第39話 リーダーの過去と二人の若者
「一君、聞いてるか?」
「は、はい。」
週は明け、早くも次の案件が動き出そうとしている最中、どういうわけか俺はリーダーからお叱りを受けていた。
「……最近、また何かあっただろ?」
「いえ、特には……。」
俺の回答が気に入らなかったのか、リーダーははぁと一つため息を漏らす。
いつまで経っても何一つ報告しない俺に、ほとほと呆れたといったところだろうか?
「悩んでいるのならちゃんと話せ。力になれるかは分からないが、話すことで楽になることもあるだろう?」
リーダーの言葉には確かに同意する。がその相手なら俺にはすでに柳生が居るし、正直リーダーに話そうとは一つも思わない。
「私は、そんなに頼りないか?」
暗い表情をするリーダーは、灰皿に落とした灰に視線を向ける。そんなリーダーの顔を見れなくて、俺もリーダーと同じように灰に視線を向ける。
頼りないわけではないんだけどな。
「……ごめんな、意地の悪いこと聞いて。」
勢いを緩めてはくれないリーダーの暗い表情は、今の言葉を持って立ち留まり、途端に不自然な笑顔へと変わる。そしてそれを見て理解する。
俺は馬鹿だな、と。
「そんなことは………。」
思っているだけに、そんなことはないとは言いきれない。
そんな俺に悲しい笑顔を向けながら呼吸を置いて、リーダーは口を開く。
「少し、昔の話をしようか………。」
「昔の話……ですか?」
一体何の話を、という疑問はすぐに片付いた。
「あぁ、私が入社したての頃の話だ。」
遠い目を窓から見える外の景色に向けるリーダー。
そうしてリーダーの物語は、幕を開けた。
※
「九重!この資料、客先からクレームがあったぞ!」
「ほ、本当ですか?」
「そんなくだらない嘘なんかつくわけがないだろう!あれだけ言ったじゃないか、提出前にはしっかり確認しろって。」
営業部署の一角で飛ぶ怒号。矢先は若かりし頃のリーダー、もとい九重 つばきだ。
「す、すみません。」
テーブルに叩きつけられる資料の様と上司の怒号に、見る見る縮こまっていくリーダー。部署のあちこちから飛んでいた会話の声も、今は無音に等しいほど聞こえない。
「ったく、これだから最近の若いもんは……。」
課長のぼやきが始まる。
いつの時代も若手は疎まれ敬遠され馬鹿にされる。歳を重ねるにつれ増していく自尊心は、当たり前のように若い人間を傷つける。
ミスをするのは確かによくないことだけど、ミスをしない人間なんて存在しない。なのに年長者達は、自分達のミスは棚に上げ若者のミスばかりに火をつけて囃したてる。
そんな行動には何のメリットもないのに。
「とにかく、先方に謝罪の電話を入れておくように。後、今後この案件には関わらなくていいから。」
「はい、分かりました……。」
丁度昼休憩を告げるチャイムが社内に鳴り響く。課長はそれ以降何も話さず、払いのけるようにして席に戻るよう手で伝える。
反抗できるわけもなく、されるがまま席へと戻り頭を垂れる。
「九重さん、休憩だよ。お昼、食べないの?」
一期上の先輩、
彼女は営業事務で部署は違うのだが、こうしてわざわざ席まで話しかけに来てくれる位には仲良くしてくれている存在だ。
そんな存在が、今のリーダーには暖かくてありがたい。
「……今日はもうコンビニで済ませます。」
「そっか。じゃあ私先行っちゃうね。」
去って行く先輩の後を目で追う。
冷えていく社内の温度。先ほどまではたくさんの人がいたことが嘘みたいだ。
「………私もコンビニ行くか。」
そうして資料を広げたまま、リーダーはコンビニへと向かった。
「はぁー………戻りたくない。」
缶コーヒーを片手に、公園のベンチで項垂れる。晴天の空とは裏腹に、リーダーの居る一角は暗い。
募る不満に焦る気持ち、気分が下がるのも無理はない。
「私はどうしていっつもミスばかりするんだろうなぁ……。」
自分の不甲斐なさにほとほと嫌気が差す。何度繰り返したら分かるんだろうか、私は。
傾く頭を上げる元気もない。
「あ……。」
突然、視界に入る一台の携帯。と同時に男の声が聞こえる。
「す、すみません。」
見てはいけないもの、もとい関わってはいけない存在と関わってしまったかのように顔を背ける青年。
身振り手振り、そしてちらちらと見え隠れする顔からは、まだ初々しさがある。
高校生、かな。それか大学生になったばかりか。
どちらにせよ年下だ。
「ううん、大丈夫だよ。」
足元に落ちている携帯を拾って渡す。
「ありがとうございます。」
お礼はあれど、相も変わらず顔は明後日の方向を向いている。
駄目な大人、とか思われてるのかな私は。まぁ真昼間の公園で大きくため息をついていたら、そう見えて当然か。
「……あ、あのついでに道聞いてもいいですか?」
やれやれと思う外野で、その青年は携帯を開いて私の方へと向けてくる。でも顔はやっぱりまだ完全に私の方を向いてない。
こんな私に道を聞いてくるなんて、この青年はよほど困っていたのだろうか?
