八百比丘尼の引攣れ

八咫朗

第一話 村長の語り

 八百比丘尼――人魚を食らって不老不死となり、若さを保ったまま八百年を生きるという尼僧。彼女は世を流離いながら、各地に点々とその足跡を残している。それは噂話や口伝、民話、伝説といった多様な形を取り、旅人から村人へ、村人から客人へと流布され、また親から子へと語り継がれる形で残されている。それらを集めてみると、土地により、時代によって、少しずつその形が変わっていることが分かる。比丘尼自身の姿も移ろっていて、一様ではない

 不老不死の尼僧に纏わる民間伝承を集める旅をしていた私が辿り着いたのは、或る地方の寂れた漁村であった。村に入り最初に行きあった老婆に話しかけると、途端に胡散臭げな視線を向けられ、一切の問いを許さぬ雰囲気で、網元の屋敷に行くように勧められた。いや、勧められたというより、捨て台詞のように言葉を投げつけられたのだ。

 「あの女のことを知りたければ、網元様のとこへいくがええ。この村を村長として代々束ねとる地主様よ。あのお方に話を取り次いでもらわねば、この村ではもう、あんな女のことを話そうとするものなどおらぬじゃろう」

 予想以上の憎憎しげな台詞であった。忌まわしいものには関わりたくない、そんなあからさまな態度であった。近隣の漁港で耳にした、件の比丘尼に対する嫌悪感にも驚かされたが、閉鎖的な村では別段珍しいことではない。村には村の風土があり、それは余所者には分からないものである。また村の権力者に話を通すというのは筋であるし、もしそれを怠っては、何を調べるにしても、不都合なことが多い。

 言われるままの道を行き、海岸から離れると、小高い丘を越えた場所にある網元の屋敷を見つけた。漁村の規模に比べて不釣合いなほど大きい、御屋敷と呼ぶにふさわしい建物であった。古いが確かな造作で、かつて他所から腕のいい大工職人達を多く集めて建造させたものであることは明らかだった。網元は思ったよりも若い壮年の男で、柔和な態度で応対してくれ、突然尋ねてきた私を無碍にすることもなかった。私が簡単に事情を話すと、すぐさま屋敷に招き入れてくれ、首尾よく話をすることができた――


 こんな寂れた村にわざわざ話を聞きにこられるとは、変わった方もおるものですな。先ほどもお伺いしましたが、学者様なのですな。しかし、そんななりで、いや失礼。ほう、民話調査、ですか。学者様とは、本の積み上げられた部屋に篭っているものばかりと思っておりましたが。へえ、旅から旅へ。ですからそんな風体なのですなあ。しかしそれでお給金が頂戴できるとはうらやましい。私など、この漁村から出たこともあまりございません。御覧の通り、村長としても網元としてもまだまだ若輩の身。学者様にお話してお聞かせできることなどございますでしょうかな。

 いや、網元といっても代々のことですから、学問など一向に。年の離れた父が隠居してしまったものですから、貫禄が身につく前にこのような過分なお役目が回ってきたのですよ。いえいえ、旅慣れた学者様を前に、お恥ずかしいばかり。こちらが世間のことや旅のこと、学問のことなどお話していただきたいぐらいだ。

 はい、八百比丘尼、でございますね。ええ、その伝説は存じております。学がないとはいえ、ここいら一体でも知られた言い伝え。不老不死の尼僧のことでございましょう。

 何ですと、それがこの村にいる、と。はてはて、一体何処でそんな噂を耳にされたので、ははあ、御北岬の港町ですか。あそこはこことは違って賑わっておりますからなあ。この村がかつての栄華をすっかり失ってしまったのとは違って、小さな宿場町から一帯でも一番の大きな漁港となって、周辺各地からも商人や漁師達が行きかっておりますな。ここからもそれほど離れておらぬというのに、雲泥の差だ。

 ああ、八百比丘尼のことでしたな。ええ、もちろん只の噂でございますよ。不老不死の比丘尼など、この村どころか、この世におるはずがありますまい。この時代に、学者様とも思えないお言葉で、些か面食らってしまいました。

 へえ、御北岬では、そのような風に噂されておるのですか。まったく困ったものですな。薄気味の悪い。

 だが実は、根も葉もない、とは言い難いのですよ。おっしゃる通り、思い当たることがあるのです。ただ、まさか他の町にまでそのような噂となって伝わっているとは。当のこの村では、もはや八百比丘尼など信じているものなどいないというのに、噂とは奇妙なものですな。

