第二話 海女の語り

 私が最初に話を聞いたのは、洞窟に棲み付いていた比丘尼を見つけ、村長の所へと連れていったという海女である。家を訪ねると、私のことをすでに聞いていたのだろう、海女はにこやかに笑みを返して受け答えしてくれた。村に入ってすぐに会った老婆とは異なる対応で、むしろ歓迎している風にさえ感じられた。海女は姑に一言告げると、幼い赤子を背負い、私を件の入り江へと連れて行った。足を悪くしていると聞いていたが、私の前を歩く様子からは、そうは見えなかった。三十歳ほどだろう、漁村の女特有の逞しい体つきと色黒の肌をしていた。

 洞窟の入り江は村の外れ、岩肌で狭まった海辺を通り抜けたところにあった。楕円を描いた美しい砂浜が、ぽっかりと開けていた。海辺から離れた所に、こじんまりとした社が見えた。

 「ここであれば人目はありませんし、誰かに盗み聞きされる恐れもございませんので」

 社の陰に案内すると、海女はそう言った。立板を二枚持ってくると砂浜に敷き、私にもそこに座るように促した。

 少しはなれたところに、件の洞窟の入り口が見えた。思いのほか狭く、とても中に複雑で長大な洞窟が続いているとは思えなかった。

 「あそこの洞窟で、私はあの尊い比丘尼様にお会いしたのですよ、学者様」

 私の視線に気付いた海女は、私が尋ねる前にそう口を開いた。

 そして固く決意をしたような面持ちで、こう続けたのだ。

 「村長様から遣いが来てから、私はあなた様を心待ちにしておりました。どうしても聞いていただきたいのです。あのお方の真実を」

 その真剣な眼差しを見て、村長の話から村人が心を開いてくれるかと心配していた私は、すっかり安心することができた。


 ――はい、確かにこの村には、一人の比丘尼様が住まわれておりました。もう二年も前の話です。

 八百比丘尼…ですね。ええ確かにそのような噂が立ちました。

 はあ、その噂を耳にしてここまで来られたのですね。どのあたりまでその噂が広まっておるのでしょう。へえ、御北岬ですか。あんなところまで。他には、何かございませんでしたでしょうか。この村にいた比丘尼様に関して、八百比丘尼以外の噂などは。

 そうですか、よかった。また悪い噂でも広まっていたらどうしようかと。

 悪い噂、ですか。いや、気にしないで下さいな。

 そうですね、比丘尼様は、この村にいらっしゃってしばらくしてからのことですが、あの方こそ伝説の八百比丘尼様ではないか、そう村の者達から信じられておりました。そうして尊い比丘尼様だと、皆から敬われておったのですよ。この村の女たちには、特に。

 いいえ、比丘尼様は自らを八百比丘尼だと名乗ったりはしなかったのです。ただの旅の比丘尼だというばかりで、名もおっしゃらなかった。

 ああ…村長様からお聞きですか。

 そうです。名を探すための旅をしている、確かにそう話されておりました。

 それが誰が言い出したものか、八百比丘尼様であるという噂がいつの間にか広まってしまったのです。

 なんと、村長様はそのようなことを話されていたのですか。

 比丘尼様自らが、そのように噂されるように仕向けた、と。

 それは濡れ衣。私は村長様のようには思いません。村の者達がそのように思い込み、決め付けただけ。自らの身勝手な妄想を比丘尼様に重ねただけなのではないでしょうか。それは村長様も同じでございましょう。

 確かに今では、村の者達は皆、比丘尼様のことを忌み嫌っております。そればかりか、淫売だの、噓八百比丘尼だの、そのような根拠もない妄想を押し付けて口々に噂しておりました。断言しておきます。それらの噂はまやかし、嘘でございます。少なくとも私はそう信じております。比丘尼様は確かに不思議なお方でありました。村長様がおっしゃったように、得体の知れないところがあった。狂女、そう呼ばれてもおかしくない言動もございました。

 ですが、あのお方は紛れもなく、比丘尼様でした。それもとてもお優しい、慈愛に満ちた、徳の高い尼僧様でした。淫売や詐欺師など、とんでもない。

 では何者であったのか…八百比丘尼様などであるとは言いませぬ。ですが、やはりあのお方は、この世のものではない何者か――海神様がお供え役を務めてきたこの私に、この村に遣わせてくれた御使いであったのではないか、今ではそう思うております。

 なぜなら、比丘尼様は私を救ってくださったからです。いや私だけではありません。この村の女たち、男達を、この村そのものを救ってくださったのです。何百年と続いた呪いから。

 村長様が何と話されたかは知りませんが、私は嘘など言いません。

 だから、私は悔しいのです。

 比丘尼様は確かに、この村を救われた。にも拘らず、この村の者達は、あのお方を忌み嫌い、蔑み、下卑た噂によって貶めております。

 あの比丘尼様が嘘八百比丘尼などと呼ばれ、あまつさえ、梅毒病みの穢れた遊女、言葉巧みに人々を騙して流離う詐欺女などと言われておるのが、私は悔しくて仕方がなかったのです。

 ええ、いいでしょう。お話して差し上げましょう。いや、どうしても聞いていただきたいのです。この村ではもう、誰も私の話など聞いてくれはしません。夫がただ一人、私の話に黙って頷いてくれるばかりです。

 そう、比丘尼様と最初にお会いしたのは、私でございます。お供え物のお役目で訪れたおなき洞の前で、私はあのお方に出合ったのです。あの洞窟は海神様の祠とされ、立ち入ることは村の掟によって禁じられております。ですがそう信じられていたのは昔の話。不漁続きで、海神様の祠は他の村に移されてしまい、村人達も海神様は他の場所に去っていかれたと思っております。いまは恐ろしい言い伝えだけが語り継がれ、海で溺れ死んだ者達が流されていく場所とされております。また女の泣き声のようなものが風に乗って聞こえてくるものですから、村の者達はおなき洞と呼ぶようになっておりました。

 はて、いつの頃からでしょうか、それは分かりませぬ。少なくとも私が物心付いた頃には、そう呼ばれておりました。幼い頃からあの洞窟の恐ろしい話を聞いて育った村の者達は、誰も近づこうとはしなかったのです。洞窟どころか、村外れのこの入り江そのものに。それは私も同じ。お供え物のお役目があるため、毎日通わざるを得なくなりましたが、やはり恐ろしかった。洞窟からの風音は確かに女の泣き声、悲鳴のように聞こえるのです。そればかりか洞窟に入って祭壇まで進むと、風音がただの叫びではなく、何か言葉を喋っているようにも聞こえてくるのですよ。暗闇の奥から、女が喋りかけているような気になる。覗き込めば、吸い込まれていきそうな、ぞっとする気持ちになる。ですから奥の闇には目を伏せて見ないようにし、祭壇にお供えをすると、すぐに振り返って小走りで帰る様にしておりました。

