第3話 幽霊病院の噂
午後の講義を二人といっしょに受け、チャイムが鳴った途端にズボンのポケットでマナーモードにしてある携帯電話が震えた。メール…石田からだ。
件名が『肝試し会のお知らせ』と、なんとも怪しげだ。
「誰からかなあー?」
横から覗き込むサオリを一応肩でブロックしてメッセージを開くと、『参加希望者はカフェに集合!』とのことで、反射的に『誰が行くか』と思うものの、思った次の瞬間にはやっぱり興味がわいてしまう。
「おーおー、相変わらず石田君ですかあ。君も色気がありませんなあ」
肩に両手をついて伸びあがり、けっきょく覗き見したサオリがおどけた口調で言った。
「フン、うるせー。その内学園のマドンナを彼女にしてダブルデートしようぜ?」
こちらもせいぜいかっこつけて強がってみせるが、
「ほおほお、学園のマドンナとは大きく出たね? ところで学園のマドンナって、誰よ?」
と、てんで本気にされず余裕で笑われてしまった。美男美女カップルとしてちょっとした有名人の「それってわたしじゃないの?」という自慢とも取れる。ヒロは口の端を「〜〜」にして睨んでやった。サオリはかわいらしく「ニッ」と笑った。
トモキがテキスト類を鞄に詰めて立ち上がった。
「サオリちゃん、ごめん、僕も先生のところに行くから」
「ふううーーーん」
サオリはつまらなそうに口をとがらせ頬を膨らませたが、
「了解。せいぜい今からゴマすってきなさい」
と笑って許可した。彼女の物わかりの良さにヒロの方が呆れて言ってやった。
「おい、トモキ君。水神先生の研究の手伝い、ずうっと続けるつもりなのか?」
「うん……」
トモキはトレードマークみたいな困った笑いを浮かべて指先で頬を掻いた。
「データの分類、任されちゃってるから。先生の手伝い、できるの嬉しいんだ」
はにかんだ天然王子様のスマイルを浮かべる。これをされたら呆れて頭を振るしかない。
「はいはい、行ってらっしゃいませ、ノブレス・オブリッジ様。せいぜい社会のお役に立ってくださいませ」
よせよ、と笑いながら、じゃ、とサオリに手を振ってトモキは講堂を出ていった。ヒロは見送り、にこやかに手を振るサオリを見上げ、言った。
「浮気、心配しないの?」
ムッ、と睨まれた。
「トモはそんなことしないもーん。心配なんかしないわよ」
「あーあ、こりゃ浮気しほうだいだな」
「トモを君みたいなエロに飢えた男子といっしょにしないでくれたまえ!」
もちろんふざけているんだろうが、へこむ。
「ま、相手が水神先生なら心配もいらねえか」
「そうそう」
ヒロはそう言ったものの、カノジョのサオリが当たり前の顔でうなずくものの、
『本当にそうかなあ?』
と思う。
水神 由布子(みずかみ ゆうこ)先生は、とても綺麗な人だ。
水神先生だから、
トモキみたいな真面目な男はとりこになって、危ない関係に陥りやすいんじゃないだろうか……。
「肝試しのお誘いとな? まーたまた、怪しい物好きの石田君が、ろくなこと考えてませんなー。で?行くの?」
覗き見のサオリの目から携帯を隠し、ポケットにしまうと、
「トモキ君も行っちゃったしな、しょーがねー」
と、歩き出した。
「君はトモがいなくなると言葉づかいがぞんざいになるなー」
と、サオリが後からついてきた。
「来るの?」
「トモも行っちゃったしね、しょうがねー」
「はいはい、王子様の留守中、馬引きの従者がお姫様のお相手を仰せつかりますですよ」
ふざけた口調で言いながら、廊下に出て横に並んで歩くサオリに、石田が何を企んでいるのかは知らないけれど、危なくないところなら、サオリといっしょに参加してもいいかな……と思った。
「よお、こっち。おっ、サオリ嬢もご一緒ですか? けっこうけっこう。片割れの王子様は?」
「用があって来ないよ」
「おっ、それはますますけっこうけっこう」
ムフフと笑う石田にサオリはアッカンベーとやって、隣のテーブルにヒロと隣り合ってついた。テーブルは2対2で椅子があって、石田たちのテーブルは4つとも埋まっている。男女22で、皆メディア科の連中だがだいたい顔見知りだ。カフェはセルフ式で、石田たちはそれぞれ好みのコーヒーに、女の子たちはケーキを食べている。全面のガラスで外を見渡せる明るいカフェは学生たちの人気の憩いの場で、20ほどあるテーブルはいつもたいてい誰かお客がいて、今も講義が終わって、または次の講義を待って、半分くらい学生たちがついている。
