第3話 好きな人の手のぬくもり―美玖莉

球技大会の準備は日程が近づきにつれてどんどん忙しくなってきて、色々なことを確認したり伝えたりするために私はクラスメイトとたくさん話をしなくてはならなかった。

最初は話しかけるのも苦労して松浦君にほとんど任せてたりしたけど、全部やってもらうのは本当に申し訳ないって思って一生懸命話しかけるようにしているうちに、だんだん人と話すってことにも慣れてきて、今では何のためらいもなく杏奈ちゃん以外の人と話すことが出来る。


「美玖、なんか明るくなったね。」

「そう?」


学校のこととか運営委員のこととか、全部伝えているわけではなかったけど、お母さんには何でもお見通しらしい。お母さんも嬉しそうな顔をしてそう言ってくれるもんだから、私もちょっとうれしくなって、その日も変わらず美味しいお母さんの料理をもりもりと食べた。


「よし。」


私が少しは社交的になったのは、杏奈ちゃんや球技大会のおかげってのもあるけど、このゲームのおかげでもあると思う。

私は今日もゲームを起動して、とても社交的な"ミーシャ"に生まれ変わった。



あともう少ししたら、上位者闘争マスターズバトルという戦いが始まる。参加するのは初めてってわけではないけど、この戦いで勝たないともしかするとヒーローでいられなくなるかもしれない。


そして何より少しでもアレックスの近くにいるためにも、私は何としても勝ち抜いてもっともっと強くならなければいけない。最近は訓練とかレベルアップ出来るクエストとかそういうものに挑戦し続けて、戦いに備えた準備をしている。



今日は自分の魔法をもっと磨くために、訓練場に行くことにしている。ログインしてさっそく訓練場に向かって行くと、向こうから歩いてくるアレックスとシュウ君の姿が目に入った。



うそ、会えたじゃん…。



まさか会えると思ってなかったから、小さい姿を見ただけで私の胸はドキドキと高なった。



相変わらず、凛としててほんとかっこいいな。



シュウ君と楽しそうに会話しているアレックスは、遠目から見ただけでも相変わらずかっこよくて素敵だった。私が目を離せなくなっているうちにシュウ君がこっちに気が付いたみたいで大きく手を振ってくれたから、私も足早に二人のもとに向かって行った。



「アレックス!シュウ君!久しぶり!」



嬉しさのあまり、自分で思っているよりも大きな声が出た。ちょっと恥ずかしいなと思いかけたけど、相変わらず爽やかな笑顔で「久しぶり」ってアレックスが言ってくれたから、もっともっと嬉しくなってしまう自分を隠し切れなかった。


「ミーシャも特訓に?」

「うん!今回は気合入ってるよ~!」


アレックスの姿を見たら、もっと気合が入り始めた。この人にもっと近づくためにはまず強くならなくてはいけない。

そう思っているとなぜかすごくニヤニヤしたシュウ君と目が合った。


「ミーシャ、

アレックスに稽古してもらったら?」


何ゆってんの…。

驚きすぎて声が出ない私の代わりに、アレックスが「は?」と言った。


そりゃ「は?」でしょ…。


そう思いつつも、もしかしたら私と稽古とか嫌なのかなと落ち込んでしまっている自分もどこかにいた。



「ほら、訓練用のモンスターより、

プレイヤー同士でやった方が練習になるだろ。」

「それは、そうだけどさ…。」



そりゃそうだけど、私なんかじゃアレックスの相手にならないし…。

なぜか申し訳なさそうな顔をしてアレックスが私を見たと同時くらいに、シュウ君は「ミーシャはどう?」と聞いた。


「私は、すごく嬉しいけど…。

いいのかな、邪魔にならない?」


アレックスだって、気合が入っているはずだ。上位者闘争マスターズバトルは年に1回しか開催されないビックイベントだし、この大会次第で今後のクエストとかランキングとか、いろんなものが変わる。