 その闇から、透けるほどの白い肌と、真っ赤な唇をした美しい女が、ぼろぼろの僧服を纏って現れたのですから、肝を潰しました。黄泉からの幽鬼かと思ったのですよ。幼い頃の話を思い出し、祠の闇の奥底に引きずりこまれる、本気でそう思いました。悲鳴を上げることもできず、必死で逃げようとして転んでしまいました。当時、私は足が悪かったものですから、走ることが出来なかった。派手に擦りむいて血が流れ、痛みで立ち上がることができずにいると、比丘尼様が近寄ってきて、声をかけられたのです。

 「怯えなさるな、旅をしている比丘尼です。旅慣れておりますゆえ、薬草などには長けております」

 その言葉を耳にして、私はようやく幽鬼ではないのだと気付きました。そのときの声はよく覚えております。今でも思い出すことができます。低くて優しい、包み込みような不思議な声でした。その声を聴いて、私はふっと心が落ち着くのを感じました。

 それから比丘尼様は、怯える私を落ち着かせて治療して下さったのです。

 透けるような白い肌の、それは美しい尼僧様でありました。私が見蕩れている隙に、汚れた傷口を竹筒の水で洗い流すと、懐から取り出した草をその場で揉み潰して塗って下さいました。手際よく治療しながら、私に話しかけてくださいました。

 「私は女たちの魂を苦しみから救う旅をしておるのです。近くを旅していて、何処からか風に乗って女の泣き声が聞こえてきたのです。それを辿って、この洞窟にたどり着きました。しばしこの祭壇の設えられた祠に篭り、魂を鎮めるために、行を行っておるのです」

 私は言いました。それは女の泣き声ではなく、洞窟から聞こえてくる風音でございます、と。しかし比丘尼様は悲しそうな顔で首を振り、言うたのです。

 「いいえ、私には、確かに聴こえるのです。女たちの悲しみの叫び、苦しみの呻きが。言葉にできない、声にならない、魂の悲鳴が。だから私は、祠の奥か出てきたのですよ」

 そうして、私の体を優しく撫でて下さいました。私はそのとき、体のあちこちに痣をこさえておりました。転んでできたものではございません。比丘尼様はそれを見咎めると、

 「夫にやられたのであろう」

 悲しげな笑みを浮かべながらそうおっしゃいました。

 私は結婚してから足を悪くして海に潜れなくなり、漁ができなくなっておりました。この不漁続きの村では、海女は時期によっては男以上に稼ぐ、大事な働き手です。その上、何年たっても子ができないため、夫や姑からは疎まれるようになっておりました。

 村の海女たちも私を相手にしなくなり、だからお供え役を押し付けられたのです。実は私は、お供え役を任されてから、あの祠にきてはこっそりと泣いておったのです。ええ、恐ろしいとは思いながらも、誰にも見咎められることなく、泣き声も洞窟からの声に紛れてしまうないこの場所で、辛いときに一人で、声を上げて泣いておったのです。

 夫は、私を足蹴にし、殴るようになっておりました。村の者達からの視線が、夫にも影響しておったのでしょう。ずっと優しかった幼馴染の夫が、私が足をおかしくしてから変わってしまっていた。

 気が付けば、私は比丘尼様に促されるままに、時分の辛い境遇を話しておったのです。あのお方の深い慈愛の眼差し、菩薩のような表情、肌と同じように透き通った低い声は、人に心を開かせる力がありました。私はいつの間にか自分でも驚くほどに饒舌になり、秘めていた胸のうちを、延々と話し続けていたのです。

 比丘尼様に相槌を打たれたり、短い慰めの言葉をかけられたりするうちに、いつしか涙が零れておりました。普段は誰にも話すことのない、話すことのできない想いを打ち明けると、何かすっきりとして、胸の痞えが取れたような気持ちになっていくのです。

 そう、年の頃は私とさほど変わらぬでしょう。いえ、ずっとお若いかもしれません。そのお顔は二十歳そこそこで、三十歳を越えているとは思えなかった。それなのに、あのお方は、何だか死んでしまったお母様に出会ったような、不思議な気持ちにさせるのですよ。一緒にいると心地よく、安らぐのです。

 話をするうちに、気付けば長い時間が経っておりました。遅くなると、夫に叱られてしまいます。機嫌を損ねると、また痣も増えてしまうやもしれません。私は慌てて帰ろうとしました。薬草が効いたのか血は嘘のように止まり、比丘尼様が摩って下さったところは、何と痛みもなくなっておりました。帰ろうとすると、比丘尼様がおっしゃったのです。

 「また来るといい。治療は終わっておりませぬし、泣き声も、いまだやんではおりませぬ」

 それから私は、お供えを持って祠に行く度に、比丘尼様にお話を聞いてもらうようになりました。前の日にあった辛いこと、昔の悲しいこと、様々なことを思い出すままに話しておりました。最初の頃は嫌なことばかり話しておりました。促されるままに悪態をつき、嫌な気持を吐き出しておりました。だが、やがてはそのような話も尽きる。すると、忘れていたようなちょっとした思い出話などから、楽しかったこと、嬉しかったことなども思い出すようになりました。おかしなことに、話せば話すほどに、昔のことを思い出していくのです。

 いま思えば、比丘尼様が時折、合いの手を入れたり、短い質問をしてくれたりして、話の道筋を作ってくださっていたのでしょう。

 小気味良く相槌を打たれ、時に細かく尋ねられたりしながら、またそこから別のことを思い出したり、話が広がって別の出来事や風景が思い出されたり…自分でも信じられぬほど、想い出は尽きることなく滾々と湧き出てきました。おかしなもので、自分で思っていたことや考えていることでさえも、実際に誰かを相手にして話してみなければ、気が付かないものなのですね。溢れる言葉が新たな想い出を呼び起こし、それから次なる想いが湧き上がってくる。そして想いに駆られてまた言葉が溢れ出す…。

 とめどない想いを言葉にしながら、自分はこんなことを考えていたのだ、こんなことを思っていたのだ、そう我がことに気付き、驚かされたものです。

 ええ、出会った頃は、比丘尼様のことは誰にも言いませんでした。いえ、別に口止めされていたわけではありません。

 ではなぜか、ですか。

 私は比丘尼様の前で、村の人々を悪し様に罵り、夫や姑への恨み辛みを吐き散らしておったのですよ。比丘尼様が言いふらすとは思いませんでしたが、流石にばつが悪かったのです。それだけではありません。比丘尼様のことが村の者達にばれてはまずい、そう思ったのです。比丘尼様は社を寝床にし、昼は洞窟の奥に篭っておられます。社は使われなくなって久しいですが、かつての祭祀の道具などが奉納されている場所。そして洞窟は本来、立ち入ることを禁じられた場所。村の掟によって定められております。

