その結婚は、法律違反?

 濃紺のスーツ姿の男性が、背筋を伸ばして私を待っていました。

「すみません。お忙しいところ」

 男性は何度も後ろを振り返りました。

「あの。ここではナンですので……」

「あ、ああ。申し訳ありません」

 私の言葉に、男性はニコリと笑いました。

「こちらでは、15分を超えるご相談でないと、別室へのご案内はできないんです。ただし、有料です。30分で……」

「あーっ、じゃ、こちらで構いません!」

 男性は、大きな声で私の話を制しました。

 自分でも声の大きさに驚いたのか、再び、周囲を見回しました。

「私じゃなくて、父のことで、ご相談したいのですが」

 男性は背中を丸めると、私にささやきました。

 当時、相談センターには、男性から離れた窓口で、フィリピン人女性が、大きな声でフィリピン人スタッフのユミさんと話していました。

「お父様、ですか?」

 私は、声を潜め、男性に顔を近づけました。男性が慌てて、背筋を伸ばしました。

「ちっ……父が、フィリピン人女性と、結婚を考えてまして」

 男性は、顔を赤らめながら話し始めました。

「ご結婚に反対なんですか?」

「いっ、いえ!」

 男性は、大きく両手を振りました。

「母は、とうの昔に亡くなってますし、私も弟も結婚してますし。そろそろ、父を引き取ろうかと考えていた矢先、再婚したいと相手の方を紹介されたんです。私も、弟も、結婚には反対していないんです。相手の女性とは、父の英会話の先生だそうで、日本語が大変上手で……」

 話しているうちに、男性は少しずつ、落ち着きを戻してきたようでした。

「父が結婚の手続きを相談している業者から、高額な手続き料を請求されまして。そんなにお金がかかるものなのか、お聞きしたいと思いました」

 男性は、黒いカバンから小さな手帳を取り出しました。

「電話で父から聞いたのを聞き取っただけですけど、結婚には75万ぐらいかかると言われたそうです」

「75万円!」

 男性は、ゆっくりと頷きました。

「業者が、65歳以上でフィリピンへの渡航回数が3回を超えていない者は、フィリピン人と結婚出来ない、と言ったそうです。フィリピンの法律だそうです」

「え?」

「父は65歳以上ですし、フィリピンへは一度も行ったことありません。法律に反しているわけですよ」

「……そう、ですね。手続きって、そんなにかかるんですか?」

「業者の話では、一度もフィリピンへ行かずに結婚の手続きを終わらせるには最低でも50万はかかるそうです。父が3回以上フィリピンへ行ったことを証明する書類は、弁護士を通してフィリピン入国管理局に作ってもらうために、10万ぐらいお金がかかるみたいで」

 男性は、大きく息を吐きました。

「フィリピンの法律では、結婚できる年齢は18歳からです。上限はありません」

「え?」

 男性の目が大きく開きました。

「渡航回数の指定はありません。法律では、ですよ。フィリピンでビザを申請する場合は、渡航回数が審査基準になるかもしれませんが」

「ほ、本当ですか?」

 男性の手が震えたように見えました。

「フィリピン大使館で婚姻要件具備証明書を取得すれば、市役所や区役所で婚姻届を出せますよ。その後に、フィリピン大使館へ行って結婚の報告をすれば、フィリピンへ行かなくても、フィリピンで婚姻登録できますよ」

「本当ですか?その話、本当ですか?」

 男性は慌てて手帳を開き、忙しくペンを動かしながら、大使館、と書きしました。

「詳しくは、大使館に確認してください。手数料はかかると思いますが、75万円にはならないと思いますよ」

 男性はカバンに手帳を放り込むと、私に深々と頭を下げました。

「父に話します!」

 

 男性の後姿を見ながら、上司のガンさんが言いました。

「許せないね」

「幸せになろうとする人を騙す業者がですか?」

「違うよ!」

 ガンさんの目は笑ってました。

「無料相談の時間で帰っていった、あの人のことだよ!」

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