そんな大事なイベントの直前に、手合わせにもならない私なんかに稽古をしてもらっていいものなのだろうか。

そう思って恐る恐るアレックスをみると、彼はいつもの柔らかい笑顔でにっこりと笑ってくれた。


「じゃあそうしようか!」


ああ、やっぱり好きだ。

アレックスは自分はすごく強いのに、いつも謙虚で私みたいなプレイヤーにも平等に接してくれる。

物腰が柔らかいのに、戦闘になると強くてかっこよくて、強敵でもまるでその敵が弱かったみたいに、華麗にやっつけてしまう。



そのギャップが、本当に好きだ。



アレックスに対する気持ちを再確認しているうちに、二人は「またあとで」って軽く挨拶を交わしていた。



本当に仲がいいんだな、もしかしてリアルでも友達なんだろうか。



そんなことを考えていたらシュウ君が知らないうちに私の方に近づいてきた。そしていたずらそうな笑顔でニヤッと笑った後、「頑張ってよ、色々と」と言った。



やっぱりバレてる…。



すごく恥ずかしくなって、顔が熱くなるのを感じた。

と、言ってもゲームの中だから顔が赤くなるわけでもないけど、それでも恥ずかしい気持ちが隠し切れなくて、思わず私はうつむいた。


そんな私を見てもっとニヤニヤしたシュウ君は、私の背中をポンと押してそのまま訓練場に向かって行った。



シュウ君がくれたチャンスを生かせるほど、やっぱり私は恋愛なんて上手にできそうもなかった。でもせめてもっと仲良くならなくてはと、私は別の意味の気合を自分自身にいれた。


「ごめんね、アレックス。

本当に良かった?」

「ぜんっぜん大丈夫。

むしろありがたいよ、

人に教えるって多分自分のためにもなるし。」


この人のこういうところが、本当にすごいと思う。

嫌味とかおごりとか、そういうものではなくて、本当に本心から言ってくれているのがよくわかる。

ただ強いだけのヒーローならたくさんいて、もちろんみんなそれなりに人気はあるけど、アレックスの人気はゲーム内でもトップレベルだ。きっとこういう屈託のないところが人気なんだろうなと分析をしつつ、「ありがとう」とお礼を言っておいた。


「ん~と、

じゃあとりあえず

トレーニングモードで模擬戦する?」


模擬戦なんて、相手になるはずがないことくらいわかっていた。でもまず私の課題点を見出してもらうためにも戦い方を見てもらうしかないと思って、私は何とかうなずいた。


「アレックス、手加減しないでね。」


正直、少し怖かった。

こんなに弱いのかと自分自身で落胆してしまう事も、アレックスに幻滅されてしまう事も、全部怖かった。でも弱いからって手加減されたら元も子もないと思ってそう言うと、アレックスは本気の目をして「本気で行かせてもらうよ。」と返してくれた。


シュウ君のくれたこの機会を、そして強い人と戦えるっていうこのチャンスを、なんとか生かさなければ。


「んじゃいくよ。」


アレックスに入れれて気合を入れてうなずいた私は、押されたスタートボタンと同時に飛行魔法でアレックスの上空にとんだ。



よし、いい調子。



上空に入ってすばやく仕掛ける。

私よりレベルの低い人ならこの動きについてこれなくて、攻撃を仕掛けようとしている間にも私の次の手でやられてしまう。


落石カブル!」


そんなわけにはいかないと分かってはいたけど、私が石の魔法を使った次の瞬間にはアレックスが元居た場所にすっかり彼の姿はなくなっていて、背後から「ごめんね」と謝る声と同時に強風が飛んできた。


「きゃっ!」


その強風で、私は地面に打ち付けられた。


やっぱり簡単にはいかないか。

分かってはいたものの同じ飛行系の魔法を使っているはずなのにアレックスの速さは私の倍以上に思えて、私たちの間にある差に絶望しそうになった。


でも、ここで絶望していては成長なんかしない。


もっともっと強くなるために、次に何をするのか考えろ。そう思っているうちにアレックスが回転しながら私に何か魔法を唱えようとしてるのがわかったから、私はとっさに「歪みエスパス」と、覚えたての姿を隠す魔法を唱えてみた。



やった…。



アレックスは、完全に私の姿を見失ってるみたいだった。この技は誰に教えてもらったわけでもなく、私は自分の能力である"空間操作"を応用して作った魔法で、戦闘でどう使おうか迷っていたものだった。



使える、自分で考えた技が!