 そう確かに、かつて一人の流浪の女がこの漁村にはおりました。いつのまにかこの村に流れ着き、ひっそりと棲みついていた。そして知らぬまに消えていった、妖のような女が。八百比丘尼だとは言いますまいが、確かに幽鬼や化生の類といってもいいような不気味な女でしたな。透けるような真っ白い肌をした、美しくも妖しい女でありました。村では女たちも日焼けしておりますからな、初めて見たときには、その妖しげな白さと美しさに、この世のものかと驚かされたものです。

 御北岬での八百比丘尼の噂とは、その女に端を発しておるのでしょう。

 なぜか、ですか。

 はあ、説明するのは実に難しいのです。何しろ、学がないもので。それに、実は私自身よく分かっておらぬのですよ。あの女が、結局は何者であったのか。

 ああ、あの老婆ですか。そのようなことを申しておりましたか。無作法で申し訳ない。しかしそれも仕方のないこと。老婆の言葉の通り、この村では、あの女のことを誰も好んでは口にはせんでしょう。村の多くの者達が迷惑を被ったようですから。あの女のせいで、なにやら村全体に殺伐とした空気が広がってしまいました。あの女が原因で、村人同士、家族同士で疑い合い、いがみ合ったのです。女がいなくなった今となっても、互いに遺恨を持っているもの達が多いようです。

 いや、聞いて気持ちのよい話ではありません。狭い村でのみっともない醜聞の類、詳しく話すわけには。本人達も望みはしないでしょう。それに正直、私が知っているのもせいぜい噂話程度。真実かどうかもわからない世迷言です。

 なるほど、学者様がそうまで言われるなら、仕方ありますまい。しかし、村人同士の諍いごとなど、旅のお客人には口にするのを憚られることもございますし、何より村の恥になることも多い。他言は無用と約束していただけるのでしたら、私の話せる範囲ですが、お話いたしましょう。

 さて、といっても、いったい何から、何処から何をお話すればよいのか。

 ええ、分かりました。思いつくまま、でよろしいのですな。ただ、私も思い出しながらでありますゆえ、確かなことではありませぬ。記憶が混同することもございますし、うろ覚えのこともあります。その辺りはご容赦願いたい。

 そう、あの女が初めて村長である私の元を訪れたのは、二年ほど前のことであったと思います。いや、この村にやってきたのはもう少し前のことであったでしょう。あの女は、隠れ住んでおったのですよ。この村の、村人達が寄り付かぬ浜の洞窟と、その近くにある廃屋となった社に。村の者たちに気付かれぬように。だからいつこの村にやってきたかは誰も知らぬのです。

 その洞窟は、村から外れた入り江にあるもの。入り口は小さいですが、中は深く、入り組んでおります。満潮になれば入り江ごと海に沈んでしまい、洞窟も半ば波に飲まれてしまうような場所。古くから海神様の祠として祀られておる所です。今は廃れてしまいましたが、かつて洞窟の浜では、ここいらの漁村一帯を挙げての祭や神事が行われていた頃もあったのです。いや、神事といっても、まあ豊漁のお祭りですな。近隣の村々の者達も呼んで、海神様に感謝するための馬鹿騒ぎをやっとったのですな。昔はここいらでは、今では信じられないほど魚が獲れたらしいです。この大きなお屋敷も、その頃のご先祖様が有名な棟梁一党を遠方から呼び寄せて造らせたものです。他の村の浜が不漁でも、ここいらだけはよう獲れた。そのため、近隣の村々を助けるため、魚場を貸したりしておったのです。

 そんなことで、入り江の洞窟は海神様が立ち寄る休息所とされ、海神様の祠と呼ばれておったのです。いや、昔の話ですがな。

 洞窟近くの社も、やはりその頃に建てられたものでございます。洞窟の祠には海神様がいらっしゃるということで、祭事や神事の道具などを納め、祀るための神聖な場所であったのです。

 ええ、古い話ですよ。今では…といっても私が生まれる前の数十年前からですが、この漁村周辺の魚場では魚があまり獲れなくなった。不漁続きで、さっぱりですな。毎年不漁といってもおられんので、これが普通なのでしょう。不漁の理由など分かるものではありませんが、いつからか潮の流れそのものが変わったのでしょう。他の村の者達は、この村の者たちが海神様を怒らせたため、祠から出て行った、そんなことを言ってこの村の凋落をあざ笑っております。

 かつて不漁続きのときには、この村は一帯の漁村からひどく責められたそうです。海神様の祠が祀られた我が村の心がけが悪いからだ、村の者が海神様を怒らせるようなことをしたのだろう、誰かが海の掟を冒したのだろう、そのように言われたらしいです。

 やがて、他の浜で豊漁が続くようになってからは、そちらに海神様の祠も移されてしまったのですよ。だからこの村では、祭りも神事もすっかり廃れてしまったのです。

 今は、先ほどの話になった、御北岬、その美しい岬が、海神様の岬と呼ばれ神事や祭りの場所となっております。

 私が村長となり、網元のお役目を受け継いだ頃には、この村のものたちはあの洞窟を怖がって、入り江にさえ誰も近づこうとはしなくなっておりました。だから女が住み着いていることにも気付かなかったのです。