 はい、いつからそのような掟があるかは知りませぬ。昔からそうなのです。しかもその掟は厳しく、もし破れば村からの追放、私財の没収、村八分などの罰則がございます。ええ、これは親からも昔から言われておることで、どの家でも同じでございましょう。お役目のものは入り口の祭壇までは許されておりますが、それより先に入ることは何人たりとも許さぬ、と。

 だから比丘尼様がいることが分かれば、きっと村から追い出されてしまう、そう思ったのです。ですからしばらくの間、私は比丘尼様との出会いそのものを二人だけの秘密としておりました。実は比丘尼様に口止めをしたのは私なのですよ。

 この洞窟は入ることが禁じられておりますゆえ、もしも他の村人達にあなた様のことがばれれば、この村から追い出されてしまいます。それは困ります、そう私から申し出たのです。人目につかぬように隠れていたほうがいい、食べ物は、私がお供えと水を持ってきますゆえ、と。

 比丘尼様とお会いする度に、私の心は少しずつ軽くなっていき、日に日に晴れやかな想いになっていきました。何だか比丘尼様が、己の内にあるどす黒い気持ち、感情を吸い取って清めて下さっているような気がしました。比丘尼様は、話を聞き出し語らせるのが、実に上手かった。それだけではありません。最初の頃は相槌や質問を差し挟むだけでしたが、少しずつ、比丘尼様ご自身の話をして下さるようになりました。それは説法であることもあれば、比丘尼様が過去に見聞きしたこと、出会った人々との実際の経験のお話でした。旅をしているからか、比丘尼様は若さに似合わず驚くほど世事に長け、色々なことを、そう実に色々なことをご存知でした。

 私はいつしか、己のことを語りながら、我がことなのに比丘尼様と一緒になて驚いたり、呆れたり、笑ったり、泣いたり、怒ったりしておったのです。話しをすることが、話を聞いてもらうことそのものが、とても楽しくなっておったのです。そして話し終えた後には、辛かったことや悲しかったこと、苦しかったことが、まるで他人事のように思えるようになっておりました。可笑しなことに、あのお方の表情や、感情の動きを見たいがために、わざとらしく話をしてしまうようにさえなっておりました。

 そしてまた、比丘尼様の語られる他人の話には、我がことのように喜んだり、憤ったり、悲しんだりすることができるようになっておったのです。

 考えてみれば、それまでは他人様の哀しみや苦しみなど斟酌する余裕などなかったように思われます。自分のことで手一杯でしたので、他の事まで、ましてや他人の悩みや苦しみまで頭が回らなかったのですな。

 比丘尼様との語り合いは、ただのお喋りではない。それはそれは不思議な体験でございました。

 それに、私達は喋っていただけはないのです。比丘尼様は、私の足を本当に治療してくださったのですよ。出会ったときに転んだときの怪我ではありません。その傷は比丘尼様の薬が驚くほど効いて、すぐによくなりました。ですが、先にお話したとおり、私の足はもともと悪かったのです。以前、岩場から転がり落ちたときの怪我が元で、妙な具合になっておったのです。どうにも奇妙な歩き方をせねばならなかった。そうしなければ、痛みが走るのです。しかしそんな歩き方をしていると、今度は他のところが痛み始めるのです。腰や肩、背中と、あちこちが痛むようになっておりました。無論、素潜りなど出来るはずがございません。やがて重い頭痛に悩まされるようになり、ひどいものでした。たいしたこともしていないのに疲れがひどく、全身がだるくなった。気持ちが塞ぎ、毎日が陰鬱でございました。

 そのことを知った比丘尼様は、たびたび煎じ薬を私に飲ませ、色々と体に触れては動かし、様々な姿勢を私にとらせながら、どこがどう痛いのか、どこまで曲げられ、どこから曲げられぬのか、そういった質問を細かくされました。そしてそれが終わると、この体を按摩して下さるようになりました。 

 それはかつて味わったことがないほど、心地よいものでした。白く細い腕が、力強く私の体の隅々まで優しく、柔らかく揉み解していくのです。すると、信じられないことに、少しずつ痛みが薄れていくのです。比丘尼様にそのことを話すと、こうおっしゃられました。

 「汚れて固まった血を抜き、巡りをよくし、ずれた骨と筋肉を少しずつ直している。煎じ薬は、筋肉を解す際の痛みを和らげるためのもの」

 以前一度、医者に見てもらったことがありますが、高い金だけとって何もできはしませんでした。煎じ薬や傷薬のことといい、あのお方は徳の高い比丘尼様でありましたが、腕の良いお医者様のようでもございました。泣いて感謝する私に、比丘尼様はころころ笑いながらおっしゃいました。

 「長旅をしていると、色々なことを覚えるもの。それにこういった生業に長けていなければ、尼僧といっても一人で旅などできはしません」

 そんな日々を送っている内に足の痛みはすっかり消え去り、いつしか奇妙な歩き方をしなくてもよくなっておったのです。何年も私を苦しめていた痛みが、すっかりと消え去り、いつも私を悩ませていた頭の痛みや全身の疲れも、すっかりなくなってしまった。

 夫とも、少しずつ上手くいくようになっていきました。

 頭の痛みがなくなった頃から、私は日々を健やかな気持ちで過ごせるようになっておりました。比丘尼様のお話を聞くことで、他の海女たちの視線や姑の小言も、気にならなくなっていた。頭の痛みがなくなっただけで、あんなにも日々が喜ばしいものになるとは、思っておりませんでした。比丘尼様に言われたように、時に気鬱になりそうなると、かつてのことを思い出すようにしております。そうすると、今の暮らしがいかに恵まれたものであるかが分かるのです。

 そればかりではありません。比丘尼様は、夫との付き合い方についても、たくさんの貴重な助言を下さったのです。暮らしの中での、夫や姑への喜ばしい態度、話し方、気遣い、そういったことを自然にできる真っ当な心の持ち様、座りのいい心の構えを、私が日々語る愚痴の中で、少しずつ諭し、教えて下さったのです。その中には、恥ずかしながら、閨ごとの手ほどきまで含まれておりました。

 足を痛めてからは夫に触れられるのが嫌で仕方がありませんでした。体も頭も痛いのに、とても閨ごとまで気が回るものではありません。子も授からないため、半ば諦めておりました。ただただ億劫で、事が終わるのも待つばかりでした。それがいつからか、夫との閨ごと自ら望むようになっておったのです。