一瞬喜んでみたはいいものの、姿を隠すだけでは相手を倒せない。この後どうしたらいいのか。私がぐるぐると考えを巡らせているうちにアレックスはジッと静止して、何かを考えているようだった。



よし、このままこの間アマンダに習った光属性の魔法をつかってみるか。



そう思って小声で魔法を唱えようとすると、アレックスが小さい声で「ファルベ」と言った。



「きゃぁあ!」



次の瞬間、アレックスの周りからはピンクの液みたいなものが噴き出てきた。それは姿を消していた私にもしっかりとかかって、一気に私の全身はピンクに染まってしまった。


「見つけた。」


アレックスはそう言って、少し申し訳なさそうな顔で「ごめん」と言ってとどめをさす攻撃をした。

ゆっくりと私は地面に落ちて行って、そして目の前には"WINNER アレックス"という表示が現れた。



全然歯が立たないじゃん…。



すごく頑張ってきたつもりだったけど、まだ上には上がいることが少し悲しくなりながら、私は抵抗することなく地面へと落ちて行った。



空を見ているはずなのに、視界はピンクだった。

周りはピンクのペンキみたいなものだらけで、負けた上にこんなみじめな姿をさらしている自分が恥ずかしくてたまらなくなった。



「ごめん、大丈夫?」



でもそんなとき、ピンクの視界に飛び込んできたのは、アレックスの姿だった。アレックスは心配そうな顔をしたまま私の体を起こしてくれて、さっきまで絶望していたはずなのに体が触れているっていうシチュエーションに胸が高鳴り始めた。



恋をするって忙しいなと思った。



「やっぱすごいや。」



アレックスは、やっぱりすごい。

動きに全く無駄がないし、応用力みたいなものが半端じゃないなと思った。だいたいみんな私の姿が見えなくなったら動揺してしまうけど、それも一瞬で抑えてこんなへんてこな魔法で私の姿を見つけ出した。


本当に心から感心してアレックスをみると、なぜか彼は私を見て笑い始めた。


「ねぇ、笑いすぎだよ。」


何がおかしいんだろう。

そう思って不服そうな顔をしてアレックスをもう一回みたら、彼はもっと笑って「ごめんごめん、なんかおかしくて」と言った。そこで初めて自分がピンクになっていることを思い出した私は、急いでポケットに入っている鏡を取り出した。


「何これ、やばい…。」


思ったよりピンクになってしまっている自分を見て、一気に恥ずかしくなった。今までこんな姿でアレックスと話していたのかって思うと情けなくて、穴があったら入らいたいってこういう事だろうなって思った。


やばいやばいと焦っていると、アレックスはまた柔らかくふわっと笑った。アレックスのせいでこうなったのに、と不満を言おうと彼をみると、すごくすごく優しい顔をして、「大丈夫、かわいいよ。」と言った。



反則だ…。

私は逆に自分がピンクに染まっていてよかったと思うくらい、恥ずかしくてドキドキして爆発してしまいそうになっていた。


私はアレックスが本当はどこのどんな人なのかを全く知らない。

彼はおじさんかもしれないし、もしかしたら女の人っていう可能性だってある。頭でそう分かっていてもやっぱり大好きって気持ちは止められなくて、今すぐにでも伝えてしまいたいくらい、好きという感情があふれて止まらなかった。


「かわいいわけないじゃん…。

アレックスのバカ。」


やっとの想いでそう言うと、アレックスは軽く「ごめんごめん」と言った。こんなにドキドキしていること自体も恥ずかしくなるくらいアレックスとの温度差があることを感じてしまったけど、それを悲しむ隙間もないくらいに、心が満たされていっぱいになっていた。



私が心の中で葛藤しているうちに、アレックスは川でこのペンキを流そうって提案してくれた。歩いて向かおうとしていたからアレックスはまだ気が付いていないのかもしれないけど、私の能力は"空間操作"だ。


川に向かおうとしているアレックスを「待って」と止めると、彼はとても不思議そうな顔で私を見た。そんなアレックスの腕を少し得意げな気持ち掴んで、私はそのまま瞬間移動の魔法を唱えた。


驚くかなと思ったのに、アレックスは川に着いた瞬間「なるほどな」と妙に納得して言った。そして今度はアレックスが得意げな顔をして私をまじまじと見た。



そんなに見つめられたら、恥ずかしくて体もあらえない…。



そう思ってアレックスを見返すと、彼はまた不思議そうな顔をしたから「あっち、見てて」と今にも消えそうな声で言った。

するといつも凛としている彼が慌てて「ごめん!」と言ったから、ヒーローも人間なんだなと、あたりまえのことを考えた。




「ミーシャの能力、すごいね。」



服を脱ぐわけでもないから別にみられても良かったんだろうけど、女の子としての恥じらいは忘れたくなかった。アレックスにあっちを向いてもらっている間に丁寧にピンクの汚れを落としていると、彼はつぶやくようにそういった。



