第8-3話 彼のローブ―美玖莉
アレックスの背中は、ずっとずっと怒っていた。
私の頭の中は怖いって感情でほとんど満たされていたからアレックスの気持ちを察する余裕もなかったけど、とにかく怒っているってことだけはわかった。
アレックスはいつもなら私に"大丈夫?"とかそういう優しい言葉をかけてくれると思うけど、やっぱりいつもじゃないみたいで、私と目を合わせる事もなく控室へと行ってしまった。
「ミーシャ大丈夫?
もう今日は帰った方が…。」
あまりにも私が情けない顔をしていたのか、アマンダは心配そうに顔を覗き込みながら聞いてくれた。こんなに怖いって思うならもう見るのをやめた方がいいのかもしれないけど、今帰ったら余計結果が気になってソワソワしてしまいそうだった。
だから私はアマンダを見てゆっくりと首を横に振って、今できる一番の笑顔を作って「大丈夫だよ」と言った。
大丈夫っていいながらも、本当は全然大丈夫じゃなかった。
負けただけじゃなくて、あんな情けない姿を大勢の人にさらしてしまった。実際にすれ違う何人かが私を見ているような気がして、私はアレックスに貸してもらったローブで顔を必死に隠した。
そういうわけじゃないんだろうけど、すべての視線が冷たく感じられた。
そんな状況の中でもアレックスのローブだけが優しく私を包んでくれていて、私はぶかぶかのローブをギュっと握りながら席まで向かった。
「ミーシャさんッッ!」
パーティーのメンバーの元に戻ると、みんな心配そうな顔をして出迎えてくれた。すごくありがたかったけどそれと同時にこんな私についてきてくれているってことが申し訳なくも感じられて、私は小さな声で「ごめんね」と言った。
「ミーシャさんが謝る事なんてないっすっっ!」
そんな私に、ケンはいつもよりもっと大きな声で言った。
それに驚いて思わず顔を上げると、ケンは「すみません」と慌てて謝った。
「ミーシャさんはかっこよかったです!
アイツが卑怯だっただけっす!
回し蹴りした時なんてしびれましたよ、俺!」
あまりにも必死で言ってくるもんだから、私は思わず笑ってしまった。すると私が笑ったってことに安心したのか、みんながホッとした顔をしたのが分かった。
そうか、私は一人で頑張ってるわけじゃないんだ…。
また大事なことを忘れかけていた私は、ケンのおかげでそれを思い出した。
確かにボスはかっこよくあるべきものなんだと思う。でも、かっこいい姿を見せるために仲間を集めているわけじゃない。
私ひとりじゃできないことがあるから、みんなで協力して頑張るんだ。
見方でいてくれる人がいるって思い出しただけでも、恐怖で支配されていた心が少し軽くなるのが自分でもわかった。
「ありがとう、みんな。」
心からそう言うと、みんなもそれを聞いてにっこりと笑ってくれた。その笑顔がすごく暖かくて優しくて、心が一気に満たされた。
「お疲れ。」
みんなのおかげで気持ちは少し晴れたとはいえ、私はまだかぶっていたフードを取れなかった。まださっきの余韻を引きずったまま席に座ると、シュウ君がいつも通りそう言ってくれた。特別扱いされないってことが今はすごくありがたくて、私は「ありがとう」とシュウ君にもお礼を言った。
「さぁっ!