 学者様は殿方ゆえ詳しく話すのは憚られますが、すべては比丘尼様の伝授してくださったことが功を奏したため。

 すると、ついには諦めていた子を授かることが出来たのです。その頃にはとうに夫の暴力はなくなっておりました。夫は私を昔とは別人のようだというてくれています。血色がよくなり、子どもの頃のふっくらとした笑顔が戻った、と。そう、比丘尼様と出会う前は、陰鬱な毎日で、酷い表情をしておりました。夫はそんな顔の私と暮らすうちに、苛立ち、おかしくなっていったのでしょう。だが、当時の私は、そんなことにさえ気付かなかったのです。

 夫は、昔から私のそんな笑顔が好きだったのだと恥ずかしそうに言うと、かつてのことを謝ってくれたのです。そのときには夫と一緒に泣いて喜びました。

 私の足がよくなり子を授かったことは、村でも噂になりました。

 比丘尼様のことは話しませんでしたが、私も嬉しくてつい、海女たちの前で、海神様にお供え物を運び続け祈りを捧げた御利益があったのよ、そう喋ってしまったのです。

 しまったと思ったときには遅かった。聞いていた海女たちの数人が、私の代わりにお役目としてお供え物を捧げにいくと言い出したのです。ええ、その海女たちもまた、子が出来ぬために肩身の狭い思いをしている者達でした。

 こうなっては、比丘尼様の存在が早晩ばれてしまうのは明らかでした。

 私は仕方なく、秘かに海女たちを集め、比丘尼様の存在を話しました。

 「実は今、おなき洞には、一人の尊い比丘尼様が篭られている。そして私の様々な悩み事を聞いてくれ、また自身の色々な経験を話して下さる。尊い助言も与えて下さる。私はそのお方に救われたのだ。

 禁忌であるおなき洞に篭られているため、今まで内緒にしてきた。もしそれが村長様にばれてしまっては、村を追い出されてしまう。

 しかしあのお方は真に徳の高い比丘尼様。最初は私も怪しんでいたが、実際に体を治し、子を授けてくれたのは、紛れもなくあのお方。

 皆がこっそりとおなき洞に向かおうと、すぐにばれてしまう。そうなれば、秘密にしていたことを咎められてしまう。

 一度、私が村長様の元へお連れし、あの入り江の社を寝所として、洞窟で祈りを捧げるのを許してもらいましょう」

 海女たちは私の話を半信半疑で聞いておりました。おなき洞の恐ろしい伝説は、子どもの頃から繰り返しきかされて、身にしみております。海女たちから何度も聞かれましたな。本当にその比丘尼様は、この世のものであるのか、と。妖しげな素性のものではないのか、とも。

 私は己の体験を交えながら諭しました。

 「あのお方は、女たちを救う旅をしている尼僧様。私はあのお方に救われた。これからも話をお聞きして欲しいし、比丘尼様のお話をお聞きしたい。皆も悩みがあれば、話すといい。親身になって話を聞いてくれる。そして尊い話を様々に語って聞かせて下さる――」

 この村では、私に限らず女というものは弱く蔑まれる存在。男達からだけではなく、姑、舅、自分が産んだ子どもが長じれば、我が子にまで虐げられる。稼ぎ頭は女であるにも関わらず、奴隷のように使われ、時には男達の博打のかたに取られたり、たまった酒代のため遊郭に出稼ぎに行くものもいれば、海の向こうに売り飛ばされるものさえいる。この村しか知らぬため、それが当たり前だと思うておりましが、比丘尼様のお話を聞くと、そうではないという。土地よっては女が男を従え、操り、太陽のごとくに崇められる所さえあるという。男も女も何の分け隔てなく暮らす極楽のような土地もあるという。

 私はそういった異国の土地の話を聞くのが好きでした。まさしく話の度に目から鱗が何枚も落ちる気がしたものです。この世の広さというものや、不思議さに想いを馳せることも覚えました。それまでは海の広さなど考えたこともありませんでしたし、お日様の寿命やお星様までの旅路など考えたこともありませんでしたから。

 子ができ、私の表情が明るくなったこともあって、私と夫、姑との関係はよくなりました。ええ、比丘尼様の教えも、とても役立ちました。だがこの村には、以前の私と同じように苦しんでいる女たちが多かった。狭い村でありますゆえ、女たちは皆、己の辛さ、哀しみを誰にも話すことが出来ぬのです。話してしまって、それが噂として広まってしまえば、待っているのは村八分や親族からの吊るし上げ。これまでも、そうして村におれなくなった女たちが多いのです。かといって口答えをしようものなら、生意気だ、付け上がるな、逆らうな、そう言われて夫に手をあげられておったのは、私だけではない。殆どの女たちが、大なり小なり、そのような目に遭っておるのです。

 私は他の海女たちにも、比丘尼様と会って、話をしてもらいたかったのです。

 ですから私は、他の女たちに言いました。比丘尼様に会って話を聞いて欲しいと思ったら、お供えを持っていく役目を代わろう。ただ何人もで連れ立っていくと、他の者が気になって話したいことも存分に話せない。聞きたいことも聞けない。そもそもお供えのお役目は、掟で一人ずつ定められている。だから一人ずつ訪れることにするべきだ、と。

 私は比丘尼様を連れて村長様の屋敷に出向き、話を取り繕って何とか比丘尼様が社に住むことと、おなき洞の入り口、祭壇の辺りまでなら入ることを許していただきました。実は、かなり心配をしておりました。追い出されるかもしれない、と。しかし存外あっさりとお許しが出たのは、やはり比丘尼様の持つ神々しさ、その御言葉の力が、村長様の心を揺さぶったのでしょう。

 海女たちはそれでも、やはりしり込みしておりました。洞窟が怖いというのもあるでしょうが、余所者である比丘尼様を警戒しておったのでしょう。この村では、余所者というだけで白い目で見られ、嫌われますゆえ。

 だが、私に話を詳しくせがんだ女の中から、御利益を願って勇気を出すものが、ちらほらと出てきました。一日だけお役目を代わって欲しい、そう申し出るものが出てきたのです。ええ、やはり子が出来ぬもの、夫の暴力などで悩まされている女たちが早かった。その者達が実際にお供え物を持って行き、比丘尼様と話すようになると、私の思うた通りになりました。一日だけと言っていたものが決まって、毎日お役目を代わって欲しいと言い出すのです。少しずつ志願者は増え、すぐにお役目の順番を決めねばならなくなりました。

 それぞれがどのような話をしたものかは分かりません。しかし誰もが私と同様に、誰にもいえぬ日々の哀しみや苦しみを話し、また比丘尼さまの話に耳を傾け、救われた様な気がしたことは間違いありません。海女たちは実際にそう話し、他の海女にも比丘尼様と会うことを薦めるようになっておったのです。

