第5話 独り肝試し

 電車から眺めて場所は知っているつもりだったが、町中を通って実際行くとなるとちょっと勝手が違った。しかし線路を越え、市役所の前の道に出ると、そこを辿って、建物の切れ目、収穫が終わって今は黒く地肌の見える畑の向こうに、灰色の建物が見えた。時刻はなんだかんだで5時になってしまった。

 古い商店街が丘の麓のカーブに沿って広がっている。店を閉める時間には早いだろうに、ここも最近の地方都市の例に漏れずシャッター街となってしまっているようだ。

 丘へ登っていく道に行き会い、建物を抜け、南の緩い坂を上っていくと、低い位置の太陽が背に隠れ、病院の建物は黒い影になった。

 地域全体が狭いせいか、地図で見たより病院の敷地はうんと狭く感じられた。丘の上で、床面積を確保するためだろう、病院は10階建てのビルだった。

 畑の間を上っていく道は2車線だが、右側に広めの歩道を確保しているためもあって狭く感じられた。高さの割に坂は長いぶん緩やかでひーひー息が切れるほどでもなかった。ヒロは固く閉ざされた鉄の移動式門扉の前で自転車を降り、中を眺めた。グルッと外縁を巡る車道の内部が駐車場になっているが、20台分もあるかどうか、この建物からすると圧倒的に足りなく感じる。自家用車を使わず公共のバスを利用するように、ということだったのだろうか? 奥にバス乗り場らしき屋根がある。アスファルトとコンクリートの間間に雑草が生い茂り、だいぶ茶色く、黒く、枯れて、子孫を残す種子の段階に入っている。

 建物を見上げる。

 なんの変哲もない四角く細長いビルで、電車から眺めていたときはホテルかと思っていた。

 エントランスの屋根の上に看板が立っていたと思われる骨組みだけが残っている。

 真っ黒な窓が整然と並んでいるが、右の端っこで、背後から突き抜けた夕日だろう、真っ赤に染まっている物がちらちらあった。

 その赤を、不気味だ、と感じてヒロは少し怖じ気づいてしまった。

 しかしこうして眺めてみても石田たちが来ている形跡はない。あいつらが来れば自動車だろう、病院に至る道はこの一本だけで、門に吸い込まれるきり、横に回ってもいない。ぐるりと巡る塀の外はすぐ畑になっている。あいつらが車を止めるとすればここだろう。それとも目立つのを嫌ってどこか麓に駐車して坂を歩いて上ってくるか。肝試しとしてはその方が気分が盛り上がっていいかも知れない。

 ヒロは坂を見下ろしてみた。

 病院と丘の影が長く麓の町並みの上に伸びている。瓦屋根の並びが夕日を浴びて赤く輝いている。

 再び病院を向く。

 眺め、石田の携帯に電話してみる。相変わらず通じず、ポケットにしまった。

 赤い窓が左に広がり、上へ偏っていった。今の日没は5時40分か50分くらいだろうか? 現在、5時15分。

「冗談じゃねえなあ」

 不安を感じているからか、わざとらしく声に出して言ってみる。

「あいつらが来るまで親切にここで待っててやるってか?」

 いつ来るか、ひょっとして真夜中辺りまで来ないかも知れない相手を、こんな所で一人待ってるなんて、馬鹿馬鹿しく、そんなお人好しじゃねえぞ、と、うんざりした顔を作って、帰っちまおうと、ハンドルに手を掛けた。

 チラッと、動く物が目に入った。

 窓の赤い光の中で、黒い影が動いたように感じた。

 5階か、6階の辺りだ。

「おいおい、マジかよ? ……いいや、見間違いの気のせいだ」

 そう思いながらその辺りから目を離せないでいると、窓から放射される赤い光が遮られ、確かに、誰かが、室内を横切った。

「やめてくれよ……」

 ヒロは大きくため息をついた。6階だ。

 それきり動きはないが、あの感じは、鳥が横切ったような感じではなかった。内部で人が歩いていた。

 ヒロは諦めて、塗装がはがれて茶色い錆だらけの門扉に手を掛け、

「よいしょっ」

 と飛び上がり、足を掛け、乗り越え、飛び降りた。

 雑草を踏み越え踏み越え駐車場を進み、エントランスの黒いガラス戸に向かった。

「寒いな」

 スポーツメーカーのウインドブレーカーを羽織っていたが、日が傾いたせいか急に空気が冷たく感じられた。

 長いひさしの下に入り、見ると、自動ドアのロックが外れて10センチほど開いていた。厚いガラス戸に手を掛け力を込めると、重い抵抗はあったが動いた。十分な広さが開き、中に入れてしまった。

 向こう側の窓から夕日が射し込み、右手の壁を赤く染めていた。

 受付カウンターと待合室で、ベンチが並んでいたが、手前の物がひっくり返され、列が乱れていた。

 奥の廊下へ折れると、途端に暗くなった。壁に掲げられた案内図を見ると、1階から3階までが一般外来の診察室で、4階から7階までが入院患者の病室で、8階から10階が手術室と専門検査室となっている。地下もあるようだが、何があるのかは案内には載っていない。

 石田たち……と確認は出来ていないが、侵入者は上へ向かった。正体不明の地下でないだけましだが、病室を見て回って、手術室なんかを覗くつもりじゃないか?

