第10話 失恋―美玖莉
用意した本をしっかりと鞄にいれて、私はいつも通り学校に来た。また図書館まで取りにりに来てもらうのは少し申し訳ないから私から届けに行こうかとも思ったけど、あんまり前のめりになって持っていくのも迷惑かなと思って、取りに来てくれるのを待つことにした。
休み時間とかにもしかしてきてくれるかなと思ったけど、篠田君が来ることはなくて、もしかして忘れてるのかなとも思った。
「美玖~、もうすぐテストだね。」
「そうだね。」
テストの時期になると、部活もお休みになっちゃうし、杏奈ちゃんは少し元気がなさそうだ。でも私は杏奈ちゃんと一緒に勉強する時間が結構好きで、テスト期間は嫌いじゃないなんて言ったら変な子だって思われちゃうだろうか。
本当の気持ちは胸に隠したまま返事をすると、杏奈ちゃんはいつも通りテストが憂鬱って話をしていた。
「頼りにしてるからねっ!」
「う~ん、頼りになるか分かんないよ。」
「してるの!
美玖が倒れたら私も倒れると思って!」
あまりにも必死になって杏奈ちゃんが言うもんだから、私は思わず笑ってしまった。杏奈ちゃんはそんな私を見て「笑わないでよ~」と言っていたけど、自分だって楽しそうに笑っていた。
杏奈ちゃんと楽しくお話をしていると、入口の方から松浦君に呼ばれた。杏奈ちゃん以外の人に呼ばれるなんてめったにないから、驚いてそちらを向くと、スッときれいな姿勢で立っている篠田君がいた。
あっ、来てくれたんだ。
忘れてなかったってことが少しうれしくなった私が反射的にペコリと礼をすると、篠田君はサラッと片手をあげてそれにこたえてくれた。
私は急いで鞄から今度は丁寧に包んだ本を取り出して、篠田君の方に急いで向かった。
「ごめんね、来てもらって。」
私が強引に貸すようなものなのに、毎回来てもらって申し訳ない。そう思って謝ったのに、篠田君は「貸してもらうんだから当たり前」と言ってくれた。
やっぱりとても柔らかくて、丁寧な人だなって思った。
「あの、
私が勝手に選んじゃったけど大丈夫かな。」
あの作者さんの作品ってことだけで、どの本を貸すかって話をしないまま別れてしまったから、もしかして好みの作品じゃないかもしれない。選びながらそれを心配していた私だったけど、篠田君は相変わらずクールに「もちろん」って言ってくれた。
「むしろ何も分からないから
選んでもらえてありがたい。」
篠田君はいつも、私の申し訳ない気持ちとか遠慮とかを感じない様にしてくれる人だ。友達との本の貸し借りの楽しさに気が付き始めた私だったけど、どこかで私が無理やり貸してるんじゃないかって思ってる気持ちがあった。
でも選んでもらえてありがたいなんて言ってもらえたら、まだ感想も聞いてないのに貸してよかったって思ってる自分がいた。
すごい、いい人だ。
"男の子"って今までひとくくりにして、乱暴だって決めつけていた自分が恥ずかしくなった。私は恥ずかしさとか嬉しさで感情がよく分からないことになって、やっとの想いで「そっか」とだけ答えた。
「じゃ、行くわ。
ありがとね。」
篠田君はそのまま、とてもクールに去って行った。
あの本は私が一番好きな本だけど、篠田君も気に入ってくれるだろうか。
気に入ってくれればうれしいけど、もし全く別の意見を聞けたならそれはそれで楽しいかも。
想像したらすごく楽しくなってきて、私はルンルン気分のまま席に戻った。
「あれ、天音の友達の…。」
「あ、うん。篠田君。」
「あーーーー!アキだ、アキ。」
杏奈ちゃんは篠田君と1度話したくらいらしいのに、篠田君を下の名前で呼び捨てにして言った。もしかしたら天音ちゃんがそう呼ぶからなのかもしれないけど、だとしても私は下の名前なんかで呼べない。
可愛いだけじゃなくて明るくてコミュニケーション能力もある天音ちゃんが、一気にうらやましくなった。
「何してたの?」
「本を、貸してて…。」
そう言うと、天音ちゃんはちょっとニヤッとして「へぇ」と言った。
「な、なに…?」
「ん?珍しいなと思って。
美玖が男子と話してるの。」
確かに、私は必要がなければめったに男の子とは会話をしない。何を話していいか分からないってのは一番大きな理由だったし、特別話す理由だってなかったから必要と思ってこなかったけど、篠田君とは普通に会話をすることが出来る。