 そうして少しずつ比丘尼様の元へと通う女たちは増えていきました。すると、思いがけないことが起こったのです。

 かつて海女たちは悪口を言い合い、ちょっとした醜聞が出ると、一斉にその噂は広められていました。それも尾鰭をつけて。男達は憂さ晴らしとして酒や女、博打などがありますが、この小さな村では、女たちには噂話しか楽しみがございません。悪しき習慣ですが、それが昔からずっと続いておりました。ところが、そのように仲が悪かった、互いに信用などしていなかった女たちが、比丘尼様を介することで次第に仲良うなっていったのです。やがては比丘尼様のおらぬところでも、互いの辛さを打ち明けあい、慰めあい、分かち合い、最後にはお互いに冗談にして笑い飛ばすようになっていったのです。

 いつしか比丘尼様は、海女たちの心の拠り所となっておったのです。その頃は皆、あのお方を敬い、感謝しておりました。とうに海神様に祈ることは廃れておりましたが、比丘尼様に祈りを捧げ、拝むものは増えていったのです。

 比丘尼様は聡明で、学もありました。世事にも長けておりました。様々な道に通じ、詳しかった。その若さからは信じられないほどで、誰もが驚かされておりました。比丘尼様が敬われておったのは、その美しい心の構えと、体験の多彩さゆえでありました。話し方も、聞き方も、体験談も、助言も、とてもその若さでは経験し得ないような多彩な過去、豊富な来歴から来るものでした。

 それらの膨大な経験、人生の厚みが、あのお方の言葉を、仕草を、雰囲気をあのように神々しいまでに磨き上げていた、そのように私は感じておりました。

 そんな比丘尼様でしたが、時に妙な心持ちに陥ることがありました。比丘尼様によれば、うろ、というものです。それは病だと言うておりました。名を失った比丘尼様を苦しめる症状の一つだと。うろに入ってしまうと、比丘尼であることを忘れ、自分が誰か分からなくなってしまわれる、そういうのです。何を言っても反応しない、魂が抜け落ち、呆けて空っぽのようになってしまわれるのです。

 ええ、出会ってからも何度も、うろに入られた比丘尼様と出会いました。そんなときは、比丘尼様と何度も呼びかけると、ふと思い出したように我に返られるのです。最初の頃は、めったに起きることではありませんでした。しかし、時が経つうちに、うろになることが少しずつ多くなり、その時間も長くなっておるようでした。

 女たちからの信頼も得て、尊い比丘尼様だと敬われるようになっておった比丘尼様ですが、女同士が話をする中で、奇妙なことが分かってきたのです。お若いのに、色々な経験をされている――最初の頃は誰もがそう思って感心しておりました。ですが、女たちが比丘尼様に聞いた話を互いに話してみると、どうにも有り得ぬ事があるのです。

 まず比丘尼様は、かつて何度か結婚をしておったそうです。だが夫と死に別れたり、逃げられたりして、尼僧になった、そう話されておりました。だがその夫の数が、一人や二人ではないのです。海女たちの話を併せると十人ではきかない男の名が、かつての夫として比丘尼様の口から語られておりました。しかも中には、数十年連れ添った夫もいれば、死に際まで見取ってやった夫もいるというのです。

 どう考えても、あの若さではありえぬことなのです。

 そればかりではない。比丘尼様はご自身の過去をしばしば話されましたが、その内容も聞いていた海女によって異なるのです。その来歴も、機織り、農婦、掃除女、料理人など様々でした。様々な経験をされているのだ、最初の頃はそうとしか思っておりませんでしたが、そもそも海女がそれぞれ比丘尼様から聞いた、生まれの地がばらばらであったのです。

 皆を不審に思わせた極めつけは、その齢でした。齢を尋ねると、それも尋ねたものによって違う。いや、尋ねる日によって変わるのです。三十だと言う事もあれば、十八だと答えることもある、四十過ぎだと話された次の日には、何と八十だということもあったらしいのです。そう聞いた女は冗談だと思ったそうですが、後から考えて恐ろしくなったというのです。なぜなら、比丘尼さまの声色、話しぶりなども八十の老婆のようになっておったからです。

 最初の頃はそのことを指摘されると惚けたふりをしておられましたが、そのうち齢を尋ねられると、長い旅をしてきたゆえ、齢など忘れてしまった、そう話されるようになりました。

 何より、あのお方は、幾つもの名を語っておりました。

 過去の話をされる度に、比丘尼様は異なる名を言うのです。

 そのとき私は、誰々と呼ばれておりました、あの頃は誰々と名乗っておりました、確か、その当時の私の名は誰々でした、と。

 そうなのです。村に来た当初、あのお方は旅の比丘尼だとだけ名乗られ、失った名を取り戻すために旅をしているとおっしゃっておりました。名を忘れてしまった、と。しかし、うろが度々起こるようになった頃からだったでしょう、比丘尼様は幾つもの名を名乗るようになったのです。

 そう、比丘尼様は、何人もの名を、過去を持っておられたのです。

 噂が流れ始めたのは、そんな頃です。

 ――あのお方は、八百比丘尼様ではないか。

 そう、世に言う、人魚の肉を食べて不老不死になり、八百年を生きて世を流離う尼僧のことでございます。

 ええ、このような小さな村にも、その伝説は届いております。

 誰が噂を流したのかは知りませぬ。だが、その噂はあっという間に広まりました。先にお話したような幾つもの矛盾、あの若さではあり得ぬ経験、記憶、過去、無数の名…八百比丘尼でもなければ、説明が付かないのです。それほどあのお方は知識は広く、記憶は鮮明で、経験は深く、過去は長大でありました。

 それに先に申しましたが、あのお方は自ら八百比丘尼を名乗りはしませんでしたが、実は否定もされなかったのですよ。

 ある海女が実際に聞いてみたのです。貴女様は八百比丘尼様ではありませんか、と。比丘尼様はこうおっしゃったそうです。

 「さあて、長く旅をするうちに、何と名乗っていたかなど忘れてしまいました。そのように呼ばれていたこともあったかもしれませんが、今ではもう、とんと覚えておりませぬ。私はいったい、誰であるのか、誰であったのか、誰になればよいのか…己のことで覚えておるのは、一人の比丘尼として途方もなく長い旅をしてきた、ということだけ」

