二度死んだ女

「2カ月ほど前に、フィリピン人の妻が亡くなりました。フィリピン大使館へ行って、死亡の届けをしてくださいって市役所の言われたので、先月、北海道から東京の大使館へ行ったんですが……大使館の人に、受付できないと言われたんです」

 日本人男性は、そう言うと私とフィリピン人スタッフのユミさんの前に、奥様の死亡届(日本の市役所に提出したもの)と、フィリピンの死亡証明書を出しました。

 出生証明書を見た私とユミさんは、思わず、顔を見合わせました。


 あれ?

 同じ名前で、同じ生年月日なのに、日本の死亡届に記載されている死亡日と、フィリピンの死亡証明書の死亡日が違う……。

 よく見ると、フィリピンの死亡証明書には東京で一年前に亡くなっていることになっています。

 サスペンス?それとも、ミステリー?(@_@;)


 男性は伏し目がちに話しました。

「恥ずかしい話ですが……、妻が妹の名前を名乗っていたこと、私、知らなかったんです。それを知ったのは、大使館へ行った時でして」

 ユミさんは、黄色と緑色がほどよく混ざったフィリピンの死亡証明書をじっと見つめていました。

「大使館の人に言われて、妻の名前と生年月日で、出生証明書と死亡証明書をフィリピンの統計局というところから取り寄せました。そしたら、フィリピンでは、妻は、去年、亡くなっているんです」

 男性は、ユミさんから戻された死亡証明書に目を落としました。

「どうやったら、妻が亡くなったことをフィリピン大使館に認めてもらえるのか……」

 私が男性になんと言おうかと考えていたら、隣にいたユミさんが男性に質問しました。

「奥様から、何も聞いてなかったんですか?」

 男性は、大きく息を吐きました。

「妻とは、30年ぐらい一緒に暮らしてました。日本で知り合い、日本で結婚しました。妻は結婚を機に、金の無心ばかりする家族と縁を切ったと言いました。私と結婚してから妻は、一度もフィリピンへは帰ってません」

 ユミさんは、男性をじっと見ていました。

「妻は家族のことを一切話してくれませんでした。私は、日本に妻の妹がいることすら知りませんでした。昨年、妻に病気が見つかった時、フィリピンへ帰るかと聞いたんです。妻は、帰らないと言っていましたが、病院の看護婦さんには、フィリピンへ帰りたいと話していたようです」

 男性は、軽く目頭を押さえました。

「奥様の本当のお名前は、わかったんですか?」

 私は恐る恐る男性に話しかけました。

「わかりません。妻はずっと、マリアフェと名乗ってました。私はマリと呼んでました。妻は結婚と同時に、フィリピン人の友達とも連絡を取らなくなりました。妻は結婚してからずっと、フィリピン人の友達はいません。まあ、私の知ってる範囲では、ですけど」

 男性は、カバンから奥様のパスポートを取り出しました。奥様の顔写真のページを開くと、しばらくそのページを眺めてました。

「私、知ってますよ」

 ユミさんの言葉に、男性は慌ててパスポートから目を離し、ユミさんを見ました。

 私もユミさんを見ました。

「奥様の本当の名前は、コラソン。マリアフェは私のおば。つまり、私は、奥様の姪です」

 ユミさんは、男性をまっすぐに見ていました。

「フェおばさん、ずっと独身で、子どもがいなかったから、近くに住んでた私によく、自分が亡くなったら、アテコラソン(コラソンお姉さん)には必ず知らせて、と言ってました。まさか、こんなに早く亡くなるなんて思ってなかったから、私、コラソンおばさんの住所とか連絡先とか、詳しいこと、何も聞いてなかったんです。フェおばさんが交通事故で去年亡くなってしばらくしてから、私、大使館に行って、フェおばさんの姉のコラソンさんを探してもらえないかって、相談したんです。大使館の人、いろいろと調べてくれたんですけど、ティタコラソン(コラソンおばさん)も、ティタコラソンを知っている人も見つからなくて……」

 男性はユミさんを見ることができず、奥様のパスポートを抱きしめて泣いていました。


「まずは、奥様の本当のお名前でフィリピンから出生証明書を取得してください。それを持って北海道の市役所か弁護士に、戸籍謄本や死亡届に記載されているお名前が変更できるかを相談してください。おそらく、裁判所での手続きが必要になると思いますが。それが終わってからでないと、大使館は、奥様が亡くなったことを認めてくれないと思いますよ」

 淡々と説明するユミさんを、私は、少しドキドキしながら見てました。

 ユミさんの説明がおわると、男性は、鼻声で言いました。

「私が、それをしないと、どうなりますか?」

 ユミさんは、ゆっくりと呼吸しながら、顔を上下に動かしました。

「奥様は永遠に生き続けます。フィリピンでは」

 男性は、涙をぬぐうことなく、ユミさんを見ました。

「記録の上、ですけど、ね」

 ユミさんは、口元だけ、笑いました。

「妻には、記録じゃなくて、ずっと生きていてほしかった。私のそばで、ずっと……」

 窓口を去った男性は、1時間ほど前より小さくなってました。

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