第8話 接近遭遇
ナツが、顔ににやにやわらいをはりつけたままリビングに入ってくると、寛がすを飲んだような顔でタブレットを見つめていた。
「どうしたの、ふだんの五割増しくらい変な顔して?」
ナツが減らず口をたたくが、寛は相手にしない。
タブレットをにらんだまま、ナツにたずねた。
「さっき、言ってたよな。押し入れは閉まってたって」
様子のおかしい寛のわきに座りながら、ナツは返事する。
「うん、言った」
「それは、確かか?」
「大丈夫。絶対確かよ」
「絶対?」
「絶対。私ね、タブレットをしかけながら考えたのよね。閉まってる押し入れを見ながら、ずっと。もしも、このざしきわらしそう動が本の中のお話で、私が作家さんだったとしたらって」
「お前、妙なこと考える奴だな」
「いいじゃない、考えるだけなら。だれにめいわくかけるわけでもないんだし」
「まあ、いいや。それで、作家だったとしたら、どうだっていうんだ?」
「じゃ、つきあいなさいよ」
寛の横に座ったナツは、うっとりした表情で目を閉じる。
「想像して。今起きてること、私達がやってることは、全部私が書いた本の中の出来事なの。で、その本が大ヒット!アニメ化に続いて、映画化までされちゃうの」
「おお、そりゃおめでとう!」
「何言ってんの、想像の中だけに決まってるじゃない」
「なんだ、そうか」
「でもさ、なんか盛り上がっちゃうよね。うふふ」
「お前、思ってたより面白いヤツだな」
「ほめ言葉と受け取っておくわ。でねでね、そうなると、この押し入れはがんばるとこよねえって思ったの。タブレットしかけながら」
「がんばるとこ?何の話だ?」
「もう、ちゃんと私の話聞いてた?映画化されるのよ、この話」
「あ、ああ。映画化だな」
「そう、映画化。映画化するとなれば、当然、予告編が必要じゃないの」
「予告編?」
「知らないの?この映画はこんな映画ですよ、こんなにおもしろそうですよってお客さんに伝えるための短いせんでん。映画館やテレビやインターネットで見かけたことあるでしょ?」
「ああ、わかった。映画のDVDの最初に入ってるやつな」
「最初とは限らない気がするけど、ま、いいや。その予告編で、絶対使われるよね」
「何が?」
「あなた、感動的に鈍いわね。押し入れが開けられるシーンよ」
「あ、そうつながるんか」
「想像してごらんなさいよ。映画の予告編が始まる。気味の悪いBGM。暗い画面にうつってるのは、閉じた押し入れ。電灯のついてないたたみの部屋は、薄暗くて画面にうつっている物が何なのかも、よく見えない。耳をすますと、リビングの方から明るい声がかすかに聞こえてくるの。この家の子ども達が、友達と遊んでいるのね。と、突然、音もなく押し入れが開くの。ほんの三センチほど。カメラはそのすき間に寄って行くのね。すると、すき間の向こうから、目がのぞいてるの。何者かが、押し入れの中から外の様子をうかがってるの」
「あの、いそがしいとこ悪いんやけど……」
うっとりと語り続けようとするナツの言葉を、寛がさえぎった。
「何よ、今いいとこなのに。ちょっと待てないの?」
「ああ、それがな、どうも待てないっぽい」
「どうしたって言うの?」
「その、今話題騒然の押し入れなんじゃが、もう開いてるんじゃ。三センチどころか、十センチもその上も」
困ったように、タブレットの画面を指さす寛。
「え、どこどこ?どういうこと?」
ナツがタブレットの画面に食いつく。すると、確かに押し入れが開いている。画面上ではわかりにくいが、十五センチくらいは開いているだろうか。
「え、ちょっと待ってよ。どういうこと!?」
振り向いたナツの視線のするどさに、寛はたじたじとするしかない。
「いや、さっきえみが押し入れがどうのこうのって言ってたんで、画面をよく見てみたら、押し入れが開いてたんじゃ。だから、ドーナツに押し入れは確かに閉まっていたんか、確認したんじゃ」
「え?じゃあ、何?さっきからずっと押し入れは開いてたの?もう!ちょっと、えみ!早く来て!」
ナツの迫力に押されて、寛は後ずさり。
キッチンに続くドアが開いて、えみが入ってきた。
布巾で手をふきながら、寛がいなくなったタブレット前に座りこむ。