 ええ、女たちの多くが信じておったと思います。あのお方は、仏様がこの村の海女たちの苦しみを和らげるために遣わして下さった八百比丘尼様だ、と。

 その頃には、比丘尼様はたくさんの女たちの苦しみを清め、哀しみを和らげておりました。そして崇められるようにさえなっていたのです。

 しかしそんな最中に、異なる噂が流れたのです。崇められ、敬われていたあのお方を、ひどく穢すものでした。

 ――あの女の話すことはすべてが嘘、でまかせの類、比丘尼様でも何でもなく、それどころか遊郭から逃げ出した下賎な遊女でしかない、というのです。

 この噂も誰が広めたものやら分かりません。だが、数人の海女が口々に言い始め、伝わり出したのです。

 ――よく考えても見よ、不老不死の八百比丘尼など、この世におるはずがない。言葉巧みに私達を騙し、お供え物をせしめておるだけよ。逃げ出した遊女とばれれば、すぐに噂は広まってしまう。遊郭からの追っ手も来るであろう。それを隠すため、作り事を思いつくままに話しておるだけよ。また隠れ暮らしていては食うていくこともままならぬ。そこで尊い比丘尼の振りをしたのよ。うろもお芝居であろう。ずる賢いことよ。

 ――そうでなければ、遊女がただ狂うてしまっておるだけよ。大方、遊郭から逃げようとして海にでも飛び込んだのであろう。それがこの浜辺に流れ着いたのよ。そのときに岩場に頭でもぶつけたのだ。それとも掟を破って海神様の祠に忍び込み、お供えを盗んだことで、海神様の呪いにでもかかったのかもしれぬ。どちらにせよ、仏様が遣わしたどころか、海神様の聖域を穢した余所者の咎人ではないか、罰当たりな。

 いったい誰がこのような下卑た噂を流したものやら分かりませぬ。それがお男なのか、女なのかも。そもそも、このような小さな村では、噂話は数少ない娯楽の一つではありますが、命取りにもなりかねない危険なもの。村の者達も話半分で聞くようにしております。半ば嘘であろうと知りながら広めたり、嘘だと分かった上で聞いて楽しむこともございます。

 ですが女たちの中に、この馬鹿げた噂を信じるものが出てきたのです。

 その女たちは根拠としてこう話しておりました。

 旅をしてきたとは思えない真っ白な肌、閨ごとの秘儀に長けていること、それは遊女だからであろう。それに幾つもの名を騙り、過去を知っておるのは遊郭で各地から集められた遊女たちと暮らしておったから、世事に詳しいのは旅人の行き交う遊郭で、夜毎に素性の異なる男達から様々な世間話を寝物語として聞いていたからであろう。

 比丘尼様ご自身が自ら八百比丘尼と名乗ったことはないというのに、遊女の噂が広がりだしてからは、嘘八百比丘尼などと影で罵るものもおりました。

 ただ、逃げてきた遊女だという噂が広まってからも、海女たちはあのお方を村から追放したり、近隣の遊郭に告げ口したりはしなかったのですよ。既に私と同じように、多くの女が比丘尼様との出会いで、その御言葉で、救われておったのです。

 それにお恥ずかしいことではありますが、この村では亭主の博打や借金で、食い詰めた海女が遊女となるのはそれほど珍しいことではないのです。比丘尼様を遊女ではないかと疑いだした者達も、その境遇を不憫に思っておったのです。だからお供えを絶やすことはなかったし、面と向かって遊女ではないか、などと聞くものはいなかった。

 ええ、好かれておりましたとも。遊女であるという噂が広まった後も、お供えのお役目は変わらず順番待ちでございましたし、女たちはお役目にかこつけて色々な相談をしておりました。そのときにこの村から出られない女たちは、自分の知らぬ世間のことを話してもらっておったのです。比丘尼様は口が堅く、一人の海女の相談を、他の女に話すことは決してございませんでした。あのお方が比丘尼であれ遊女であれ、どちらにしても信頼されておったのです。

 だが次に流れた噂は、そんな信頼を地に貶める、とんでもないものでした。

 何と、村の男どもと密通しておるというのです。夜毎に違う男を、あろうことか社に呼び込み、閨ごとをしておる、と。それも金品を貢がせておるらしい、と。男衆はあの美しく閨ごとに長けた女に、稼ぎをつぎ込んで気を惹こうとしている。それが妻にばれぬように、男同士で話し合って密通していることを隠している、というのです。

 まだその頃は、あのお方を八百比丘尼様だと信じておるものも、八百比丘尼ではなくとも、徳の高い尼僧様だと信じているものもたくさんおりました。遊女だと思っている女たちよりずっと多かったでしょう。ですがやはり、遊女の噂を信じた者達がいたように、あのお方が男衆を寝取っているというあり得ぬ噂も、疑いを持ち信じてしまう女たちもいたのです。

 ただ、実際にその現場を見た、というものはいなかったはずです。噂でも流れてこなかった。実は、こっそりと社を覗いたり、亭主の後を付けてみたりした女は何人もいたようですが、誰もそのような所には出くわさなかったのです。

 確かに、あの妖艶な美しさを持つ比丘尼様です。男衆のなかであからさまに色目を使ったり、お布施と称して金品を差し出したものはおったようです。この村の女たちは夫には逆らえませぬ。ですから、夫への憤りや憎悪は、金品を受け取っていた比丘尼様へ、嫉妬として向かうのです。

 比丘尼様は金品をお布施として受け取っていただけ。にも拘らず、元遊女の手管を使って男衆に色目を使い巻き上げている、そのような噂が立ったのです。

 ええ、全く馬鹿げたことです。恐らく嫉妬に駆られた海女の一人が、そのような噂を流したのでありましょう。流石に女たちの誰もが、そのような噂を鵜呑みにしたわけではありません。ですが、これだけ幾つもの噂が次から次に重なることで、女たちは比丘尼様へ不信感を覚え、疑いの目を向けるようになっていきました。うろが酷くなっていったことをもあって、比丘尼様を得体の知れないものとして、薄気味悪く思う者達も増えていったのです。

 悪いことは重なるもの、いや、誰かが意図しておったのかもしれませぬ。

 追い討ちをかけるように、恐ろしい噂が、実しやかに囁かれ始めたのです。

 ――あの女は、梅毒持ちである、と。

 そう、遊女であった頃に梅毒を得たため、遊郭から捨てられてしまったのだ、というのです。話すことが少しずつおかしくなっていくのも、うろが酷くなっているのも、幾つもの名やでまかせの過去を語ることも、梅毒がすすみ、毒が頭にまわってしまったためだ、と。

 この噂は、女にとっては背筋の凍りつくような驚きであり、耐え難い怒りであり、忌むべき恐怖そのものです。

 梅毒という病の恐ろしさは、この村にも伝わっております。正確な知識ではなく、伝聞でしかありませんが、男女のまぐわいによって男から女へ、女から男へとうつっていく、不治の業病である、と。この病に罹ったものは、気が狂い、全身が膿み、爛れ、やがて腐れてしまい、苦しみぬいて死ぬ、と。

