第2話 一歩目を踏み出す勇気ー晶斗


「え、まだ話せてないの?」


知られたくないやつらに彼女のことを知られてから、多分一週間くらいがたった。こうやってこいつらは毎日茶化してくるけど、平均値の男がそう簡単に知らない女の子に話しかけられるわけがない。



――――ヒーローでもあるまいし。



「うっせーな。」

「お前そのまま図書館通ってたら相当キモいぞ。」

「うん、ほんとね。」


僕のそんな気も知らないでテキトーなことを言い続けるこいつらと、もう友達をやめてしまおうかと思う。


とはいえ、あいつらの言うことは正しい。そんなことは僕でも十分わかっていた。恋心を抱いているのに少し見えるくらいの位置で観察し続けているなんて、客観的に見たら相当キモい。そろそろ何か行動を起こさなければただのストーカーになり下がってしまうことくらい自分でもわかっていたから、日々どうやって話しかけようかとそればかり考えていた。



そんな僕に、思わぬチャンスが訪れた。僕と同じく平均値の学校であるこの高校には、平均的な行事ともいえる球技大会というものが存在していて、それは2クラス合同のチームを組んで行われる。


そのチームがなんと、彼女のクラスと同じになることとなった。


「いやお前、ラッキーだな。」

「ここ逃したらどうしようもないってくらいのチャンスね!」


そのチャンスに僕より興奮した天音は、そそくさとクラスを出ていって彼女がどの球技に出るか調べに行った。


「アキ!運営委員やりなさい!」


しばらくして帰って来た天音は、もっと興奮してそう言った。よくよく話を聞いてみると、彼女はそのクラスの運営委員に選ばれているらしく、それをすれば彼女と接する時間も増えるだろうとのことだった。



「おい~お前ら~座れよ~。」



天音が僕をまくしたてているうちに、冴えない担任がやって来た。確かに彼はさえないけど、でも彼女に出会うきっかけを作ってくれたことにはそれなりに感謝している。その感謝も込めて僕は素直に言うことを聞いて、興奮している天音もすぐに席に座らせた。


「球技大会の運営委員、誰かやってくれ。」

「はいっ!篠田君がやります!」


全員が席に着くのを確認するなりそう言った担任とほぼ同時くらいのタイミングで、天音はこの階に響き渡るのではないかと思うほど大声でそう言った。


「おい、立宮。お前率先して人を推薦すんなよ。」

「せんせ~。僕も賛成で~す。」


静止する担任を無視してシュウがそう言うと、同調した何もしらないクラスメイト達がどんどん声を上げていった。本当に無責任なやつらだ。自分がやりたくないからって人に押し付けるなよ。僕はそう思いながらもまんざらでもない顔で座っていたと思う。


「んじゃ篠田。よろしくな。女の方は立宮でいいな。」

「ええーーーー!」

「当たり前だろ。人に押し付けたんだからお前も責任取れ。」


天音は不満そうにぶつぶつ言っていたけど、僕にとってはそんなことはどうでもよかった。もしかしたらこれで僕も彼女と話せる機会が出来るかもしれない。さっきまでは友達をやめようかと思っていたやつに心の中で感謝しながら、僕はまた淡々と次の授業の準備を始めた。




「も~アキ行くよ~。」


運営委員会の会議の当日、天音はすごくだるそうにそう言った。そもそも天音は俺たちと違って運動神経抜群で、バレー部でエースとして活躍している。もう一人エース級の選手がいると聞いたことはあるけど、あまり興味がないから詳しくは聞いていない。

とにかくこんな委員会より部活に早く行きたいという雰囲気をビシビシとこっちに伝えながら、天音はとてもだるそうに、でもきびきびと僕の手を引いた。


全学年の各クラスから2人ずつ代表者が集まるその教室は、普段あまり会う事もない人たちの一時的な集まりということもあって、どこか少し新鮮な空気を醸し出していた。僕はあの子のことなんて全く気にしていないっていうふりをしながら、しっかりと教室全体を見渡した。



――――いた。



図書館以外で彼女を見るのは初めてだったけど、相変わらずとてもキレイな姿勢で座っていた。気にしていないふりをしていたはずだった僕が知らないうちに彼女にくぎ付けになっていると、それに気づいた天音が僕の足を思いっきり踏んだ。


「いっった。」

「そんな間抜けな顔してると、話す前から嫌われるよ。」


僕がどのくらい間抜けな顔をしていたのかなんてもうわからないけど、天音の言うことは確かに間違っていない。僕は僕の中で出来る一番凛々しい顔を作って、指定された席に向かう天音の背中を追った。


