第4話 名探偵えみ
「何度言ったら分かってくれるの?ぼくじゃないって、絶対に」
家にたどり着いたえみを、トラブルが待っていた。
なんでも、とらのおやつに、と取っておいた玉子焼きが、どろんと姿を消したのだとか。
「とら、確認するわよ」
母さんは、ため息混じりで言い聞かせる。
「一番悪いのは、うそをつくこと。それは、とても恥ずかしい行いでしょ?だから、正直に言ってほしいの。さっきの一皿じゃあお腹がいっぱいにならなかったんで、もう一個焼いてくださいって。そう言えば、母さん、別に怒ったりはしないわ。おやつの食べ過ぎで夕飯が入らないなんて言ったら、話は別だけど」
人差し指を立てる母さん。
私達子どもに何かを言い聞かせようとする時の、母さんのくせだ。
しかし、とらはその言葉をがんとして受け入れない。
「母さん、もう一度だけ言うよ?ぼくは玉子焼きなんか食べてない。縁側で遊んでたら、母さんが買い物に出かけるのが見えた。どこ行くの?ってたずねたら、母さん、言ったよね。『さとうを切らしちゃったから、ちょっと買いに行ってくるわ。ついでに他の買い物もすましてくるから、すこしおそくなるけど良い子で待っててね。お腹がすいたら玉子焼きを焼いてたたみの部屋のつくえの上に置いてあるから、それを食べてね』って。」
とらの母さんの口真似が奇妙で、えみは吹き出しかけたけれど、何とかがまんした。
きげんの悪い母さんに油を注ぐのは、危険だ。
「確かに母さん、そう言って出かけたわ。近所のスーパーで大売り出しをしてたから、夕食の材料を買って帰って、少しおそくもなりましたよ」
「だからぼく、おなかがへっちゃって、たたみの部屋に行ったんだ。玉子焼きを食べようと思って」
とらが口をとがらせて母さんをにらむ。
「確かに、たたみの部屋のつくえの上にあったよ。空っぽの皿はね。だから、母さんが帰ってきた時、ぼくは言ったんだ。『母さん、玉子焼きなんか作ってないじゃんか。ぼく、お腹ペコペコだよ。早く何か食べさせて』って。」
「空っぽのお皿って、そんなわけないじゃない。」
「だって、空っぽだったんだもの」
呼吸2回分の時間をおいて、母さんはもう一度人差し指を立てて言った。
「じゃあ、教えて、とら。母さんが、わざわざ空っぽのお皿をたたみの部屋のつくえの上に置いておいた理由を」
なるほど!えみは心の中で自分のひざをたたいた。
確かに、そんなことをしても何の意味もない。
これは、とらがこうさんするしかない。
しかし、意外なことにとらは粘った。
「そんなこと言ったって、空っぽだったものは空っぽだったんだから、仕方ないじゃない。理由なんて知らないよ。母さんが、確かに玉子焼きを作って机にのせておいたって言うんなら、だれかが食べたんじゃない?」
「無茶を言わないで。私は出かける時、ちゃんと戸じまりして出ましたよ。家の中には、とらしかいなかったのよ。だから、あの皿にのっていた玉子焼きを食べられるのは、とらだけでしょ?」
母さんの口調が、だんだん強くなってきた。
これはまずい。
えみはハラハラしてきた。
「二人とも、ちょっと落ち着いて」
母さんととらが、仲裁に入ったえみに顔を向ける。
二人とも不満そうな顔。
その目元がそっくり!
親子って、こんなに似るんだ。
「ちょっと確認させてね。まず、とらが子ども園から帰って来て、あ、もちろん母さんが迎えに行って連れて帰ったんだけど」
「そうよ。今日はパートのない日だったから、いつもよりちょっと早目に迎えに行ったのよ」
とらはだまっていたけど、目が「そこはまちがいない」と言っている。
「で、とらは縁側で遊んでいた。母さんはさとうが切れたことに気がついて、買い物に行くことにした。買い物に行っている間にとらがお腹をすかせるとかわいそうだから、玉子焼きを焼いて、たたみの部屋のつくえの上に置いておいた」
頭の中で、母さんの行動と考えをなぞっていく。
さとうを切らすなんてつまらないミス、かっこよくないけど母さんならよくやってる。
きっと、将来大人になったえみが子どもを育ててる時にも、同じようなミスはするだろう。
さとうを切らしてるんだから、玉子焼きはだししょうゆで作ったか、塩コショウで味付けしたか。
あとで皿を見れば分かるかも?
