第一部 第二章

第8話 動き始めた歯車は未だ音をたてず、一雪は気づけない

「一君、さっき渡した書類のチェック頼むな。」

「分かりました。」


プロジェクトメンバーの皆と飲みに行ってから、一夜明けた次の日。俺は今、九重リーダーとランチに来ていた。


「それで、あの、お願いなんですが……。」

「ん?どうかしたか?」

フォークを遣いながらパスタを巻くリーダーの顔はとぼけていて、事実にない悪意を見据える。


またまた、分かってるくせに、リーダーも人が悪い。


「昨日の夜のことなんですが、誰にも言わないで頂けると……。」

「ん、あぁ、分かった分かった。」

「本当にお願いしますね、リーダー。」


あんな醜態を他の人に知られたらと思うと……あぁ駄目だ、馬鹿にされる未来しか見えない。考えるのはよそう。


「ただ…。」

パスタを巻く手をピタリと止めるリーダーから、神妙な面持ちが伺える。


なんだ?ただでは聞いてくれないってか?


「ただ、一君は少しストレスを溜め過ぎる傾向にあるようだから、これから何かあったら逐一報告するように。」

神妙な面持ちのリーダーの口から発せられた言葉は、おおよそ想像もつけられない言葉だった。


……………え???ちょっと待って下さい。何を言っているのか意味が分からないんですけど……。


「報告って、例えばどこまで……?」

「ん?全部だ。」

手が止まる。否、止められる。


全部?全部って……全部!?


「それは、プライベートも含めての全部ですか?」

「だから、全部は全部だ。」

当然と言った表情で、巻いていたパスタを口に運ぶリーダー。


……………いやいやいやいや、待ってくれ。訳が分からない。


「えーとですね、そんなことをする理由って、何ですか?」

「ん?まぁ部下のことを知っておくのも仕事のうちだしな。」

口に含んだパスタを飲み込むリーダーの顔は分かりやすいほど満足している。


いや、仕事の範疇越えてるだろ!あくまでリーダーはリーダーであって、俺の親でもないのにそこまで報告する意味が分からない。

親にすらそこまで言ったことないぞ?


「えーと、その、何て言うかですね…。」

「分かったか?」

「え、あの……。」

「分かったな?」

「はい……。」

繰り広げられる押し問答に、流れるまま承諾してしまう。

リーダーの笑顔の裏を想像するともう……断れるわけがない!


プライベートもクソもあったもんじゃないが、命令だから仕方がないと言えば仕方がない。

うん、そう思う事にしよう、仕方がないと。


理不尽な現実も未来も、自分に選択できる能力がなければただ受け入れることしかできない。そんな自分の無力さに嫌気を感じながら、ランチを終えた。




「じゃあ、後でな。」

「分かりました。」

会社に戻り、リーダーと別れて自分のデスクへと向かいながら思う。


はぁ、なんだってこんなことに。

俺はあれか、理不尽な未来を確約されている存在なのか?それともこれから、帳尻合わせでいいことが起きるのか?


「まぁ、とりあえず仕事するか。」

席に座り、リーダーに渡されていた書類に目を向ける。


これからの打合せで使う書類。そこには行動指針や目的、これからの計画等が書かれている。この書類をこれから人数分まとめなければならない。

技術の俺がやらされる理由もよく分からないが、これも命令なのだから仕方がない。


「はぁ……。」


全くもってなんで俺がこんな雑務を……なんて思うのはおかしいだろうか?新人のうちはみんなそんなものなのだろうか?

……って、嘆いたところで、やらなければいけないことに変わりはない。


それでもやっぱり俺は、少しストレスを感じてしまう。


「あ……。」


これも全て報告しなければいけないのだろうか?こんなことまでいちいち報告してたらきりがないんだが………。


あぁなんかもう、全部が面倒くせぇ。


自分の置かれている状況に、少しの理不尽とストレスを感じながらも雑務をこなし、会議室へと向かった。




「ではこれから、第二回絆プロジェクトの打合せを始めます。よろしく。」

「「お願いしまーす。」」

打合せが始まった。リーダーに渡されていた書類を整理したものをメンバーに配る。


「じゃあまず一枚目、市場情報を……。」

リーダーの元に進行して行く打合せ。

けど俺は、打合せの内容云々よりも、リーダーのあの命令ばかりを考えていた。


「何かあったら逐一報告。」とは、一体どこからどこの範囲までの事を言っているんだろうか?


ストレスを感じたら?不快に思ったら?

そんなこと、常日頃から起こっている。そもそもの話をすれば、仕事でさえもストレスを感じてしまうし、他人と話すことも今はストレスを感じてしまう。

まぁ主に女性と話していたらだけど……。


そのことも全て報告しろと言うのだろうか?


「以上がこれからの営業で得た市場情報です。」

「ありがとう。今城戸君が話してくれたように……。」


本当、どうしてリーダーはあんな命令を下したんだろう。俺のその内情部分を知ったところで何の意味もないと思うのに……ほとほと理解が出来ない。

俺だけじゃないのかもしれないけど、リーダーの距離感ってちょっと近すぎやしないか?


「一君?聞いてるか?」

ぼーっと考え事をしていただけに、リーダーの言葉に内心驚いてしまう。


「は、はい。大丈夫です。」


あっぶね~、話聞いてないのばれてないよな?


「そうか、ならいいんだが。それとプリントにもあるように……。」


よかった、ばれてないみたいだ。まぁ会議中に何考えてんだよって話だけど、あんな命令するリーダーが悪い。あんな命令されたら誰だって考えるだろう。


そうして会議は、俺を置いてつつがなく進行し、俺が再び声を掛けられたのは会議が終わった後だった。

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