でもだからと言って、篠田君とは友達になれたかどうかさえ自分ではよくわからない。
一人でぐるぐるといろんなことを考えていると、杏奈ちゃんはそんな私を見て「ごめんごめん」と言った。
「別に深い意味はないんだよ。
ただちょっと美玖楽しそうだったから。」
「うん。
貸した本、面白いってゆってくれて。」
「そっか。」
杏奈ちゃんは「よかったね」ってかわいい笑顔で言ってくれたあと、すぐに部活に向かってしまった。私はいつも通りその後すぐに図書館に向かって、新しい本のページを開いた。
☆
まだまだだと思ってたのに、あっという間にパーティーの日になってしまった。
あれ以来会えてないアレックスに会うってだけじゃなくて、今日はいつもフォローしてくれるアマンダがいない。
あの日のことを思い出すとまだ鮮明に彼の背中が頭の中に浮かんできて思考回路がパンクしてしまいそうになったから、私はそれ以上深く考えるのをやめて、会場に向かう事にした。
「ミーシャ様ですね。どうぞ。」
今年の会場は、とてもシックで優雅な洋館だった。本で読んだことがあるような見たこともないインテリアとか、キレイなドレスを着たプレイヤー、タキシードを着たプレイヤーたちがダンスをしたり食事を楽しんだりしていて、私なんて場違いにもほどがあるって思った。
考えないようにしていたはずだったけど、会場に入って無意識に私が探していたのは、やっぱりアレックスの姿だった。でも何回見渡しても姿が見えなかったから、まだ来てないんだってことにどこかホッとしている自分がいた。
一言目、なんて言ったらいいんだろう。
ミーシャになってる時はそんなことあんまり考えないのに、あの日の出来事はやっぱりすごく私の中で大きな出来事らしくて、アレックスになんて声をかけていいのか全く分からなかった。
巻き込んでごめん、優勝おめでとう…。
どれもなんだかしっくりこなくて、私はおいしそうな飲み物片手に一人で頭を抱えていた。
「あ、ミーシャさん。」
「リンさん!お久しぶりです!」
「活躍見てましたよ~!」
その時、昔何度かクエストに一緒に行ったことのあるプレイヤーに声をかけられた。二人で話していると次々と知り合いの人たちが集まってきてくれて、そのおかげで私はしばらくアレックスのことを忘れて話をすることが出来た。
「あ、そういえば、
あのセヴァルディ。
規約違反かなんかで追放になったらしいですよ。」
「そう、なんですね。」
みんな気を使ってかあまりあの人の話をしなかったけど、プレイヤーの一人がそう教えてくれた。あの日のことがなくなるわけではないけど、あの人がいないってだけでこれからも安心してプレイできそうだ。
―――アレックスに、会いに来れそうだ。
そう思ったらなんだかうれしくなって、私はそこからどこか浮かれた気持ちで話をつづけた。
そのまましばらく談笑していると、入口の方が少し騒がしくなり始めた。
聞いてないけど何かイベントでも始まるのかなと思いつつ騒いでいる方に目を向けてみると、そこにはたくさんの人に囲まれる、アレックスの姿が見えた。
会場入りしてすぐなんだろうけど、アレックスの周りにはたくさんの人が集まっていった。彼はいつもと違って、ビシッと決まった服を着ていた。それだけでなんだかすごいつもよりかっこよく見えて、ますます話をするのが恥ずかしくなった。
でもここで話さなければ一生話せなくなりそうだ。
そう思った私は何度もアレックスの方に向かって話をしようと思ったけど、アレックスの周りには常にたくさんの人が集まっていたせいで、近づくことすら出来なかった。
それに私にもたくさんの人が話しかけに来てくれて、一向に人の輪から抜け出せそうになかった。
このままじゃ、本当に話せないまま終わってしまう。
私がそんな心配をし始めた時、後ろから「ミーシャちゃん」と私を呼ぶ声がした。
「シュウ君!」
話慣れた人が来てくれたことに安心して、私は思わず大きい声でシュウ君を呼んだ。私が困っているって察してくれたのか、シュウ君は「こっち」って人ごみの中から私を呼び出してくれて、私は呼ばれたからって白々しい顔をしてシュウ君の方に向かった。
「ほんと、
俺の周りには人気者ばっかだな。」
「シュウ君もでしょ。」
やっと冗談が言える相手が来てくれて本当に良かったと思った。あのまま気を使い続けていたら倒れるほど疲れていたかもしれない。