おやつをたたみの部屋のつくえの上に置いておくのは、我が家のいつものやり方。
「どろぼうにでも入られたらいやだから家の戸じまりをして、とらに一声かけて買い物に出かけた。そうよね?」
留守番をするとらがいまいち頼りにならないので、という解説は省略。
口は災いの元だよね。
「一方、とらは母さんが買い物から帰ってくる前に、お腹がへってしまい、母さんの言葉を思い出して、たたみの部屋へ。つくえの上に玉子焼きはあった?」
ちょっと誘導。
ここでとらが自分で玉子焼きを食べたことを認めれば、事件は平和的に解決する。
が、しかし……
「なかった。空っぽのお皿だけが机の上に置いてあった。だからぼくは、母さんが玉子焼きを作り忘れてお皿だけ置いてったんだと思ったの」
母さんが玉子焼きを作り忘れてお皿だけ置いてった、というのはちょっとなさそうな考えだけど、小学校前の男子の考えってのは、まあこんなものかも。
一応、念押ししとこう。
「とらが空っぽにしたんじゃなくて、最初から空っぽだったんだね?」
「だから、さっきからずっと言ってるだろ?お皿は最初から空っぽだったの!ちょっと待っててよ」
とらが声をあらげてたたみの部屋へ向かう。
反省。
今のは、いくら何でもしつこかった。
わたしがとらでも、きっと怒るにちがいない。
「ほら、この皿だよ」
鼻息荒くたたみの部屋から帰ってきたとらが、どこにでもあるありふれた白いお皿をえみの顔の前に突き出す。
確かにどっちから見ても空だ。
まちがいない。
汚れひとつないピカピカの皿だ。
しかし、その皿を見た瞬間に、えみは何か不自然なものを感じた。
「ん?」
えみのとても小さなつぶやきは、母さんにもとらにも聞こえなかったらしく、えみがちんもくして考えこんでいる最中にも、二人はさっきまでの会話を再開する。
「で?このお皿に乗ってた玉子焼きをどうしちゃったのか、そろそろ告白してくれてもいいんじゃない?」
「告白しようにも、ぼくは玉子焼きを食べてなんかないんだから、告白なんてできるわけないでしょ、母さん?」
聞きたくなくても聞こえてしまう二人の会話にじゃまされて、頭のかたすみをよぎった「何か」を見失う。
角を曲がっていった「何か」のしっぽが、いたずらっぽくひょいっと動いて(まるで、えみにバイバイってしてるみたいに、あるいは、えみにあかんべえしてるみたいに!)見えなくなる。
もう!
「二人とも、ちょっと黙って!少しでいいから、私に考える時間をちょうだい!」
えみの剣幕に、わけもわからず二人は黙る。
でも、「何か」はもう見えない。
えみは目を閉じて考える。
何だったんだ、今のは?
私は、何に気づいた?
何かを不自然だと感じたはずなのに、それが何だったのかがわからない。
まるで、脳みその奥の方にニキビができたみたい。
気になって仕方ない。
「とら、お皿をテーブルの上に置いてちょうだい」
目を閉じても何も見つけられなかったえみは、今度は、くわっと目を見開いて、とらがテーブルの上に置いた、空っぽのお皿を見つめる。
にらみつける。
目の前には、きれいなお皿。
汚れひとつない、真っ白なお皿。
何も入っていない、空っぽのお皿。
空っぽになったのは、とらがお皿に乗っかっていた玉子焼きをたべちゃったから?
ん?
何だ?
今、私、「あれ?」って思った。
心の奥の方の、私じゃない私が、今確かに、「あれ?」って。
今の話、どっかおかしかったかな?
「ね、えみ、どうかしたの?」
「ごめん母さん、もうちょっとだけ待って」
どこがおかしかったんだろう?
