第9話 だって三々七拍子

 兄に遅れること数分。

 同じようにあおむけの姿勢でたたみの部屋に突入した寛。

 空と違うのは、その手に自分のタブレットを持っていることだ。

 周囲に目を光らせつつ、慎重に兄の後を追う。

 早く兄に追いつかねば、というあせりと、物音を立て過ぎてざしきわらしを怖がらせるわけにはいかないという気持ちの板ばさみになって、空回る思考。

 やたらと流れる汗。

 それをぬぐおうとした時、頭上から兄の奇妙な声が聞こえた。

「へあっ」

 きん急事たい、と呼ぶにはなんともきん張感を欠いた声に、飛び起きて駆け寄るタイミングを見失う。

 何が起きている?

 次の行動を決めかねて、周囲の目を走らせていると

「へあっ」

 その声は聞こえてきた。

 兄の声とは比べ物にならないほど高いキー。

 小さな子どもを思わせる声だ。

 もしや、これがざしきわらしか?

 反射的に頭上を見上げると、兄の腕が目に入った。

 手のひらをこちらに向けて、思い切り開いている。

 『止まれ』の合図か。

 いったいいつからこの合図は出ていたのか?

 合図に気づくのが遅れて、自分は大きなミスをおかしてしまったのではないかと後かいしていると、またもや頭上から甲高い声。

「へあっ」

 気のせいか、うれしそうに聞こえる。

 あれがもしもざしきわらしの声だとするなら、家の守り神なんだか不思議な力を持ったようかいなんだか知らないが、そいつはとりあえずごきげんなのではなかろうか。

 そんな風に自分に言い聞かせながら、寛は手に持っていたタブレットの電源を入れた。

 兄が『止まれ』の合図を出している以上、たとえ、この先で一体何が起こっているのか全然わからない状態であっても、いや、だからこそ、これ以上のやみくもな前進はできない。

 ならば、突撃を開始した時の自分のつもりよりずいぶん早いタイミングではあるが、バックスとの情報交換の準備をしておくのがよいと判断してのことだ。

 しかし、いつものことではあるが、こういう緊張する場面ではなおのこと、タブレットの電源ボタンを押してから、それが操作可能になるまでの起動時間の長いこと長いこと。

 きっとストップウォッチで測ってみれば、二分もかかってはいないのだろうが、いらいらしながら待っている身には、その何倍にも感じられる。

 仕方がないので周囲を見回していた寛の鼻に、玉子焼きの甘いにおいが漂ってきた。

 ああ、こんなにいいにおいがしてきたら、神様だろうがようかいだろうが、人間の暮らしている生活空間にうっかり足を踏み入れてしまっても仕方がないわな、なんて間の抜けたことを考えているうちに、ようやくタブレットが起動したようだ。

 突撃前にナツに指示されたように、まずはメールソフトを立ち上げる。

 と……

「ヨーオッ!パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!」

 と能天気な三々七拍子の音声がタブレットから飛び出した。

 この前、ふざけて変更したメール着信音だ。

 タブレットの音量をゼロにし忘れるとは、なんたるうかつ!

「しまった!」

 小声でうめきながら消音するが、もう遅い。

 頭上、兄があおむけの姿勢で寝転んでいる机の上を、子犬か子猫ほどの体重の何かが走る足音が聞こえる。

 物音に驚いて逃げ去るざしきわらしを思い浮かべ、思わず目をつぶる寛。

 しかし!気のせいでないなら、足音は逃げ去るどころか、こちらに駆け寄って来てはいないか!?

 驚いて目を開け、頭上を見上げる。

 その目が、机の上、手前端に駆け寄ってきて寛の方をのぞきこむ、冗談のように小さい少年の目と合う。

「ヨーオッ!」

 さっきと変わらぬ甲高い声でかけ声を上げると、しゃがみこみ、机の天板を小さな手のひらで打ち鳴らす。

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「しまっ!」

 しめになぞのかけ声を加えて、百点満点のえがおを寛に向けるざしきわらし。

 あぜん。

 中と半端に開けた口を閉じることも忘れ、寛はそのえがおを見つめるしかなかった。


「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「しまっ!」

 島!?

 島ってなんだよ?

