第12話 さ・し・す・せ・そ

「とは言ったものの、何をどうしたらいいのか、正直、見当もつかないのよね」

 ため息をつきながら言ったえみの言葉に、ナツと空き缶コンビは同じ種類のため息で答えた。

 とらと王子君は、きょとんとして四年生達の顔を見回すばかり。

 ワラビーは、何を思ったのか一人古い洋服ダンスの上に上がってしまい、両手を組んでまくらにして、あおむけで天井をにらみながら、ずっと無言で何かを考えている。

 リビングで、えみが何かに対しての戦いの開始を宣言した後、とりあえずみんなは、いったんたたみの部屋に集合した。

 作戦会議というわけだ。

 温め直した玉子焼きをつつきながら、どうしたらいいんだろうと相談した結果、よく分かったのは、何をどうしたらいいのか、だれもさっぱりわかっていないという弱った現実だった。

「ワラエーに、何かアイディアがあるんじゃなかったのかよ?」

 空が玉子焼きを口に放り込みながらたずねる。

「いや、私もあの時は何かができるような気がしてたの。でも、落ち着いて考えたら、あの時、自分が何を考えてたのか、どうするつもりだったのか、どうしても思い出せないの。っていうか、何かができるような気が全然しないって言うか。ただ、放っておくわけにはいかないっていうあの時の気持ちは、まちがってなかったと今でも感じてる。それは確かなの」

 えみは、ぽつりぽつりと、自分の中身を点検するように、ひとつひとつを確認しながら言葉にしていった。

 その口調が伝染したかのように、今度は寛が重い口を開く。

「わしも、ずっと気にはなっておったんじゃ。けど、何をどうしたらいいのかがまるで分らん。放課後や休みの日に会えば、今日のように仲良く話せるし、いっしょに遊ぶこともできる。それはありがたいことなんじゃが……」

 寛を支えるように、ナツが言葉をつなげる。

「そう。空き缶コンビがきちんと謝りに行ったこと、そこで王子君と話ができたこと、その後、近所で会った時に、お互いが逃げたりさけたりしなかったおかげで、ふつうに話したり遊んだりができるようになったこと。これらのおかげで、空き缶コンビと王子君の関係は直ってるのよ。ね、王子君、今でも空君や寛君はこわい?」