 はあ、なぜ洞窟を怖がっておるのか、ですか。

 そうですな…お話ししてもよろしいでしょう。言い伝え、なのですよ。この村に、古くから語られる伝説があるのです。あの洞窟に纏わる恐ろしい話が、幾つもあるのです。それをみな、童子の頃から聞かされておるのですよ。 

 ――この村で悪さをした人間は必ず海で波に攫われて死ぬ、そして死体はあの海神様の祠に流れ着く。

 …これはただの言い伝えなどではなく、実際にそうであったらしいです。あの海神の祠には、どういう潮の流れなのか分かりませぬが、海で行方知れずにになった者達が流れ着くことが昔から多かったのですな。漁から帰ってこなかったもの、波に攫われたもの、陸に上がってこなかった海女などが出ると、潮の流れの複雑なここいらでは、そうそう探しても見つかりはしません。ですが数日経ってみると、満潮明けの洞窟の入り口付近に、死体が流れ着いていることがようあったらしいのです。

 更に大昔は、多くの者達があの洞窟の奥へと入っていって、出てこなかったとも言われております。洞窟の中に入れば、闇に魅入られて出てこれない、そう言われておったのです。中は複雑に入り組み、人を容易く迷わせる。声が反響して、色々な方角から聞えてくる。前方の闇に消えた者を呼んだ声が、しばらくしてから後ろから聞えてきたり、何重にも重なって反響し続けたりする。すぐに方向感覚を失い、自分がどちらを向いているのか、進んでいるのか、戻っているのかも分からなくなる、と。そう言った話も伝わっております。

 あの海神様の洞窟は、黄泉に続いているとされておったのです。この村で死んだものは、あの洞窟を通って黄泉へと攫われていく、と。神事が行われている頃から、巫女以外は奥に踏み入ることを禁忌とされておりました。

 ええ、巫女がおったのですよ。とうに廃れたお役目ですが。昔は古老や村長と同じように、重要なお役目であったらしいです。神事とは豊漁を願ったり、感謝したりするだけでなく、嵐や津波が起こらぬよう、海で死ぬものがいないよう、海神様のために行う祭りでありました。海神様をもてなすため、巫女は舞を踊ったり、唄を歌ったりするお役目であったのです。もう神事そのものがなくなり、巫女のお役目など廃れてしまいましたが、今でも毎日お供えを持っていく風習だけは、村長を父から受け継いだときに、固く約束させられておるのです。

 そうそう、海の掟を冒し海神様の怒りに触れたもの、村で罪を犯して命を落としたものは、黄泉に行くことを拒まれる、とも言われておりました。怨嗟の呻き声をあげる魂だけとなって、あの祠の奥底で、洞窟の闇をいつまでも彷徨い続けることになる、と。

 いまでは豊漁の魚場に海神様の祠そのものが移され、入り江の祠は、ただの黄泉へ繋がる洞窟になってしまいました。そして神事が廃れる頃には、村の者たちはもうあの浜の洞窟を海神様の祠とは呼ばなくなっておりました。そして別の名で呼ぶようになっておったのです。

 ――おなき洞、というのです。

 女に泣くで、おなき洞、という意味ですな。なぜかというと、洞窟から誰もいないのに、声が聞えてくるからでございます。それも、何人もの物悲しい女の泣き声が、洞窟の奥底から響いてくるのですよ。これは噂や怪談の類ではない。実際に聞えてくるのです。どうやら風の向きと潮の流れ、洞窟内部の造りによって、そういった音が聞えてくるのです。まあ笛と同じですな。海面の高さや風の強さ、向きで音色が変わるものですから、まるで何人もの女が泣いているように聞こえ、時にはなにやら喋ってるようにも、悲鳴のようにも、咽び泣いているようにも聞こえるのです。時刻も、長さも、その声色も不規則なのです。風が強い日などは、洞窟から村の端まで届くほどでございました。

 言い伝えでは、その声は、かつてこの村で人柱として海神様に捧げられた女たちの亡霊が発しているのだといわれておりました。いや、信じられぬことですが、大昔はあったらしいのですな。父にはあまり言うなと言われておりますが。例えば不漁が何年も続いたときや、嵐が度々訪れたり、津波が起こったときなど、村の娘が人柱となってあの洞窟の奥底に沈められ、海神様の怒りを鎮めた、そう聞いたことがあります。今とはなっては考えられない、まったく愚かな因習ですが。