「あ、やっぱり押し入れ、最初は閉じてたんでしょ?そんな気がしたのよね」
「えみ、あんた何のんきなこと言ってるの。最初閉じてた押し入れが、今は開いてるってことは、何かが押し入れを開けて、あそこから出てきたってことじゃないの!!」
「どうした、どうした?何、大さわぎしてるんだ?」
えみに続いて空も合流。
これで、この家に現在いるメンバーが、全員タブレットの周りに集合したことになる。
「それが、空君、ちょっと見てよ。ここ。押し入れ。開いてるのが見え……きゃあ!」
タブレットの画面で押し入れのすき間を指さそうとしていたナツが、悲鳴を上げてソファから飛び上がり、タブレットから逃げ出すように距離を取る。
「どうした?大丈夫か!?」
ナツをかばおうとするように一歩前に出た寛が、タブレットとナツの間に割り込みながら、背中のナツにたずねる。
「今、何か動いた!机のかげ!!」
タブレットを指さすナツの声に応えて、残りの三人が画面に顔を寄せる。
「何か見えたか、空兄ちゃん?」
「いや、オレには何も。どのみち、こう小さな画面じゃ、見えるものも見えんわな」
「ちょっと、よく見てよ!確かに何かいたんだから!机のかげよ、向こう側よ!」
「落ち着いて、なっちゃん。今、みんなで見てるから。大丈夫だから」
なだめながら画面に見入ったえみだが、何も見つけることができない。
画面の観察を男子二人に任せて、ナツのそばへ。
背中をさすりながら呼びかける。
「おどろいたよね。でも、もう大丈夫。安心してね。私がついてるわ。何が見えたか、落ち着いて話してくれる?」
ゆっくりと話しかけながら、背中をさすり続けるえみ。
ナツも、少し落ち着いてきたようだ。
「私も、何が見えてたのかよくはわからないの。ただ、何かが動いて、机の陰に隠れたの。このあたり」
ナツは腕を精いっぱい伸ばし、たたみの部屋に置いてあるつくえの下を指さした。
「寛、遅れるなよ」
「おう。空兄ちゃんこそ」
空き缶コンビが立ち上がる。
周囲に目を走らせて、空はソファの上に置いていたクッションを持った。
寛ははいていたスリッパを片方ぬぎ、手に取る。
じりっじりっと、たたみの部屋へのドアへ近づいていく。
「ちょっと待って!あなた達、何するつもり!?」
ナツのわきに下がっていたえみが、素早く空き缶コンビとたたみの部屋の間に割り込んだ。
両手をいっぱいに左右に広げ、空き缶コンビの行く手をさえぎっている。
ボリュームを落としてはいるが、その声は決然としていて迷いはない。
「何するつもりって、決まってるじゃないか。ざしきわらしをふんづかまえるんじゃないか」
えみにつられたか、おさえたボリュームで空が答える。
兄の言葉に寛も続く。
「ここでいくら見張ってても、らちが明かん。ここはとつげきして一気にひっつかまえるんじゃ」
「もう、ちょっと落ち着いて。このままじゃだめってのにはさんせいだけど、じゃあ、あなた達が持ってるのは何?それって武器のつもりなんじゃじゃないの?」
えみの言葉に、空き缶コンビは自分の手を見る。
そこには、言うまでもなく、クッションとスリッパが握られている。
「どうしてそう、考え無しで乱暴なの?なんで力任せに解決することしか考えられないの?」
えみの言葉に二人とも肩を落とす。
「ううん、それじゃあ、どうしたらええんかのう?」
寛が手に持っていたスリッパをはき直しながら問う。
空も、ちょっとふてくされたような表情で、手に持っていたクッションをソファに放り投げる。
ソファに落ちたクッションがくしゃんとつぶれ、空の気持ちを表しているかのようだ。
「そっか。会うことに成功しかかってるんだから、ここが勝負所よね」
パニックに飲まれていたナツが、気を取り直したようにつぶやいた。
空き缶コンビとえみの視線がナツに集まる。
その視線に応えるように、ナツは目をつぶって深呼吸をする。
一度。
二度。
三度。
静かに目を開けると、一度胸を張って正面のたたみの部屋へのドアをひたと見すえ、その後、ゆっくり自らの体重をソファに預けて、リラックスした様子でソファにもたれた姿勢になる。
そこにはもう、未知の何者かにおびやかされて、ふるえながら小さくなっている少女の姿はない。