 空はざしきわらしの奇妙な行動を受け止め損ねていた。

 手拍子までは分かる。

 さっき、寛のタブレットのメール着信音がかすかに聞こえた。

 それをまねしているのだろう。

 えみから聞いていた、ざしきわらしとの出会いの時に起こった鳴きまね合戦の話を聞いていたから、それと自分の経験を合わせて考えると、ざしきわらしには会った相手の声をまねする奇妙な性質があることがわかる。

 三々七拍子をまねたということから、相手が立てた音もまねするようだ。

 しかし、最後のかけ声の意味が分からない。

 『島』ってなんだよ?

 もしかして、寛が言ったのをまねしたのだろうか?

 それは、ありえない話ではない。

 今、空と寛の位置は少しだが離れており、寛が小声で言ったことやつぶやきを、空が聞きもらしてしまうことは、十分に考えられることだった。

 けれど、だとしたら、今度は寛に問いただしたい。

 『島』ってなんだよ?

 『島』って?

 このタイミングで、何を考えていやがる?

 そんなことを考えこんでいると、机の上で新しい動きがあった。

 ざしきわらしの足音が、空の方に近づいてきたのだ。

 トッテテト。

 そして、机のふちからざしきわらしの顔がにょきっと生え、その直下にあおむけで寝転んでいる空を見つめる。

 目が合うと、体がびくっと勝手にふるえる。

 どうやらきけんはなさそうだと頭では理かいできても、このあおむけという姿勢が、どうにも居心地が悪い。

 そんな空の思いなど気にもとめず、ざしきわらしはごきげんでおっ始める。

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「しまっ!」

 甲高いかけ声をひびかせて、百点満点のえがおで空をじっと見つめるつぶらなひとみが「最高にごきげんやろ、これ!さあ、今度は君の番!」とでも言っているようにしか思えない。

 空は、あれこれ考えるのが、急にめんどうな気がしてきた。

 すうっと鼻から大きく息を吸い込む。

「ヨーオッ!」

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「島っ!」

 圧倒的な開放感に、思わず口元がゆるむ。

 ざしきわらしを目が合う。

 ざしきわらしはにたりとほほえむと、全身をぶるりとふるわせた。

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「しまっ!」


 兄とざしきわらしのふしぎな祭りを、全くうらやましいと思わなかったと言えば、それはうそになってしまう。

 なら、どうして寛もすぐに祭りに飛び込まなかったのかといえば、実はちゃんとした理由などはない。

 ただ、手元にタブレットがあり、さっき派手にメール着信音が鳴ったということは、そこにメールが来てるということだ。

 だから、二人の祭りはすごく気になったが、とりあえず、そのメールにだけは目を通しておこうか。

 祭りに飛び込むのは、その後でも十分に間に合う。

 そう寛が判断したのが、最初の分岐点となった。

 そして、以後は目の前の指示やできごとに対応しているうちに、参加がどんどんおくれていった、というだけのことだった。


件名:すぐに入室して

連絡用チャットルーム、借りました。

すぐに入室してください。以後の連絡はその部屋で行いますので、入りっぱなしにして、時々はのぞくようにしてください。


 メールにはりつけてあったリンクをたどれば、そこは無料で借りることのできるチャットルームだった。

 すでに『ナツ』が入室している。


■チャットルーム・たたみの部屋⇔リビング■

ナツ:何だか、よくわからないことになってるみたいだけど?

ヒロ:うん。よくわからない

ヒロ:なんだかわからないけど、空兄ちゃんとざしきわらしがえらい盛り上がってる

ナツ:タブレットの角度がイマイチなのと、マイクの性能の問題で

ナツ:たたみの部屋で何が起こったのか、起こってるのか、よくわからない

ナツ:今は空君が三々七拍子やりながら、大声で「島!」ってさけんでるのが分かる

ナツ:あと、耳をすますと、小さな声と机の上をたたく音が聞こえる

ナツ:これ、もしかしてざしきわらし?

ヒロ:うん。たぶん

ヒロ:ざしきわらしと兄ちゃんは、おたがいのまねをしてる

ナツ:まね?よくわからない。どこから三々七拍子が?