 また、洞窟の奥は牢獄になっており、かつて村で罪を犯したものが繋げられ、潮の満ち引きによる責め苦を受けた、とも言われております。

 そんな言い伝えが、今でも語り継がれておるのです。

 ええ、私も幼い時分に聞かされましたよ。聞いた日の夜は、本当に怖かった。よく覚えております。それまで気にならなかった風に乗ってくる音が、偶然その夜に聞こえてきたときは、怖くて布団に包まっておりました。いたずらをして叱られ、「海神様の祠に放り込んでしまうぞ」そう言われたときは、泣いて謝ったものです。

 まあ、多くの親がそういった話を聞かせたのは、悪さをさせないためであったり、また危険な洞窟に子ども達が入っていかないようにするためでしょうな。今では誰もあの洞窟を怖がって、入り江にさえ近づくものはおりません。昔から入り江は海神様の聖域であり、おいそれと立ち入ってはならない。洞窟内に入ることは絶対の禁忌と、村の掟で固く定められておりましたが、今では村の誰もあの洞窟に望んで近づこうというものはおりませぬ。ただ、海神様の言い伝えだけは忘れぬように、親から子へ語り継がれているのです。

 まさか、今は本当の亡霊など信じておりませぬ。先ほども申し上げたように、笛の原理と同じこと。分かってしまえば、恐ろしくなどない。ですが、子どもの時分に聞かされたときの恐怖は、今でも染み付いております。だから誰も近づきたがらんのですな。

 神事や祭事は廃れて久しいですが、漁で得たささやかな魚から、大きくて活きのよいものは、海神様へのお供えとして捧げる習慣だけは、細々と続けられております。ええ、これは代々からの大切な決め事で。海神様への感謝と恐れを漁民が忘れるわけにはいかんとのことで、硬く言い付けられておるのですよ。


 そうそう、あの女の話でしたな。申し訳ない。人に説明をすることになれておりませんで、横道にそれた挙句に、肝心の女のことを忘れてしまっておりました。だが、女はともかく、海神様の祠はこの村の繁栄と没落の象徴でもありますゆえ、ついつい横道が本道のように勘違いしてしまったのです。ただ、あの女の説明をするのにも、洞窟の祠の由縁は関わっておりますゆえ、お許しいただきたい。

 あの女は、誰も近づこうとしない入り江に何処からやってきたのか入り込み、洞窟と近くの社を棲みかとして、隠れ住んでおったのですよ。先にお話したような場所でありますので、しばらくは誰も気が付かなかったのです

 この村で最初に女に出会ったのは、お供え物を持っていくことになっている海女でありました。海女といっていっても足を悪くして潜りができなくなった女で、その女が漁のたびに、お供え物を持っていくことになっておったのです。他のものはやりたがりませんので、まあ漁ができないことから嫌な役を押し付けられたのですな。それでも村の掟で定められた、海神様の怒りを鎮めて豊漁を呼ぶための、大事なお役目。古老である先代からもきつく言われております。けして疎かにしてはいかん、と。

 それにその海女は亭主が酒浸りであったため、その日の食事にも困っておりました。お供えの魚をこっそり分けてやる意味もあったのですな。

 漁で得たものを祠に供えることになっているため、その海女だけは、洞窟の入り口、辛うじて外の光が届く祭壇までですが、入ることを許されておりました。女は潮が満ちる前に祠にいき、石の祭壇にお供え物をささげるようになっておりました。潮が満ちると入り江は祭壇ごと海に沈み、お供え物も波とともに洞窟の奥へと流れ込んでいくようになっておるのです。

 入り江の社を寝床としていた女は、時が来ると洞窟の奥に潜み、海女が帰ったのを見計らって出てくると、そのお供え物を食べて暮らしておったのです。まったく罰当たりな話ですな。

 あるときその海女が、洞窟の奥に隠れている女に気が付いたのです。女はぼろぼろの尼僧の衣を着ておったそうですな。いつもなら人などいるはずのない場所。しかも恐ろしい言い伝えは海女も聞かされております。海女が幽鬼か亡霊かと驚いて腰を抜かしていると、僧衣の女は奥から出てきて、己は旅の比丘尼である、そう名乗ったのですな。

 落ち着いて海女が聞けば、尼僧は近くの社を寝床とし、日中は洞窟に潜んで暮らしているという。棲み付いてから既に何日も経っている、と。海女は慌て、その尼僧と称する女に事情を話したのですな。洞窟に入ることは村では禁忌とされておる、どういう事情かはともかく、まずは村長の所へ挨拶に行かねばならない。そうして話を通して許しを得なければいかん、と。そうして女は、海女によってこの家の私の元へと連れられてきたのです。