「そんなこと、ないよ…。

アレックスは自分の能力使ってないでしょう?」



彼が本心で言ってくれたってのは分かっていたけど、褒められるほどでもないと思った。このマジックワールドでは、自分の能力を使えば数段強い魔法が使えるってのは常識だけど、それ以外の魔法も習得をすれば使えないことはない。



ほとんどのプレイヤーが自分の能力を磨きつつ、その他必要なものを身に着けていくってスタイルをとっているけど、アレックスが自分の能力を使っているのを少なくとも私は見たことがない。


それは得意な魔法を使わなくても十分Sランクのモンスターとも戦えるし、私レベルのプレイヤーなら倒せるってことであって、私が5大ヒーローの一人なんて言われていることが恥ずかしくなるレベルだった。


アレックスは私の言葉を聞いてしばらく黙ったあと、それにこたえることなく「ミーシャのは移動、だよね」と言い当てた。


移動といっても間違いではないけど、私の魔法はどちらかというと空間を操作できるものと言ったほうが正しい。そう訂正しようとすると、アレックスは続けて「っていうより"空間操作"みたいな言い方をした方が正しいかな」と付け足した。



そんなところまで、わかっちゃってたんだ。



分かっていないと思っていたのに、蓋を開けてみたらそんなことまで見抜かれていることが、私とアレックスの経験値の差を表しているようだった。それが何となく悔しくて、そしてむなしくて、私は体を洗う手を思わず止めてしまった。


「でもすごいよ、

ちゃんと使いこなしてる。」


するとアレックスは、いつもの嘘のない誠実な声でそう言った。

すごい人にすごいって褒めてもらえる。それが素直に嬉しくて、私の気持ちは少しだけ回復し始めた。


「姿を隠すのだって、自分で考えたんでしょ?」


そしてアレックスは私が苦労して習得したってことまで理解したうえでそう言ってくれた。


この人にはやっぱりかなわない。

今は全くかなわないけど、これからだって地道に努力して、私が近づくしかないんだ。


褒めてもらったおかげか、単純な私は上位者闘争マスターズバトルに対する気合みたいなものを何とか取り戻して、姿を隠すあの技の説明をした。すると本当に感心した声でアレックスが「なるほど」と言ってくれたから、また自分の中の自信が回復したのが自分でもわかった。


「ヴィペラとの戦いのときも

瞬間移動使えばよかったのに、

動揺したら動けなくなっちゃって…。

結局助けてもらっちゃってごめんね。」


私の弱点は、判断力がないことだと思う。

いざという時に使えばいい能力を使えなくて、動揺してしまうせいで"隙"が出来てしまう。経験を積んでどんな状況でも動揺しないような精神力を身に着けるしかないんだろうけど、この間は私の判断力がないせいでアレックスに迷惑をかけてしまった。


また申し訳ない気持ちでそういうと、彼はすこし楽しそうに笑った。


「全然。

ミーシャのパーティーの中で僕の評判も上がったみたいだし

逆にありがたかったよ。」


きっと私の申し訳ない気持ちをすこしでも和らげようとして、言ってくれているんだろうな。

鈍感な私でもそれくらいはすぐに理解できて、本当に好きだなって再確認した。


そんな会話をしているうちに私の体のピンクは落ち切ったから、ずっとそっぽを見てもらってるアレックスに「終わったよ」と声をかけた。


「冷たくて気持ちいいよ。」


熱いところにしばらく座らせていたことが申し訳なくて、足をつけてみないかって意味でそう言った。けどゆっくり振り返ったアレックスは、私を見たまま固まって動かなくなった。


「アレックス?どうしたの?

あ、もしかしてまだついてる?」


洗い終わったと思ったのに、もしかしてまだペンキが残っていたんだろうか。

私が急いで全身を確認し始めると、やっと正気に戻ったらしいアレックスが「大丈夫大丈夫、ちょっとボーっとしてた」と言った。



こんな完璧な人でも、ボーっとしちゃうことってあるんだ。



もう一回アレックスを見てみると、まだちょっとボーっとしてそうな顔をしてたから、私は「えいっ。」と川の水をかけてみた。



「さっきのお返し!」



さっきは戦闘をしたといえど、全身タイツみたいにピンク色に染められた。もしかして暑くて頭がボーっとしているのかもしれないと思った私は、冷たい川の水をアレックスにかけてみた。