「ん?……えとね、こわい時もあるよ。大きな声でおこられたりすると、こわいよ。でもね、ぼく、二人とも好きだよ。おもしろいから。大好き」

 にっこりとわらう王子君。

 うそをついたり調子を合わせたりという様子には見えない。

 彼のえがおをじっと見つめながら聞いていたナツは、目をふせて続ける。

「だけど、朝になると、頭が痛くなって学校には通えない……か」

「いったい、どうしたらいいんじゃ?」

 ため息をつきつつ、天井を見上げた寛の目にうつったのは、洋服ダンスの上から飛び下りてきたワラビーの姿だった。

 ワラビーは寛のおでこに着地すると、もう一度ジャンプして、机の上に降り立つ。机を囲んでいたみんなの視線がワラビーに集中する中、彼はきっぱりと言った。

「ごやき」

 それは、さけぶというほど大げさなものではなかったけれど、ワラビーがこれまで出した声の中では一番大きな声だったし、一番はっきりとした発音だった。

 ただし、ワラビーが何を言いたいのか、その意味はさっぱりわからなかったのだけれど。

 ワラビーは机の上からぴょんと飛び下りると、そのままキッチンへ駆けて行った。

 みんなも、何が起こったのか、起こりつつあるのかさっぱりわからないまま、とりあえず、ワラビーのあとを追った。

 みんながキッチンにつめかけると、さすがに定員オーバーという感じで、身動きがしにくいほどだった。

 調理台の上にすっくと立ったワラビーは、追いかけてきたみんなをぐるりと見渡して、言った。

「ごやき。つくる」

「玉子焼きを作るって言いたいの?」

 えみがたずねると、ワラビーは腕組みして重々しくうなづいた。

「わしら、もうずいぶんと玉子焼きは食べたんで、腹はすいとらんがのう」

「それは、寛に限ったことじゃない。ここにいるみんなもそうだろう」

 空き缶コンビが首をかしげて言った。

 ワラビーは聞いているのかいないのか、全く動くそぶりがない。

 どうしたものかとえみが考えこんでいると、ナツがえみのわき腹をつっついた。

 見ると、目で王子君の方を指している。

 王子君は、キッチンのあちこちをものめずらし気にながめていた。

「王子君、玉子焼き、おいしかった?」

「うん」

 王子君はうれしそうに返事をする。

「もしかして、玉子焼き、作ってみたい?」

「えっ、いいの?」

 目をまん丸にする王子君。

「ごやき。つくる」

 ワラビーが再び重々しく言う。

「ね、王子君もやりたそうだし、ワラビーもなぞのやる気を見せてるし、玉子焼き、もうちょっと作っちゃわない?」

 ナツがエプロンを着直しながら、提案すると

「そういや、だれかさんがみんなを引っ張ってスーパーの特売に行ったもんで、冷ぞう庫の中には、まだまだ玉子がうなるほど残ってるしな」

 空がえみの方を見ながら、からかうように言った。

「よし、じゃあ、出来上がった玉子焼きはお土産に持って帰ることにして、もういっちょ、やっちゃおうか」

「やったあ!」

 王子君がうれしそうにガッツポーズをし、玉子焼き作りの第二部がスタートした。


 さっきの玉子焼き作りの経験が生きて、玉子を割るみんなの手つきは、ずいぶん良かった。

 おっかなびっくりの王子君の手助けに入ろうとしたえみだが、ナツにそっとそでを引かれた。

「えみ、王子君のフォローは空き缶コンビに任せましょ」

 なんとなくそうした方がいいような気がして、えみは無言でうなづいた。

「寛君、王子君がやり方が分からなくて困ってるわよ。助けてあげてくれない?」

 ナツがそう声をかけると、寛は快く王子君係になってくれた。

 兄弟では互いに相手の様子を気にするくせがついているのか、寛が王子君につくと、空も気にかけるようになり、二人して王子君の世話を焼いてくれた。

 とらは、日ごろからあれこれと手伝いをしていたから、玉子を割るくらいのことは楽にこなしていた。

「さとう」

 ワラビーが言った。相変わらず腕組みしたままだ。

「さとうで味付けするってことかしら?」

 と、さとう入れを出しながらえみ。

「私の家では、玉子焼きを作る時はだいたいさとうで味付けするわよ。玉子焼きが黒っぽくなるの、パパがいやがるの」

 三つ目の玉子を割っていたナツが答え、味付けを申し出てくれた。

 ようりょうよく味付けし、それを焼き始めたナツをしり目に、さらにワラビーが言う。

「しお」

「お、待ってたぜ」

 空が反応し、塩の入れ物をえみから受け取って味付けを始める。

「おれんちで玉子焼きって言ったら、絶対塩味なんだ。な、寛」

「おう。今日、めんつゆで味付けってのを初めて食って、これもうまいなと思ったが、そいでも基本は塩味じゃな」

「ちょっと、空君、それ全部入れたらしょっぱ過ぎ!」

 おしゃべりに気持ちが行って、大胆に塩をすくった空をえみが止めた。

「おっと、危ない」

 えへへへとわらってごまかし、ちょうどさとうで味付けした玉子焼きを焼き終わったナツに、お、これも頼むと手渡す。

「もう、自分でやったら?」

 と言いながらも、すでにナツの手の方は油を引いている。