ここからはぁ~
いよいよ準決勝が始まりまぁす~!」
それからしばらくして、ザックが準決勝の始まりを告げた。
準決勝の1試合目を戦うことになっていたアレックスは、さっそくザックに紹介されて会場に入場してきた。
アレックスは準々決勝まではにこやかにファンサービスをしていたのに、今回は誰のことをみることもなく一直線に開始位置まで進んでいった。そしてその場所でも一歩も動くことなく、ただただ立ちつくしていた。
大丈夫、かな。
私が心配する事ではないんだろうけど、いつもと違う雰囲気が少し怖かった。
あんなにやさしくて柔らかい人が、あんなふうになってしまうのか。私がそうさせてしまったってことが申し訳なくて、でも今の私にはただその姿を見つめるしか出来ることがなかった。
「大丈夫だよ。」
そんな私の様子を見かねたのか、シュウ君はまっすぐアレックスを見たままそう言った。でもシュウ君の表情もいつもより少し硬くなっているのが分かって、私を安心させるためにそう言ってくれたんだなってのが分かった。
「ちょっと行ってくる。」
その後すぐにシュウ君はもうすぐ試合が始まるのにも関わらず、どこかに行ってしまった。何をしにいくんだろうと気にならないわけではなかったけど、それより様子のおかしいアレックスから目が離せなくて、私は両手を組んで彼をじっと見続けた。
そしてその後すぐ試合開始の合図が鳴ったと思ったら、アレックスはそれと同時に飛び出して一瞬で相手を倒してしまった。
「「わぁあああああーーーーーーー!」」
準決勝なのに、瞬殺で試合が終わったことに会場は一気に盛り上がった。
でもアレックスはその歓声にも耳を傾けることなく、あっさりと出口のほうに向かって歩いて行った。
「すごすぎるね…。」
「うん…。」
一瞬で勝ってしまったことも、この歓声の量も、とにかくすごかった。
そんなすごい人に私なんかが恋してていいんだろうか。
そんな人が、私のために怒ってくれてるなんて、贅沢すぎる…。
今すぐもう怒らなくて大丈夫だって言った方がいいんじゃないかとも思ったけど、人の気持ちを人が勝手に止める事なんて出来ないってのはわかってたから、私は魂が抜けたみたいにそこにボーっと座っている事しか出来なかった。
「ケン、ちょっと来て。」
私が魂のない人形みたいに座っている間に、ケンと戻ってきたシュウ君が何かを話してるみたいだったけど、私の頭には何も情報が入ってこなかった。一気にいろんなことが起きて、自分の中で感情がごちゃ混ぜになっていて、とにかく訳が分からなくなっていた。
少なくともアレックスの試合を見るまでにはちゃんとしていなくちゃ。
そう思ってそれからもひたすら精神を統一しようとおもったけど、しようとすればするほど思考回路が迷宮入りしていっている気がした。
私がボーっとしている間に、あっという間に準決勝が終わった。
私がボーっとしていたからあっという間に感じたというのもあったけど、実際あの人がアレックスと同じくあっさり相手に勝ってしまったから、本当にあっという間だったんだと思う。
少し落ち着いてきたとはいえ、あの人の姿を見るだけでさっきの試合のことを思い出して怖くなってしまいそうだったから、私は試合の間ずっと深くフードをかぶってうつむいていた。
そんな私の手をずっとアマンダが握ってくれていたおかげか、本当の意味で私の気持ちはずいぶん落ち着いてきていた。
「みぃいなさぁああんっ!
お~またせいたしまぁした~!」
少しの休憩をはさんだ後、今までの試合と比べ物にならないくらいハイテンションでザックが会場に入ってきた。そしてそれに合わせるみたいにして会場も耳が痛くなるくらいの歓声を上げていて、私は思わず両手で両耳をふさいだ。
「大丈夫?」
いまだにフードをかぶったままの私に、シュウ君は心配そうに言った。
私はその声に何とかうなずくだけして、また高ぶってしまった気持ちを抑えるためにも1回深呼吸をした。
「決勝戦に進んだ選手はぁ~~!
昨年の優勝者でもありまぁすっ!
セヴァルディ――――――ッッ
選手ぅうう――――!!!」
ザックがそう言うと、会場には一気に低い声が響いた。その声が全部私を責めているみたいに胸に刺さってきて、私は思わず胸をおさえた。みなければいいのに会場の方をみると、楽しそうにファンサービスをしているあの人の姿が目に入った。
顔を見ただけでフラッシュバックみたいにさっきされたことがよみがえって、全身に鳥肌がたった。
こわい…。
私はまた無意識にアレックスのローブをギュっと握って、その恐怖を少しでも和らげようとした。
「ミーシャ。」
すると、隣にいたアマンダが私の肩を抱いた。びっくりしてアマンダを見上げると、アマンダは私の肩を抱いている手にギュっと力を入れた。