「おまえたちもなんか買ってこいよ?」
石田が自分のプラスチックのホルダーに入った紙コップのコーヒーを掲げて見せ、ヒロは隣のサオリの表情を見て、
「長居をするかどうかはおまえの話次第だな。何する気だよ?」
と、話を促した。
石田は、
名前を「ヒサシ」という。「寿司」と書く。
ちなみにヒロは長谷川「ヒロヨシ」といい、「大吉」と書く。
「寿司」「大吉」と、どういうつもりでこの名前を付けたのか是非親を問いただしてやりたい愉快な名前だが、これがすなわちヒロと石田が同郷の出身であると同時の「ちょっとした共通点」だ。石田は子どもの頃から「すし屋」があだ名だったそうだが、ヒロは「だいきち」や「おみくじ」や「ラッキー」だった。いっそだいきちならだいきちと読ませればあきらめもつくものを、なまじひろよしなんて普通誰も読んでくれない読み方をさせるから腹立たしく、親が恨めしい。
石田は寿司屋の職人的きまじめさのビシッと筋が通ったところはみじんもなく、どちらかというとファミリー向けの回転寿司的なフレンドリーさが全面に出たようなおどけた愉快なルックスの男だった。そういうヒロも特に自慢できるようなルックスはしていないが。いっしょにいれば、比べるべくもないのだが、完全にトモキの引き立て役だ。
「『旧・葉山台光済病院(きゅう・はやまだいこうさいびょういん)』って知ってるか?」
石田に訊かれてヒロは首を振った。サオリも同様。
石田は声のトーンを落として、二人を下から見上げるような目つきで続けた。
「廃業して廃墟になってる、本物の幽霊が出るって噂の地元じゃ有名な心霊スポットだよ」
「偽物の幽霊が出たんじゃ噂にもならないだろう?」
ヒロの茶々に石田は乗ってこないで続けた。
「上の階の窓に女の幽霊がいるのを何十人にも目撃されている。そればかりじゃない、肝試しに侵入した馬鹿者が中で行方不明になってけっきょくそのままいなくなってしまった例がいくつも報告されている」
「おお、怖ええなあ。まさかそんな『本物』の心霊スポットに肝試しに出かけようなんて企んでるんじゃないだろうな?」
石田はうつむかせていた顔を上げて、ニッと面白い顔で笑った。
「そんなまさかを企てているのさ。研究調査のフィールドワークだよ」
「『赤いドア』の次は幽霊廃病院か? いったいなんの研究テーマだ?」
「おう、それだよ、『赤いドア』。サオリちゃん、やっぱ知らない?」
「知らないわよ」
「そうだなあ。でもさ、地元出身の奴はみんな知ってんだよ。なあ?」
石田が自分のテーブルの仲間に振ると、石田の向かいに並んだ男女がうなずいた。彼らが地元の学生だろう。
「な? このネットの普及した情報社会に、地元でだけメジャーに流通した都市伝説ってのも変じゃないか?」
「ううーーん…。変…なのかなあ?」
「変、だと思うぜ?何しろこっちは専門家だからな」
石田はえっへん!とえばって言うが、たかが大学2年生で専門家とはおこがましい。しかし、そういう事例をいくつも調べてのことなのだろうから頭から馬鹿にもできない。
「でもさ、『赤いドアが現れて人を別の世界に連れていく』なんて、ファンタジーな話じゃないか? 都市伝説としてどうだ?イマイチ怪奇なインパクトに欠けるんじゃないか?」
「その通り! 俺もさ、いかにも創作臭く感じたわけだよ。ところがさ、地元じゃよく知られていて、子どもなんかけっこう信じてるわけだよ」
地元の元子どもである二人が苦笑した。石田が力説を続ける。
「これはどういうわけだ? すなわち!、それに類する『事実』が、起こっているってことじゃないか? 実際な、この葉山市とその近郊市町村は、年間の失踪者が全国の平均、関東首都圏の平均、県の平均から見てもずば抜けて多いのだよ!」
石田の力説にヒロは思わずサオリと顔を見合わせ、
「そうなんだ?」
と訊いた。
「そおーなんだよおー」