 ナツが玉子焼きをうまく焼けるようになって、うれしくてどんどん焼きたくなっちゃっているのが手に取るようにわかって、えみはうれしくなってしまう。

 自然と口もなめらかに動く。

「空君、料理の味付けはさしすせその順番って言うんだけど、どんな順番かわかる?」

「ん?さしすせそ、か。『さ』は……うん、さとうだろ?」

「ピンポーン。その通り」

「『し』は……塩?」

「正解」

「『す』は……『す』なあ。『す』……?」

「うふ。おおまけにまけて、正解にしてあげる」

「は?」

「『す』は、すのものに入れる、あのすっぱい『す』なの。だから、正解」

「なんだそりゃ」

「でも、さすがに玉子焼きの味付けに、すは無しじゃろ」

 横から寛が口をはさむ。

「そうだね。すっぱい玉子焼きはぼくもちょっと」

 王子君までが、玉子のカラを捨てながら話に加わる。玉子を割るのは、だいぶうまくなったようだ。

「ん、そうかな?……ちょっと、その、すで味付けした玉子焼きっての、私に挑戦させて。あと、『せ』はしょう油なんだけど、しょう油も私に使わせて」

 えみはすとしょう油の調味料入れを取り出して、何やら考え始めた。真剣な表情に変わっている。

 そこへ、塩味の玉子焼きを焼き終わったナツが入る。

「はい、えみ先生は研究に入ったんで、しばらくは話しかけないこと。ところで、少年達は『せ』がどうしてしょう油なんだろう?って不思議に思ってるかもしれないけど、小学生にはちょっとむずかしい話になるんで、今はつつかない」

 と、小学四年生がえらそうに言うが、みんなナツがおそろしく物知りなのを知っているからもんくは言わない。

 ナツも平気な顔で続ける。

「それより、最後の『そ』を考えてみましょうか。ただし、これ、変化球なのよね。ここまでずっと、『さ』『し』『す』『せ』は最初についてたのに、『そ』だけは最後につくの。ま、最後って言っても二文字なんだけどね。さて、味付けのさしすせその『そ』ってなあんだ?」

 右手の指を二本立てて問いかけるナツに、さとう入れを手にしたえみが声をかける。

「横入りごめん。なっちゃん、その『そ』にも挑戦したくなっちゃった。いいでしょ?」

「もちもちろんろん。楽しみにしてるわよ」

 言いながら冷ぞう庫を開けようとするナツ。

「あ、今はまだ出さないで。ちょっとアイディアがあるんだ」

「あら、何かたくらみ中?」

「うん、きょうふのいんぼう」

 ごきげんにおしゃべりする二人をよそに、男子軍団は『そ』を見つけようと、冷ぞう庫の中にありそうな調味料の名前を次々に出し合っていた。

「マヨネーズ!」

「わさび!」

「ケチャップ!」

「おい、みんな落ち着こうぜ。おれたちが探してるのは二文字で後が『そ』の調味料だろ?」

「わかった!うそ!」

「いや、九太、それ調味料じゃないだろ?」

「冷ぞう庫にも入ってねえしのう」

「あそっか」

「なあドーナツ、ちいと冷ぞう庫の中、見せてくれんか?」

「だめ。ちゃんと考えてごらんなさい。寛君の家の冷ぞう庫にも、絶対入ってるものだよ」

「そんなこと言われても、わし、今まで冷ぞう庫なんて、ほとんど開けたことなかったぞい」

 寛が泣きごとを言い始め、空が助けに入る。

「おい、えみ、たのむから冷ぞう庫の中の物、何か使ってくれ」

「もう、無茶言うんだから。ま、今回だけ助けてやるか。なっちゃん、いい?」

「そうやって甘やかしてばかりいると、のちのち苦労するぞ、おぬし」

 ナツが意味深なことを言うが、えみは気がつかないふりだ。

「はい、なっちゃん先生のおゆるしがいただけたので、これから冷ぞう庫を開けまあす」

「えみが料理に使う物を取るために開けるんだから、えみより前に出るのはだめね。あと、えみはさっさと必要な物を取ったら、のんびりしないで冷ぞう庫を閉めること」

「はあい、りょうかいです、隊長。男子軍団は私の後ろに集合ね」

 男四人がどやどやと自分の後に集まるのを待って、えみは冷ぞう庫のドアを開いた。

「ええと、からしからし……」

「からしなら、ドアポケットの一番上じゃん。姉ちゃん、何ぼんやりしてるんだよ」

 えみが冷ぞう庫の中をすみからすみまで見回していると、後ろからとらの声が飛んでくる。

 何言ってるの、あんた達のために時間かせぎしてるんじゃないの、ぼんやりしてるのはどっちよ、と心の中でつっこむが、もちろん口になんか出さない。

「ああ、そうだったわね。ありがとう、とら」

 白々しくお礼なんか言って、えみはドアポケットからからしのチューブを取り出す。

「あ、これなんかも使えるかも」

 言いながら、アレのプラスチック容器が見えやすいように、手前に入っていた物を次々に取り出しては

「あ、でも、ちょっとちがうか」

 なんて言って首をかしげて見せてから、入ってたのとは別の段にしまう。

 元々小さくはないアレの容器が、さらにしっかり見えるように。

 えみの小細工のかいあって、やがて王子君が大きな声を出した。

「あ、なんだ!わかった!ぼく、毎朝食べてました!あれ?飲んでたって言うのが正しいのかな?」

 やれやれ世話が焼けること、と心の中でため息をついて冷ぞう庫を閉めかけたえみの手が止まる。

 ん?