私は会話の内容は何気ないはずなのに、いつもより大げさに笑いながら話をした。
「アイツ、追放になったらしいね。」
シュウ君はあえてなのか名前を出さなかったけど、誰の話なのかってのは明白だった。私は複雑な気持ちのまま「うん」と言って、うまく笑えていなかっただろうけどシュウ君に笑ってみせた。
「勝ちたかったね。」
「そう、だね。」
シュウ君の言う通り、どうせならあの人がいる間に勝ちたかった。
でもあの人が追放になってしまったなら、それももうかなわないんだなって思ったけど、私は思ったよりも悔しくなかった。
私はもともと、勝負とかそういうのがあんまり好きじゃない。自分が勝って嬉しい気持ちがあるのは確かにそうだけど、負けた人の顔なんて見てしまったら、もう自分が負けでいいって思うことだってある。
でも自分が負けた時にそれなりに"悔しい"って思う気持ちがあるのは確かで、そういう気持ちがあったから、たくさん努力してこのパーティーに参加も出来るようになった。
「でも、アレックスが勝ってくれたから。」
だからあの人に負けて悔しいってのは確かにそうなんだけど、私の悔しさは全部アレックスが果たしてくれたんだと思う。だから怖いとか悔しいとかそういう感情の前に、私の気持ちは割とすっきりしてしまっていることに、私は薄々気づいていた。
私がそう言うと、シュウ君はクスッと笑った。不思議そうにシュウ君の顔を見ると、シュウ君はにっこり笑って、「アイツのこと、大好きなんだね」と言った。
「もう…っ。」
私が照れてそう言うと、シュウ君は「ごめんごめん」って笑った顔のまま言った。全然ゴメンって思ってないじゃんと思いながら、私も同じように笑った。
「俺は応援してるよ。ミーシャのこと。」
しばらく二人でクスクス笑いあった後、シュウ君はとても優しい声でそう言った。
アマンダ以外にこんな話をしたことがない私は、少し恥ずかしい気持ちを抱えながらも、なんだかほっこりもしていた。
「ありがとう。」
私はそんなほっこりした気持ちのまま、シュウ君に言った。
恋バナって、悪くないのかもしれない。
恥ずかしいしもしかしたら引かれてしまうかもしれないけど、杏奈ちゃんや天音ちゃんにも話してみようかな。
今はマジックワールドにいるのに現実のことを考えていると、シュウ君が「あっ」と声を上げてどこかを見た。その目線の先には、ばれない様に静かに人ごみから抜けていくアレックスの姿が見えた。
「アイツ、逃げたな。」
「ね。」
私たちはまた、目を合わせて笑った。
私ですら疲れてるのに、もっとたくさんの人の対応をしなきゃいけないアレックスは相当疲れてるだろう。だから私なんかが言って話さない方がいいかなって思ったけど、シュウ君はそんな私の背中を押した。
「ほら、チャンスだよ。」
「うん…。」
確かに、今はなさなければ永遠に話せなくなるかもしれない。
私は自分自身に最後のチャンスだって言い聞かせて、なよなよした心に喝を入れた。
「行ってくる。」
「うん、頑張って。」
そう言って送り出してくれるシュウ君の言葉を胸に、私は恐る恐るアレックスの向かった方向に行ってみた。
するとアレックスは、人気のないバルコニーで空を見ていた。アレックスの背中は数えきれないほどの星や流れ星をたくさん背負っているように見えて、とてもたくましくて、そして眩しかった。
「はぁ…。」
そんな眩しい人が、一人で思いっきりため息をついていた。
もしかしてアレックスは、私の知らないところであの星の数ほどの苦労をしているのかもしれないなって思った。
「アレックス…?」
話しかけるタイミングを何度も躊躇したけど、心の中で一度「よし」と気合を入れてからその背中に声をかけた。するとアレックスは驚いた様子でこちらを振り向いて、私を見たと思ったらもっと驚いた顔をした。
「なんか、久しぶりだね。」
一人になりたかっただろうに、迷惑だっただろうか。
驚かせてしまったことが申し訳なくて、私は今にも消えそうな声で「うん」と言った。
やっぱり用件だけ伝えて、ここから立ち去ったほうがいいかもしれない。そう思ってあと一歩が踏み出せずにいると、アレックスが「こっちおいでよ」と言ってくれた。
さっきまでグダグダと悩んでいたはずだった私は、それだけで嬉しくて舞い上がりそうになりながら、恐る恐るアレックスの方に近づいて行った。
「すごく似合ってる、ドレス姿。」