 ああ、そうですな。女の名を言っておりませんでしたな。しかし何と呼んでいいものか…。ええそれがまた奇妙なことなのですよ。村ものたちは誰も、あの女の名を知らぬのです。いや知らぬ、というのもまた違う。何と言っていいのか…あの女は幾つもの名を持っていたのですな。全て偽名の類でありましょう。だから、どれが本当の名か分からない、と言ったほうがいいでしょう。

 そもそも最初の頃は、名そのものを名乗ろうとしなかったのです。

 私の元を訪れた時もそうでしたな。名を問うと、妙な答えを返したのです。

 「――長く旅をするうちに、名を失ってしまった。今はただの比丘尼として、その名を取り戻す旅をしておるのだ…」

 ええ、村のものたちにもそう話しておったようです。

 呆け老人ではありますまいに、己の名を忘れてしまうことなど、ありえぬことでしょう。いま考えれば、女はどこぞから逃げてきた、名を言えぬような素性の女であったのでしょう。偽りの名や経歴を騙れば嘘がばれると考え、あえて比丘尼とだけ名乗ったのでしょうな。擦り切れたぼろぼろの僧衣に身を包んでそう名乗れば、誰もがあの女を旅の比丘尼様だと思い、疑わぬでしょうからな。そう考えてみると、悪賢い渡世に長けた女でありますな。世間知らずなもので、私もすっかり信じてしまったのですから、お恥ずかしいことです。

 そんなことで村のものたちは皆、比丘尼様とだけ呼んでおりました。

 比丘尼様だと信じられた理由は、僧衣だけではなかった。あの女は、演技にも長けており、比丘尼を演じることが実に上手かった。その話しぶり、醸し出される雰囲気、その立ち居振る舞いは、まさしく旅の比丘尼様のようでした。いや、旅の比丘尼様を私が他に多く知っているわけではないですから、語弊がありましょう。そうあの女は、異境の人間のようでした。目の前にしてさえ、何処かこの世のものとは思えなかった。

 そう、最初に海女に連れられてきたときには驚きましたな。まずその真っ白な透けるような肌、そして紅を引いたような真っ赤な唇、何よりその美貌は、失礼と分かっていながら、見つめずにはいられなかった。旅用の僧衣はぼろぼろで擦り切れておりましたが、それを着ていてさえ、尼僧とは思えぬ妖しい色香があり、妖艶といってもいいほどでしたな。いや、初めて会ったときにそう思ったのですよ。先入観などなかった。齢はせいぜい三十を越えたぐらいでありましょう。ええ、若かった。二十代前半にも見えるほどに。それなのに、若さに似合わぬ貫禄のようなものがあった。一介の旅の尼僧というよりは、どこかの格の高い大僧正様のような、超然とした佇まいでした。

 旅の尼僧だと話す女に、お恥ずかしいことに、私は圧倒されましたな。そしてすっかり信じ込んでしまった。女が話すことをそのままに。

 連れてきた海女によれば、廃屋となっていた社を寝床にし、禁忌である海神様の洞窟にて何やら、行、を行っているという。私は尋ねました。

 果たしてこのような小さな漁村に何用で、しかも洞窟で行、とは、何をやっておられるのですかな、と。女はこう答えました。

 「――私は、女たちの魂を苦しみから救う旅をしておるのです。近くを旅していて、何処からか女の泣き声が聞こえてきたので、それを辿っているうちに、あの洞窟に行き着いたのです…」

 妙だな、とは思いましたな。確かに洞窟からは村中に届くほどの細い悲鳴のような風音が微かに響いております。風の向きと強さによっては、浜から遠く離れたここまで届くほど。だからといって、それはせいぜい村の中だけのこと。村の外まで聞こえるはずがない。しかし女が話すことには、二つ三つも前の宿場町から声が風に乗って聞こえてきた、その声を追ってきてこの村に辿りついた、というのですな。

 妙なことを言うとは思いましたが、女の醸し出す奇妙な雰囲気に気おされてしまいまして、疑うことができなかった。

 私は女に説明したのです。先ほど学者様にお話したように。あの音はおなごの声ではなく、洞窟から聞こえてくるただの風音なのです、と。洞窟が入り組んでおるため、風向きと潮の満ち引きによって、笛が鳴るように響いておるのです、と。

 それを聞いた女は、微笑みながらこう言い返してきたのです。

 「――いや、あれはただの風の音などではないのです。あれは洞窟の奥底で彷徨う女たちの魂が発する、怨嗟の声。無念のまま命を落とし、この世への未練と恨みを抱えたまま成仏できず、冥府の前でうろうろと漂っている悲しき怨霊たちの声。私にはそれが分かるのです。ただの泣き声としてではなく、確かな言葉となって、聞こえてくるのですよ…」

