何が何でもオリンピック!

「フィリピン人に、なりたいんだけど」

 私の前には、窓口のカウンターに肘をついた人物がいます。

 自称、35歳の日本人男性。フィリピンへは一度も行ったことがなく、フィリピン人の友人も、奥様もいません。

「フィリピン人の奥様がいらっしゃるとか、フィリピンに長年住んでいらっしゃるということでないと、帰化は難しいかと思いますが……」

 理由も告げずにフィリピン人になりたいと相談に来られた男性に、言葉を選びながら答えました。

「キカ?」

 男性は、人差し指を左右に動かしました。

「あのね、フィリピン国籍を取りたいの」

「あの……。フィリピン国籍を取るというのは、帰化と」

 私の話が終わらないうちに、男性は軽くカウンターを叩きました。

「じゃあ、なんで、あのお笑い芸人は、カンボジア国籍取れたんだよっ!」

 カンボジア国籍を取得し、同国代表のマラソン選手としてオリンピックに出場したお笑い芸人さんを引き合いに出しました。

「わかる? アスリートにとって、オリンピックは大事なの。国を変えてでも、オリンピックに出たいもんなんだよ!」

 目の前にいる男性は、鏡餅のような体。お腹の出っ張りが厚着をしていても目立っていました。

「あの~。競技……、何の種目で、オリンピックに出場されるご予定ですか?」

 熱くオリンピックを語る男性に、恐る恐る、競技種目を尋ねました。

「ジャンプ」

「え? ジャンプ-……? ああ、高跳びですか」

「ジャンプだよ。ジャンプ。スキージャンプ、だよ」

「スキー?」

 私は目玉を上下に動かして、男性の体のラインを見ました。

「フィリピンは南国ですから、スキーはやってないと思いますけど……」

 男性は再び、人差し指を左右に動かしました。

「わかってないなー。日本のジャンプのレベルは高いんだよ。だから、日本で代表になれなくても、競技人口が少ない国に行けば、代表になれるんだよ」

 男性は、鼻を上に向けるように天井を見ました。

「フィリピンは南国です。雪が降りません。スキー場がありません」

「え?」

 ひょっとこのような顔で、男性は私を見ました。

「そうなの?」

「はい」

「じゃあ、おすすめの国、教えて」

 どうして、そうなるの?

 ここは、回らない寿司屋じゃない!

「ヨーロッパの国とか、アメリカとか……」

 雪の降る国を考えながら答えていると、男性が大げさにため息をつきました。

「あ~あ。二重国籍取れるって聞いたから、フィリピン人になろうって決めたのに」

「あ、あのう」

 帰ろうとした男性を引き留めました。

「日本人は、二重国籍が認められていないので、仮にフィリピン国籍を取得できたとしても、永久に日本とフィリピンの両方の国籍を持つことはできませんよ」

「なんで? フィリピンでは二重国籍、オッケーなんでしょ?」

「それは、フィリピン人が二重国籍が認められている国籍、例えばブラジル国籍を取得した場合です」

「言ってる意味がわかんないんですけど」

「フィリピン人が、二重国籍を認められていない日本国籍を取得した場合は、両方の国籍を持つことは認められないんです。日本国籍を取得してから決められた期限内に、どちらか一方の国籍を選ぶことになってます」

 男性が頭をかきました。

「カンボジア国籍を取ったお笑い芸人さんは、日本国籍を放棄しています。なので、元日本人のカンボジア人です。オリンピック選手を引退されても、カンボジア人として生きていくって、お話されていたのを、雑誌で読んだことがあります」

「……」

「国籍を変えてまでオリンピック選手になるっていうのは、そういうことだと思います」

 男性は、頬を餅のように膨らませると、何も言わずに、相談センターを出ていきました。

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