近づいてきた私を見てにっこりしたアレックスは、そう言ってくれた。
ちょっと高かったけど、賞金も入るしと思って新調してよかった。一緒に選んでくれたアマンダにもお礼を言わなきゃと言いつつ、照れ隠しに「ありがとう」と言った。
「あの、アレックスも、
なんか違う人みたい。」
"かっこいい"って素直に言いたかったのに、恥ずかしくて言葉が出てこなかった。いつもかっこいいんだけど、ビシッとした姿はやっぱりもっとかっこよくて、直視できないほどだった。
「変かな?」
私がはっきりしたことを言わないせいで、アレックスは私の言葉を誤解してそう言った。
変なわけないじゃん。
心の中ではそう思いつつ、私は急いで「ううん、素敵」と伝えた。
素敵って…。
かっこいいって言いなよ、私。
いざという時、言いたいことが言えない自分が本当に嫌になる。
でももう言ってしまった言葉はもとに戻らないから、私は本当に言いたいことを言うために、気を取り直した。
「いいの?こんなとこにいて。」
とはいえ、いきなりこないだの話をする気にもならなかったから、素直な疑問を投げかけてみた。するとアレックスは本当に疲れた顔をして、「うん、ちょっと疲れちゃって」と言った。
「そっか。」
アレックスでも、疲れるんだ。
私が疲れるのは普段人と話慣れていないせいだと思ったけど、人気でも疲れてしまうってことに少し安心した。
まだ言いたいことは言えていないくせに、安心したらなんだか全てどーでもよくなってきて、私はしばらく黙って星を眺めているアレックスの横にただただ立っていた。
本当に、星が綺麗だった。
このまま何も考えることなく二人で星を眺めていられるのなら、どれだけ幸せなんだろう。
そう思ってみたけど、そういうわけにもいなかいって十分理解していた私は、言いたいことを言うために大きく息を吸った。
「あの…。」
「ん?」
話しかけてから、言葉をちゃんと用意していなかったことに気が付いた。
巻き込んでゴメン、かな。
それとも、優勝おめでとう?
それとも…好きです、とか?
確かに全部伝えたい事だったけど、でも全部最初に言う言葉ではない気がした。
色々と考えを巡らせてみたけど、やっぱり一言ではまとまらなさそうだった。考えすぎて頭がパンクしそうになった私は、そのまま勢いで言葉を出してみることにした。
「ありがとう。」
「え?」
「あの日、ちゃんとお礼、
言えなかったから。」
混乱した私の口から最初に出てきたのは、感謝の気持ちだった。
ありがとうの一言くらいじゃ足りないって思ったけど、でも今の私の気持ちを一言で表せる言葉なんて私は知らなかったし、多分そんな言葉はこの世に存在しない。
その中でも"ありがとう"が伝えたいことに一番近い気がして、混乱した頭でもちゃんとお礼が言えた自分を少し褒めてあげた。するとアレックスは遠くの星を見つめたまま、相変わらず爽やかな顔で「うん」と言った。
「ごめんね、怖かったでしょ。」
そしてしばらくして、アレックスは少し悲しそうな顔で私を見て言った。
確かにあの日、アレックスは珍しく怒っていた。
でもそれが怖いって感じた瞬間は一瞬たりともなくて、どの瞬間だって私にとってはかっこいいヒーローだ。
だから、お願いだから、そんな顔しないで。
そう思った私はアレックスの言葉を全力で首を振って否定して、「そんなことない」って強い口調で言った。
「ホントに、嬉しかった。」
私のためにって言ったら、大げさだろうか。
でもあの瞬間、あれだけの人に称賛されるヒーローが、私を守ってくれた。あの時はすごく怖くてもうゲームをやめてしまおうかとも思ったけど、守ってくれたってことが本当に嬉しくて、今もこうやって私はログインしている。
私が自分の気持ちを伝えると、アレックスはジッと私の顔を見た後、いつも通りにっこりと優しく笑って「よかった」と言ってくれた。
あのときだってかっこよかったけど、やっぱり優しい顔をするアレックスが、
―――好きだって思った。
「あの人…。」
これ以上思い出していたら、今度は恥ずかしさで頭がパンクしそうだ。
そう思った私が話題を変えてそう言うと、アレックスは「ヴァル?」と聞いた。
名前も口にしたくないほどトラウマな自分をそこで初めて自覚しながら、私はその質問に「うん」と答えた。
「あの人、規約違反で追放になったんだって。」