石田はふんぞり返ってえばった。
「で? それがどうして廃病院の肝試しになるんだよ?」
ヒロの問いに石田は専門に勉強している学生らしく今度はまじめな顔で理屈を言った。
「こっちも入ると行方不明になるって噂があって、で、実際にここに入った人間が行方不明になったっていうんで警察に通報して、警察官が何人も入って全館を調査したっていう事件があったんだ。でも結局行方不明になったっていう人間は見つからないで、結局そのまま失踪者リスト入り。その後見つかったって話はないみたいだな。
この『旧葉山台光済病院』はマニアの間では『本物の心霊スポット』として全国的にメジャーなんだよ。ある心霊オカルト番組でテレビの撮影隊が取材に来たんだけれど、同行の霊能師がここはあまりに危険すぎるからって撮影を中止させた、なんて噂もあってな。
同じ『入ると人がいなくなる』話で、なんで一方がメジャーで、一方がマイナーなのか? メディアを社会学として勉学する学生としては是非とも研究したいテーマではないかね?」
最後はまたお茶らけて得意になったが、ヒロは石田の話にひどく不穏な物を感じた。
「危険すぎるんじゃないか? それってさあ、怪談話を利用した、むしろ『事件』なんじゃないか?」
ん?と首を傾げるサオリに気づいてヒロは補足した。
「つまりさ、そういう怪しげな話でカモフラージュした拉致事件とか、遺体をどこかに隠して『廃病院でいなくなった』っていなくなったことそのものを怪しませる殺人事件とかさ」
「怖いなあ〜」
と、サオリは眉をひそめた。石田がむしろ我が意を得たりといったように身を乗り出してきた。
「可能性は高いよな? だからさ、実際の検証が必要なんじゃないか? 幽霊話が本当なのかどうか?まずはそれを確認しなくちゃ」
「とかなんとか言って」
ヒロは胡散臭そうに石田を睨んだ。
「面白がってはしゃいでるだけなんじゃないか?」
「そんなことねえよ」
と言いながら顔がニヤニヤ不真面目に笑っている。
「幽霊が本当だったら、おまえもろに祟られるぞ?」
「いや、それはだいじょうぶ!」
石田は妙に自信満々に断言した。
「この夏休みにあちこちさんざん『本物の心霊スポット』巡りしてきたから。帰ってきてから霊感のある奴に視てもらったけど、危ない霊は憑いてないってさ。どうやら俺は脳天気すぎて霊もアホらしくてスルーするみたいだな」
「自分で言ってりゃ世話ねえな」
石田ははっはっはっはっ、と大威張りで笑った。ヒロは他のメンバーに訊いた。
「こいつといっしょに『心霊スポット巡り』したの?」
三人は顔を見合わせ、
「ま、いっしょに行ったり行かなかったり。夏休みだってえのにこんなうるせえ奴とわざわざツルむのも、なあ?」
と、代表の男子の言葉にうなずきつつ、石田の隣の彼女、秋山鈴音(すずね)だけやや頬を染めて思わず口の端に浮かぶ笑みを抑えるようにした。鈴音はちょっぴりボーイッシュでかわいい女の子なのに石田なんかのカノジョをやっていて、夏休み心霊スポットなんかで二人で何してたんだか。
ヒロは彼らの脳天気さに呆れつつ、まじめな顔で心配した。
「本当にその病院に肝試しに行く気か?」
「検証だよ、検証。真面目な研究行為さ。ダイちゃん、今日はバイトないんだろ? 明日も土曜で暇なんだしさー、今夜、ちょっと付き合えよお〜? 『吊り橋効果』って知ってるか? サオリちゃんも是非どおーお?」
「わたしは絶対パス!」
「あらら。ダイちゃんは付き合えよなあ? 楽しいぞお?」
「行くか! 俺は小学校の時、ガンで入院していたおじさんのドッペルゲンガーに家で会ったことがあるんだよ!」
「へええーー! それは初耳だな。詳しく話してみたまえ」
「おまえらみたいな幽霊を幽霊とも思わん罰当たりどもには聞かせてやらん! なあ、マジでさあ、やめておけよ? ろくなことにならないぞ?」
「大丈夫だってえ」
石田はニヤニヤふざけた笑いを変えないで言った。
「俺ら全員、霊感ゼロだから。幽霊なんて居ても分からねえよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます