第4話 『あいつらを止めろ!』

 サオリの携帯にメールが来た。サオリは登録者によって着信音を変えているが、この見せつけるように甘いメロディーはトモキ専用だ。チェックしたサオリは、

「トモの仕事が終わったって。じゃ、わたし、行くから。バイバーイ」

 と立ち上がると、口だけ「ニッ」と笑ってヒロを睨むと、さっさと行ってしまった。

「王子様のお仕事って、なに?」

「水神先生の研究の手伝いだよ」

「ああ、『ウーマンリブ』。ま、王子様とお似合いと言えば、お似合いか」

 へらっと笑った石田の言葉には毒がある。ヒロは石田のこういうところは嫌いだ。

 水神由布子先生は講師。「水神教室」として小さいながらも専用の部屋を持ち、3、4年生相手のゼミを持っている……それなのに何故トモキを助手のように使っているのか、実のところヒロもよく分からない。石田など口の悪い連中に言わせると、

「お気に入り」

 ということだが、確かにそんな風に思えてしまう。

 先生の評判は良と悪半々で、最近は大丈夫なようだが以前は体調不良を理由に休講がしょっちゅうあったらしい。

 水神先生は

「女性の権利問題」

 のエキスパートだ。以前地方の役所の雇用条件の性差の問題で原告団の主任顧問となって裁判で勝訴した実績がある。

 30代半ばであるようだが、石田に『ウーマンリブ』と揶揄されるのは『女性の権利問題の闘士』という職務もあるが……………。

 これまたしゃくに障るが石田の言うとおり先生とトモキは『お似合い』に見える。ヒロのように二人に好意を持っている者の目には『絵になる』と映るのだが。

「俺も帰る」

 なんだかイライラしてきてしまって、ヒロはぶすっとした顔で立ち上がった。

「俺も不参加な。おまえらも、…………あんまりふざけたことやってると、そのうちどでかいしっぺ返しを食らうことになるぞ?」

「なんだよ、つまんねえ奴だなあ」

「アバヨ」

 石田の勧誘を手を振って断ち切って、ヒロは出口向かって歩いた。

「おおーい。じゃあさー、夜までつなぎのホラーDVD大会だけでも参加しないかあ? 他の女子も誘うぞー?」

「パース!」

 まったく、完全にふざけてやがる。ヒロは後ろに声だけ投げかけてカフェを出ようとした。

「あいつもウーマンリブのシンパだからさ、へそ曲げちまった」

 石田が仲間たちと笑う声が聞こえた。

 ヒロは渡り廊下を歩きながら思った、

 俺は先生を立派な人として尊敬しているだけだ、

 トモキだって、

 きっとそうだ…………

 と……。




 ヒロは月曜から木曜まで二つアルバイトをしていた。4日間続けてやるのが夜11時からの営業終了後のパチンコ店の掃除、月曜と水曜夕方5時から9時まで倉庫の品出しのバイトだ。

 金曜日は昼から2時半までの講義を一つ受けるとおしまい、土曜日曜は完全にフリーなので、ま、言ってはなんだが大学生なんていいご身分だ。もっとも、学友には自分で生活費と学費を稼ぎ出すためにもっとぎっちりアルバイトを組んでいる者もいるので、ヒロなどは恵まれた学生なのだろうと思う。

 さて暇を持て余しているわけにはいかず、そこは大学生なので講義のレポートなど宿題がどっさりあるのだが、しかしせっかくまとまった時間のあるときには、一つ、ちょっとした趣味があった。料理である。最近自炊する男子が増えてきているようだが、ヒロもご多分に漏れず、アパートで一人暮らしを始めて、最初の内は忙しさにかまけてインスタント食品ばかり採っていたが、大学生活が落ち着いて時間ができてくるに従ってなんとなく体の健康が気になってきた。やっぱりインスタントばかりじゃよくないな、というのがなんとなく日々胃がもたれて食欲がわかなくなっての感想だった。

 というわけで石田たちと別れて自転車で帰宅途中のスーパーに寄り、冷蔵庫の中身と照らし合わせて買い物し、学生アパートの狭い1DKの我が家に帰宅すると、腕まくりをしてキッチン台に向かっていたのだが。