「大丈夫だよ、私たちもいるから。」
私はどうして、こんなにいい人たちに囲まれてるんだろう。
すぐに一人で全部抱え込もうとしてしまう私に、いつもみんなは"大丈夫"って手を差し伸べてくれる。怖い記憶が全部なくなるわけじゃないけど、そう言ってもらえるだけで気持ちがずいぶん柔らかくなっていく感覚がした。
私は今にも泣きそうになるのをグッとこらえてアマンダに「ありがとう」と言って、今度は強い気持ちであの人を見た。
「続きましてぇ~っ。
なんと準決勝では1分足らずで
勝利をおさめた挑戦者ぁっ!」
低くて暗い声はなかなか鳴りやまなかったけど、そんな中でも強制的にザックが言葉を発した。それが合図みたいにして、今度は明るい声が会場を包み始めた。
「アレ――――――ックス
選手ぅうう――――!!!」
会場の声援が明るく変わっただけでも、私の心を刺激していたものが一つなくなった感覚があった。まだ戦ってもいないのに、登場しただけで心を軽くしてくれる彼は、やっぱりすごい人だって思った。
そして今度は目をそらすことなく、ゆっくりと歩いてくるアレックスの姿を目に焼き付けた。アレックスはやっぱりファンサービスをすることなくセヴァルディをじっと見つめたままで歩いていて、何か決意を決めたような顔をしていた。
「おおっっと、
なんだかいつもと様子がちがいまぁすね~!」
そう思っていたのは私だけじゃなかったみたいで、ザックは興奮した様子でそう言った。私なんかが心配しなくても大丈夫ってわかってながらも、心配する気持ちが止められなくて、私は開始位置にアレックスがたどり着くまで穴が開きそうになるくらい彼を見つめた。
「怖い顔してんな、ヒーロー。」
「お前よりマシだろ。」
選手の会話は、ある程度の音量ならマイクに入ってしまう。それを気にして都合の悪いことは小声で言ったりすることも多いけど、二人はそんなこと気にする様子もなく挑発をしあっていた。
「面白くなりそうだ。」
「面白いって感じられるほど
試合してられるといいな。」
やっぱりいつもと違うアレックスの様子に、私は勝手にソワソワとしていた。でも二人の会話を聞いて今まで騒がしかった声援が静かになっていたから、きっとソワソワしていたのは私だけじゃないんだと思う。
「試合開始前からこの感じぃ~!
くぅうううっっ、痺れるぅうう~~!!」
そんな中でもザックは楽しそうに踊りながらそう言った。AIロボットだからそうなるよなとどこかで冷静なことを考えながらも、この状況を楽しめることが素直にうらやましくて仕方なかった。
よっぽど興奮していたのかザックがしばらく踊っているのと、アレックスがそれを怖い顔でにらんだ。よっぽど怖かったのかアレックスを見たザックは踊るのをピタッとやめて、わざとらしく「ゴホン」と言った。
「それでぇはみなさぁん!お待ちかねっ!
決勝戦ですっっ!
今年の優勝者はどちらになるのかぁ~~!
注目の一戦がいよいよ始まりまぁす。」
その一言で、さっきまで少し静かになっていた会場が一気に盛り上がった。私のパーティーのメンバーたちも口々にアレックスを応援していて、私も思わず前のめりになりながら彼を見つめた。
どうか、どうか…。
彼が傷つきませんように。
私が無意識に両手を組んで祈っている間に、ザックが勢いよくスタートを告げて、それと同時に試合開始を意味する合図が鳴った。
「
その合図とほぼ同時に、アレックスは大きな氷柱を出した。
「あれって…。」
「俺の技、だな。」
どこかで見覚えがあるとおもってたら、やっぱりさっきシュウ君があの人に使っていた技だった。アレックスはやっぱりいとも簡単って顔をしてその技を出したと思ったら、今度は私でもしっている火の魔法を唱えた。
「え…っ?!」
火の魔法は一気に氷柱を溶かして、アレックスとあの人の上には雨みたいに大量の水が降っていた。
私にアドバイスをしてくれた時は、水に近づくなっていったのに。
どうしてわざわざ自分を不利な状況にもっていくのか分からなくて、私は完全に混乱していた。
「何やってんだ、お前。」
セヴァルディは、ポカンとした顔でそう言った。初めてあの人と意見があったなって思いつつモニター越しに二人を見つめていると、アレックスが少し笑った気がした。
「ハンデだよ。」
「ハンデ?」
「これくらいのハンデがないと、
すぐ終わっちゃいそうだからさ。」
あんな怖い人を前にして強気で挑発が出来るってだけでも、私からしたらすごいことだった。私はもしかしたら気持ちの時点で負けていたのかもしれないと思いつつ、二人の掛け合いにひたすら耳をすませた。
「仲良しごっこしてたら、
いつまでも勝てないよ。」
「やってみなきゃ分からないじゃん?」