僕たちと彼女たちのクラスはチームとなるということもあって、席は前後に配置されていた。それを知った天音はニヤニヤと笑いながら僕を見て、小声で「よかったね」と言ったけど、僕はそんな声なんて耳に入らないくらい緊張していた。


近づいただけでこんなになっていてどうする。


僕はまた自分で自分に言い聞かせながら、なんとか凛々しい顔を作った。


「すみません、B組の代表者の人たちですよね?」


僕が心の中で葛藤し続けている間に、天音はいたって普通に、そして屈託のない様子で前に座っている二人に話しかけた。まるでよく知った友達に話しかけるようにナチュラルな口調で聞くもんだから、もしかしたらちょっとした知り合いなのかなと勘違いしそうになった。


「あ、はい。F組の代表者だよね?」

「うん、そうそう。よろしくね。」


そんな天音の様子にナチュラルに答える男の代表者の横で、彼女はまだ前を向いて座っていた。彼女の向かって斜め後ろ側に座った僕は、彼女に振り向いてほしいようなほしくないような複雑な気持ちを抱えながら、男の代表者に「よろしく」と社交辞令を言った。


「立宮さん、だよね。」

「うん、あれ、何で知ってるの?」

「俺、バスケ部だから、たまに横で練習してて。」


天音を知っているらしい彼は、少し恥ずかしそうにそう言った。一方的に知られているなんて、やっぱり人気者なんだと思いつつ天音の方を見ると、「そうなんだ」と興味なさそうな答えをしていた。なんでこいつに人気があるのか僕には全くわからない。


「岩里さん、Fの代表の人たちだって。」


天音にそんな扱いをされていても気にするそぶりもない彼は、僕から見ても爽やかなイケメンに見えた。そんなやつを知らないなんて天音も薄情なやつだなと思いつつ、彼女の名前が「岩里さん」だという事を知れたというだけでも、僕の気持ちは高揚した。


イケメンの彼が声をかけると、今まで僕たちの話なんて耳に入らない様子で凛と座っていた彼女が、ゆっくりと振り返った。

僕にはその光景がすごくゆっくりに見えて、自分でもわかるほど気持ち悪いくらい、彼女が振り返るキレイな姿から目が離せなくなっていた。


「俺が男子代表の松浦太輔(まつうらたいすけ)で、こっちが女子代表の岩里さん。」


僕のそんな淡い気持ちを知っているわけもなく、松浦君は軽々しくそう紹介した。

軽々しく紹介できるような関係なのか、もしくは彼がそういう性格をしているから軽々しく聞こえるのかわからなかったけど、とにかくうらやましかった。



「よろしく、お願いします。」


か、か、かわいい…。


彼女は絞り出すようにそう言った彼女の声は、もう録音して常にイヤフォンで聞いていたいくらい清らかで繊細だった。

初めて聞いたはずなのにどこか聞きなれた声にも聞こえたけど、そんなことより正式に彼女のことを知ることが出来たという事に、叫びたくなるほど胸が高まっている自分がいた。


自分ではうまく隠せていたつもりだったけど、天音にはすべてばれていたらしい。その証拠に天音は見えないところで僕の足を思いっきり踏んで、意味ありげにニヤニヤと笑った。




――――後で覚えとけよ。




まるでアニメに出てくる弱いやつの捨て台詞みたいなことを心の中で言うのが精いっぱいな自分が、本当に情けなく思えた。


「美玖莉ちゃん、私のことわかる?」

「あ、はい。立宮さん…。」


天音はまた、幼馴染の僕に話しかけるのと同じテンションでそう言った。その勢いに少し引きながらも、僕はまだ彼女を直視できずにいた。


「天音でいいよ~!美玖莉ちゃん、よろしくね!」

「うん、こちらこそよろしくね。」


天音のあまりの無神経さに最初は彼女も驚いていたみたいに見えたけど、少なくともその笑顔に警戒心を少しといたというのは、彼女がため口で話し始めたことからも読み取れた。こいつは昔からこういうやつだ。今までは節操のないやつだと思っていたけど、こういう時ばかりは天音の屈託のなさがうらやましく思えた。


「ほら、あんたも。」


僕がそんなことを考えながらボーっとしていると、天音はまた意味ありげな顔をして笑って自己紹介を促した。その顔が"意味ありげ"に見えたのは、本当に意味があったからと僕が思っていたからで、周りから見たらなんともない顔に見えたのだろうか。今の気持ちの動揺を隠すために、心の中で関係のないことを必死に考えている僕がとても情けなく思えた。