 ポケットで携帯が鳴った。固定電話は引いていない。

 うーん…と、ザクザク途中まで切ったレンコンを眺めながら、鳴り続ける呼び出しにしょうがねえなあと諦めて手を洗った。

 電話はトモキからだった。

「もしもし、トモキ君?」

『ヒロ君?』

 トモキの声は、ひどく性急で、一瞬でヒロをハッとさせた。

『石田君たち、光済病院に行ったんだって?』

 サオリから聞いたのだろうが、現在4時を回ったところ、肝試しなんか興味のないサオリは今になって何かのついでに思い出して、そうそう、としゃべったのだろう。

「うん、あの馬鹿たち、調査なんて言ってたけど、実際はただの肝試しだよ。夜になってからだろう? 今はまだ……、そうだ、ホラーDVD大会やるなんて言ってたから、まだ大学のどこか空いた部屋にいるか、誰かのところに集まってるんじゃないかなあ?」

『そう、それならいいんだけど……』

 トモキは心底ほっとしたように言った。ヒロは訊いた。

「トモキ君、『旧葉山台光済病院』のこと、知ってるの?」

『うん……、まあね……』

 トモキは多少歯切れ悪く暗い声で言った。

『あそこは駄目だよ。本当に危険なんだ』

 トモキ君霊感があったのかな?と思いつつヒロは言った。

「ま、あの罰当たりどもは少し痛い目にあった方がいいんじゃないかと思うけど……、大丈夫だよ、まだ行っちゃいないよ。分かった、俺から電話してやめさせるよ。それで…いいかな?」

『うん、お願いするよ』

 トモキは苦笑いを漏らした。トモキはどちらかと言うと石田を苦手にしていた。石田のズケズケした態度が繊細なトモキの精神には痛いのだ。

「じゃ、これから電話するよ」

『うん。ごめんね。今度は……会えるのは月曜だね』

「うん、そうだね。ま、サオリちゃんと楽しく過ごしてくれたまえ」

 トモキは笑った。

『そうするよ』

「うらやましい奴め。じゃあね」

『うん。じゃあ』

 トモキの電話が切れると、石田の登録を選択して掛けた。接続を待っていると『お客様のお掛けになった電話番号は現在使われていないか電波の届かない状態に』と女性の声で機械的にアナウンスされた。

「何やってやがるんだか」

 ヒロは通話を切って、もう一件登録してある石田のカノジョの鈴音に掛けた。こちらも『通じません』とアナウンスが返ってきた。あの連中で電話番号を知っているのはこの二人だけだ。念のためもう一度石田に掛け直したが、同じだった。

「なんだよ、二人とも電源切ってんのかよ」

 今頃ホラー映画のDVDで盛り上がっているのだろうから、水を差されないように電源を切っておいたのだろうが、ちょっと気合い入りすぎだろう。

「たかがDVD鑑賞会で電源切るかよ」

 トモキに折り返して「通じなかった」と報告しようかと思ったが、石田なんぞのために繊細なトモキを心配させるのも可哀想に思ってやめた。

「『電波の届かない状態に』か…………」

 ヒロはテーブルのノートパソコンを開いてネットに接続し、『葉山台光済病院』の名前じゃ出ないかと思って『葉山台』で市街地図を検索した。線路の反対側の地域らしい。それほど広い地域ではないのでそれらしい建物を探すと、名前のない大きな敷地があり、クリックして拡大すると、前の道のバス停に「旧光済病院前」とあった。その辺りの景色を思い浮かべ、

「あ、あれだ」

 と思い当たった。電車に乗って何度も見ている。そうか、あれがそうだったんだ、と思う。葉山台は地名の通り緩やかな丘になっていて、広くお茶とたばこの畑が丘を覆っている。その丘の上に、廃業した病院は建っていた。

 ヒロは考えた。

 人が中に入って消えてしまったら、

 持っていた携帯電話もつながらなくなるんだろうな、

 と。


『あそこは駄目だよ。本当に危険なんだ』


 優しいトモキの、本気で心配している声が思い出された。

 石田は生意気に車を持っていて、アパートはだいぶ離れた所にある。

 俺が行ったらトモキ君心配するだろうなあ、

 そう思いながら、かといってそんな危ない場所に同郷の悪友を放っておくわけにもいかず、

「ちっくしょうめ」

 ヒロは切ってしまった食材を保存袋に詰めて冷蔵庫に入れると、自転車の鍵を持って部屋を出た。

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