第2話 日常の小さな変化―美玖莉

数年変わらなかった私の日常に、新しく"ゲーム"が加わったというのは、私の中でかなりのビックニュースだった。最初は楽しみながらどこかで戸惑いもあったけど、その変化もどんどん私の中で日常に変わりつつあった。


高校生になるまでは、このまま私は現実が夢みたいで、本の中が現実みたいな人生を送っていくものだと思っていた。でも杏奈ちゃんに出会って、ゲームをはじめて、やっと現実が現実なんだって思えるようにもなってきた。そしてこの新しい日常も、どんどんお気に入りになり始めている。


「では、今日は球技大会の運営委員を決めます。」


私が新しい日常をスタートさせたからって、周りに大きな変化があるわけではない。その証拠に学校の行事はいつもと変わらず開催されるようで、その運営をする係の募集を先生がかけた。


でも球技大会って楽しみにしてる人は多くても仕切りたいって人はそんなにいないみたいで、しばらく待っても立候補が出てこなかった。それにしびれを切らした先生はくじ引きで役を決めると言った。



うそでしょ…。



何となく悪い予感はしていたけど、私のひいたくじには"あたり"と書いてあった。

これのどこがあたりなんだろう。どう考えてもはずれでしょ。



「美玖、くじ運いいね。」



くじを見て絶望している私に、杏奈ちゃんはそう言って茶化した。面倒くさいとかそういうことではなくて、私は私のお気に入りの日常が少し変わってしまうことが怖くかった。そうは言ってみたもののくじで決まったものをできませんなんていう勇気も私にはなくて、1か月の辛抱だと覚悟を決めることにした。




「岩里さん、行こうか。」

「うん。お願いします。」



会議の日があっという間にやってきて、私はどこかおっくうな気持ちになっていた。でもそんな状況の中でも唯一の救いに思えたのが、男子の中で貧乏くじを引いたのが人気者の松浦君だったことだった。人気者が選ばれたということだけあって、クラスのみんなはすごく協力的になったように見えたし、他のクラスの人とのコミュニケーションも彼に任せておけばいいと、すごく無責任なことを考えた。



「太輔、美玖のことよろしくね。」

「保護者じゃないんだから。」



そしてありがたいことに、部活でよく一緒になるという杏奈ちゃんが松浦君にそうお願いしてくれたから、とてもやりやすくなった。私も二人みたいに人とうまくコミュニケーションが取れるようになりたいと思わなくもないけど、頑張ってみても出来るようになる想像すら出来なかった。



こんなとき、もしミーシャになることが出来たらうまく話せるようになるんだろうか。


私はそんなありもしないことを考えながら、松浦君の後ろを飼い犬みたいに追いかけた。必死で追いかけているうちに会議が行われる教室にあっという間についてしまって、そこに集まるたくさんの知らない人の雰囲気に少し圧倒されてしまった。


「えっと、あっちだ。」


松浦君はそんな中でも堂々と教室の中を進んで行って、指定された席にすんなりと座った。相変わらず彼の背中を追うしかできない私は、言われるがまま椅子に座って、出来るだけなんともない振りが出来るように背筋を正して座った。



「すみません、B組の代表者の人たちですよね?」



するとすぐに、後ろから、多分チームを組むクラスの人の声が聞こえた。普通ならその声に反応してすぐに振り返ればいいのかもしれないけど、私は体をこわばらせたまま思わず聞こえないふりをしてしまった。



「あ、はい。F組の代表者だよね?」

「うん、そうそう。よろしくね。」



とても失礼な私の代わりに、松浦君は明るく対応してくれた。それに少しホッとしつつまだ前をみていると、私以外の3人はフランクに「よろしく」なんて会話をしていた。


「岩里さん、Fの代表の人たちだって。」


このまま空気として扱ってくれてもよかったけど、フランクな話がいったん終わると松浦君は私をF組の二人に紹介してくれた。さすがに私もそれを無視できるほど度胸が据わっていなかったから、私は恐る恐る振り返った。


Fの代表だっていう二人のうち女の子の方は、一緒に体育の授業を受けている立宮さんだった。話したことはないけどいつも授業で杏奈ちゃんと楽しそうにはりあっているから、名前だけは知っている。


「美玖莉ちゃん、私のことわかる?」

「あ、はい。立宮さん…。」


どこか杏奈ちゃんと同じ雰囲気を感じさせる立宮さんは、ずっと前から知っていた友達みたいに私を"美玖莉ちゃん"と呼んでくれた。それがなんだか嬉しくて、でもどこか恥ずかしくて最初は動揺したけど、そんな私に「天音でいいよ~!」とまた明るく言ってくれたのが嬉しくて、思わず笑顔でうなずいた。



