第27話 一人の時間
「いらっしゃいませ~、お客様何名様ですか?」
「一人です。」
「おひとり様ですね~。カウンターのお席へどうぞ。」
あれから俺は電車に乗って別の街まで来た。と言っても電車で一駅だけど。
会社近くの居酒屋だと、知り合いに会う可能性があるからな。
「こちらお通しとおしぼりです。ドリンクお決まりですか?」
「緑茶ハイ一つ、お願いします。」
「かしこましました。」
ドリンクの注文を伝え店内を見渡す。
適当に選んで入った店にしては、なかなかいい雰囲気だ。
カウンター席も周りの空気とは離れているし、どこか個室感がある。もちろん横を見れば他に客はいるんだけど。
「……うるせぇなぁ、いちいちかけてくんなよ。」
しきりにバイブ音が響く携帯。着信の相手はもちろん宮島さんだ。
俺があそこまでの対応したのに、それでもまだ関わろうとしてくるんだから、ある意味尊敬する。
本当に自分の事しか考えてないんだな、宮島さんは。
「こちら緑茶ハイです。」
カウンターに置かれる緑茶ハイをそのまま受け取り、一口飲む。
うん、酒の味も悪くない。この店は生涯通い詰めてもいいかもしれない。雰囲気は良いし、知り合いに会う可能性もほとんどないからな。
「すみません、ソラマメとさんまの塩焼きを下さい。」
「はーい、少々お待ち下さーい。」
カウンター越しに立つ店員に注文を伝える。
これで後は飯が美味ければ完璧だ。絶品とまでは言わないが、せめてそれなりに美味しくあってほしい。
「……あぁもう本当しつけぇな。」
何回無視してもかかってくる電話。流石に耐えきれず携帯そのものの電源を落とす。
これでもう大丈夫だ。何も気兼ねなく、一人を満喫することが出来る。
緑茶ハイを一口飲んでお通しに手をのばす。小さい奴の上に可愛く盛られた薬味。
いいじゃないか、俺は冷や奴が大好きなんだ。
大抵の人間は醤油をかけて食べているが、俺はそうじゃない。
「すみません、麺つゆってありますか?」
「ありますよ。お持ちしますので少々お待ち下さい。」
そう、俺は冷ややっこに麺つゆをかけて食べるのが好きなんだ。醤油だと、折角の豆腐の味が死んでしまうような気がして、どうも好きになれない。
その点、麺つゆは口当たりもまろやかで、なにより豆腐によく合う。
俺はしたことはないが、よく親父は麺つゆをかけた後、豆腐を砕いてすすっていた。一緒に麺つゆを飲んでも全く辛くないらしく、それどころか普通の食べ方が出来なくなるくらいに美味いらしい。
少し汚いかもしれないが、折角だ、俺もしてみよう。
「お待たせしました。麺つゆどうぞ。」
小鉢に入れられて運ばれてくる。少し麺つゆの量が少ない気もするが、まぁいいだろう。
小鉢をそのまま奴が入った器の上へと盛っていき、一斉にかける。そして豆腐をぐちゃぐちゃに砕き、全体を麺つゆにからませる。
これだよこれ、これを一度してみたかったんだ。
そうしてそのまま口に持って行き、つゆと豆腐を一息に吸い込む。
「………うっま。」
さっぱりとした豆腐に、ほどよい甘みの麺つゆが良く合う。
なんだこれ、美味すぎるんだが……。確かにこれを知ったら、普通に食べようとは思わなくなるな。
グラスを手に取り、一口飲み、また奴を流し込む。それを繰り返して奴を食べ終わった後に、再度一口緑茶ハイを飲む。
満足だ。まだ早計だけど、このお店はきっと素晴らしいことに違いない。
そうして俺は、全てを忘れて一人の晩酌を二時間ほど楽しんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「一くん、ちょっといいか?」
いつも通り会社に出社して早々、リーダーに呼び出される。
あらかた想像はつく。どうせ宮島さんの事だろう。
「はい、分かりました。」
椅子から立ち、連れられるがまま後をついて行き喫煙室へと向かう。
面倒くさいが、仕方ない。
「………最近宮島のこと避けてるらしいけど、何かあったのか?」
煙草を一口吸い、予想通りの質問を繰り出すリーダー。
別に宮島さんに限ったことじゃないんですけどね。
「違うと言えば違うし、合ってると言えば合ってます。」
「どういう意味だ?」
不思議そうな顔をするリーダー。
まぁ……だろうな。そんな反応すると思ってた。
「特に宮島さんどうこうって訳じゃないです。」
俺は誰とも関わりたくないんだ。
「でも宮島から、話を聞いてくれないって報告があったぞ?」
まぁ、事実聞く耳を持ってないからな。一方的に跳ね除けてるし。
「少しぐらいなら時間、取れるだろ。この土日とか空いてないのか?」
「空いてないですね。」
「24時間ずっとか?」
「はい。」
8時間は、睡眠やら家事やら掃除やらで消えるだろ?で、後は一人で酒飲んでるし……うん、空いてないな。
「それは絶対に外せない用事なのか?」
リーダーもなかなか引き下がらないな。
「絶対ではないですけど、予定は変えたくないんで。」
ここで絶対と言えば、じゃあその用事の内容は?、とか聞いてくるに決まってる。
まぁ言われたら言われたで、プライベートなんで答えたくありませんって言えばいいだけだが……。
「………私にも言えない用事なのか?」
一息吸って吐き出し、再度質問してくるリーダー。
「誰にも言いたくありません。」
「そうか………。」
前にも見た悲哀の表情を、今度はしっかりはっきりと出すリーダー。
そんな顔しても無駄ですよ?
「……なら仕方ないな。ごめんな呼びたてて。」
「いえ、失礼します。」
ようやく引き下がってくれたか。
一礼して喫煙室から出る。
さてと、宮島さんもこれでもう諦めてくれればいいんだけど、そうはいかないだろうな。俺の望む通りに世界が動かないなら、これからもきっと執拗に関わろうとしてくるに違いない。
だからひと段落したからといって、気を抜いちゃいけない。これからもしっかり逃げに徹していかないと。
過去の経験から全てを悟った気になる一雪。がその考えは、やっぱりまだ甘かった。
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