「……こんな店、あったかな~……。」
聞かれたからには応えてやろうじゃないかと携帯に視線を向けたものの、表示されている店名は聞いたことのないものだった。
「地図とかある?」
一度飲みこんだ唾を吐きだすわけにもいかず、青年に地図がないか確認する。
地図さえあれば分かるはず……。
「あ、はい。」
足掻きは無事成功し、青年は携帯の画面をササッとタップしてお店の位置が表示された地図を見せてくる。と同時に青年の顔も完全に私に向く。
……なるほど、ってすぐ近くじゃないか。
「前の通りを真っ直ぐ右に進んで一つ目の十字路を左に曲がったところ、かな。地図を見る限り。」
私がこの街に来るようになってまだ数カ月。やっぱりまだ全体は把握できてない。
東京という街は、どの一部を切り取っても複雑で、生まれながらにして住んでいる私ですら知らない場所がある。
全体の面積は他県と比べても狭い方なのに。
「ありがとうございます。もう一時間近く分からなかったんで助かりました。」
ほっとしたように笑顔を見せる青年。
その柔らかい表情の青年の、何気なくに発せられる言葉に驚き、つい口に出てしまう。
「一時間?逆にそこまで長い時間、よく迷えたね。」
売り言葉に買い言葉ならぬ、反射だ。私も言った後に失礼だと気付いた。
「はい。僕、東京来たばかりなんで。」
来たばかりとは言っても、流石に一時間も迷えるのは才能に近しい気がする。
一時間、一時間かぁ……私なら諦めて帰るな。
「来たばかりってことは、もしかして大学生?」
「はい、よく分かりましたね。」
改めて青年の顔を良く見ると、やっぱり幼い。
あったなぁ、私にもこんな時代が。あの頃の私は若かった。
「あれ、もしかして一君?」
過去の自分に酔いしれそうなその時、一つの女性の声によって現実に引き戻される。
「やっぱり一君だ。何してるの、こんな所で。」
社会人の私を他所に、若々しい彼女はその青年に寄ってくる。
あぁ、私には眩しすぎるよ、今の私には。
「ちょっと道を聞いてて……って柊木さんは何でこんなところに?」
「買い物。この辺に来たかった店があって。そしたらたまたま一君が公園に居たから。」
目の前で繰り広げられる若者同士の会話に、空気が変わった気がする。
そんな変わった空気を吸うことが、私には少し恥ずかしい。
「そうだったんですか。偶然ですね、僕もこの近くに行きたかった店があるんですよ。」
先程とは打って変わった表情の青年。少しばかりの恥ずかしさと、隠し切れていない喜びが顔に出ている。
分かりやすい子だな、この青年は。
「ふーんそうだったんだ……。」
関わる気は無いんだろうけど、ちらちらと彼女から向けられる視線に心が痛くなる。
私も歳をとったな、たいして離れているわけでもないのに、彼や彼女を若者と感じるなんて。
「私はそろそろ行くよ。君、道は分かった?」
ベンチから立ち上がり、軽くスカートの裾を払う。
「あ、はい。ありがとうございます。」
咄嗟の行動とはいえ、純粋に向けられるその言葉と笑顔に、気分が軽くなった、様な気がした。
いい子だ、都会に染まってなくてまっすぐで分かりやすくて……私こそありがとうだよ、本当。
「じゃ、もう道に迷わないようにな。」
「はい。」
軽くなった肩を使ってそのまま手でお別れの挨拶をする。
そうして私は昼休憩から仕事に戻った。
※
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