第32話 一 一雪は間違い続ける
「こちらブレンドコーヒー二つです。」
それぞれに配膳されるブレンドコーヒー。
俺は今、千咲を連れて東京駅構内の喫茶店に来ていた。
「………。」
カップから立ち上る湯気に視線を向ける。
冷静になって考えてみたら、なんだかんだ別れてから初めてのことだ、こうして千咲と二人きりで向かい合うのは。
やばい、少し緊張してきた。
「………。」
音を立てず、上品にコーヒーを飲む千咲。
何も変わらない、あの時と何も。
カップの持ち方も、カップを口に運ぶ前に髪を耳にかける仕草も、何一つ変わらない。
「……それで、聞きたい事なんだけど………。」
視線を湯気に戻し、口を開く。
このまま無下に時間を過ごしていても仕方がない。
「……本当に話さないと駄目?」
視線を下げたまま一雪に応える千咲。
表情は暗く、そして雰囲気は重い。
「話してくれないと、いつまで経っても変われないし、ちゃんと言葉にして聞かないと、俺馬鹿だから、千咲の事終わらせられないんだよ……。」
今に分かった事じゃない。俺は馬鹿だ、紛れもなく馬鹿だ。
だから未だに千咲のことを想っているし、引きずっている。
「そっか………分かった。」
手で持っていたカップを机に置くと、千咲は何かを決心したように顔を上げる。
合う目と目、重なる息、鳴りやまない俺の心臓の音。
思わず目を閉じてしまいそうになるのを、必死に瞬きに変えて誤魔化す。
「私ね……実家に帰らないといけなくなったの。」
そうして千咲の口から発せられた言葉は、予想外のことだった。
…………実家………?それってつまり……
「……実家ってのは、静岡の親の家の事、だよな?」
突然の事実に、当たり前の分かりきったことを質問してしまう。
「うん、そうだよ。」
「な、なんで急に……?」
何で今更、それもこのタイミングで。
というか、ってことはつまりは……。
「私の家、母子家庭なのは一雪も知ってるよね?」
動揺し、懸命に頭を回す一雪をよそに、話を続ける千咲。
「うん。」
千咲の家庭事情も、母親の顔も俺は知っている。よく、友達みたいなんだ、と嬉しそうに話す千咲を傍で見ていたから。
「お母さんがね、倒れたんだ……。」
漠然とした事実が、更に一雪を襲う。
倒れた……千咲のお母さんが、倒れた………。
「それで、私以外お母さんの面倒見る人居なくって………だから………。」
にじみ出し揺れる千咲の雫は、静かにカップ内のコーヒーへと溶け込んでいく。
何も言葉が出てこない、出てくるわけがない。
そんな経験をしたことがない俺が、どんな事を言葉にしたらいいかなんて、知ってるはずもない。
「……だからっ、だからね。……一雪を嫌いになったわけじゃないの………。」
溢れそうになる感情を、必死に押し殺す千咲。
何もできない、つくづく俺には何もできない。俺は今のところ、無駄に千咲を傷つけているだけだ。
それも俺の勝手な都合で。
馬鹿だ、俺は本当の大馬鹿だ。何も分かっていなかった。分かったつもりでいた、分かろうとしたつもりでいた。覚悟を決めた、つもりでいた。
「ごめん……ごめんね、一雪。」
謝るのは俺の方だ。無知で無謀で、そのくせ変に頑張ろうとした俺の方だ。
俺は千咲の覚悟を、知らず知らずのうちに踏みにじっていた。
「泣くなよ……謝るなよ……千咲は何にも悪くないんだから………。」
ありふれた言葉しか出てこない自分に、無性に腹が立つ。
俺は今まで本当に、何をしてたんだ。
「だって………仕方ないじゃん。そうするしか、なかったんだから………。」
立ち上っていたはずの湯気も静かに消えていき、コーヒーもすっかり冷めきろうとしている。
そんなコーヒーのあり様に目を配りつつも、何とか頭を回す。
「俺を……連れて行こうとは思わなかったのか?」
言葉にしてハッとする。
千咲は、そういうことを一番嫌うんだった。
自分のせいで誰かの道を閉ざす、閉ざされた本人にその気がなくても、千咲はそれを過度に嫌がる。
俺は、それを分かっていたのに………。
「そんなこと、できないよ…………。」
「そう、だったな……。」
何も言えない、俺には何も……何も出来ることがない。
「私のわがままで、ごめんね………。」
俺はどうすればよかった?どこで間違えた?…………いや、いつから間違えていた?
「ごめん、ごめんねっ……一雪。」
何も返せない、何も与えられない、何も生み出していない。俺の今までの行動は。
だから何も言葉にできない。
「………私……もう帰るね……。」
顔を下げたまま鞄を手に取り、カフェから出ていく千咲。
俺はその行動に何もできず、ただ眺めているだけ。千咲の去っていく後ろ姿を、去っていった足跡を、残された千咲のブレンドコーヒーを………。
―――――――全ての間違いのもとは?
別れようと言われた時すぐ追いかけていれば?別れてからすぐに連絡をしていれば?もっと早く、柳生に相談していれば?いや、そもそももっと早く俺が結婚に踏み切ってプロポーズしていれば?
………挙げだしたらきりがないな。
間違いだらけだ、俺の人生。
「………くそったれ。」
後悔も憤りも、全てが遅い。だから俺がこんなこと思うのは間違ってる。
けどそれでも俺は、間違いだと分かっていながら、その間違いを犯し続けることをやめられなかった。
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