ヒロ:三々七拍子はわしのミス。メール着信音を聞かれてしまった

ナツ:(えみとばくしょう中)

ヒロ:すまん。タブレットの音を消しとけばよかった

ナツ:ごめん。お待たせ

ナツ:そっか。一つなぞがとけました

ナツ:島は?

ナツ:「島!」はどこから来たの?

ヒロ:それもわしのミス

ヒロ:メール着信音が鳴った時に、思わず「しまった!」ってつぶやいちゃった

ヒロ:たぶん、それ

ナツ:(えみとばくしょう中)

ヒロ:すまん

ナツ:ごめん。お待たせ

ナツ:どんまいどんまい

ナツ:気にしないで。だれでも失敗はするもん(えみです)

ヒロ:ありがと

ナツ:いいのいいの。ここからがんばっていこう!(えみです)

ナツ:そ。こっからこっから。切りかえて行こう!

ナツ:おーい

ナツ:元気出せ!

ヒロ:うん

ヒロ:元気出す

ヒロ:兄ちゃんくらい元気出す

ナツ:お前のばかアニキは元気出し過ぎだ

ナツ:あれじゃ、すぐのどがいかれるぞ

ナツ:休ませてあげたいの。ちょっと、交代してもらっていい?(えみです)

ナツ:その前にちょっと待て

ナツ:空君のナップサックの中のタブレット、借りていい?

ヒロ:ちょっと待て、兄ちゃんに聞く

ヒロ:OKだってさ

ナツ:パスワードは?

ヒロ:0609だって

ナツ:さんきゅ


「なっちゃんてさ、チャットルームではすごく感じが変わるよね。言葉づかいとか」

 えみは、空のナップサックからタブレットを引っ張り出しながら言った。

「やっぱりそう思う?リアルタイムではあんまり気にならないんだけど、過去ログ読み直すと自分でもびっくりしちゃうことがあるの。たぶん、急いでるからなんだと思う。チャットって、直接会って話すのと比べて、すごく時間がかかるでしょ?同じ内容を伝えるのに、三倍も四倍もかかっちゃう。それがいやで、急いじゃうんじゃないかな。あ、パスワード入れようか?」

 えみの手元にあるタブレットが起動し、パスワード入力の画面になったのを見て取って、ナツが手を差し出す。

「あ、お願い。でもさ」

 えみはタブレットをナツに手渡した。

「男子のいい加減さにもあきれちゃうわよね。パスワードが0609だなんて」

「あ、やっぱりそうなんだ。たん生日?」

「そう。6月9日」

「当然、寛君も同じ日だよね。パスワードも同じだったりして」

「それ、絶対にないって言い切れないのがなさけないのよね。先生がたん生日や電話番号をパスワードにするのは危ないから止めておけって教えてくれたの、聞いてないのかしら?」

「聞いてないから、こんなことをやっちゃうんでしょ。はい起動したわよ。『えみ』でチャットルームに入室しておくから、甘酒仕上げちゃって」

「あ、それなんだけど、甘酒の素が切れちゃってたの。ちょっと買ってくるね」

 おどけて敬礼し、えみが玄関に向かったのを確認し、ナツはチャットルームに入室した。


「兄ちゃん、くたびれたじゃろう。交代じゃ。ちょっと休みな」

 寛に言われて空は我に返った。

 何だか知らないが、夢中でざしきわらしの相手をしていたのだ。

 手の平がじんじんしている。

 のども少しおかしい。

「お、すまんな」

 そう言ってあおむけになった時に気づく。

 ざしきわらしの相手をするのに熱中するあまり、いつの間にか、あおむけの姿勢から座った姿勢になっていたのだ。

 まったく、何をやっているのやら。

 知らぬ間に苦わらいがもれていた。

 こうなってみると、このあおむけという姿勢にどれだけの意味があるのか少々うたがわしい気もするが、せっかくだからあおむけの姿勢で背中ではって、リビングルームの方に下がる。