未知であるなら、探して、見つめて、調べて、知って、未知でなくしてしまえばよいのだ。
「男子二人、ちょっと怖いかもしれないけど、突撃してもらいます。大丈夫?」
「ちょっと、なっちゃん?」
えみが不満そうにナツを見返す。
が、ナツはあえて反応しない。
「怖い?冗談は困るぜ」
「ワラエーの言葉にまちがいがないなら、ざしきわらしは三十センチちょいのチビ助じゃろうに。怖かねえさ」
『チビ助』と言った時、空が横目で寛をにらんだが、寛はそれに気づいていない。
ナツは、二人の言葉にうなづき、続けて言った。
「ありがとう。勇かんなフォワードがいて、心強いわ」
「フォワード?」
寛が首をひねる。
「そう、フォワード。危険を恐れず、最前線で働く役割をそう呼ぶの」
「ほうほう、そりゃ、面白そうじゃのう、空兄ちゃん」
「おう。おれ達向きの役割っぽいな」
空き缶コンビがにやり。
彼らに構わず、ナツは作戦指示を続ける。
「今の目標は、ざしきわらしを探すこと、そしてざしきわらしとのコミュニケーションのきそ作りです。ただし、ざしきわらしをおびえさせたりけいかいさせたりすることは、今後の作戦に大きなマイナスのえいきょうを残す可能性が大きいため、絶対にさける必要があります。そこで、フォワードのたたみの部屋へのとつげきのさいに、武器あるいは武器とかんちがいされる可能性がある物の持ち込みを禁じます。また、とつげきする時のしせいですが、ざしきわらしをけいかいさせないために、あおむけのしせいでのとつげきを指示します」
「あ、あおむけじゃと?」
寛がすを飲んだような顔で聞き返す。
「はい。ざしきわらしに無用なきょうふを感じさせないために最適な突撃姿勢です。怖いと感じるなら、バックスへ回ってください。突撃せず、フォワードの作戦行動を後方から支援する大切な役割です」
「いや、怖いってんじゃねえけどさ」
「勇かんなフォワードに感謝を!」
寛に最後まで言わせず、ソファから立ち上がり右手を胸に当てて大げさに礼をするナツ。
いつだったか、サッカーの日本代表の選手が、試合前の国歌せい唱の時にこんなポーズをとっていた。
そんなナツの行動に、あわてて同じ動作を返す寛を見て、えみは思わず吹き出してしまった。
「えみ、わらってる場合じゃないわ。あなたには、バックスとして頼みたいことがあるの。いい?」
「何をしたらいい?」
「甘酒を作ってくれない?」
「甘酒?ひな祭りに飲む、あの甘酒?」
「そう。せっかく出てきてくれたざしきわらしを、お出迎えして差し上げたいの」
「なるほど。わかった。任せておいて」
そう言うなり、えみはキッチンへと駆けて行った。
「ほんじゃあ、わしらもフォワードとして突撃しようかの」
寛がトレーナーを腕まくりする。
「うん、お願い。あ、寛君、自分のタブレット、今、持ってる?」
「おう、持って来とるぞ」
「それじゃあ、えみのメアドにメールを出してから出発して」
「おう。ほんじゃ、空兄ちゃん、先に突撃しといてくれ」
空に声をかけながら寛がかばんからタブレットを取り出すと、それを受け取ったナツはメーラーを呼び出し、早速えみのメールアドレスを打ち込み始める。
「えみ、メールアドレス、変わってないよね?」
「うん」
キッチンに声をかけると、ガサゴソと何かを探しているような物音に混じって、えみの返事が返ってきた。
「フォワードとの連絡用に使わせてね」
「はいはい、どうぞ」
「じゃ、寛君からえみにメールを送りまあす」
そんな女の子達のやりとりを聞きながら、空はたたみの部屋に通じるドアへ歩み寄った。
天井裏から押し入れを通って出てきたはずのざしきわらしを探しに行くのだ。
ナツが言った通りにあおむけに寝そべる。
どうにも無防備な体勢だが、確かにこの姿勢を取っているしん入者をけいかいする必要は感じにくいだろう。
「それじゃ寛、先に行ってるぞ」
「おう、すぐに追いつく」
短いやり取りの後、そっととびらを開ける。
たたみの部屋の中には何の影もなく、物音もしない。
背中で床を滑りながら、たたみの部屋の中にしん入していく。
すぐに背中に触れる床がたたみになり、ザラザラと音を立てるようになるが、かまわず部屋の奥へ。