「ほら、あんたも。」

「篠田、です。」



天音ちゃんの横でぶっきらぼうな顔をして座っていた篠田君は、やっぱりぶっきらぼうな様子でそう言った。

人と話すのがとても苦手な私は、男の人と話すのはさらに苦手だ。篠田君は少なくともクラスの男の子みたいに乱暴そうには見えなかったけど、それでも私からそれ以上質問したり話したりすることは、当然出来なかった。


「なにそれ、あっけないな。」

「一発芸でもしろってか?」

「してくれるならしてもらいたいくらいだけど。」


私が内心そんなことを考えているなんて想像できるはずもなくて、篠田君と天音ちゃんは慣れた様子でそんな掛け合いをした。少なくとも二人がとても仲良しな事だけは分かって、もしかして二人は恋人同士なのかなと考えた。


「篠田君はなにか部活してるの?」


やっぱりコミュニケーション能力にすぐれている松浦君は、間に入れそうもないほど仲良しに見える二人の間を割ってそう聞いた。私が感心している間に天音ちゃんは「アキでいいよ、アキで」なんてさらに私の想像の上をいく返答をしたもんだから、華やかな世界で生きている人たちはすごいなと思った。



「二人、めちゃくちゃ仲良しだね。」


松浦君は、そんな二人のやり取りを聞いてそう言った。

私だけが思ってたわけじゃなかったんだ。やっぱり二人は付き合っているんだろう。

心の中で勝手にそう解釈しようとしていると、「幼稚園から一緒だから兄妹みたいなものだよ。」と篠田君が言った。




なんだ、付き合ってないのか。



よくわからないけど私が少し残念に思っていると、松浦君は「アキがお兄ちゃんの方なの?」と質問をした。その質問に天音ちゃんは大きく首を振りながら「んなわけないじゃない。」ときっぱり否定した。


「私がお姉ちゃんだし、なんなら兄妹ってより腐れ縁だし。」

「僕の方が誕生日早いんだから僕の方がお兄ちゃんだろ。」

「はい、でた。昔からその意味わかんない理論言うよね。

でも精神年齢は絶対私が上。」


ボーっとしていたら聞き逃してしまいそうなテンポで、二人は慣れた様子でそう否定しあった。私には幼馴染ってものがいたことがないし、まともに友達って呼べるのも杏奈ちゃんくらいしかいなかったからわからない。でも二人がまるで漫才を見ているように楽しくお話するもんだから、私は思わず笑ってしまった。



「はい、そろそろ皆さん集まっているでしょうか。」



笑ってしまって、悪い気はしてないだろうか。

ごめんと謝ろうとしたのにその時タイミングよく担当の先生が教室に入ってきて、わしは結局何も言えなかった。会議が終わった後も三人はなんだか楽しそうに話しをしていたけど、私はその輪に入っていけるはずもなく、当たり障りのない挨拶をしていつも通り図書館に向かった。




それから数日間、私たちはクラスTシャツについていろいろと話し合いをしてみたけど、あまりこだわりがないせいか話はあまり順調に進まなかった。私も何か力になりたいと思って意見を言いたかったけど、こんな私が力になれるはずもなく、考えているうちにみんながTシャツの色は青ってところまで決めてくれた。



情けないなぁ、と自分が自分で嫌になる。



うじうじとしているうちに話し合いはどんどん先に進んで行ってしまって、今度は松浦君がデザインをどうしようかという話を始めた。するとそれに今度は迷うことなく、天音ちゃんが「アキにテキトーに絵かいてもらえばいいよ。」と言った。


テキトーにって、それが出来るのって本当にすごいと思う。

いつも本を読んでいるせいか、何人かにおすすめを聞かれたことがあるけど、ジャンルの指定もなく"なんでもいいから"と言われた時が一番困る事、私は知っている。


大丈夫かなと思って篠田君の方を見たけど、相変わらずぶっきらぼうな顔をしていて、何を考えているのか私にはさっぱりわからなかった。



「アキはそういうの得意なの?」



分からなくても聞けずにいた私の代わりに、松浦君がそう聞いた。天音ちゃんはその質問も篠田君の代わりに「そうそう」って答えていて、篠田君はそれにとても不服そうな顔をしていた。


「そうなんだ、見てみたい。」

「いいじゃん、アキ。暇でしょ?やってよ。」


強制するのはあまりよくないと思ったけど、私は代わりに描いてあげられるほど上手じゃないから、やっぱり様子を見守るしかなかった。何も言えないまま座っていると、ついに「美玖莉ちゃんも、見たいでしょ?」と天音ちゃんに振られたから、そこは素直に「うん」と答えておいた。