 寒気がしましたな。先ほどお話した、洞窟に纏わる話。かつて人柱となった娘達の話ですが、あの話は実は外に出してはいけないものなのです。あなた様には学者様だというのでお話いたしましたが、村の愚かな歴史であり、恥でもありますゆえ、外の者に語ってはならぬ、父からそう言われておるのです。ですからあなた様も、どうか他言無用にてお願いしたい。

 だが、そんな村の秘史を、なぜ旅の比丘尼が知っておるのか。

 怯みを覚える私に、女は続けました。

 「――私はあの洞窟の祠で、魂を鎮める行をしておるのです。冥府の門を越えることができず、日の当たる現世へも戻ることができない、闇を彷徨う魂。その魂たちは、この世への強烈な未練、恨み辛みが足枷となって、成仏ができぬのです。その者たちは周囲に災いをもたらす悲しき怨霊となり果てている。私はそんな哀れな怨霊を鎮めるため、その声に耳を傾け、想いを分かち合い、慰め、諭し、念仏を唱えて、冥府への門を開くことに手を貸すことで、冥府の門を開き、成仏へと導いてやっているのです。

 私はそのようにして、数多の女たちの声なき声に耳を傾け、癒えることない苦しみを、とめどない哀しみを和らげる旅をしてきたのです。

 村長殿、この村の長き不漁、その原因はあの洞窟にあります。かつては海神様の祠として近隣の漁村からも祀られ、豊漁の祭りが開かれていたのでしょう。だがいつからか、その代償として村の女たちが人柱となって命を捧げねばならなかったのですね。そのことを今の村人達には秘密にしておりますね。村の忌むべき歴史として、愚かしい恥として、過去に葬り去ろうとしておりますね。ええ、知っておりますとも。洞窟に巣食う魂が、私に教えてくれたのですから。

 村長殿、あの音はただの風音ではありませぬ。このまま忘れ去られることを良しとしない、かつてこの村のために無念のままに命を捧げた、女たちの咽び泣き、言葉なき声、声なき旋律、旋律なき唄。

 その怨霊の唄を、海神様は嫌っておられるのです。だから、かつてはしばしば立ち寄っていたこの入り江の祠から、その座を移してしまわれた。怨霊たちを鎮め、成仏させることができなければ、この村の長きに渡る不漁は終わることはない。もし冥府への門を開き、怨霊たちを成仏させることができれば、海神様も、再びあの洞窟に立ち寄られるようになるやもしれません。そうすれば、かつての豊漁の日々を取り戻すこともできるかもしれぬのです。

 未だ卑小な旅の比丘尼ではありますが、私があの社を寝床とし、村で禁忌とされる洞窟に立ち入るのを許していただけないでしょうか。怨霊たちの成仏に祈りと慈愛を持って尽力することを、許してもらえないでしょうか…」

 その雰囲気と、巧みな語り口に、私もすっかり騙されてしまいまして。この世のものとは思えぬ旅の比丘尼に、呑まれてしまったのですな。

 私は村長として比丘尼の社への滞在を認め、洞窟の祠に立ち入ることを許したのです。村の者達へも、徳の高い比丘尼様だとお触れを出したのですよ。 

 そうしてあの女は、まんまとこの村を棲み処とするようになったのです。

 あの女の滞在を許したのは、村長である私なのです。だから私にも責任がある。今では後悔しております。あの時、すぐに村から追い出しておればよかった、と。

 だが、徳の高い比丘尼様だと思い込んでいたそのときは、考えもしなかったのですよ。あの女自身が、この村に仇を為す…怨霊、そう、あやかし、化生の類であるとは。 

 あの女が八百比丘尼であるなどと、とんでもない。あの女は、比丘尼でさえなかったのですよ。確かに村の者たちの間で、あのお方は八百比丘尼様ではないか、そんな噂が流れ、一時は多くのものが信じるようになったこともありました。いえ、あの女が自ら名乗ったわけではない。だが、それもあの女の小賢しい思惑だったのでしょうな。女はあえて八百比丘尼を名乗らずに、演じておったのですよ。その言葉で、仕草で、伝説の八百比丘尼様を。いきなり八百比丘尼だと自ら名乗れば、幾らなんでもこの時代、信じては貰えぬでしょう。だから敢えて名乗らずに、村人達の前で少しずつ奇妙な所、不思議な所を演じて見せることによって、己を印象付けた。噂をさせるように仕向けたのです。