 今、私は何を思いついたんだ?

 突然ひらめいたアイディアのかけらの正体を見極めようと、さっき、冷ぞう庫から出してはちがう段にしまった物達に目を走らせる。

「えみ、ちょっとサービスし過ぎ。もう、冷ぞう庫、閉めちゃいなさいよ」

 えみの変化に気づいていないナツがせかす。

「わかった、これだ!」

 えみは冷ぞう庫の中から、びんづめのなめたけを取り出す。

「あ?なめたけは二文字でもなけりゃ、『そ』で終わるわけでもねえぞ?」

 寛が顔をしかめてたずねる。

 えみは右手のひらを顔の前に立てて拝むポーズ。

「ごめん。これは、ちょっと別口」

 なめたけのびんを調理台の上に置き、冷ぞう庫を閉める。

「さ、『そ』の正体は分かったかしら?」

「はい!はい!はいはいはい!」

 ナツの問いかけに、王子君が全力で手を上げる。空き缶コンビは顔を見合わせている。どうやら、自分達も正解にたどり着いたが、答えるチャンスを王子君にゆずってあげることにしたらしい。

「そうねえ、だれに答えてもらおうかしら?」

 ナツが右から左へ、ゆっくりとキッチンを見回す。

 手を上げているのは王子君一人だけど。

「はいはいはいはい!ぼく言いたい!超言いたい!」

「じゃあ、一番元気に手を上げた王子君」

「はい。さしすせその『そ』は、みそです!」

「正解です。よく言えましたね」

 ナツに頭をなでてもらって、王子君はうれしそうだ。

 空き缶コンビは盛大に拍手している。

 とらは拍手に一生懸命の空のひじを引っ張りながら

「ね、『そ』が最初じゃなくていいの?ねえってば」

 と小声で聞いている。

 とらはもうちょっと人の言ってることをちゃんと聞かないとだめね、とえみはひそかに思った。

「王子君、こっちにおいで」

 ナツが王子君をレンジの前に連れてくる。

「王子君、ごほうびに、玉子焼きを焼かせてあげようか?」

 ナツがそう言って玉子焼き器を差し出すと、王子君はまん丸な目になった。

「いいの、ぼくが焼いて!?」

 おずおずと玉子焼き器を受け取り、おそるおそるながめまわす。

「ぼく、できるかな?ちゃんとできるかな?」

「心配?」

 えみが王子君の肩に手を置いて聞くと、王子君はこくりとうなづいた。

「だって、ぼく、これ、さわったことないんだ。お母さんが、あぶないって」

「これはレンジっていうの。だいじょうぶよ。寛兄ちゃんがちゃんと教えてくれるから」

「寛兄ちゃん!?わしが兄ちゃん!?」

 えみの言葉に、寛の声が裏返る。

「だってそうでしょ?寛君は王子君より三才も年上なんだから、王子君から見たらお兄ちゃんだよね」

「それとも、あなた、本当はお姉ちゃんだったりして?」

 混ぜっ返すナツだが、寛にはそれに反応するよゆうもないようだ。

「そりゃ、ま、そうだな。わしはたしかに九太より年上だ。……そうか。……わしが『兄ちゃん』か……」

 喜ぶだろうとは予測していたが、まさかここまでとは。

 えみはわらいをこらえるのに必死だ。

「ほら、王子君、ちゃんとお願いしなさい」

「寛兄ちゃん、お願いします」

 王子君がぺこりと頭を下げる。

「おう、任せとけ!九太、どんなピンチになっても、お前にゃわしがついとるけえの!」

 寛の大声が、キッチンにひびき渡った。

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