脳みその奥のニキビに手がとどきそうでとどかないもどかしさをやわらげようと、えみは深呼吸しながらそっと目を閉じる。
想像する。
その場の絵を思い浮かべる。
お皿に乗っていた玉子焼きを、とらが食べている様子を。
お皿はたたみの部屋のつくえの上に置いてある。
それを見つけたとらは、すぐに食べ始めはしない。
いったんキッチンに向かう。
だって……ん?……あ!?そうか!
脳みその奥のニキビに手がとどいた!
これだ!
ここが不自然だったんだ!
目を開けて現実のお皿を確かめる。
まちがいない。
汚れひとつないピカピカの皿だ。
「母さん、確認。この皿が、今問題になってる皿だよね?」
「ええそうよ。それがどうかしたの?」
「母さんととらが言い争いを始めてから、ずっとたたみの部屋のつくえの上に置いてあった。まちがいない?」
「まちがいないわ」
「洗ったりしてないよね?」
「ええ、洗ってなんかいないわ。母さんはとらが正直に『ぼくが玉子焼きを食べました。もっと食べたいので、おかわりをつくってください』と言えば、玉子焼きをもう一つ作って、とらに食べさせるつもりだから、皿を洗うなんてむだなことは、決してしませんよ」
母さんの声を聞いて、えみは大きなため息をはいた。
ゆっくりと、ゆっくりと。
「ありがとう、母さん。おかげで一つ分かった。」
うなづいて、とらに顔を向ける。
「ごめんね、とら」
母さんもとらも、けげんな顔でえみを見つめている。
「とらはうそを言ってなんかいないわ、母さん。いったい何がどうなったのか、全体が分かったわけじゃないけど、少なくともこれだけはまちがいない。とらはこのお皿に乗っていた玉子焼きを、食べてないわ」
「ほらね?ぼく、食べてないって言ってたでしょ?」
「だけど、えみ、どうしてそんなにはっきりと言い切れるの?」
母さんは未だに半信半疑という表情をえみに向ける。
「確かな証拠があるからよ」
えみは、テーブルの上の問題のお皿を指さして、一言一言かみしめるように話し始めた。
「証拠?」
「そう、証拠」
「このお皿が証拠だって言うの?」
母さんにうなずいたえみは、うっすらとほほえむ。
「母さんがこのお皿の不自然さに気づけないのは、母さんのおおらかさの印。逆に、このお皿の不自然さに気が付けるのは、私の押しつけがましさのおかげかもしれないなあ」
「よくわからないわ。ちゃんと説明してくれない?」
「うん。じゃあ、もう一回、玉子焼きを作ってくれない?さっきと同じように」
きつねにつままれたような顔で、玉子焼きを作る母さん。
さすが主婦だ。
ものの数分でおいしそうな玉子焼きができあがる。
「これを、さっきのお皿に乗せればいいのね?」
母さんが玉子焼きをお皿に乗せている間に、今度はとらに声をかける。
「とら、縁側に行って」
「はあい」
とらも何が起こっているのかわからないようだが、おとなしくえみの指示通りにする。
「母さん、それをたたみの部屋のつくえの上に置いたら、こっちに来て。」
たたみの部屋のつくえの上に玉子焼きとはしを置いた母さんを、たたみの部屋が見える位置に呼び寄せ、とらにやさしく呼びかける。
「とら、お待たせ。食べていいわよ」
「ああやれやれ。ぼく、もうお腹ペコペコだよ」
文句を言いながらも明るい表情をうかべるとら。
えんがわからたたみの部屋へ入り、玉子焼きの乗ったつくえのわきを素通りして部屋を出、さらにえみや母さんのわきを通って……
「ストップ!」
家中にひびくほど大きな声で、えみがとらを止める。
「ええ、マジかよ?」
とらがまゆを八の字にして、えみを振り返る。
「今度は何?早く食べさせてよ」
えみはとらの声には答えず、母さんに問いかける。
「母さん、まだ気づかない?あのお皿の不自然さに」
「……えみの言ってる不自然さっていうのが何のことか、母さんにはさっぱりわからないわ。今、とらがキッチンに行こうとしたのを止めたのと、関係があるの?」
「大ありよ。っていうか、母さん、もう分かりかけてるじゃない」
「何のこと?」
