第30話 間違いと後悔
『………………はい、もしもし。』
千咲だ……千咲の声だ。なんら前と変わらない、前のままの声だ。
やっと出てくれた。
『………どちら様ですか?』
駄目だ、感傷に浸ってる場合じゃない。
「……千咲、俺だけど……。」
怖い。俺だと知ったら切られるんじゃないかって思うと、すごく怖い。
けどここで立ち止まるわけにはいかない。ようやくチャンスが来たんだから。
『一雪………なの?』
「……うん……ごめんね、急に電話して。」
まだ電話しばかりなのに涙が出そうになる。
未来永劫、もう話すことはないと思ってた。成長できないと思ってた。だから俺はずっと、一人で生きていくんだと決めつけてた。
「今、時間大丈夫?」
『……うん、少しなら。』
俺もだけど、千咲が少し言葉を選んでいるのが分かる。
少しの時間がどのくらいかは分からないけど、とにかく話ができるなら何でもいい。
「ありがと。千咲に聞きたいことがあるんだ。」
『……なに?』
長かった、本当に長かった。行くあてのない道を、休む間もなく歩き続けるのは本当に辛かった。
でもそれも今日で終わりにできる。いや、終わりにする。
「……俺が、俺が振られた理由を教えてほしいんだ。」
千咲の想いなんて、考えても考えても分かるわけがない。いくら考えたって、それは妄想上の事でしかないんだから。
『……どうしても話さないと駄目?』
電話越しでも、千咲の言葉が重いのが分かる。
やっぱり俺に別れたい理由を言わなかったのには、理由があるんだな。
「うん。どうしても。」
俺はどうしようもない平凡以下で馬鹿だから、ちゃんと聞かないと後にも先にも進めないんだ。
『……でも私、もう新幹線乗らないといけなくて、そこまで時間ないんだけど……。』
突発過ぎる事実が千咲の口から告げられる。
新幹線!?
ちょ、ちょっと待ってくれ。
「ち、千咲は今どこにいるんだ?」
『東京駅。』
東京駅!?
何でそんなところに?何の用で?旅行でも行くのか?………って、今はそうじゃない。
「何分の新幹線?」
自分の携帯を開いて時間を確認する。
『8時48分。』
今は………8時20分。あと30分もないじゃないか!
どうする?話がしたいのはもちろんだけど、新幹線に乗るまでの間に終わるのかも想像がつかないし………。
「……千咲、ちょっと待ってて。」
『え、どういう』
即座に電話を切り、宮島さんに渡す。
「すみません。今度必ずお詫びします。」
急いで上着を羽織り、財布から五千円札を出してテーブルに置く。
「うん、分かってる。」
既に理解している宮島さん。
もしかして電話の内容、聞こえてたのか?
「それで適当に払っておいてください。今度、必ずお詫びしますから!」
いや、今はそんなことどうでもいいか。それよりも早く東京駅に向かわないと。
「うん、行ってらっしゃい。」
そうして鞄を手にとって店を飛び出す。
行かせない、どこにも千咲を行かせなんかしない。
俺はまだ何も、何も聞いてないんだ!
大通りまで走り抜け、通りすがりのタクシーに手を上げる。忙しない様相を隠しきれず、ドアが開きかけた途端に、手でドアを開け切って中に乗り込む。
「すみません、東京駅まで急いでください!」
とにかく今は一秒でも無駄にしたくない。
「東京駅ですね~分かりました。」
タクシーが走りだすと同時に携帯を開き時間を確認する。
28分、間に合うかどうかぎりぎりの所。
どんなに俺が急いでても、タクシーが走るスピードは変わらないし、時間もいつも通り流れる。
世界というものは、本当に思い通りにならない。けど、それが常識だ。
だから間違えているのは、いつだって俺達人間だ。もっと早く宮島さんと話をしていれば、こうはなっていなかったかもしれない。
つくづく自分が嫌になる。何度も間違えてしまう、そんなどうしようもない自分が。
「後15分………。」
過去を悔やんでも、神様にお願いをしても、今を流れる時間は変わらない。1秒はどうしたって1秒だし、1分はどうしたって1分だ。
「くそっ。」
どうしようもない現実に踵を返す。
焦る気持ちを胸に、一雪は千咲のいる東京駅に向かった。
『ツーツーツー………。』
一方的に切られた電話。
突然電話してきたかと思えば、今度は突然切られる。
一雪はどうしたいんだろう。
「別れた理由かぁ……。」
言うわけがない。言えるはずもない。
だって私自身、まだ一雪の事は好きなんだから。
けど、好きって気持ちだけじゃどうしようもできないことだってある。
「もう、来ることもないかな………。」
東京に出てきて五年以上経つ。そのほとんどを、私は一雪と過ごしていた。
だからそんなに東京という街自体に、未練はない。未練があるのは一雪にだけ。
でもその未練が、ちょっと大きすぎたかなぁ………。
自然とこぼれる涙に、思わず顔を俯かせる千咲。
こんなのもの、流したところでどうにかできるわけじゃない。わけじゃないんだけど………。
それでも次々とあふれ出てくる涙を抑えきれない千咲。抑えられるはずもない。千咲は本当の意味で、一雪を愛していたのだから。
『21番線の列車は、20時48分発………。』
新幹線のアナウンスが、遠巻きに世界を告げる。
どれだけ私が後悔しても、一様に流れる時間。こんなことなら一雪と出会わなければよかった。
いやそもそも東京に来なければよかった。ずっと実家暮らしをして、近くの大学に通って、地元で就職すればよかった。
そうしていれば、今こんなに辛い感情を抱く事もなかった。
「……帰りたくない、別れたくなんかなかったよ………。」
思いとは裏腹の後悔を言葉が口から出る。
出会わなければよかった、なんて自分を騙すための後悔に過ぎない。
『………自由席は1号車から3号車までです。』
後少し、後少ししたら泣かないから………。
流れる世界を別に、千咲はその場で立ったまま泣いた。けどどれだけ涙を流しても、気持ちが晴れることはなかった。
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