第52話 印象の違いと、記憶の仕方の違い
「一雪、お前今日夜って予定ある?」
あと数十分で昼休憩に差し掛かろうかと言うところで、柳生は声をかけてきた。
「あー悪い。今日はちょっと………。」
「それって女?」
「まぁ女っちゃ女だし、そうじゃないと言えばそうじゃない。」
「どういう意味だよそれ。こっち?」
掌を顔の外に向けて頬に寄せる仕草をとる柳生。
「違う違う、宮島さんだって。ただそういう意味じゃないってだけで。」
「あぁ………そういうことか。じゃ報告待ってるわ。」
「はいよ。」
簡単な言葉でも柳生には伝わる。
いつも助けられてきた。大学の時も、千咲に告白する時も、全部全部隣で柳生は話を聞いてくれた。
我ながら情けない話だ、本当に。
「コーヒでも注いでくるかな………。」
昼休憩を目前にして、止まった仕事にやる気が起きず、席を立つ。
まぁ今日はそこまで仕事に追われてるわけでもないし、少しぐらいサボったって大丈夫だろ。
そうして結局、昼休憩まで仕事に手をつけることはなかった。
「後十分………。」
左腕につけてある時計に目を傾ける。目の前に迫る予定に、大して進んでない時間が気になって仕方がない。
「はぁー…………。」
大きく深呼吸する様に、ため息にも似た息を吐く。
自分から予定を入れておいてなんだけど、緊張してきた。
私の好きな人、一 一雪君。馬鹿正直で、周りが見えていなくて、それなのに気の遣える素晴らしい後輩。
私が一君と初めて会ったのは、お互いが大学生の時だった。と言っても、一君はそのことに気付いていないかもしれないけど……。今と大学時代じゃ、私の雰囲気も全然変わったし。
私が所属していた料理研究サークルに、一君は体験で見学にきた。元々、メンバーの少ない料研。見学に来ることはあっても、選ばれることはないサークル。だからこの子もどうせ、ちょっとサークルの雰囲気を見に来ただけで、入ることはないんだろうなって思ってた。だから私も、特に興味なんて抱かなかった。
けど、料研のメンバーは、年々減っていくメンバーに不安を覚えていたようで、一君をなんとかしてサークルメンバーにするために、その日BBQを開催した。
突然のBBQに戸惑う様子を一君は見せていたけど、結局半ば強引なノリに流されて、一君はそのBBQに参加した。
最初は話すつもりなんてなかった。だって学生時代の私は、影を食べて生きているような存在で、とてもじゃないが初対面の、ましてや男の人と話せるほどの勇気なんでなかったし、一君もそんな私と話したくないだろうしって思ってたから。
けどそんな薄暗い私にも、一君は懇切丁寧に話しかけてくれた。
「料理、好きなんですか?」とか、「僕、今年東京に出てきたばかりなんですよ。」とか、それはもう本当に丁寧で優しく。でも、男の人との会話自体久しぶりだった私は、うまく言葉を返すことが出来ず、会話が成り立たなかった。今でも思い出して恥ずかしくなるぐらいだ。
それなのに一君は嫌がるどころか、尚更優しい言葉で話しかけてくれた。「すみません、急に話しかけてびっくりさせちゃいましたよね。」って。
その言葉を言える人間はどのくらいいるだろう?少なくとも私は一君以外に知らない。
そんな小さな気遣いに、私はころっとオチた。一君に恋心を抱いた。
一君からしたら、なんでもないことだったのかもしれないけど、親以外の男性経験のない私をオトすには、充分だった。
それからはもう、常に一君が気になって仕方がなかった。今まで影を食べて生きてきた私が、薄暗かった私が、一君の影を感じるために、大学内で目を凝らして生活した。少しでも一君という人間性に触れたくて。
「後五分………。」
あの出会いから五年。長かった。髪型を変え、雰囲気を変え、化粧を覚えて、言葉遣いだって変えた。一君の恋人になるために。
大学を卒業した私は、その時に一君の連絡先を知らないことに気付いた。どうしようかと日々悩んだ。悩んでも会えないのに、話すことはできないのに、だけど私には一君に会いに大学に行く勇気なんてなくて………。
だから一君がこの会社に入ったと知った時は本当に嬉しかった。思わず涙が出てきて、会いたくなって、でもなんて話しかければいいのかも分からなくて………気付いたら一年以上経っていた。
自分でも何してたんだろうって思う。でもあの頃の私は、本当にどう話しかければいいのか分からなかった。
今は違う。絆プロジェクトで、メンバーとしてもう一度知り合って、連絡先も交換した。
後少し、後少しなんだ。私が告白できるまで。
この前の日曜日は、言う前に断られてショックで涙の前に言葉が出なかったけど、今日こそはちゃんと言う。
一君のことが好きです、って。
「うん、大丈夫。ちゃんと言える。」
意思を言葉にして私は、少し先の未来に向けて準備をした。
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