アレックスが挑発をしているところなんで今まで見たことがなかったけど、とても冷静な様子で強い言葉を投げかけていると、最初はへらへらとしていたセヴァルディもさすがにムッとし始めた。
そしてセヴァルディは「死んでから後悔しろ」なんて恐ろしいことを言いながら、シュウ君のときみたいに水の中にどんどん消えていった。
驚きなのかなんなのかよくわからなかったけど、セヴァルディが消えたのと一緒に会場の声も消えてしまった。全員が目を見張るようにして次あの人がどこから出てくるのかを見守っていた。でもそんな中でもアレックスはキョロキョロするどころか、目をつぶってその場に立っていた。
「耐えられない…。」
何分経ったかわからないけど、しばらく静止画みたいに同じ状況が続いたことに耐えられなくなった私は、思わずそう口に出した。するとよこでシュウ君もアマンダも"うんうん"ってうなずいていたから、みんな同じ気持ちなんだなって安心した。
「もうっ…!」
アマンダがしびれを切らして言った。
会場の人たちも徐々にざわざわと騒ぎ始めていて、もうこのままあの人は帰ってこないんじゃないかとすら思った。
もう、溶けてなくなってしまえ…。
緊迫した状況の中、ついに私がありもしないことを考えた次の瞬間、私の目に飛び込んできたのは信じられない光景だった。
「え…っ?!?」
一瞬過ぎて、何が何だかわからなかった。
でも私の目にはアレックスがあの人の手を持って水の中から引きずり出した光景がしっかりと映っていて、引っ張り出されたあの人はまるで空を飛んでいるみたいに宙に舞っていた。
何が起こっているか全くわからないうちに、アレックスはそのままあの人を地面におもいっきりたたきつけた。
「ぐあっっ!」
今まであの人のやられたふりを何度もみてきたけど、どう聞いてもそれは本当に叫んだ声だった。それを聞いてさっきまで静かになっていた会場からはアレックスを応援する声援が鳴り響いて、私も思わず目を見開いてその光景を見つめた。
その歓声の中、セヴァルディは倒れたまま口からアレックスに向かって毒を吐いた。でもアレックスはそれも、いとも簡単によけてしまった。
「やって、くれたな。」
一方的にやられているのについに起こったのか、セヴァルディは歓声の中でも響き渡るほどの太い声をだして言った。それでもアレックスはとても冷静な顔をしていて、でも目はずっとキリっと厳しいままだった。
ずっと歓声が鳴りやまなくて、二人が何かを話している声も聞こえなかった。しばらく何かを話した後、セヴァルディは今までで一番怖い顔をして、私の時と同じようにひっきりなしにアレックスに向かって毒を飛ばし始めた。
「アレックスの能力って…。」
私もずっと気になっていたことを、アマンダがポツリとつぶやいた。
アレックスは自分の適正魔法を使わないし、それが何かもわからないっていうミステリアスな部分がある事でも人気を集めていた。だから今まであえて聞こうともしなかったけど、この戦いを見たら気になって仕方なくなり始めた。
するとシュウ君はアマンダの言葉に「ふふ」と笑って、私たちの方をみた。
「別に隠してるわけじゃないんだよ。」
「そうなんだ…。」
「でも、僕からは言わない。」
シュウ君はいたずらそうな顔をしてそう言った。
私の中の気になる気持ちが消えたわけではなかったけど、シュウ君をこれ以上問いただすのは違う気がしたから、私は試合に集中することにした。
「あ、あれって…。」
試合に視線を戻すと、彼が毒をよけるために使っていたのはどう見ても私の魔法だった。でも私と違ったのはアレックスはよけながらも前に向かってるってことで、私とは違ってどこに毒が飛んでくるのかが分かっているのかなと思った。
「アイツ…。」
戦いを見つめながらそんなことを考えていると、シュウ君はポツリとそう言った。私は目まぐるしく変わる状況から目が離せないまま「ん?」と言ってシュウ君に返事をした。
「俺たちの魔法で勝とうとしてくれてんだよ。」
「え?」
「敵、取ってくれてんだよ。」
最初にシュウ君の魔法を使ったのも、今私の魔法を使って戦ってくれているのも、私たちの敵をとるため…。
それが分かった瞬間、何の涙かはわからないけど、私の目からは自然と涙があふれていた。
シュウ君の魔法だって私の魔法だって、使うにはリスクもあったはずだ。それなのに私たちの魔法で相手を倒そうとしてくれているっていうのがどこまでもかっこよくて、彼は誰が何と言おうと"ヒーロー"だなって思った。
そうしているうちにもアレックスはどんどんセヴァルディに近づいて行って、ついに目の前まで接近して思いっきりお腹を蹴り上げた。
そしてその打撃にセヴァルディが苦しんでいる間に、どんどんダメージを与えていった。
「なぁあんとぉ~!