「篠田、です。」


どこまでも情けない僕の口からは、思っているより小さい声しか出なかった。元々若干人見知りだからまだ打ち解けられていないというのはもちろん、彼女を目の前にしていつも通りになんてできるはずがなかった。


「なにそれ、あっけないな。」

「一発芸でもしろってか?」

「してくれるならしてもらいたいくらいだけど。」


天音といつものやりとりをしながらも、彼女の方を一瞬も見れない自分がますます情けなくなった。


「篠田君はなにか部活してるの?」

「アキでいいよ、アキで。」


こんな僕にも爽やかに話しかけてくれる松浦君の質問をさえぎるように、天音は食い気味でそう言った。自分の名前みたいに言うなよと思って天音をにらみながら、松浦君には「帰宅部だよ」と正直に答えた。


「二人、めちゃくちゃ仲良しだね。」

「幼稚園から一緒だから兄妹みたいなものだよ。」


松浦君は自分のことも太輔と呼んでとフランクに言ってきたけど、僕は同性の友達ですらそんな軽々しく下の名前で呼べない。なんて情けないんだとまた落ち込んでいる僕に、「アキがお兄ちゃんの方なの?」とすでに僕を下の名前でフランクに呼ぶ彼のコミュ力がさらに追い打ちをかけた。


「んなわけないじゃない。

私がお姉ちゃんだし、なんなら兄妹ってより腐れ縁だし。」

「僕の方が誕生日早いんだから僕の方がお兄ちゃんだろ。」

「はい、でた。昔からその意味わかんない理論言うよね。

でも精神年齢は絶対私が上。」


このくっだらないやり取りは、もうたぶん数千回は繰り返した。数千回はちょっと盛ってる気がするけど、数百回は確実に繰り返していると思う。こんな聞いている途中で寝てしまいそうなくらい退屈な話のどこがおもしろかったのかわからないけど、岩里さんがクスッと笑った。



笑ったぁあああああ!

笑ってるぅううう!!!!



そこで初めて彼女の顔をしっかりと見た。透き通っていて繊細で、何より美しくて…。何でもするから頼むからずっと笑っていてくれと、無謀なことを考えるほどに、彼女の笑顔から目が離せなくなっている自分がいた。



「はい、そろそろ皆さん集まっているでしょうか。」



僕が彼女の余韻を浸っている間に、教室に体育教師が入って来た。

もう少し見ていたかったのに。本気で残念に思いながら姿勢を正すと、ニヤニヤとこっちをみる天音の顔が横目に入ったけど、僕はそれを完全に無視した。





「お疲れ~。」

「うっす。」


球技大会について色々決めなければいけないことについて話し合いをするために、あの初回の会議が終わってからも僕たちは4人でよく集まっていた。普段なら全力でだるいと思う僕だけど、それを口実に岩里さんと会えるってことが何よりうれしくて、話し合いがある日はなんとなく気分が躍っていた。



「どうだった?Tシャツの色。」

「なんかあんまりこだわりないみたい。」

「こっちも同じ。」



うちの学校では、球技大会でチームTシャツというものを支給してもらえる。チームTシャツとはいってもそれは色のついたただの無地のものだけど、それにそれぞれのクラスで飾り付けをして楽しむのが、この大会のもう一つのお楽しみになっている。僕は割とそういうのはどーでもいいけど、岩里さんの手前そんな態度を見せるわけにもいかない。



「んじゃ、チームTシャツは青ってことで。」



クラスにも一応Tシャツについての意見を聞いてみたものの、結果まとまらないかった。B組もどうやらそうだったらしく、天音と太輔がテキトーに話し合ってそう決めてくれた。実際相槌くらいしか打っていなかった僕だけど、責任感のあるやつだと彼女に思ってもらうためにも、しっかり話し合いに参加しているフリをした。


「デザインはどうしよっか。」

「アキにテキトーに絵かいてもらえばいいよ。」


テキトーにってなんだよ。人に頼むばかりでやったことのないこいつは、"テキトー”こそ一番難しいことだと知らない。岩里さんがいる手前、僕が頼みごとを断れないということを知ってか知らずか、天音はいつものニヤケ顔でそう言った。


「アキはそういうの得意なの?」

「そうそう、こいつ無駄に絵うまいから。」


無駄とは心外だ。

自分で言うのも気が引けるけど、僕が唯一得意ともいえるのが絵だ。美術とかでコンクールにだして賞を取れなかったことがないし、一度授業で書いた絵が全国のコンクールまで進んだこともある。