 入れかわりに寛が机の方へ。

 彼もあおむけだ。

 すれちがった時に渡された寛のタブレットを見ると、チャットルームがうつっている。

 どうやら連絡用に使っているようだ。

 と、交代した寛が、大声を出し始めた。

「ヨーオッ!」

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「島っ!」

 ちょっと高めの声。

 ざしきわらしの反応はどうだろうかと心配したが、要らぬ心配だったようだ。

 すぐにざしきわらしの山びこが返る。

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「しまっ!」

 はたで見ていても妙に楽しそうだ。しばらく休んだら、おれも再び加わろうなんて考えていたら、少し考えこんでいた寛が新しいバージョンを試し始めた。

「ヨーオッ!」

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「山っ!」

 ざしきわらしがおどろいて目を丸くするが、おくれはほとんどない。

 すぐに

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「やまっ!」

 山びこが返った。寛とざしきわらしの間に、正体不明のつながりが発生したようだ。

 二人の間で三度、同じやり取りが交わされる。

 そして、さらに新しいバージョンを寛がくり出す。

「ヨーオッ!」

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「富士山っ!」

 ざしきわらしのやまびこが返る。

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「ふじっ!」

 !?……一瞬のとまどいの後、寛がもう一度試す。

「ヨーオッ!」

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「富士山っ!」

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「ふじっ!」

 どうやら、富士山は長過ぎるようだ。

 しかし、寛はあきらめない。

「ヨーオッ!」

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「富士、さ!んっ!」

 最後の二文字を強調する作戦だ。

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「ふじっ!」

 残念。

 ざしきわらしの反応は変わらない。


■チャットルーム・たたみの部屋⇔リビング■

システムメッセージ:ヒロさんが退室しました

システムメッセージ:ソラさんが入室しました

ナツ:何だか面白そうなことが始まってるじゃない

ソラ:そうなんだよ

ナツ:だれのアイディア?

ソラ:寛

ソラ:わが弟ながら、油断のならんヤツ!

ナツ:へえ、ちょっと意外

ナツ:兄ちゃんの金魚のフン専門なのかと思ってた

ソラ:こらこら

ソラ:でも、おれもちょっと意外だったのは確かだな

ナツ:おかげで、ざしきわらしの性質が一つ、明らかになったのは収かくね

ソラ:性質?

ナツ:そう

ナツ:一つ、現在のところ、ざしきわらしの山びこはひらがなで二文字が限界

ナツ:二つ、限界を超えると、最初の二文字を返す

ソラ:なるほど

ソラ:言われてみりゃその通りだ

ソラ:そして、今、その限界に挑戦してるわけだ

ナツ:そう

ナツ:何だかファーブルっぽい!

ソラ:ファーブル?

ナツ:まさか知らない?

ソラ:うん

ナツ:げ!

ナツ:ぜひ読んでごらん

ナツ:絶対おもしろいから

ナツ:あ!

ソラ:今!

ナツ:聞きまちがいじゃないよね?

ソラ:うん!


「ヨーオッ!」

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「富士、さ!んっ!」

 十五回目の挑戦。

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「さんっ!」

 !……ざしきわらしの反応が変わった。

 もう一度確かめる。

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「富士、さ!んっ!」

 どうだ!

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「さんっ!」

 やはり!

 さらに確かめる。

 パンパンパン!パンパンパン!パンパンパンパンパンパンパン!

「富士山!」

 強調をやめてみた。

「ヨーオッ!」

 タンタンタン!タンタンタン!タンタンタンタンタンタンタン!

「さんっ!」

 おおっ!あらい息をつきながら、思わず寛は口元をゆるめていた。

 知らないうちに、全身がびっしょりと汗でぬれている。

 あごを引いて頭を持ち上げ、自分の足の方にいる兄を見やる。

 空は興奮した様子でタブレットでチャットルームに何やら書き込んでいたが、寛の視線に気づくと、こちらに顔を向け、大きくうなずいてえがおを見せた。

 兄に向けて、こぶしを差し出し、親指を立てる。

 兄も同じポーズを返してくれた。

 同じ行動をくりかえすことにより、ざしきわらしは学習し、その行動を変えることができることが分かった。

 この実験結果から、ざしきわらしと気持ちや考えをやり取りすることができるようになれそうなことがはっきりとし、寛は大満足だった。

 と、兄が両手の人差し指を立て、交互に振る動作をして見せているのに気づいた。

 交代したいのだろう。

 寛としても、一休みしたかったので、場所を入れかわることにした。

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