 ――あのお方は、身分を隠して旅をされている伝説の八百比丘尼様なのではないか、と。

 いや、間違いありません。あの女が村のあちこちで意図的に散りばめた言動の数々が、それを示しております。

 だが、化けの皮とはいつかは剥がれるもの。嘘とは、ばれるもの。

 ぼろが出始めると、あっという間でしたな。

 ――あの女は八百比丘尼様ではない、そればかりか、比丘尼であるという話も嘘に違いない。

 そう誰もが気付き始めたのです。

 ではいったい何者であったのか。それが説明が難しい…というより、私にも未だに分からないのですよ。

 私が女を化生、あやかしの類と称したのは、何も冗談ではないのです。

 村の者達は、あの女が八百比丘尼に成りすました者、旅の比丘尼を騙る者であることに気付いた後、口々に真相を話し始めたのです。そしてその真相が、一つではなかった。村の者達は幾つもの異なる真相を持ち、己こそが正しいと思い込んでおったのです。

 先ほど、あの女が八百比丘尼だと信じているものはもう一人もいない、そうお話いたしました。ではその正体はというと、杳として知れないのです。

 噓八百比丘尼、旅の詐欺師、足抜け遊女、淫売の寝取り女、梅毒持ちの狂女、洞窟から這い出た怨霊、尼僧に姿をやつした化生、輪廻転生のあやかし、海神様の巫女の末裔…

 そういった異貌の正体がまことしやかに、それぞれ異なる「事の真相」とともに語られる一方で、その全貌は分からぬのです。どれが本当で、どれが偽りなのか、誰が真実を話し、誰が嘘を話しているのか…。

 果たしてあの女は、いったい何者であったのか。そもそも、この世のものだったのか。もしや本当に化生や怨霊の類であったのではないだろうか。そんなことさえ、最近では思うのです。

 いえ、冗談などではないのです。どうにもあの女は、この世のものとは思えぬのですよ。いなくなった今となっては、時が経てば経つほど、そう思えてならないのです。

 私も村の者達から、色々な話を聞きました。他愛無い噂話から、それぞれの考える女の正体、秘密にして欲しいと口止めされた真相まで、話を聞いた。だが、どうにも語るものによって話が違う。矛盾していることもあれば、辻褄の合わぬことも多い。そのため話を聞けば聞くほどに、得体が知れぬのです。その正体が、分からなくなるのです。

 幾つもの真相が語られるようになってからしばらくすると、村の者達はあの女を相手にしなくなりました。そればかりか、得体の知れない女だと忌み嫌い、怖がって避けるようになった。やがて以前と同じように、あの洞窟の浜には誰も近づかなくなったのです。

 いつの間にか女の姿が見えなくなったのは、私の元を初めて訪れてから一年ほど経った頃のことでしょう。といっても、もう誰も近づかなくなっていたゆえ、いなくなったらしいと気付いたのは、見つけたのと同じでお供えを持っていく海女でありました。村の掟で、祠へのお供えは絶やすわけにはいきません。結局は、最初に女を連れてきた海女が、ただ一人祠へのお供え役を務めておりました。

 海女によれば、女がいつからか姿を見せぬようになり、社にも、洞窟にも気配がない、というのです。もともと、あの女はときどき、ふらっと姿を消しては戻ってくるということがありましたので、最初は気には留めなかったらしいですが。いなくなったらしいと思い始めたのは、姿を見せなくなって十日も経ってからだったそうで。海女が私にそれを告げたのは、更に後のことです

 私の耳に入った時には、女はとうに村から姿を消しておったのです。

 はあ、行方など分かりませぬな。誰も知らぬでしょう。村の者達が、女がいなくなったことを知ったのは、私より後ですので。

 まあ恐らく、この世にはおらんでしょう。

 なぜか? あの女はしばらくしてから狂いよったのですよ。いや、この村に棲みついた時には、既におかしくなっておったのでしょう。病が頭にまわったのか、怨霊に憑かれたのかはわかりませんが、その狂いは次第に悪化しておった。あの女が消えたのは、そのせいでございましょう。さて、洞窟の奥で死んでしまったか、海に身を投げたか、梅毒で悶え死んだか、遊郭からの追っ手に捕らわれたのか、或いは、村人達から相手にされなくなったため、新たにお布施を巻き上げるため、何処ぞへと去っていったのか…それは分かりませぬが。

 ここを去ったとしても、生きていけるとは思えませんな。とてもこの世で生きていけるとは思えぬほどに、狂いは酷くなっておったようです。そもそもこの世のものであったのかさえ、怪しいものですが。