するとそこで、初めて篠田君と目が合った気がした。やっぱり嫌だったかなと思って心配になったけど、篠田君は嫌そうではない顔で「2~3個案出すから、その中から決めてくれよな」と答えてくれた。



2個も3個も考えられるのか。

私は自分が出来ないことが出来るらしい篠田君に素直に感心していたけど、こんなにあっさり任せていいものなのかっていう罪悪感もどこかにあった。でも私以外の二人にはそんな気持ちはみじんもないらしく、「よろしくね~」と軽くお願いをしてその日はお開きになった。




Tシャツのデザインを篠田君が書いてくれる1週間の間、運営委員としての仕事はあまりなかったから、私はまた図書館に直行していた。恋をしてからというもの、自分が読む本も恋愛の本ばっかりになった気がして、そんなミーハーな自分がいたことに自分でも初めて気が付いた。


このまま遠くからアレックスのこと見ているだけでも、十分楽しいし幸せだ。でもやっぱり、いつかその先も見てみたい気持ちも確かにあって、その自分の中のジレンマがとてももどかしかった。



こんなに好きになっているけど、アレックスがもしおじさんだったらどうしよう。



そう考えないわけでもなかったけど、それ以前に恋愛スキルがなさすぎる私は1歩前になんて進める気が一切してなかったから、そこを心配するのはまだ早いって思った。



「ふぅ…。」


邪念があったら、本に集中できない。

私はいつもの席に座って小さく息をついて、今日も本の中に入り込んでいった。



今日は、バイオリニストを目指す女の子と、仕事に疲れて無職になってしまった男の人が恋をするという不思議なお話を選んだ。二人とも人生に絶望して挫折しそうになっていたはずなのに、恋をしていくうちにそれが原動力になって、結局は恋も人生も頑張ろうって立ち上がる。


人生をかけて頑張っていたはずのことに挫折までしたのに、そんな気持ちすら立て直してしまう恋って本当にすごい。私も少し前まで知らなかったはずだけど、アレックスに出会ってその気持ちは少しだけ理解できるようになった。


最初は別の自分になりたいと思って始めたゲームだったのに、気が付けばアレックスと一緒に戦えるくらい強くなりたくて、そのために一生懸命努力して、ゲームを続けられるために勉強だって頑張れて…。


エンジンは"恋"一つだけのはずなのに、それ一つで私は私生活でもどんどん違う自分になっていっている気がした。少し前までは変わらない毎日を過ごしたいと思っていた私が、アレックスともっと話したい、もっと一緒にいたいって思うくらい変化を求めるようになるなんて、夢にも思わなかった。


でも思ってみたところで、私に出来るのはせいぜいクエストに誘うくらいだ。

物語の中で女の子は積極的に自分の気持ちを言ったり表現したりしていたけど、私には到底出来そうにない。


ハッピーエンドな物語を読んで気持がすっきりしているはずが、変わり切れない自分にモヤモヤする気持ちもどこかに残っていて、それがすごくもどかしく思えた。そんな気持ちをしまうみたいに本をバタッと閉じて、そろそろ家に帰ろうと片づけを始めると、いつの間にか端っこの方に遠慮がちに座っている篠田君の姿が目に入った。



いつの間に、そこに座っていたんだろう。



昔から本に集中すると本当に周りが見えなくなるから、多分攻撃されても全く気が付かないと思う。その証拠に篠田君は私の視界に一番入るところに座っているはずなのにいつ入ってきたかすらも私は気が付いていなくて、驚いて思わず篠田君をじっと見てしまった。


そこに座っている彼は、ぶっきらぼうな返事をしていたのとは打って変わって、とてもきれいな姿勢で絵をサラサラとかいていた。本当にその手つきは文字通り"サラサラ"って感じで、そんな風に絵がかける事がますますうらやましくなった。


なんでか分からないけど私はしばらく篠田君が絵を描いている姿から目が離せなくて、無意識に見入っていた。すると絵を描き終えたらしい篠田君はグッと背伸びをして、そしてそのまま、対角線上にいた私に気が付いたみたいだった。



うわ、どうしよう。



ここ数日何度もあってはいるけど、二人で話したことなんてもちろんない。それにこんなにじっと見つめてしまっていて、せっかく集中してたのに邪魔しちゃったかな。


色々考えているうちに動きが止まってしまった私に、篠田君は驚いた顔をしつつも小さく礼をしてくれた。私があわてて大げさに礼をすると、篠田君は周りの物を鞄の中に片付けて、こちらの方に近づいてきた。