アレックスが押しに押していまぁすっ!」
今まで接近戦を戦ったことがないであろうセヴァルディは、アレックスにやられっぱなしになっていた。
いけ、このまま、いってしまえ。
私は心の中で精いっぱい祈って、目をそらすことなく試合を見続けた。
もう本当にこのまま勝ってしまうんじゃないかって思った次の瞬間、セヴァルディはやっとの想いで少し動いた後、手や口から大量の毒を出した。
大量の毒から逃げるように、アレックスは素早く身を引いた。
普通の人ならそこでやられてしまってもおかしくないと思うけど、アレックスはまるでわかってたみたいに、それをよけて真っ黒な毒を呆然とみつめていた。
「なかなか出さないんだけどな。
お前みたいなむかつくやつのために
最強まで効果を高めてるとっておきの毒だ。
嬉しいだろぉ?」
そこまで盛り上がっていてあまり聞こえなかったけど、セヴァルディがそう言ったのはモニターから聞こえてきた。
ここまで優勢だったけど、もしかしたらやられてしまうのではないか…。
「おっと、
俺もお前が苦しむ姿みたいから
色変えるかぁ。」
心配している私に追い打ちをかけるように、セヴァルディはいつもの調子でにやりと笑って言った。
そして何か魔法を唱えると、黒かった毒がどんどん透明になっていって、ついには見えなくなってしまった。
「もうこれで
ちょろちょろ逃げ回ることもできないなぁ。」
「嘘だろ…。」
それには驚いたみたいで、自信満々な顔をしていたアレックスの表情が曇るのが分かった。
勝てるって、思ってたのに…。
半分絶望的な気持ちになりながらそう考えると、「お別れの時間だ」と言ってセヴァルディが魔法を唱えた。
「逃げて…っ!」
そんな声届くはずもないし、逃げれるならとっくに逃げてるんだろうけど、反射的に私の口がそう言った。
でもその言葉を発した次の瞬間には、元居た場所からアレックスの姿が消えていた。
「…えっ?」
驚く間もなく、アレックスの姿は次はセヴァルディの後ろに現れた。あの人にもその動きは見えなかったみたいで、あの人はアレックスに何かを言われて勢いよく振り返った。
するとアレックスは私がしたみたいに、あの人の顔に思いっきり回し蹴りをした。
「がぁあ…っ!」
会場に響き渡る声でヴァルは苦痛の声を上げた。その声を聞いて驚いた観客たちが、一斉に沸き始めた。
「ど、どういう…。」
多分ここにいるみんなが戸惑っているってのを気にするそぶりも見せないで、アレックスはあの人の頭の横にしゃがみこんで何かを言っていた。
何を言っているのかは聞こえなかったけど、そんなことより驚きの方が圧倒的に勝っていて、もう何が起こったのか全く理解が追い付かなかった。
そしてアレックスはしばらくぼそぼそと何かを話した後、スッと立ち上がって大きく息を吸った。
今度は何が起こるの…。
訳が分からないまま目まぐるしく状況が変わっていくことに追いつけずにいる私が思わず身構えていると、アレックスはまるで呼吸するみたいに優しく、「
「
それは、まぎれもなくシンシアの回復魔法だった。
まだパーティーがこんなに大きくなってなくて、私のレベルも低い頃、よくシンシアに助けてもらった、あの聞きなれた魔法だった。
アレックスがどうしてそれを知っているのか、そして瀕死の敵に何で回復魔法を唱えているのか理解が出来なくて、私はただただオロオロと戸惑う事しか出来なかった。
「憎たらしいヤツ。」
そんなとき、シュウ君が少し笑ってそう言った。
戸惑っている私が戸惑ったままシュウ君を見つめると、シュウ君は私を見て穏やかな顔で笑った。
「さっき、ケンに聞いてこいって言われたんだ。
シンシアの魔法を。」
そういえば、さっきシュウ君とケンが何か話していたっけ。
それを思い出した私の中で、ようやく疑問が一つだけ解けた。そう分かっていても、どうして敵に回復魔法なんか使うかよくわからなかった。
するとそんな私を見て、シュウ君はまたにっこり笑った。
「もう、アイツの勝ちだよ。」
「でも…。」
せっかくほぼ勝っていたのに、アレックスはまた試合をスタートにもどしてしまった。むしろあの人だけに回復魔法を使ったんだから、アレックスの方が不利になっていることは間違いない。
そう考えて一人で焦っていると、それを見たシュウ君は笑った。
「聞いたら嫌いになるかもしれないけど、