得意ではあるのは認めるけど、でも別に絵を描くのが好きなわけではない。昔から絵を描いたら褒められるってだけで、描きたくて描いたことは一度もない。得意なのに好きじゃないなんて珍しいと美術の先生にもったいがられたこともあるけど、それでも僕は美術部に入ろうとも思わなかったし、強制的にかかなければいけない時以外は描く気すら起きなかった。


「そうなんだ、見てみたい。」

「いいじゃん、アキ。暇でしょ?やってよ。」


その一言さえなければすんなりと引き受けるのに。僕はそう思いながら天音を少しにらんでみたけど、その僕のにらみ顔をバカにするように天音は得意げな様子をした。


「美玖莉ちゃんも、見たいでしょ?」


その一言が僕にとって決定打になることをわかっていながら、天音は嬉しそうにそう言った。身を乗り出してそう言う天音にすっかり心を許している岩里さんは、ニッコリと曇りのない笑顔を見せて「うん。」と言ってくれた。


「2~3個案出すから、その中から決めてくれよな。」


出来るだけだるそうに言ったつもりだったけど、彼女の笑顔を見た余韻で僕の顔はにやけていたと思う。その証拠に天音はまた意地悪そうな顔をして、ポンと僕の肩を叩いた。


「よろしくね~、アキ。」

「楽しみにしてる。」


それから僕には1週間の猶予が与えられた。逆に与えられた猶予は1週間しかないってことだった。しばらく集中して作業すべく家に帰った後は部屋にこもって色々考えてみたけど、妹に邪魔されたり妹に邪魔されたり妹に邪魔されたりして、2日間は全く作業が進まなかった。


どこか妹に邪魔されないいい場所はないのか。そう考えた時、僕の足りない頭で考えられる場所は一つしかなかった。授業が終わってそそくさと部活に行く天音と、いつも通りだるそうに帰っていくシュウを見送って、僕はあの場所へと向かった。


岩里さんと初めて話をして以来、図書館になかなか行けなくなってしまった。今までは気持ち悪く見ているだけだったので気軽に通っていたけど、いざ話せる関係となってしまった今、二人になったら何を話せばいいのかわからなくなって、自然と足が向かなくなった。


もし話せる機会ができたらなんて言えばいいんだ。

そんな不純なことを考えながら久しぶりにドアを開けてみると、そこは相変わらず静寂につつまれていて、聞こえる音と言ったら自分の足音と何かの機械の音だけだった。そして緊張しながら静かに図書館の奥へ進んで行くと、やっぱり同じ席で読書をしている彼女の姿があった。



――――いた。



彼女の姿勢は、やっぱりキレイだった。ピンと伸びた背筋や腕の角度がそうみせているだけじゃなくて、彼女から感じる雰囲気が澄んでいるように見えた。




好きになるって、おそろしいな。




それは生きていて初めて感じる感覚だった。そんな自分の変化を恐ろしくも感じながら、でも心地よくも感じていて、なんだか本当に自分はおかしくなってしまったのだと錯覚させた。



ってゆうか、どこに座るのが正解なんだ。



何も考えずに来たけど、岩里さんを知ってしまった今、どこに座って作業をするのが正解なのか僕にはわからなかった。


今まで通り彼女が見る位置に座っているのに声もかけないのは変だろうか。

でもかといって声をかけてしまえば、近くで作業をすることになって彼女の邪魔をしないだろうか。


一瞬のうちにたくさんのことを悩んでみたけど答えが出せなくて、僕は結局今まで通り、彼女の定位置から一番遠い席に座った。




ここに来たって、集中できないのではないか。




そう思いながらここに来たし、実際最初は岩里さんが目に入って集中できなかった。でも静かな空気にどんどん僕は溶け込んで、すぐに僕の意識は絵の中に入り込んでいった。


デザインを引き受けたのはいいものの、もしかしたら何も書けないのではないかと実はここ2日間心配していた。でも一度集中してしまったら驚くほどすらすらと案が完成していって、ものの2時間ほどで3つのデザインを書き上げた。


やっぱり妹が邪魔だったんだ。

自分の中の唯一の自信を取り戻して大きく背伸びをすると、対角線上にいる彼女が目に入った。そして目に入った彼女は、どう見ても僕の方を見ていた。




うっわ、目が合ってる。




自分が想像していたより僕はすごくピュアらしい。目が合ったというだけで動揺して思わず一瞬固まってしまったけど、このまま見つめあっているわけにはいかないと思って何とか小さく礼をしてみた。