 トモキ曰くここは本当に危険だそうだ。手術室なんかいかにも危なそうじゃないか?

 ヒロはここで自分が肝試しをするつもりは全くなく、さっさと連中を見つけて連れ帰るつもりだ。

 エレベーターがあったので念のためスイッチを押してみたが、当然のごとく反応はなかった。

 階段を見つけて駆け上がった。階を上がるたび廊下に靴音が反響する。階段に戻ると狭い壁に圧されて縦にカンカンカンと固い音が響く。階を上がると、音が解放されて広がっていく。

 5階…6階。動く影を見たのはこの階だ。もう上へ移動しているだろうが、一応影がいたと見られる病室を覗いてみることにした。

 廊下はグリーンのリノリウムで、長い放置の間にほこりが溜まり、湿気に固まり、黒く沈着している。肝試しのつもりはないから極力無視しているが、どうしても視界の横に入ってくるナースステーションなど、やはり物が投げ出され、倒され、恐らく過去肝試しに侵入した馬鹿者たちの仕業だろう、乱雑に荒らされているようだ。見ない、見ない、俺は見ないぞ……。

 ここだろうか? 端から2番目の病室……606号室を、廊下からそうっと覗く。ドアと自分の影が黒く室内に伸びている。背後を振り返ると、洗面所と洗い場になっていて、その窓から夕日が射し込んでいる。その夕日をもろに見てしまって、慌てて目を閉じたが、部屋の方を向いて目を開けると視界が真っ赤で、陰は真っ黒で、目をぱちぱちやってようやく元の視界が戻ってきたが、室内の様子に思わずゾッとした。ここは4人部屋のようで、プライバシー保護にベッドを囲むカーテンが引かれているが、上のレールから引きちぎられて、ぶら下がっている。それが中途半端にベッドを隠して、なんとなくそこに居る人の姿を想像して、慌てて頭を振った。そういう想像が、ここにいる魂たちを呼び寄せてしまうような嫌な考えがよぎった。床に小さいタンスが引き倒されている。まったくひどいことをするものだ。自分はそんな連中とは違うからな、と、心の中で何者かに対して言い訳する。

 やはりもうここにはいない。上へ上がってしまったのだろう。

 ヒロは何となく天井を見上げ、足音でもしないかと思ったが、何も聞こえてこない。

 階段へ戻って、わざと大きな足音を立てて上がった。

 7階も病室だ。1フロアに10の病室があるらしい。

 廊下で、

「おーーい! 石田ーー!」

 と呼びかけてみた。

「こらあーー! 出てこーーい!!」

 自分の大声の後は、何も聞こえず、しんと静寂が満ちていた。

「おおーーい、出てこいよーー…」

 今度は小さな声で呼びかけた。返事はなく、なんの物音もしない。

「上……か……………」

 階段に戻り、上がり始めると、「カーン」と何か固い物が落ちる音がして、心臓が飛び出るほど驚いた。「クワンクワンクワン」と金属の皿が斜めに回転するような音が続き、回転がせわしなくなり、止まった。

 ヒロはドクンドクンと高鳴る心臓に気分を悪くしながら7階に上がった。

 7階はびっくりするほど真っ暗だった。廊下の左右をドアを閉めた窓のない壁が占め、外光が入ってこない。まっすぐ左右に伸びる廊下の先の壁にそれぞれ窓があるが、その外はすっかり薄暗くなっていた。

 ちょっと待て、冗談じゃないぞ、と思った。うっかり懐中電灯を持ってくるのを忘れてしまった。いや、まさか中に入るつもりなどなかった。入れるとも思ってなかった。せいぜい窓から中を覗く程度で、いないだろうというのを確認して、それで終わりのつもりだった。

「おーーい! 石田ーー! 鈴音ちゃーーん! 石田の仲間ーー! いい加減出てこいよおーーっ!!」

 大声で呼びかけたが、静まり返るばかりで、見る間に暗がりが濃くなってくるような気がする。

 本当にいるのか?

 見たと思った影は、何かの見間違いで、こんな所に、誰も入り込んでやしないんじゃないか?

 ここは、

 本当に危ないんだろう?

 ……音がしたな…。

 人じゃなく猫か犬でも入り込んでいるんじゃないか? でも、犬猫が、階段を上がってこんな上まで上ってくるか?