史上最悪のアイツの作戦、聞く?」
さっきまで真剣な顔をしていたのに、本当に勝ちを確信したって様子でシュウ君は楽しそうに笑っていた。私も、そして周りのメンバーたちも戸惑いの表情を浮かべたまま、なんとか「うん」と返事をした。
「何回も回復させて、
何回も倒す気なんだよあいつは。」
それを聞いてもまだ訳が分からなくて、私は何も返事が出来ずにいた。するとシュウ君はワクワクしたような顔をして、試合に目線を戻した。
「どうしても、
シンシアの魔法で勝ちたかったんだろうね。
ヴァルを降参って形で負けさせる気だよ。」
試合の勝敗は、どちらかのHPがなくなるか、もしくは片方が降参することで決まる。だからあの人が"降参"っていえばその時点でアレックスの勝ちは決まるけど、プライドの高いあの人が降参するなんて信じられなかった。
「それだけ自信があるんだよ。
何度だって勝てる自信が。」
「ほんと性格悪い」と付け足して、シュウ君はまた笑った。作戦を聞いてもなおそんなの信じられない私は、ゆっくりと試合に視線を戻した。
そこにはまだ倒れているあの人と、耳元で何かを言っているアレックスがいた。そしてそのまま二人はしばらくやり取りを続けていて、私は次に何が起こっても見逃さないように目を凝らしてその光景を見た。
そしてそんな私の耳に入ってきたのは、「降参、します…」という消えそうな声だった。
パーンッ!
「「わぁあああああーーーーーーー!」」
本当に消えそうな声だったから、最初は聞き間違いなんじゃないかって思った。でも試合終了とアレックスの勝利を告げる花火やアナウンスが一気に上がって、観客たちも確実に歓声を上げていた。
「なんという波乱の展開でしょぉう!
誰が予想できたでしょうかああ!
今年の優勝者は
ヒーーーローーー!
アレーーーーーックスゥウウウ!!!」
今回の大会でザックが一番大きい声を上げていたけど、それも私の耳にはちゃんと届かなかった。でも知らないうちに両目からはたくさん涙が流れていて、涙で前がよく見えなくなっている私の目には、片手を突き上げて勝利を喜ぶアレックスの背中が映っていた。
「やった…っ。
やったよ…。」
涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、私はアマンダに抱き着いた。
するとアマンダもぴょんぴょん跳ねて勝利を喜んでいて、それでまた私の涙は止まらなくなった。
しばらく余韻を楽しんでアレックスの方に目線を移すと、アレックスは倒れていたあの人の手を取って立たせた。そして呆然としているあの人に向かってアレックスは手を伸ばして、握手を求めていた。
しばらく訳が分からないって顔をしていたセヴァルディが、観念してアレックスの手を握った。するとアレックスは握手をした手を数回ゆらして、いつも通りの優しい笑顔でにっこりと笑った。
「ルールは守って戦おうよ。
その方が絶対に楽しいから。」
アレックスのかっこよすぎるセリフに、会場中が拍手をしていた。アマンダもシュウ君もみんな拍手でたたえていたけど、私は泣きながら呆然と彼を見つめる事しか出来なかった。
「ありがとう。
君は最強の敵だったよ。」
かっこよすぎて、もう直視できないかもしれない。
さっきまで恐怖で支配されていたはずの心は、いつしかドキドキと高なっていた。今日あったことを全部上書きできるくらい、私の胸の中はアレックスへの"好き"の気持ちでいっぱいになっていて、その感情が涙になってどんどんあふれてきた。
するとその時、会場を見渡してファンサービスをしていたアレックスが、こちらを見て視線を止めた。
そして私たちに向かって、両手を上げてガッツポーズをした。
"勝ったよ!"
私にはそう言っているように聞こえた。
周りのみんなは同じように両手をあげて喜んでいたけど、私はとにかくあふれる涙をおさえようと必死だった。
そのまましばらく、アレックスへの称賛の拍手は止まらなかった。
鳴りやまない拍手やたくさんの歓声が、闘技場をつきぬけて青空へと溶けていた。深くかぶっていたフードはいつの間にか外れていて、あそこに立っているかっこいい人から借りたローブを着ている自分のことが、少し誇らしく感じられた。
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