第4話 (ジン)

 嫌な汗が止まらない。ああ嫌だ。なんでミライがこんな奴のこと好きなのかわからない。

「薬を飲め。飲まないのなら、お前は私の娘ではない」

 父さんの声が蘇る。

 懐かしい街並みを、必死で震えを抑えながら歩く。

「ミライ? 聞いているのかい?」

 困った様子で、レンがミライに話しかけている。ミライはプイッと顔を背けて、このまま冷戦を続けるつもりでいるらしい。

 さっき買った薬を、レンはマントのポケットにしまった。薬を飲ませるのは一旦保留にするようだ。

 あの匂い。

 店の男がふかしていた葉巻の匂い。覚えがある。嫌な記憶に怖気が走る。

「おたくの娘さんは妖精の国にいる。そこにいるのは妖精が身代わりに置いていった偽物だ。妖精が奥様を殺したのだ」

 父さんにそう吹き込んだのは、確かにあの男だった。見間違えるものか。急いでレンの後ろに隠れたから、おそらくあたしの顔は見られていないはず。

 レンは、今のミライは自分の思い通りではないから薬を飲ませようとしている。ミライはそれを嫌がって、二人は喧嘩を始めた。

 昔、あたしの身に起きたことがミライにも起ころうとしているのか? あたしは異論を唱えることさえできなかったから、あの時よりはマシだと思うけど。

 山の上の方から強い風が吹き降ろしてきた。そこに含まれた湿気に、髪の毛がうねる。

「ご飯どうしようか? 長旅で疲れただろう。たくさん食べよう」

「なんでもいいぜ」

「……」

 レンの問いかけに、ミライは返事をしない。

「ミライ、返事くらいしてくれ」

「……ふーんだ」

「ご飯いらないの?」

「…………」

 ミライから返事を引き出すのを諦めたレンは、こっちに助けを求めてきた。

「ジン。ミライにご飯は何がいいか聞いてくれ」

「はぁ……。ミライ、飯は?」

「ヤギの肉がいい。ジンがおいしいって言ってたやつ」

「ヤギの肉がいいってよ」

「じゃあ、宿屋に戻ろうか。宿の隣が食堂だったはずだ」

 大通りに出て、元来た道を戻る。煉瓦造りの商店に、木の実や山菜、キノコなんかが並んでいる。

 席に着く。店内は客の話し声や給仕が注文を飛ばす声で程よく賑わっている。

 あれやこれやと注文を済ませたレンに、あたしは切り出した。ミライは、これ見よがしに「レンってばひどくない!?」とシーチキンに話しかけている。

「ミライに薬飲ませるの、やめてくれよ。全部忘れるなんて寂しいだろ」

「ダメだよ。こうするのがミライのためだ」

 そんなわけないだろう。

「違うな。お前の都合だろ」

「ミライは人とは違うんだ。人間のように生きることはできない」

「お前とどこが違うってんだよ。生まれはともかく、やってることはあたしらと大差ないだろ」

「なにもかもが違うよ。別の生き物だからね」

「そうかよ」

 いらいらする。思うようにいかないからって好き放題言いやがって。

 食事が運ばれてくる。あたしは食欲がわかなくて、申し訳程度にキノコのスープをちびちび飲む。

 あたしは、木のスプーンを落としたふりをして、机の下に潜り込んだ。しゃがみ込めばすぐ目の前に、レンのマントのポケットがあって、そこにガラスの小瓶が入っている。

 瓶をくすねるのは、拍子抜けするほど簡単だった。これで、ひとまず安心だ。

「なあ、レーズンパンも頼もうぜ。好物なんだ」

「ああ、いいよ。珍しいね、君がものをねだるなんて」

「いいだろ。別に」

 レンが店員を呼び止めて料理を頼んでいる隙に、瓶の蓋を外してレンのスープの中に入れる。

 こんなもの飲めるわけないだろう。飲めるもんならお前が飲んでみろ。あの時、そう言えたらよかったのに。

 疑いもせず、レンは食事を続ける。ミライも全く気がつかなかったようで、おいしそうにあれこれ口に運んでいる。

 うまく行ってしまった。レンはキノコのスープを飲み干すと意識を失って、その場で倒れこむ。

「レン? どうしたの? レン!」

 ミライが駆け寄って揺さぶるが、返事はない。

 ざまあみろ。自業自得だ。心の中でそう毒づいたが、気持ちは晴れない。

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