ここがわたしのアパート。手前の、201号室ね」

 指さして窓を教える。模造木板のこれも新しそうなきれいなアパートだ。

「そう。じゃあ灯りがつくのを待っているよ」

 階段が建物の中を上がっていくのでそう言うと、

「うん。ありがとね。じゃ、また、月曜日に」

「うん。また」

 サオリは建物に入っていった。しばらくして、窓に明かりが灯り、道に面した窓のレースのカーテンが引かれ、サオリが笑顔で手を振った。ヒロも手を振り返し、自転車に跨ると、走り出した。

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