第3話 (ミライ)

 気がついたら、街の中だった。寝ている間に星の国に入ったようだ。荷台を覆う幌の隙間から、茶色いレンガの街並みが見える。ちょうど街への入口をくぐったところだったようだ。後ろに吊り橋が見える。

 密度の高い街だと思った。狭いところに頑張って建物を詰め込んだ、っていう感じで、ぎゅっとひしめき合っている建物の間に細く狭い通路が伸びている。

「ついたの?」

「ああ、起きた? 馬車は宿屋に預けるから、手荷物をまとめておくんだよ」

 言われた通り、カバンを肩にかける。荷物をまとめる、って言ったって、そんなにたくさん持ち物があるわけでもないからすぐに済んでしまう。

 ふと、ジンの方を見る。一見いつも通りだけど、本当に大丈夫だろうか?

 宿屋は街に入ってすぐのところにあった。ジンの話していた通り、街の中は坂道や階段が多い。この中を馬車で移動するのは大変だっただろうから、助かった。

「どこに行くの?」

「なんでも屋さん。珍しい薬が欲しくてね」

 地図を見ながら歩くレンにくっついて進む。狭い道は傾斜が急で、少し歩くだけで疲れてしまう。岩を切り出した道は硬くて、足音が壁に反響する。

「ここか」

 たどり着いたのは、場所を知らなければ見落としてしまうような狭い路地の前だ。体をねじ込んで、カニ歩きで進む。

「ごめんください」

 レンが木の扉をノックすると、中から「どうぞ」と返事が聞こえてくる。

 促されるままに中へ入ると、薄暗い洞穴のような家だった。窓もなく、天井も低いので閉塞感に息がつまる。戸棚にぎっちり詰まっている瓶には薬草らしき草とか、トカゲの干物とか、キノコとか、いろんなものが閉じ込められている。

 その部屋の中にいたのは、ゆったりした黒いローブをまとったおじさんだ。蓄えられた茶色いあごひげに、咥えた葉巻の火が着いてしまいそうでちょっと心配だ。

「いらっしゃい。珍しいね。こんな若いお兄さんが、それも子連れでこんな店に来るなんて」

 紙束やら本やら液体の入った瓶やらがごちゃごちゃと置いてある机の向こうから、おじさんはこちらに声をかけた。ふう、と吐き出された煙が部屋の中で渦巻いて、ちょっと煙たい。

「子供じゃないもん。恋人だもん」

「はいはい。嘘をつくのはやめなさい。万屋エリキサっていうのは、ここであっていますか?」

「いかにも。間違って入ったわけじゃなさそうだな。なにをお探しで?」

「忘れ薬を」

「へえ、珍しい。この国じゃ、薬を欲しがる人はみんな森の魔女にお願いしてるぜ?」

「わけありなんですよ。多分彼女は処方してくれないと思う」

「ハハハ。いいねえ兄ちゃん。今後ともご贔屓に頼むよ」

 お金を渡して薬を受け取ると、レンはすぐに店を出た。これでもう用事は済んだということだろうか。

 ふと、隣を見てびっくりした。ジンが青い顔をしている。少し震えてもいるようだ。

「どうしたの? 大丈夫?」

 軽く、ジンの手を握る。指先が冷たい。

「あ、ああ。なんでもねーよ。タバコの煙で気分が悪くなっただけだ」

 一度、深く息をすると、ジンはなんでもないように笑う。

「それより、こんな胡散臭い店になにを買いに来たんだよ。薬って言ってたけど」

「忘れ薬だ。人の記憶を消す薬」

「んなもんなにに使うんだよ」

「ミライに飲んでもらおうと思って」

「私?」

 どういうことだろう? 私が戸惑って首をかしげると、ジンがすごい勢いでレンに食ってかかった。

「なんてもの飲ませようとしてんだ! ミライに今までのこと全部忘れろってのか!? なんでだよ!」

「彼女は今、ホムンクルスとしては少しおかしい状態にある。作られた命であり、生殖活動もしないホムンクルスは、本来恋なんてするはずがないんだ。僕のことが好きだなんていう世迷言は、忘れたほうがいい」

「いやだよ」

 私はレンの顔を見上げて言う。レンは困った顔をして、人差し指で頬をかいた。

「ごめんよ、急にこんなこと言って。びっくりさせてしまったかな。大丈夫。必要なことは、もう一度ちゃんと教えてあげるから」

「そうじゃない! もう! なんでそんなこと言うの! 私に好かれるのがそんなに嫌なの!?」

「そうだよ。君を信用できない。僕のことが好きだなんて言う人のことは大嫌いだ」

 嫌いって言われた。すっ、と身体中の血が冷えたような気がする。

「なんで? 私なにか悪いことした?」

「ううん。君はいい子だ。でも、このままだといずれ悪いことをするかもしれない」

「しーまーせーん! そんな薬絶対飲まないから!」

「どうだか。どうしていうことを聞いてくれないんだ。君のために言ってるのに」

「そんなの知らないもん! やだ!」

「飲みなさい」

 言い聞かせるように、穏やかに言われた。

「いや。絶対いや。なんでそんなこと言うの」

「なんで嫌がるんだい? 拒絶されるのは、悲しいだろう? 僕は、君がもうそんな思いをしなくてもいいと思って」

 頭に血が上るっていうのは、こういう状態のことを言うんだろう。暴力的な気持ちが湧き上がってくる。

「やだ! バーカバーカ! バーカ!」

「分からず屋だね。いいから飲みなさい」

「もう! ……バーカ!」

 こんな時、なんて言ったらいいのかわからない。どう言えば、このモヤモヤした気持ちが伝わるのかわからない。

「だいたい君が悪いんだ。愛だの恋だのが、君にわかるはずがない。そういう風には作ってないんだから。君の人間ごっこには付き合ってあげられない」

 激しい拒絶を感じる。なんでそこまで言われなきゃいけないんだ。

「もう! レンのバカ!」

 嫌な気分だ。レンとわかり合うのは、無理な気がしてくる。これ以上話していても、罵り合って嫌な気分になるだけ。諦めの気持ちが忍び寄ってくる。

 シーチキンがバッと羽を広げた。

「バーカバーカ」

「この鳥はほんとに余計なことばっか覚えるね」

 のんきに感心するレンに、ささくれだった気持ちが逆撫でされる。

「そんなの絶対に飲まないから!」

 ふんだ、と顔を背けた私に、レンがなにか話しているけど構うものか。しばらく口聞いてあげないんだから。

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