僕の反応を見て彼女も遠慮がちに礼を返してくれたから、目が合っていたというのが勘違いでないという事だけは確認することが出来た。でもこの後どう行動するのが正解なのか、恋愛の経験値がなさすぎる僕にはまったく見当もつかなかった。


このまま「じゃ」といって立ち去ってしまおうか。

この場から逃げ出そうと考えてみたけど、そんなことしたらあの厄介な二人に叱られることだけは自分でも想像が出来た。



どれだけ考えてみてもどうしたらいいのかの正解は全く分からなかったけど、もう帰るつもりだった僕は荷物をまとめて、その足で彼女のもとに勇気を出して近づいていくことにした。



「こん、にちは。」



なんだよその定型文中の定型文。


もっと天音みたいにフランクに話しかけられればいいのだろうけど、そんなスキル急に身につくはずもなく、僕は日本人の挨拶の中で最もポピュラーな定型文を使った。すると彼女も「こんにちは」と、あたりまえだけど同じように定型文を返してくれた。


「よく、来るの?」


知っているはずなのに聞くのは、やっぱり気持ち悪いと思う。でもコミュ力がなさすぎる僕にはそう質問するしかなかったし、質問が出来ただけ進歩だと自分で自分を褒めたいくらいだった。



「うん、毎日…。」

「そっか。」



終わった。

つまらんことを聞くから、彼女もありきたりな事しか返せなくなる。せっかく一歩踏み出したはずだったけど僕はその場で足踏みをしていただけのようで、そのまま全力で後方に走り去ってしまいたいくらいの気持ちになった。


「篠田、君は?」


そんな情けない僕に、彼女はそう聞いてくれた。


尊い…。尊すぎる…。

ずっと画面越しに応援していた推しの握手会にでも来たような気持になって、僕はガッツポーズをしたいくらいの気持ちでいた。


「デザイン、書きに来た。

家だと妹が邪魔で。」


僕の答えに、彼女は小さく「ありがとう、ごめんね」と言ってくれた。そしてその後もじっと僕の手の中にある紙を見ているもんだから、思わず「見る?」と聞いてしまっている自分がいた。


彼女はその問いに、言葉を発することなく「うんうん」と何度もうなずいてくれた。本当に興味がありそうな様子でうなずいてくれるもんだからそれがなんだか嬉しくて、多分僕の顔は隠していたつもりでも嬉しがっていたと思う。


僕はその乗りで大胆にも「ここ、いい?」と彼女の隣に座っていいか聞いて、彼女も迷うことなくその提案を了承してくれた。座りながらこんな近くにいることを自覚してドキドキが止まらなかったけど、悪くない高揚感だなと思った。



「こんな感じなんだけど…。」



僕は遠慮がちに、3枚のラフ案を広げた。彼女は相変わらず目をキラキラさせたままその絵をじっくりみて、そのまましばらく何も言わなかった。


微妙だったかな。

あまりにも何も言ってもらえないもんだから、だんだんと不安になり始めた。でも同時にこんなに近くで正式に彼女と話ができているという奇跡が嬉しくて、一生黙っていてくれてもいいのにと思っている気持ち悪い自分もいた。



「やっぱり、微妙だよな…。」



でもさすがにしびれを切らして、僕は思わずそう言った。絵を描くなんて本当に久しぶりだったから、完全に感覚が鈍ってしまっただろうか。妹のせいにしてかけないことにしていたけど、やっぱり自分の感覚のせいだったのかもしれない。


そう思って落ち込みかけた時、彼女はその目をキラキラさせたまま僕を見上げた。その距離が近すぎて僕が固まってしまったのは言うまでもない。


「いい、すごくいい。」


彼女が目をキラキラさせたままそう言ってくれるもんだから、僕はそれ以上目が見ていられなくなって思わず目をそらしてしまった。でもそんな僕の気持ちも知らないまま彼女はデザインの感想を嬉しそうに言ってくれたから、ああ描いて本当に良かったと思った。



「ありがとう。自信出た。」



弾丸で感想を言った後、やっと彼女の目を見返してそういうと、彼女は恥ずかしそうに目を伏せて「うん」と言った。



ああ、かわいい。かわいすぎる。

推しが、尊すぎる。



僕は調子に乗って一緒に帰ろうかなんて言ってみようかとも思ったけど、彼女の読んでいる本はまだ途中みたいだった。もう少し時間をかけて描けばよかったと少し後悔しつつ、僕はもう一回彼女にお礼を言って今日はまっすぐ帰ることにした。

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