「おれの足がたたみの部屋に入り切ったら、そっちからとびらを閉めてくれ」
ざしきわらしを怖がらせるわけにいかないので、小声でリビングに声をかける。
むこうから返事はなかったが、かまわず奥へ。
すると、そうっととびらが閉められた。
こうして外と切り離されると、あおむけという姿勢は何とも無防備な感じがして、急に不安になってしまう。
そんな自分の心の動きに苦わらいしながら、空は周囲を見回した。
とりあえず、現在見えているはんいにざしきわらしの姿はない。
もう一歩奥へ。
また周囲を見回す。
そうやって前進と探索をくり返しながら、少しずつ奥へと進んでいく。
やがて、頭上と言っていいのだろうか、今、空は頭をたたみの部屋の奥に向けてそちらの方へ進んでいるのだから前方と言い表すべきなのか、そちらの方に机が見えてきた。
玉子焼きが焼けるたびに、それを置き続けたあの机だ。
ただし、あおむけに寝そべった体勢なので、今は机の上は見えず、机の裏が見えている。
と、その見えない机の上から、カタッと音がする。
玉子焼きを乗せた皿が動いた音にちがいない。
つまり、何者かが、今、皿を動かしたということだ。
空は、じっと身動きをせず、聞き耳を立てた。
耳が痛くなるほど静かな時間が流れる。
いつの間にか浮かんでいた首筋の汗が、つうっと背中側に流れ落ちる。
もう一歩奥へ進んでみようかと思ったその時、小さな小さな音が聞こえた。
クチャクチャクチャ。
机の上。
ざしきわらしが玉子焼きを食べているのだ。
一瞬、顔を上げたいという思いにかられたが、それを何とかこらえる。
ざしきわらしを怖がらせるわけにはいかない。
しかし、ならどうすればいい?
また、汗が一粒たらり。
と、その時、リビングへとつながるとびらが開いた。
静かすぎるほど静かだったたたみの部屋に、その音はやたらと大きく響く。
遅れていた寛が入ってきたのだ。
何ともタイミングの悪いヤツ。
空は天井を見つめながら顔をしかめた。
机の上の気配を探るが、玉子焼きを食べる音は止まっている。
けいかいしているのか?
空は両腕をななめ後ろに突き出し、手のひらをリビングの方へ向けていっぱいに開き、『止まれ』の合図を送る。
が、寛にはそれが見えていないのか、ズルッズルッと派手な音をたてながら、こちらへ近づいてくる。
マズい!
うっかりチッと舌打ちをしてしまう。
すると、思いがけないことに、頭上からチッと舌打ちが返ってきた。
驚いてそちらを見上げると、机の向こう端からにょきっと小さな顔が下に向かって突き出しており、幼い感じのその顔と、ばっちり目が合ってしまった。
体全体はあおむけ、両腕は『止まれ』の合図をしたまま、顔は思い切り上を見上げて、空はこおりついてしまった。
えみが言っていた通りの、ぷにぷにほっぺの赤ら顔。
おかっぱのはずの前髪が、今は床の方向に逆さまに垂れている。
ざしきわらしらしきその顔から、目を離せない。
というか、体全体がマヒしたように動けない。
またしても、汗が一粒たらり。
ただし、今回は思い切り上を見上げた姿勢だったため、汗は耳の方へ流れ、耳の穴に流れ込む。
ジョワッ。
プールの後で、耳の穴の中から水が出てくる時の感じにそっくりの、だけど逆方向で耳の穴の中に水が入り込む時の独特の感じを初体験して、その異次元っぽい感しょくに思わず変な声が出てしまう。
「へあっ」
しまった!と思ったが、体は動かない。
ざしきわらしの方をうかがうと、逃げ出すどころか、その目が好奇心に輝いている。
ゆっくりとざしきわらしの口が動く。
「へあっ」
返事されてしまった!
「へあっ」
二度も!
「空兄ちゃん、どうした?」
本人的には思い切り声を殺しているつもりなのだろう。
だが、そんな寛の言葉に答える余裕もなければ、どう答えていいのか見当もつかない。
おそらく、さっきの声がきっかけになってこちらを見上げ、『止まれ』のポーズに気がついたのだろう。
床をはい寄る音は止まっている。
もう、すっかり手遅れという気もするが……。
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