 もしも本当に比丘尼様が夫を寝取っていたとしたら、その禍々しい呪いの様な病が、夫を介して自分へとうつっておるかも知れぬのです。比丘尼様が、女たちの信頼を裏切り、夫を寝取った上に、梅毒という恐ろしい病を、村中に広めておることになるのです。

 あのお方が本当にそのような病に罹っているのか、男衆を寝取っていたのかも定かではないというのに、一斉に女たちは比丘尼様から離れていきました。ただ仕方のないことではあります。梅毒は男女のまぐわいによってうつると言われておりますが、触れただけでうつると信じているものも多い。それに…女たちは子を産みやすくなるための按摩などを比丘尼様に受けておりましたゆえ、素手素肌で腰に触れられることもございました。閨ごとの手ほどきでも…そのようなことはあった。だから比丘尼様から直に梅毒をうつされるかも知れぬ、という恐れがあった。あの死の病に罹るかも知れぬとあっては、誰も近づこうとはせぬでしょう。

 かといって、自らの夫に問いただすわけにもいきますまい。自分は比丘尼様にこっそりと夫への愚痴や憎悪を曝け出して話しておるのに、比丘尼様との姦通を聞くことはできるものではない。結局、女たちは夫の顔色を窺いながら、夫が密かにあの社に通っていないかを監視するようになったのです。

 梅毒の噂を流したものが誰かも、やはり分かりません。この村では噂が広まると、最初に広めたのが誰であるかは分からないのです。しかしその理由には心当たりがあります。その噂が流れた頃、比丘尼様は本当におかしくなっておられたのです。うろの時間や頻度が増えただけではありませぬ。梅毒で言われる狂女のようになってしまわれることが増えたのです。

 いつも穏やかであった比丘尼様が突然、大声をあげて泣き出したり、意味の分からぬ奇声を発したり、憤怒の言葉を誰もいない場所に向かって吐き散らしたり、別人のように変わってしまわれることが多くなったのです。違う名を名乗るのは時々のことでありましたが、それがいつからか毎日、いや一日に何度も違う名を名乗るようになった。かつては落ち着いて諭すように己のことを語っていたはずが、心が乱れて支離滅裂の話を一方的に喚くようになったのです。

 やがて比丘尼様は、自分が死んでしまった記憶、殺されてしまった過去までも語るようになったのですよ。

 そうです。自分は誰々に殺されてしまった、或いは何々の病で死んでしまった、そう涙ながらに語るのですよ。そして自分を死に追いやったものや、この世への恨み辛みを語るのです。それはそれは聞いていて辛いものでした。

 そう、正気を失っておりました。梅毒が頭にまわったと思われても仕方がないほどに、確かにその様は狂うておりました。

 私、ですか?

 私はあのお方が八百比丘尼であることも、遊女であることも、信じてはおりませんでした。ですが、ただの旅の比丘尼様であるともとても思えぬのです。あのお方と最も話をしていたのは私です。ですから、これは間違いない。決して、ただの比丘尼様ではなかった。確かにこの世のものとは思えぬお方でした。では何者であったのかと問われると、難しいのです。ただ、あのお方が嘘を話していたとは、私にはどうしても思えないのです。

 あなた様にも他言無用と前置きした上でお伝えします。

 私は最初に、あの比丘尼様は海神様の遣いではないかとお話しいたしました。八百比丘尼など信じていない、と。当時はそう、思っておりました。しかし実は、比丘尼様が姿を消した今となっては、あのお方は本当の八百比丘尼様であったのではないか、そう思えてならないのです。かつて噂が流れた頃は全く信じていなかったのに、おかしいとお思いでしょうが。かつては八百年も生きる尼僧様などいるはずがない、本当にそう思っておったのですよ。しかし比丘尼様自身の話を聞くうちに、この世は果てしなく、不思議なもので溢れていることを思い知りました。考えてみれば、別段、八百年生きる人間がいてもおかしくはないのです。この村ではもう、あのお方の話をすることそのものが禁忌のようになってしまった。ましてや尊い八百比丘尼様だなどと話しては、村八分にされかねない。それほどにあの比丘尼様はこの村で忌み嫌われるものになってしまった。

 しかし私は信じております。あの比丘尼様が話したことは間違いなく嘘ではない。だとすると、あのお方こそ真実の八百比丘尼様である、という答えしか有り得ないのです。

 そうではありませんか。なぜなら、あのお方は何度も殺され、死んでおるのです。繰り返し、様々な死の記憶が蘇ってくるのを、私は幾度も耳にしました。それなのに、そうして話をしておるということは、決して死ねないということ。死んでも終わりではなく、再び蘇る。それはまさしく、不老不死となって八百年を生きるという伝説の比丘尼様と同じ、それ以外は考えられぬのです。

 ええ、表立っては申しません。言えば、こちらも言われなき噂を立てられてしまいますから。比丘尼様を穢され、貶められたという悔しい気持ちを抱えて生きていかねばなりませぬが。

 梅毒の噂が流れてより、比丘尼様には誰も近づかぬようになりました。この浜にも、洞窟にも。それからは以前と同じように、私一人お供え役を務めるようになりました。しばらくは比丘尼様とお会いしておりましたが、あのお方は次第に洞窟から出てこられることが稀になっていきました。昼どころか夜も洞窟に篭って、呼んでも出てはこられなくなったのです。

 いつしか全く姿を見せなくなっておりました。残されたのは、頭のおかしな乞食の老爺だけ。

 おや、村長様はお話しになられなかったのですか。

 一人の呆けた老爺が、この浜には棲み付いておるのですよ。比丘尼様が姿を消す少し前に、どこから流れ着いたものか、ここを訪れたのです。恐らくは比丘尼様が拾われてきたのでしょう。短い間ですが、比丘尼様は老爺と二人で暮らしておったのです。ええ、二人でこの浜で会を拾っているところや、砂浜に文字を書いて唄を唄っておるのを見ましたな。他の村人達も知っております。海女の何人かは二人がこの砂浜で戯れおるのを見ております。

 老爺の素性は分かりませぬ。この村のものではない。言葉も殆ど理解しておらぬようです。皺くちゃすぎて、年齢どころか爺婆かもようわかるものではない。ええ、呆けております。比丘尼様はお優しい方であったので、近隣の村で呆けて流離っていた老爺を匿い、お供え物を分けるなどして世話しておったのでしょう。

 海女たちは殆どこの洞窟に近づくことはありませんでしたが、ときどきこっそりと浜辺を覗く、夫が来ないかを確かめようとするものが何人もおりました。その際に、二人を見かけたのでしょう。