するとアレックスは反射的にその水をよけながら、「やったな!」と言って私にも水をかけかえしてきた。



「きゃぁっ!つめたい!」



人生には、自分でも想像できないような出来事がたまに起こる。

ゲームを始まる前は、恋なんてどうやってするのかも分からなかった私が、今こうやって好きな人と楽しく遊んでいる。


楽しくて楽しくて仕方なくて、永遠にこんな時間が続けばいいのになんて思ってしまった。



「さ、そろそろ訓練でもしようか。」



しばらく水をかけあって楽しんだ後、アレックスはそう言った。

もう終わりか。そう思いつつ、少しでもアレックスに近づくためには訓練するしかないと覚悟を決めて、「そうだね」と言った。



「じゃ、移動するから、どこかつかんでくれる?」



かかった水をしばらく乾かして、私はそう言った。するとアレックスは「よろしく」と軽く言ったあと、後ろからギュっと私の手を、握った。



う、ウソ…。

手、握ってる…。



手を通して、ドキドキが伝わってしまわないだろうか。

好きな人に手を握られるなんて初めてな私は、明らかに動揺が隠せなくなっていた。何も考えず"どこかつかんで"なんて言ったけど、まさか手を握られるなんて。


アレックスがどんな顔をしているのか少し気になってはいたものの、完全に照れている自分の顔を見られたら好きってのがばれてしまいそうだったから、私はアレックスに見られないように顔を隠した。



「んじゃ、行くね。」



私はやっとの想いでそう言葉を絞り出して、元居た場所まで戻るために魔法を唱えた。訓練場に着くとすぐにアレックスが手を離したから、彼にとっては私と手をつなぐなんてどうってことないことなんだろうなって思った。



「ありがとう。」

「ううん。」


私は照れているような、でも少し名残惜しいような気持ちで言った。まだアレックスの顔を直視することが出来なくて少しうつむいていると、「じゃ、訓練始めようか」と元気にアレックスが言った。



そうだ、切り替えなきゃ。

こんな上位プレイヤーに教えてもらえる機会なんて、もう来ないかもしれない。


私は自分の気合を入れなおす意味でも、「うん!」と元気に返事をして、訓練を始める準備をした。


「最初飛んで目くらましをするまではよかった。」

「うん。」

「でも飛ぶってことは、

やっぱり隙が出来るってことだから…」


アレックスはとても丁寧に指導をしてくれた。

すごくわかりやすくて、言われるとおりに動いていると自分の動きがすごくよくなっているのが自分でもわかって、楽しくて仕方がなくなってきた。


好きな人と訓練しているからってのもあるけど、動きがよくなるとこんなに楽しいものなのかと、心が躍った。

最初の方は色々な人に聞きながら戦い方を学んで行ったけど、自分が"ヒーロー"になってからはそういうわけにもいかなくて、自己流で色々と練習を積んできた。


でもゲーム初心者の自己流には限界があるみたいで、最近はいくら頑張ってもそこまで伸びていないって感覚を自分でも感じていたから、これだけ成長できるってのが本当に楽しかった。


このまま何時間でも訓練してほしかったけど、私には時間制限がある。そろそろだってアレックスに言ったらとても不思議そうな顔をしたから、"1時間ルール"のことを伝えた。



「今日は本当にありがとう。」

「全然。

僕もすごく勉強になったよ。

また一緒にやろうね。」



そんなこと言われたら、うれしくなっちゃうじゃん。

私の気も知らないで私を喜ばせる言葉をどんどん言うアレックスが、少し憎くすら感じた。もっと一緒にいたかったから本当は帰りたくなかったけど、もう一回お礼を言ってその場を後にした。


「はぁ…。」


ログアウトしてアイマスクを外すと、見慣れた部屋の天井が目に入った。

熱を感じているはずもないのに、アレックスに握られた右手がなんだか熱い気がして、自分の手をまじまじと見てみた。


「手、つないじゃった…。」


そこにあったのは当たり前だけどいつも見てる自分の手だったけど、今日は何だか輝いている気がした。


きっとアイドルとかと握手して、洗いたくないって思う人の心理ってこういうものなんだろうな。

私は自分の手を大事に胸に抱えて今日の出来事を振り返ってみようと思ったけど、このままじゃ恥ずかしくて寝れなくなりそうだったから、これ以上考えないようにするためにもすぐにお風呂に入る準備を始めた。

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