粗忽なガヤ
フィリピン人女性との結婚を考えている日本人男性。小柄で痩せた体より、分け目の見えない山盛りの頭髪の方が目立ってました。
書類を翻訳してほしいと、男性より身長も横幅の大きなフィリピン人女性を連れて、相談センターに来られました。
「オレのは、英語に。んで、コイツのは、日本語にしてほしいんだよ」
男性は父親筆頭の戸籍謄本を、そして、女性は自身の出生証明書と独身証明書を窓口に提出しました。
「戸籍謄本は……これだけ、ですか?」
私は、男性の戸籍謄本に目を落としました。
「そうだよ。オレ、結婚が初めてだからさ、親が筆頭の戸籍謄本持って行けって、先生に言われたんだ」
男性は、目尻を下げて笑いました。
「あ、あのう……これだけでは……」
「なんで、これじゃダメなんだよ!」
日本人男性の声に、室内から話し声が消えました。
「お前、オレがじじいだからって、疑ってるだろ? オレは、今まで結婚したことないんだぞっ!」
男性の後ろから、婚約者のフィリピン人女性のしゃがれた声が追いかけてきました声
「オトーサン、声、大きいよ」
私は、フィリピン人女性に軽く頭を下げました。
「この戸籍謄本には、トミオさん(仮名)が除籍されているんです」
男性は、目を大きく見開いて私を見ました。
婚姻や養子縁組などにより、他人の戸籍に入ったり、新たな戸籍を作った場合、今まで属していた戸籍から名前が消される、つまり、籍が抜かれます。これが、除籍です。死去のときも除籍されます。
自身が除籍された戸籍謄本と一緒に自身が筆頭の戸籍謄本を提出し、翻訳の依頼をされる方が多くいらっしゃいます。
男性、つまり、トミオさんが、お父様筆頭の戸籍謄本だけではなく、ご自身筆頭の戸籍謄本を提出されるものだと思い、私はトミオさんに書類の確認をしたのです。
ところが、トミオさんは、自分は初婚だと主張されました。
自分の質問がトミオさんに理解されなかったと判断した私は、質問を変えました。
「除籍された理由はなんですか?」
「そりゃ、死んだからに決まってるだろ!」
(ノ゜O゜)ノ!?
私は、窓口に提出されたトミオさん名義の運転免許証と、目の前にいる男性を見ました。
同じ人でした。
「あなたは、誰ですか?」
「トミオだよ」
トミオさんは、口をとがらせました。
死んだはずだよ、おトミさん!(ノ゜O゜)ノ
このシャレがわかる方は、かなり昭和が理解できる方です(笑)
「トミオさんは、亡くなったんじゃないんですか?」
私の質問に、トミオさんは吹き出しました。
「話のわからねぇ人だなあ」
私は、トミオさんに気づかれないよう、大きく深呼吸しました。
「だぁからぁ、死んだのはぁ〜、コイツだよ~」
トミオさんは、戸籍謄本をポンポンと指差しました。
指先には、トミオさんの名前がありました。
「トミオさんが除籍されたのは、トミオさんが亡くなったからですよね?」
「だから、そう言ってんじゃねーかっ! 何度も言わせんなよ、このバカがっ」
「あなたは、一体、誰なんですかっ!」
「だから、オレは」
「トミオさんは死んでるんですよ」
次の言葉を言いかけたトミオさん。
「!?」
言葉にならない声を発すると、その場で頭を抱えてしまいました。
落語に「そこつ長屋」という話があります。身元不明の死体を見たおっちょこちょいの八(はち)が「友達の熊だ!」と、死体とよく似た友人、熊を連れて戻りました。そして、熊に身元確認をさせたのです。
「お前はバカだから、自分が死んだこともわからない。どうだい?これで、自分が死んだことが、わかったろ?」
熊は、死体が自分であることを認めると、ポロポロと涙をこぼしました。そして、こう言いました。
「死んでいるのは、確かに俺だが、それを見ている俺は誰だろう?」
「トミオさんを除籍にしたのは、誰なんですか?トミオさん自身で死亡の届を出して、除籍したということですか?」
私の質問に答えることなく、トミオさんは、頭を抱えたまま、動かなくなりました。
無言で私から戸籍謄本を奪い取ると、トミオさんは窓口を離れました。
フィリピン人スタッフが大きな声で、トミオさんを追いかけたフィリピン人女性を呼び止めました。女性が振り返ると、スタッフは女性にタガログ語で言いました。
「あなたが出した書類は偽造書類でした。大使館や日本の役所に提出しないでください」
「はぁっ!?」
女性は鬼の形相で、フィリピン人スタッフを睨みつけました。
窓口に戻られたトミオさんから、状況を説明してほしいと頼まれました。
「フィリピン外務省が認証したと思われる書類は、何者かが書類の内容を書き換えた疑いがあります。それから、フィリピン外務省が書類を綴じた時に使った留め金が壊されてました。この2点から、この書類は偽造されていると……」
私が二時間ドラマの名探偵になりきり、フィリピン人スタッフの言葉を、フィリピン人女性の隣に座っているトミオさんに説明してました。
トミオさんは、目を大きく動かしました。
「その金色、取ったの、オレだ」
はぁっ? (ノ゜O゜)ノ
「だって、大使館に出す前にコピー取っておけって、先生に言われたんだよっ! 金色のヤツ取らないとコピーできねーじゃねーかっ! 他にどんな方法があったって言うんだよっ!」
トミオさんは、カウンターを力一杯叩きました。女性が、トミオさんをチラッと見ました。
「そーだよー。彼がコピーした。ワタシじゃない!」
女性は日本語でそう言うと、私に鼻息を吹きかけました。
「留め金を壊さずに、こうやって、一枚ずつ、めくってコピーすればいいんですよっ!」
私は、偽物と判断された書類を一枚ずつめくり、コピーを取る仕草をしました。
「この部分を見てください。英語ですけど『この認証に破損、印字の消去が認められた場合は、認証は無効となる』と、記載されているんです。認証の内容が書き換えられたり、留め金が外された時点で認証は無効となるんです。あなたの出生証明書が本物だとしても、認証が無効だと、書類は偽物じゃないかと、疑われるんです」
2人とも、石のようになりました。
「この書類、先生が取ったんだよ」
疲れた表情で女性がトミオさんに言いました。トミオさんは、女性を見ようとしません。
「先生って、弁護士のことですか?」
私の言葉に、女性は大きなため息をつきました。
「イミグレーションロイヤー。日本語で何て言うのか、わかんない」
「そうですか。このフィリピン外務省の認証、誰かが文章を書き換えています。先生に、そのことを伝えてください」
「わ、わかった。書くもの、ちょうだい」
女性は、小刻みに震えながら返事しました。
トミオさんは、黙ったままでした。
私は、女性にペンを渡しました。
ペンを持つ手が震えていました。
「あぁっ!英語忘れちゃったよっ!」
女性はペンを放り投げました。
女性は最後まで数万円払って取得した書類が偽造だったことを受け入れられないまま、トミオさんは最後まで自分の生死がわからないまま、相談センターをあとにしました。
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