言い直しても、やっぱり名前を言いたくないくらいトラウマになっているらしい。
もう思い出さないようにしているけど、やっぱりあのことはきっとずっと忘れられない。
私はすごく複雑な気持ちを抱えて言ったけど、それに対してアレックスはそんなことどうでもいいって様子で「そっか」とあっさり言った。
「ミーシャはもう大丈夫?」
そしてアレックスは、とても心配そうな顔をして私に聞いた。
大丈夫、なのかな。
正直自分でもよくわからなかった。
あの後クエストにも出ていないから、もしかして戦おうとすれば怖くなってしまうのかもしれない。でも今からそんなことを心配したってしょうがないし、ここで大丈夫じゃないなんて言ったら助けてくれたアレックスに失礼だっておもって、私は出来る限りの笑顔で「うん」と言った。
「やめちゃうんじゃないかって心配してた。」
すると私の顔を見て安心したのか、にっこり笑ったアレックスが言った。混乱して私が「え?」と聞き返すと、アレックスはもっと穏やかな顔をして、私の目をしっかりと見た。
「これからもミーシャと一緒に
クエスト行ったりしたいし、
やめないでいてくれてよかった。」
確かにあの瞬間は、こんな思いをするくらいなら家で一人で本を読んでいた方がマシなんじゃないかって思ったのも事実だ。今だってあの日のことがトラウマになっているのは事実だし、やめてしまえば楽なのかもしれない。
でも好きな人にそんなことを言われて、やめられるはずがない。
目をまっすぐ見てそんな嬉しいことを言ってくれるアレックスが本当に眩しくて、私は思わず目をそらして「ありがとう」と言った。
ありがとうがいっぱい過ぎて、返しきれないなって思った。
それからしばらく、私たちは一緒に星を眺めていた。
何を話すわけでもなくただただ星を眺めていただけだったけど、その時間が私にとってとても愛おしくて心地よくて、一生このまま続けばいいのにとすら思った。
「僕、そろそろ帰るね。」
するとアレックスが、突然ポツリとそう言った。心の中でそんなことを思っていた私は、思わず「え、もう?」と聞き返した。
「実は読みかけの本があってさ。
その続きが気になって。」
アレックスも本なんて読むんだ。
思えばリアルの話は一度もしたことがないから、本当のアレックスのことは"おじさんではない"っていうシュウ君からの情報しか知らない。でも次に飛び込んできた情報が"本を読む"っていう、私には思ってもみなかった嬉しい情報だったことに驚いた。
「本、好きなの?」
気になった私は、思わず前のめりになりながら聞いた。するとアレックスはそんな私を見て穏やかに笑った。
「好きっていうにはまだ遠いけど
最近読んでるんだ。」
アレックスが家で本を読んでいる。
敵とたくましく戦う姿からは想像できなかったけど、もしかしてリアルではすごく知的な人なんじゃないかって勝手に想像を膨らませた。
そうであってもそうじゃなくても、私と同じ趣味を持ってるってのが何だか嬉しくなって、少し照れながら「私も好きなの」と答えた。
「どんなの、読んでるの?」
アレックスが興味を持つのはどんな本なんだろう。
私には難しくて読めない複雑なミステリーとか、SFとか…。そういうのかなって思って聞くと、興味津々な私がおかしかったのか、アレックスはクスッと笑った。それを見てようやく自分がワクワクしているってことを自覚した私が恥ずかしくなってうつむいていると、アレックスはその間に「えっとね」と言った。
「今は"君と僕のセンセーション"ってやつ。」
「え?!」
それは、私が一番好きな本といっても過言ではない本だった。
まさか恋愛小説の名前が出てくるとも思っていなかった私が大げさに驚くと、アレックスもすごく驚いた顔をしたから、私は小さく「ごめん」と謝った。
「私もそれ好きだから…。」
大げさに驚いたことを訂正するようにそう言うと、アレックスも少し驚いた顔で「あ、そうなんだ」と言った。
好きな人が、私の一番好きな本を読んでいるなんて。
それだけでうれしくなってしまった私は、もうすっかりあの人のこともあの日のことも忘れてふわふわした気持ちで喜んでしまっていた。
アレックスも、面白いと思って読んでいるだろうか。
いつか他の好きな本もおすすめしたいな。
一気に色々なことを考えて勝手に舞い上がっていた私の耳に、アレックスの「実は、」という声が入ってきた。
何だろう?
