ノコリモノ・マインド

 灰色の雲が日の暮れかかったオレンジ色の空に浮かんでいる。遊具や砂場の周りでは子供たちがはしゃぎまわっており、母親たちは少し離れた場所に立ってお喋りをしながらも、目だけは見守るようにして彼らの方へ向けられている。


 亜紗美は高台にある公園の柵に身体をあずけ、遠くに乱立する都会のビル群を眺めながら、昨夜の出来事を思い返していた。


 強烈な光が炸裂した時、これが死か、と何とも言えない諦観ていかんにも似た感覚に亜紗美は包まれた。ところが、聞き覚えのある声が頭に響いて、途端に亜紗美が浸っていた神聖な気分は霧散してしまった。それは岸本のバカ丁寧な声だった。


 岸本に抱き起こされた亜紗美は、なかなか目を開けることができなかった。目のまぶしさが治まった後で亜紗美が最初に見た光景は、武装した数名の男たちに取り押さえられたミチコと、その後ろを担架に載せられてどこかへ運ばれていく遠野の姿だった。


 岸本の説明によれば、現場にいた男たちは宇和ヶ亀うわがめ家のプライベート・アーミーで、炸裂したのは閃光弾ということだった。


 昨日、岸本たちは朝一でケメ子のマンションに向かい、部屋の床に転がっていたお嬢様を確保したのだという。すぐさまケメ子を宇和ヶ亀グループが経営する病院に搬送した後、総力を尽くして原因の究明にあたり、相原道子という人物にまで辿り着いたのだそうだ。


 亜紗美がなぜもっと早く助けに来てくれなかったのか? と岸本をなじると、「大変申し訳ございませんでした。これがわたくしどもの最善を尽くさせて頂いた結果でございます」と返されてしまった。


 今日の昼間、岸本から亜紗美に電話があって、遠野はかろうじて一命をとりとめたらしいということだった。別にそんな連絡はいらないと言って、亜紗美は電話を切った。


 相原道子。娘の、というよりは、自分の復讐にとり憑かれた女。と亜紗美は思いをせる。道子は宇和ヶ亀家のプライベート・アーミーに処刑されることなく、彼らの手によって警察へと連行された。ケメ子が死んでいたら話は違ってきたかもしれないな、と亜紗美は思った。


 道子は罪をつぐなわなければならない。当然だ。熊橋くまはしたけるはやし義久よしひさ、それから六堂りくどう知恵ちえと三人も殺したのだ。たとえ彼女の娘が彼らのいじめが原因で自殺をしたのであっても、直接的に彼らに殺されたわけではないのだ。死を選んだのは相原瑠璃、その人自身なのだから。


 亜紗美は「あなたにはわからないだろう」と言った道子の気持ちを考えてみた。娘を亡くした母親の気持ちを。大事な人を亡くすという感覚を。


 彼氏を亡くすのとは違うし、両親を亡くすというのもまたそれとは違う気がする。似たような悲しみを想像することはできても、亜紗美には人を殺してしまう心理までは理解できない。


 亜紗美にだって人を殺してやりたいと思った経験は何度かある。たしかにそれは道子のように、怒りやうらみの感情からだったかもしれない。でも、と亜紗美は思う。殺してやりたいと思うことと実際に殺してしまうこととの間には、おそらく計り知れないほどのへだたりがあるに違いないのだ。この公園から空の彼方かなた、いや、宇宙の果てまでくらいの隔たりが。


 ただ、思うことと行動に移すこととの境界線は、紙一重なのではないだろうかと亜紗美は考える。ちょうどカードの裏と表のように、ちょっとした力が働けば簡単にひっくり返ってしまう、そんな危うさを秘めた構造のようにも思える。


 子供たちがそれぞれの母親に手を引かれて、公園の敷地から出て行こうとしていた。公園内の街灯にも明かりがともり始めた。最後の子供が公園を出たのを合図に、ケメ子のお見舞いにでも行ってやるか、と亜紗美は身体を起こした。


 公園から延びる駅へと続く階段を駆け下りながら、持つべきものは本当に友だろうか? と同窓会で再会した旧友たちの顔を思い浮かべながら、亜紗美は自分の心に自問してみる。空では残りのオレンジ色が、音も無く紺色に塗り替えられつつあった。




                               完

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ドウキュウセイ 混沌加速装置 @Chaos-Accelerator

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