第10話 深夜のアルバイト

 5時から9時まで、畑の真ん中にでーんと出現したような倉庫の中で全国組織の注文販売サービスの品出しの作業をして、社員食堂で夕飯を食べ、同僚のマイカーで一つ前の駅まで送ってもらい、電車で自分の駅まで戻り、駅の駐輪場に止めてあった自転車に乗って今度は郊外の国道沿いにあるパチンコ店に向かう。ここで閉店を待って11時から1時間ほど、店内及びパチンコ台の清掃のアルバイトだ。

 倉庫のアルバイトもパチンコ店のアルバイトも今年度になってから3年の先輩から引き継いだものだ。それぞれ別の先輩だが、両先輩とも今現在、企業から就職の内定をもらうのに必死になっている。

 さて、10分ほど文庫本を読みながら時間を潰し、閉店時刻になっても粘って帰ろうとしない客が諦めて出ていくのを待って、ヒロは待機していた仲間たちといっしょに店に出ていくのだが。

 この日はその仲間たちが、一人しかいなかった。もう二人いるはずなのだが。

「いやあ、急に風邪ひいただの子どもが熱出しただの言ってきてさ、他に出られないか電話したんだけど、みんな断られちゃってさ。悪いんだけどさあー、二人でやってくれるかい? なんならしょうがない俺も手伝うからさあ。ね?、恩に着るから」

 調子のいいオーナー兼店長に頼まれて、ヒロは快く引き受けた。

「僕はかまわないですよ。むしろ店長手伝ってくれなくていいから、二人分のギャラを付けてくれれば、ねえ?」

 と、ヒロはもう一人に訊いた。彼も、

「いいですよ、それで。わたしもありがたいです」

 と承知し、話は決まった。

「そうかい? じゃあしっかり二人分付けさせてもらうから、よろしく頼むね〜」

 と、店長は手とお尻を振り振り奥の事務所へ入っていった。店長は店長で今日の売り上げの集計など仕事があるのだ。

「じゃ、時間も惜しいし、ちゃっちゃと始めましょうか?」

「うん」

 二人でまず床のモップ掛けから始めた。

 この店は大手のフランチャイズではなく、店長兼オーナーの個人経営だ。趣味が高じて脱サラして始めたというオーナーは50代、お腹とお尻のでっぷりした、頭の薄い、とうてい女にはもてそうにないルックスだが、キャバクラなんかにも興味はないらしく、水着やボディコンルックのセクシーなおねーちゃんがフィーバーで踊るのを見て中学生みたいに喜んでいる、ひたすらパチンコが好きという酔狂な人だ。そんなわけで、独身。

 ふつうパチンコ店の清掃作業は派遣業者と契約してやってもらっているようだが、ここは店が直接作業員を雇っている。

 モップ掛けが終わるとパチンコ台の掃除だ。

 こぢんまりした店には、左右の壁に向かってと、中央に2列背中合わせに、台が並んでいる。

 先に灰皿のたばこを片づけ、それから拭き掃除だが、ヒロはこのたばこが大嫌いだった。近頃パチンコも女性のお客が増えて、排煙設備を整えたり、分煙化したり、禁煙の所もあるようだが、ここは何しろパチンコ大好きオーナーの昔ながらの店で、そんなライトユーザー向けの配慮はない。そのおかげで近頃肩身の狭い愛煙家のおじさんたち、昔ながらのパチンコファンによって、けっこう儲かっているらしい。

 金、金、と、軽い気持ちで引き受けたが、倍の作業というのはやっぱりだんだんうんざりしてくる。もう一人の…桝岡(ますおか)さんも、反対側で黙々と作業しているようだ。作業内容は決まっていて、一律でギャラが決まっているため、基本的に作業中はおしゃべりなんかしないで集中してさっさと済ませてしまうのだが、たった二人きりで作業していて、ひたすら黙然としているのは、やっぱり大人数の時とは違ったわびしさがある。

 そんなところへ店長が顔を出した。

「どう? ご苦労さんだね」

 冷やかされて作業の邪魔っ!と普段なら思いそうだが、今日ばかりはヒロはその陽気さをありがたく思って応えた。

「店長は? もう集計は終わりですか?」

「うん。僕はもう面倒なことはしないから」

 個人経営ならではのアバウトさだ。儲かっているから細々した数字合わせに神経を使う必要もないのだろう。

「手伝おうか?」

「いえいえ、お気遣いなく。せっかくここまでやってギャラを減らされたらもったいない」

「あはは、ラッキー君は若いくせにセコイねえ?」

 店長は「ダイキチ」を「ラッキー」君と呼ぶ。

「ならさあー、お店にも出てくれればいいのになあー。土曜か日曜日、ラッキー君なら明るいし名前もいいから、マスコットとしてお客さんにもかわいがられるよお?」

「いえいえ」

 ヒロは苦笑いを浮かべてお断りした。土曜か日曜ったって、おじさま方と、せいぜいおばさま方のマスコットになっても嬉しくはないし、第一ヒロはたばこが嫌いだ。営業時間中のたばこの煙と臭いのもうもうとした店内なんて、想像するだに気持ち悪い。お金はもちろん欲しいが、出来るだけ、大学生としての余裕ある生活を楽しみたい。

 店に出てきたものの、店長は手持ちぶさたに、眠そうに目をしばたたかせた。

「疲れてます?」

 ヒロの言葉に釣られるように店長はあくびをした。

「年かねえ、この時間になるともう眠くてたまらないよ。うちに帰ると取りあえず寝床に倒れ込んでそのまま寝ちゃうよ。着替えも朝目を覚ましてから。朝シャワーでようやくしゃんとするよ」

 のんびりしているようで朝から店に出てきて終日いるのだから、さすがに好きな仕事でも疲れは溜まっているのだろう。

「なんなら先お帰りになってもいいですよ? 戸締まりはちゃんとしておきますから」

 店長は少し離れたところに一戸建てを持って住んでいる。清掃員も皆顔見知りで信用されているので裏口の合い鍵を預かって、たまに店長が帰ってから戸締まりをして最後に出ることがある。

 すっかり眠そうな店長は、

「うん、そうだね、じゃ、頼んじゃおっかな」

「ええ、どうぞ。途中道ばたで眠りこけたりしないように気を付けてください?」

「はいはい」

 笑って事務所に引き返していった。

 店長が行ってしまって、さてこっちもさっさと終わらせてしまおうかと気合いを入れ直すと、桝岡が陰気な声で話し掛けてきた。

「ラッキー君か。俺は大凶だ」

 ヒロは面倒くさく思いながら努めて明るい声で応答した。

「どうしました? 何か災難に遭いましたか?」

 桝岡の姿は台の向こうで見えないが、どうやら、笑ったようだった、店長とは違って低く卑屈に。

「災難か。俺の人生なんか、一度フィーバーしたっきり、後はあおりの災難しかねえよ。パチンコと同じだ、ギャンブルなんて、けっきょく元締めが儲かるように出来てんのさ」

 桝岡は、詳しくは知らないが昼間は別の仕事をしていて、夜遅くこうしてまたアルバイトをしている。40代なかばくらいの、変な痩せ方をした、あまり感じのいい人物ではない。

「君はいい性格だよな、人に取り入るのが上手だ」

 いつもは人の会話を後ろから妙にひねくれた視線で眺めて傍観者を気取っている桝岡がこうして絡んでくるのは初めてだった。ヒロはその棘のある言葉にムッとしながら、昼間よほど面白くないことでもあったのかと我慢して聞いてやった。桝岡はすっかり諦めたような調子で言った。

「俺は駄目だ。俺は君らと違って人におべっかを使ってへらへら出来ないたちでね。やることはしっかりやってるんだ、なんでそれでちゃんと評価されないんだよ?ってね、すぐ顔に出ちまうんだ。だから上の奴らには嫌われて、無視される」

 また暗く笑ったようだ。天井の半分に落とした照明同様、薄ら寒くて、気が滅入る。

「俺だってな…、真面目に一生懸命やってんだよ……。だがよ、世の中ってのは、そうさ、運のいい奴のところにだけ運も、成功も、転がり込むように出来ていて、他の、俺みたいになんにもねえ奴なんか、成功者どもを肥え太らせるための肥やしにしかなりゃしねえんだ、世の中ってやつあ、そういう風にできちまってんのさ、くそっ…………」

 ヒロは、鬱陶しくて、ため息をつく気分で黙っていた。ヒロだって、…どうせ桝岡なんかから見れば世間知らずのお坊ちゃんなんだろうが、それなりに世の中を見てきて、それが決して公正平等なものだなんて思っちゃいない。それこそ水神先生から社会の不平等を習ってもいる。けれど、こうして脱落者の恨み言を聞かされるのは、やっぱり、鬱陶しくてしょうがない。なんだかんだ言って、自分だって成功者になりたかったのじゃないか? そんな風に思っているのを見透かすように桝岡は皮肉な笑い混じりに言った。

「俺だってな、大卒なんだぜ? 卒業して一流企業に就職したんだ。君らから見ればうんといい時代だったからな。夢……なんか見ちまったのが失敗だったな……。馬鹿だよな、時代って奴に、まんまと踊らされちまった……。ほんと、馬鹿だぜ…………」

 桝岡は、言いたいことを言って気が済んだのか、それともしゃべりながらすっかり自分が惨めになってしまったのか、それで黙った。ヒロは、とにかくこの状況から早く離脱したくて、掃除に専念した。

「それじゃあ、頼んだねー?」

 スタッフオンリーの、西部劇の酒場みたいな胸の位置だけの両開きドアから顔を覗かせて店長が呼びかけた。

「はーい。お疲れさまでーす」

 ヒロは桝岡の陰気なオーラを振り払うように明るい声を出して送り出した。

 ギイと、その先の従業員専用口のドアが開く。表の店のドアはすでに外でシャッターが閉められている。

 少しの間の後、

「うわっ、なんだっ!」

 店長の驚き、慌てる声がして、ドドドッ、と、転げ込んでくるあわただしい音が響いた。

「どうしました!?」

 何事かと駆け寄ったヒロは、店長とは別の、黒っぽいジャンパーに、野球帽を被り、大きなマスクをして、真っ黒なサングラスをした、背の高いがっしりした男と顔を見合わせて、思わず立ち尽くした。男の手にはナイフが握られていた。

 強盗だ。

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