次のおすすめ、もう教えてほしいのかな。
ワクワクした気持ちのままアレックスの方をみると、彼は今まで見たことがないくらい穏やかな顔をして笑っていた。
「僕の好きな人が読んでた本なんだ。」
「…え?」
好きな、人…?
彼の穏やかな笑顔ってやっぱりかっこいいなと思っていた私には、彼が何を言っているのかすぐに理解できなかった。小さくしか反応できなかった私を不思議に思ったのか、アレックスが「ごめん」と謝ったから、私は慌てて「ううん」と言った。
好きな人、いるんだ…。
今まで想像もしてこなかった自分に、心底嫌気がさした。
アレックスはシュウ君曰くおじさんではないらしいし、好きな子くらい、いて不思議じゃない。
頭では分かっていても、やっぱりどこかその事実を受け入れたくない私は、アレックスの顔を直視できなくなった。
「好きな子が読んでたから読むなんて、
なんか情けないよね。
幻滅した?」
「そんなこと、ない。」
情けないなんて、そんなはずない。
むしろ、好きな本を読んでもらえるなんて嬉しいに決まってる。
そう思って否定すると、アレックスは安心した様子で「よかった」と言った。その顔が本当にホッとしていて、すこし照れくさそうにしていて、素敵で、暖かくて、
―――そしてとても、切なかった。
「素敵だと、思うよ。」
とても素敵だと、そう思った。
そんなに読まない本を、好きな子が好きだから読むなんて。とても素敵なことだなって思った。
心の底から思ったことを口にすると、アレックスは私に言われると嬉しいって言ってくれた。
アレックスの笑顔は一段と穏やかで温かいのに、これがすべてほかの女の子に向けられてるものだって思うと、とても冷たくて残酷なものに感じられた。
痛い…っ。
冷たくて残酷な事実は、私の心を幾度となく突き刺してきた。何とか考えずにいようとすればするほどそれは大きくなっていくような気がして、このままではちっぽけな私の心なんてすぐに壊れてしまいそうだって思った。
「またね。」
「うん。」
アレックスが早めに帰ろうとしていたことは、聞きたくない話を聞いてしまった私にとっては不幸中の幸いみたいな出来事だったのかもしれない。もうあまり顔も直視できない私がその場でうつむいたままでいると、アレックスは気を使って「あ、ミーシャも会場戻る?」と聞いてくれた。
「ううん、私は少しここにいる。」
「そっか。」
しばらく何も考えたくなくて、でも何をしていても考えてしまいそうだった。せめてこのキレイな景色を見ていれば気持ちを落ち着くかもしれないと、私はそのままとどまることを選択した。
空を見上げてみると相変わらず色々な色に輝いている星がとてもきれいで、私の気持ちとは反対だなって思った。
「それじゃあ。」
「また、ね。」
またねって言ったけど、次また普通にアレックスに会えるだろうか。
私がうだうだと悩んでいるうちにアレックスはその場を颯爽と去って行ったから、少なくとも私の感情が伝わってないってことに安心している自分がいた。
でもそれは同時に意識されてないってことも意味していて、今にも張り裂けそうな胸がまたずきずきと痛み始めた。
「あ、ミーシャ。」
そんな時でも、私の好きなアレックスの声はとても穏やかに心まで届いた。今まで見れなかったはずなのに思わず声に反応して振り返ると、アレックスはいつも通りの笑顔でこちらを見ていた。
「クエスト、いつでも誘ってね。」
もう会えないかもって思っていたのに、私は失恋したはずなのに、そう言ってもらって私は喜んでしまった。
その証拠に私の口は自分の意志とは関係なく「ありがとう、もちろん」って答えていた、その答えを聞いてさらに笑ったアレックスに心が高鳴った。
「バカだな。」
アレックスが去ったの確認して、どこまでも広がっているように見える空に向かってつぶやいた。
今まで本では読んだことがあっても経験をしたことがなかった失恋は、思っていたよりも何倍も辛くて胸が痛くて張り裂けそうなものだった。でも、それでも私の中の"アレックスが好き"っていう気持ちは消えなくて、むしろ大きくなっているようにすら感じた。
どうしたらいいんだろう。
この気持ちの行き場もこれからどうしたらいいのかも分からない私は、ただ途方に暮れるしかなかった。このまま星空を見ていたって答えが降ってくるわけじゃないってことくらいは理解できたけど、立っているだけで精一杯になっている私にはこれ以上なすすべがなかった。
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