 今は、私達を見かけたので、どこぞへ姿を隠してしまったのでしょう。もしやあの洞くつの奥に潜んでおるやも知れません。

 そうです。老爺は、なぜか大人たちを怖がっておるのですよ。

 出会った頃から呆けており、何と言いますか…そう、幼児返りしておるのです。自分を幼い童子だと思うております。自身を坊と呼び、そして比丘尼様をことをお母様と呼んでおりました。優しく世話してくれたあのお方を、自分の母親だと思い込んでおったのでしょうな。

 ええ、そうなのですよ。以前はそのようなことはございませんでしたが、いつからか村人達を見ると姿を隠し、逃げるようになっておるのですよ。

 理由ですか? はてそれはよくわかりませぬ。言われてみれば、とんとその姿を見かけることもなくなりましたな。もしやもうおらぬのかもしれませんね。この浜には…いやこの世にも。

 比丘尼様がいついなくなったかは分かりませぬ。何処かへ去っていったのか、それとももう死んでしまっているのか、或いは姿を見せぬだけで、未だに洞窟の奥底に潜んでいるのか…私には分かりませぬ。お姿を見せなくなってから、もう一年近く経つでしょう。

 今でもお供えを持っていく度に、話を聞いて欲しくなり、またお話をお聞きしたくなるのですよ。あのお方のお陰で授かった命が、どれほど健やかに過ごしているか、他の村人達が何と言おうと、私は心から比丘尼様に感謝しております。女たちは自らの魂が救われたことも忘れてしまいました。中には悪い噂を鵜呑みにするばかりでなく、今でもあらぬ噂を周囲に吹聴しておるものもいるようです。いかにあの女が言葉巧みに己を騙したのか、いかに悪賢い知恵を持って夫を誑かそうとしたのか、そんな嘘をつく罰当たりな輩もおります。

 噓八百比丘尼などとは、そんな恩知らずの村の者達自身でありましょう。

 私はまた、村の多くの女たちからは避けられるようになりました。足は治りましたが、潜りは難しい。それに今では忌み嫌われている比丘尼様を、この村に誘ったのは私だと思われておるのです。比丘尼様に誰も近づかなくなった後、あのお方の元に毎日お供えにいくことから、女たちは私を穢れた女と呼び、病がうつることを恐れて私にも近づこうとはしなくなっておりました。近づけば触られてしまう、触られては梅毒にかかってしまう、呪われてしまう。今でもそう思い込んでおるのでしょう。

 馬鹿らしい。結局、村で梅毒に罹ったものなど一人も出なかったというのに。噂は信じられたままなのです。まったく愚かしいことです。

 比丘尼様と出会う前なら塞ぎこんでおるところですが、今では私には背に負う幼子がいる。傍らで支えてくれる睦まじい夫がいる。何人かの海女との友誼は続いている。比丘尼さまのお話して下さった名もなき無数の人々の生が、私を強くし、世間を広げてくれたのです。あんな女たちに負けて、泣いてなどおられません。

 そう、本当に、あのお方はいったい何者であったのか。

 それは未だに分かりませぬ。だが、比丘尼様はおっしゃっておりました。女の魂を救うために旅をしておるのだ、と。

 そして、私は救われたのです。

 今では私は、お供え物を海神様のためになど捧げてはおりませぬ。洞窟の奥底に消え去ったかも知れぬあの比丘尼様のため務めておるのですよ。あの洞窟には、比丘尼様がいなくなるまで気にかけ世話をしていた老爺もおります。比丘尼様に代わってお供えを分けてやっておるのです。といっても私を見れば逃げてしまうため、祭壇に供えていくだけですがね。それが自らのお供えを分け与え、世話をしていた比丘尼様のご遺志。恩返しとまでは言えませぬが、他にできることもございませんので。

 そう、比丘尼様がいなくなってから、この村で変わったことがございます。

 ああ、村長様に聞いてご存知なのですね。そうなのです。おなき洞と呼ばれる洞窟からの女の泣き声が止んだのです。そして風の強い日には、泣き声ではなく、微かに子守唄を唄うような声が、洞窟かの奥底から響いてくるようになったのです。

 かつてはあの悲鳴のような声、咽び泣きのような声が村に響いているのが当たり前でありました。だから気にも留めなかった。ですが、いま考えてみると、それが異常であったのかもしれません。

 いま、あの泣き声は止んでしまい、聞こえてくることはありません。するとどうでしょう。何だかどうにも気分が晴れやかになっているような気がするのです。重苦しい暗雲が消え去ったかのような、そうして心が軽くなったような、清々しい、心地よい気分になっているのです。

 もし今、あの声が再び聞こえてきたとしたらと思うと、想像するだけでぞっとするのです。私はきっと不快極まりない気持ちになるでしょう。気分は落ち込み、耳をふさぎたくなることでしょう。発狂してしまうやもしれません。

 そう考えてみると、恐ろしいことです。

 当たり前のように聞き続けていたあの風音が、どれだけの影をこの村に落としてきたのか。まるで呪いのように、この村を縛り付けていたような気すらしてしまうのです。

 村の女たちは気付いておるでしょうか。あの声が消えてより、少しずつ、この村の雰囲気は変わってきている。黒雲が消え去っていくかのように、女たちの顔から影が消えつつある。最近では私を毛嫌いしていた者達が、話しかけてくれるようになっておるのです。

 それだけではない。魚もよく獲れるようになってきておりますし、男達も酒や博打を控え、漁に精を出すようになってきておるようです。女同士の繋がり、夫婦の繋がりも、少しずつ変わってきているのが、今の私にはよく分かります。比丘尼様の教えは、村人達の中で確かに生き続けておるのです。

 そうですか、村長様はそのようにおっしゃっておりましたか。

 あの女はこの村に不穏な影を落とした――と。

 それは違います。大きな間違いです。

 不穏な影は、私たち自身が広めたもの。益体もない噂と妄想によって。しかし比丘尼様は、洞窟からの女の泣き声をかき消すことで、それを祓ってしまわれたのですよ。

 嘘ではありませぬ。村長様は自らの妄想に囚われるあまり、そのことに気付いておらぬのです。あの屋敷は津波を逃れるため、この浜から一番遠い、村の外れにある。歌声も、あの屋敷までは届かない。暗雲が晴れぬのは、それが理由でしょう。

 さて、そろそろ行かねばなりますまい。

 この子が泣き出しそうになると、唄を唄って聞かせてやるのです。ええ、比丘尼様が教えてくださった、古くから伝えられる子守唄ですよ。不思議なことにその唄を唄うと、すぐに泣き止み、すやすやと寝入ってくれます。そしてその唄は、風の強い日にはあの洞窟の中から響いてきます。安らかな眠りを祈るような子守唄が、風に乗って村を優しく包み込もうとするのです。

 私は思うております。

 きっとあの比丘尼様が、洞窟の奥で、村のために唄ってくれているのだ、と。

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