 そうですな。女には申し訳ないが、いなくなって安心したものです。あの女が村に棲みついてより、村は不穏な空気で包まれることになった。嘘とも真とも付かぬ奇妙な噂が、あの女を中心にして巡るようになった。女だけに関することではない。女に関わった村の者達に纏わる噂です。言葉にするのは難しいが、嫌な雰囲気でありましたよ。何と言うか、互いに互いを信じられなくなり、疑いあっているような。妻を夫、夫は妻を、友人は友人を、母は子を、子は親を疑っていた。女同士、男同士で顔色を伺い、男女で腹を探り合っていた。家族を疑い、隣人を疑い、しまいには村長であるわしまで疑う始末。理由は様々ですが、村の、いや個人の醜聞を口にするのは憚れるため、詳しく話す訳にはいきませぬ。所詮は噂話の類で、真偽も定かではない。まあ浮気や嫉妬などの色恋沙汰、金銭や盗みなど金絡みの類でありますな。あの女が来るまでは、貧しくともそれぞれが睦まじく、楽しく暮らしておったのに。また面倒なことに、女がいなくなってからずいぶん経つというのに、未だに村の各所で蟠りが残っておるようです。

 まったく、とんだ疫病神でありましたな――。


 さて、私の話せることはこんなところでございます。

 ああ、いいですとも。あまり気乗りはしませぬが、学者様が調査というなら、仕方がない。逗留して他の者達にも話を聞いていくといいでしょう。それに、村には宿などございません。部屋は無駄に多いゆえ、この屋敷に泊まるがよろしいでしょう。

 話してくれそうなものも、今から教えて差し上げましょう。先に使いを出して、無碍にせぬように計らっておきましょう。村の者達にも、学者様のことを話しておきます。妙な目で見られることも減るでしょうから。まあそれでも、あの女のことを喜んで話したがるものはいないとは思いますが。いつからかあの女のことは、この村では暗黙の了解で、禁忌になっておるのですよ。誰も触れようとしない。 

 あと、村に逗留される以上は、守っていただきたいことが幾つかございます。

 一つ目は、学者様もご存知の、村の掟です。

 あの洞窟に立ち入ることは、禁忌。村のものはもちろん、旅のお方も、例え学者様であっても同じでございます。そもそもその掟をあの女に許してしまった故に、このようなことになったのですからな。これは守っていただきたい。これは学者様のためでもあるのです。先にお話しましたが、念のためにもう一度お伝えしておきます。あの洞窟は複雑に入り組んでいる上、岩場はよく滑る。一度入れば、方向感覚を失わせ、迷っている間に満潮になってしまう。古くから中へと入っていった者たちの命を飲み込んできた、冥府への洞窟なのです。

 それともう一つ。これは宿として提供する我が屋敷に関することです。屋敷には離れがありますが、寝たきりの父が暮らしておりますゆえ、そこには近づかぬようにお願いいたします。齢のせいもあって大分体が弱っておりましてな。

 いえいえ、話などとても。お恥ずかしいことに、実は体よりも頭のほうがあやしくなって、私が誰かもよく分かっていない有様で。下手をすれば、学者様と私の区別が付かないほど。最近では、ありもしない声が聴こえるなどと申して、部屋の中に一日中閉じこもっております。話など、できるものではないですな。私に話すことも、支離滅裂な意味が分からないことが殆どで。

 それでは、この二つ、くれぐれもお気をつけください。

 ――ああ、洞窟からの女の声のような風音、ですか。村に来る途中には気付かなかった、と。

 そうなのですよ。言うのを忘れておりましたな。この屋敷までは声が届いてくることは稀なので、私もしばらくは気付かなかったのですが、かつて村に響いていた洞窟からの声、いや風音が、今では殆ど聞こえなくなったのですよ。

 そればかりか、風の強い日などは泣き声や悲鳴ではなく、子守唄のような優しげな歌声が、微かに洞窟から風に乗って響いてくるようになったのです。

 それがどういうわけか、あの女が姿を見せなくなった頃からなのです。

 昔から村に響いていた洞窟からの女の泣き声が、その音色を、響きを変えてしまったのです。何とも不思議なこともあるものです。

 それを知ったときは、鳥肌が立ちましたな。あの女が最初に屋敷を訪れたときに言うたことを思い出したのです。

 ――洞窟に渦巻く女たちの無念の魂を鎮めるためにきた…

 確かに女はそう言ったのです。

 そしてあの女がいなくなるのと前後して、洞窟からの悲鳴がやみ、子守唄へと変わった。そう、女はこうも言うておりました。

 ――女たちの怨霊を鎮め、成仏させれば、村には魚が戻ってくるだろう…

 何と、この村でもよう魚が獲れるようになってきたのですよ。最初は気のせいかと思いましたが、確かなこと。少しずつ漁獲量が上がってきておるのです。

 まさかあの女が人柱になったとも思えませぬし、かといって本当に女たちの怨霊を成仏させたとも思えませぬ。元々が迷信の類でありますので。

 だが、確かにあの洞窟からの泣き声が消え、魚が獲れ出したのは、あの女が姿を消した頃からなのです。

 果たして、あの女はいったい何者であったのか。そもそも、この世のものであったのか。時が経つほどに、考えるほどに、分からなくなるのですよ。

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