第29話 掬われず、宙を漂う感情
「失礼しまーす。こちら生二つです。」
いつも通りの居酒屋でいつも通りの一杯目を頼む。ただ今日は二人なのにテーブル席で向かい合って座っている。
雰囲気も少し、重い。
「………それで、理由って?」
そんな中、先に口を開いたのは宮島さんだった。
「そう、ですね。どこから話せばいいかな……。」
話さないといけない事、宮島さんが聞いて納得してくれる事。
どこまで話せばいいのか、何から話したらいいのか、分からない。
「最初から。一から全部話して。」
一からって、何でそこまで……。
「……聞いても面白くはないですよ?」
「それでもいいの。」
……仕方ない、話せば納得してくれるなら話そう。今の宮島さんに誤魔化しはきかなそうだし。
「この前三人で飲みに言った時に、宮島さんと西条さんに紹介した友達、あの子僕の元カノなんです。」
「うん……。」
「千咲とは大学の時に知り合って、知り合って間もなく恋愛関係になって、それでつい最近まで付き合ってたんです。」
「うん。」
徐々に声のトーンが低くなっていく宮島さん。
「僕は千咲と結婚するんだ、って馬鹿みたいに信じてて、指輪も買ってプロポーズしようとしたんです。」
今でも思い出す、あの時のことは鮮明に。
「うん……。」
「でも千咲は違ったみたいで、訳も分からないままプロポーズする前に振られたんです。」
その訳も結局分からずじまいだ。
「そんな時に会社の絆プロジェクトのメンバーに選ばれて、流されるがまま日々過ごしました。」
「そっか、それであの時……。」
何か納得したように独り言を呟く宮島さん。
今の言葉の意味は気になるけど、今は置いておこう。
「全然僕の思い通りにはならない日々が流れていく中でも、僕はやっぱり千咲の事が忘れられなくて、それで振られた理由を聞こうと思ったんです。」
なんだかんだ言っても、俺はあのころどこかで千咲の影を、無意識のうちに探していた。
「でも聞こうとするどころか、そもそも着信拒否にされてて……。」
後で調べて分かった事だ。電話をかけた時に流れた文言は、着信拒否の時にも流れるらしい。
「それで今までの思い通りにならない日々のストレスも相まって、全てが嫌になったんです。」
「………。」
死にたくなるぐらいにな。
「だからもう、誰とも関わらないで一人で生きていこう、って決めたんです。」
俺はそう、決めたんだ……。
おかしい。一君の話は私の想像と大分違う。
柊木さんを初めて紹介してもらった時、彼女の一君を見る目は女そのものだった。だから釘をさしたわけだし。
なのに一君の話だと、まるで彼女が一方的に一君を嫌っているみたいだ。
この認識の違いはどうしてなんだろう?
「………特別宮島さんを避けてるってわけじゃないんです。」
一君はきっと、人が、空気が、世界そのものが怖くなってしまったんだろう。愛し合っていたと思っていた彼女に、理由も言われないまま振られたことで。
「……柊木さんのこと、そんなに好きだったの?」
「はい。今でも多分、元に戻れるなら戻りたいぐらいに。」
静かに告げる一君の表情は、すごくよわよわしい。
そんなこと、聞かなくても分かってた。一君にとっての柊木さんは、宝石みたいに大切な存在でかつ、ごく自然にありふれる空気みたいに、当たり前の存在だったんだろう。
「……私はね、気づいてたよ。柊木さんは一君にとって特別な存在なんだろうなぁってこと。」
だって紹介してくれた時の一君の柊木さんを見る目は、リーダーや私が一君を見る目と一緒だったから。一君は気づいてないかもしれないけど。
「そうでしたか。やっぱり僕は隠し事なんてできないですね。」
隠し事が出来てないんじゃない、それだけ私が一君を見てるから気づけるの。でもそれは、教えてあげない。
「……もう一つ、私気づいてることあるんだ。」
だってそれを教えたところで、一君の目に私は映らないだろうし、私も少し怖い。
だから今の私が一君にしてあげられる事、一君に呼吸の仕方を思い出させてあげるために出来ることは、一つしかない。
「柊木さんね、多分まだ一君の事好きだよ。」
正解は教えてあげない、けど手助けはしてあげる。だってまだ、私も諦めたくないもん。
「どうして……どうしてそう思うんですか?」
「……ううん、確信。柊木さんは絶対今でも一君の事が好き。」
私も。後多分、九重リーダーも。
「じゃあなんで、なんで千咲は俺の事を振ったんですか!?」
「それは分からないけど……。」
分からないけど分かる。どうしても別れなければいけない事情があったんだと思う。その事情が何なのかは分からないけど。
「好きなら……本当に好きなら、別れる意味なんかあんのかよ………。」
にじむ目元を隠すようにうつむく一雪。
今は私に一君の涙を拭く資格はない。私はまだ一君に望まれてない。
「………携帯、貸してもらってもいいですか?」
「うん。いいよ。」
鞄から携帯を取り、ロックを解除して一雪に渡す。
一君はもう、私の所には来てくれないのかな?可能性はゼロなのかな?
私は……私も―――――好き、なんだけどな………。
「ありがとうございます、少し借りますね。」
千咲の番号を、宮島さんの携帯でダイヤルする一雪。
あーあ、私も馬鹿だな。教えなきゃいいのに………でも教えなかったら、一君はずっと先に進めないだろうし、仕方ないか。
こうして一雪はまた、宮島さんに支えられる形で千咲に電話をかけた。
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