 タタタタタ…。

 天井を足音が走っていった。

 ヒロは凝視し、

「おいっ!」

 声を上げ、階段に駆け戻り、駆け上がった。靴音が高く反響する。皿は?7階じゃなかったか?階段で聞いたからはっきりしない。しかし足音は、間違いなく人間の物だ。上、8階に、間違いなく誰かいる。踊り場を巡り、駆け上がり、廊下に飛び出ると、

「おいっ!」

 と足音が駆けていった右奥に向かって大声で呼びかけた。

 ギイッ、

 金属のきしる音がして、暗い奥に動きが見えた。

 バタンッ。

 大きな音を立ててドアが閉まった。

 それを凝視してヒロはしばし立ち尽くした。

 このフロアは下と構成が違っていた。

 廊下の奥まっすぐ突き当たりに、真っ赤に夕日を浴びて、観音開きの大きな二枚戸があった。手術室だろう。

 ドアが閉まる前、夕日を浴びて、長いスカートがひらりと舞って、中に滑り込むのが見えた。

 鈴音ちゃんだろう。

「おーーい! 鈴音ちゃん!」

 呼びかけたが返事はない。

 ヒロは、腹が立った。

 からかってやがるのだ。

 窓から自分が来たのを見て、こいつは面白いぞ、と、音でここに誘導して、あの手術室の中に隠れて、自分が入ったところで、「わっ!」と、びっくりさせるつもりなのだろう。

 くっそー、逆に「バッカヤロウ!」と怒鳴り返してやる!

 ヒロは猛烈に腹を立てながら、真っ赤なドア向かって大股で歩いていった。


 うふふふふふふ。


 女の笑い声がかすかに聞こえた気がして、ヒロはますますカッとなった。

 やっぱり手術室だった。ドアの上に「手術中」のランプがある。もちろん消えているが。

 ヒロはドアノブを掴んだ。



「駄目だっ!」



 すぐ後ろで大声で怒鳴られ、腕を掴まれ、ヒロは背筋をそっくり返して飛び上がった。

「ヒロ君! 何やってるんだよ!?」

 懐中電灯の黄色い光に顔を照らされ、ヒロはまぶしさに目を細め、反対の手でかばった。

「え? トモキ君?」

 トモキがハアハアと肩で息をして、なんだか物凄い顔つきでヒロを見つめていた。

「ヒロ君、大丈夫!?」

「だ、大丈夫って……、大丈夫だけど?」

 ヒロは事態が飲み込めず、トモキが突然現れたのが不思議でしょうがない。

「大丈夫じゃないよ!」

 怒ったように言いながら、トモキはようやくほっとしたように表情をゆるめた。

「さっ、戻ろう!」

 ぎゅっと掴んだままの腕を引っ張ってさっさと戻ろうとした。

「いや、待ってよ」

 ヒロは慌てて抵抗した。

「中に鈴音ちゃんがいるんだ。たぶん、石田たちもいっしょに」

 またトモキの顔が固くなった。それにしても、暗い。一瞬にして夜になったみたいだ。トモキの顔は、手にした中型の懐中電灯の灯りの反射でなんとか見えるくらいだ。

「いないよ」

「いや、いるんだよ。中に入っていくのを見たし、鈴音ちゃんの忍び笑いも聞こえたし」

「いないよ」

「いや、いるんだって。いっしょに連れて帰らなくちゃ」

「ヒロ君。石田君と鈴音ちゃんなら、外で友だちといっしょにいるよ」

「えっ……」

 ヒロの腕から抵抗が消え、トモキに引っ張られて歩き出した。遠のく手術室のドアは、夕日が消えて、真っ黒に見えた。

「でも、確かにスカートが……、声だって……」

 うわごとのように頼りなく言うヒロに、トモキは泣きそうな声で叱るように言った。

「いない。ここには誰もいないんだよ、誰も。

 僕は、何度も大声を上げてヒロ君を呼んだんだよ? それなのに、ヒロ君は、大声を上げてどんどん上に行っちゃって……」

「俺を…、呼んだって?…」

「そうだよ!、何度も、大声を張り上げて!…」

 まったく聞こえなかった。でも、それは嘘ではないだろうと、トモキの本気で怒った様子から分かった。それでは何故自分にトモキの呼びかけが聞こえなかったのか? ヒロは改めてゾッとして、もう、手術室を振り返るのはやめた。

 階段を1階まで下り、エントランスから出ると、外はもうすっかり夜になっていた。

 見ると、門扉の向こうで、一台の車が止まっていた。その外に4人の男女の人影があった。石田たちだった。ちゃんと鈴音ちゃんもいて、近づいていくと、女の子二人は怯えて泣きそうな顔をしていて、男どもはばつの悪い、ふてくされたような顔をしていた。

 はっきり顔の見える距離に近づくと、ヒロは言った。

「石田。ここはやめとけ。本当に、マジだった」

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