「こんにちは。」

「あ、こんにちは。」


とても丁寧にあいさつをしてくれる篠田君に、私はまだまだ慌てたまま返事をした。何を話せばいいのか迷っていたけど、篠田君が「よく、来るの?」と質問をしてくれたから、私はやっとの想いで「うん」と返事をした。



私は毎日ここにきているけど、私以外の生徒が席に座っているのを見るのは初めてだった。篠田君もきっと初めて図書館に来たんだろうな。分かっていたものの、このまま私が会話を止めてしまうわけにはいかないと思って、「篠田君は?」と質問をしてみた。


「デザイン、書きに来た。

家だと妹が邪魔で。」


妹さん、いるんだ。

コミュニケーション能力がある人ならここで声に出してそういうのかもしれないけど、私の中ではデザインを任せてしまった罪悪感が圧倒的に勝っていたから、「ありがとう、ごめんね」とつまらない返事が出てきた。


それと一緒にペコリと頭を下げると、篠田君の手に握られている紙が目に入った。その紙は3枚あるみたいだったから、今日だけで全部かきあげたんだろうか。


すごいな、才能だな。


私が思わずその紙に見入っていると、篠田君は「見る?」と聞いてくれた。

男の人で絵がうまい人って、人生で初めて見る。純粋に興味があった私は、その質問に「うん」とうなずいた。


「ここ、いい?」


篠田君は、私の隣の席を指さしながら言った。

別に私の席ではないからそのまま座ればいいのに。篠田君はぶっきらぼうに見えて、とても丁寧で気が使える人だと思った。


思えばこうやって学校で男の人と二人で話をするのは初めてかもしれない。自然に話ができているかは別として、こういう状況が作られている事すら私にとっては新鮮で、自分の変化に自分が一番驚いていた。


「こんな感じなんだけど…。」


私があれこれ考えているうちに、篠田君はその絵を机の上に広げた。



すごい…。



私が想像していたよりずっと、篠田君は絵がとても上手だった。1枚はとてもシンプルなロゴって感じのデザインで、私たちのクラスのBとFが合わさって一つのマークみたいになっていた。2枚目はスポーツをする男女の姿がかわいく描かれているデザインで、球技大会らしさが表現されていた。そして三枚目はとても細かくて繊細な絵で、私の語彙力では表現しにくいけど、花や草木と一緒にボールやスポーツをするシルエットとかが組み合わさって一つの形になっていて、真似してかけと言われても私にはできそうもなかった。


本当にすごい。

今まで男の子はただ乱暴でうるさいものだって思っていたけど、こんな繊細なものがかける人もいるんだ。男の子でくくって乱暴だって決めつけていたこと自体とても失礼な事なのだろうけど、少なくとも今まで出会ったことのないタイプの人に出会った驚きで、私はしばらく言葉を出せずにいた。



「やっぱり、微妙だよな…。」



しばらくすると、私があまりに黙っているから篠田君が申し訳なさそうにそう言った。私はそれを訂正すべくすぐに篠田君をみて、「いい、すごくいい」と素直に感想を言った。



「ありがとう。自信出た。」



私が勢いよく顔をあげたから驚いたのか、篠田君は一瞬止まって少し驚いた表情をした後、ふわっと柔らかく笑ってそう言った。



あれ、この笑顔どこかで見たことある気がする。



そう思ってはみたけど、すぐに誰って思い出せなかった。それに自分の感情を素直に表現してしまったことが急に恥ずかしくなって、消えそうな声で「うん」って答えるしか出来なかった。



「ごめんね、邪魔して。

見てくれてありがとう。」

「ううん、こちらこそありがとう。」


篠田君はやっぱりとても丁寧にそう言って、颯爽と去って行った。

その背中を見送った後、本も読み終わったんだから帰ればいいのに、私はその場でしばらくボーっとしていた。



前まで学校に来ても、司書の先生か杏奈ちゃんとしかまともに話すらしなかったのに、自分が男の子と話をする日がくるなんて。


外から見れば小さな変化なのかもしれないけど、私の中ではとても大きな変化で、自分の人生でこんな変化があるなんて思ってもみなかった。



しばらく変化がなかった私の日常に、たくさんの小さな変化が訪れたのは、もしかしたら全部マジックワールドのおかげなのかもしれない。



こうやって小さな変化を積み重ねていったら、いつかアレックスにも自分の気持ちを伝えられる日がくるんだろうか。でも気持ちを伝えてしまったら今みたいに気軽に会えなくなることの方がずっと怖くて、私がみんなみたいに普通に恋が出来るようになる日は、まだまだ先なんだろうなと思った。

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