「だって、母さん、自分で言ったわよ。とらがどこへ行こうとしてたか」
「え?とらはキッチンへ行こうとしてたのよね?ちがうの、とら?」
「ちがわないよ。ぼく、キッチンに行こうとした。何かいけないの、ねえちゃん?」
「いいえ、全然いけなくないわ。ただ、そこまで分かってるのに、あのお皿の不自然に気づけないのが、不思議っていうか、おもしろいっていうか……」
「えみ、もったいぶらずに教えなさい。いったい、どこが不自然だって言うの?」
えみは少しだけくちびるをとがらせて、人差し指をあごに当てた。
「じゃあ、実験してみましょ」
そう言って、えみはキッチンから新しいお皿を持ってきた。あごに当てていた人差し指をとらの方に向けて、ちょいちょいと動かしてとらを呼び寄せる仕草をする。
「さあ、よく見て。このお皿と、今、とらが持っているお皿は、どこがちがうかしら?」
えみがお皿を母さんの方に向けると、気を利かせたとらが、自分の持っているお皿をえみの手のお皿の横に並べて、そうっと母さんの方に向ける。
お皿の上の玉子焼きがお皿の上ですべって、床に落ちかける。
おっとっと、とらがあわててお皿を水平近くにもどす。
「そうね、玉子焼きが乗ってるか乗ってないか、というちがいがあるだけに見えるわ。本当は、とらのお皿の方には目に見えない細かな汚れがあるはずだけど、それも考えに入れなきゃいけないのかしら、えみ?」
「ううん、そこまできっちり考えなくていいわ。見た目だけで十分」
「なら、ちがいは玉子焼きが乗ってるか乗ってないか、だけね」
「お姉ちゃん、お皿を持ってる人がちがうっていうのは?」
「とら、これはなぞなぞじゃあないの。静かに聞いててね」
とらは神妙にこくんとうなづく。
「母さん、それじゃあ続きね。母さんの言う通り、今のところ、二枚のお皿のちがいは、玉子焼きが乗ってるか乗ってないかだけだわ。だったら、とらが玉子焼きを食べた後、この二枚のお皿の見た目のちがいはなくなるのかしら?」
「……そうか!わかったわ、えみ。ちがいがなくなるわけはない。そうでしょ?」
答えにたどり着いた母さんの顔が、ぱっと輝く。
「だって、とらは玉子焼きを食べる前にキッチンから持ってきたおしょうゆをたっぷりかけるにちがいないもの」
「ああっ、そうか!」
とらもワンテンポおくれて気がついたようだ。
「そう。私が何度言っても直せないとらの悪いくせ。とらは何を食べる時でも、調味料をたっぷりかけないと気がすまない」
「そ。お皿の上が、プールになっちゃうほどにね」
えみは、じまんげにしゃしゃり出るとらを横目でにらむが、とらは気がつかない。
困ったものだ。
「その結果、食べ終わったお皿には、調味料がたっぷり残っていなければおかしい。そういうことね、えみ?」
「その通り」
にっと笑い、三人でハイタッチ。
「だから、とらが玉子焼きを食べたのではないってことが、はっきりするってこと!」
「見事な名探ていぶりね、えみ」
母さんはえみに向かって親指を立てる。
えみは照れ笑いしながら答えた。
「なあに、簡単なすい理だよ、ワトソン君」
えみの言葉に三人で大笑いしたあと、母さんはとらに向かって両手を合わせて頭を下げた。
「ごめんね、とら。あなたをうたがってしまって。母さん、反省します」
とらは鼻の頭をひくひくさせながら答えたものだ。
「いやいや、気にしないでよ、母さん。だれにでもまちがいはあるんだから。ただ、今回のことにこりたんなら、これからはぼくが調味料をいっぱいかけるのも、大目に見てほしいな」
調子に乗ったとらの言葉に、またしても、女子二人の声が、一ミリのずれもなく飛んでくる。
「「それとこれとは話がちがいます!」」
「いっけない。忘れるところだった」
お風呂から上がったえみは、タオルでかみをふきながら、キッチンに向かった。
天井裏にいるざしきわらしの背の高さが、二リットルのペットボトルくらいだったかたしかめてみる、と言ったのを思い出したのだ。
「ええと、昨日買ってきたのが、まだ残っているはず」
冷ぞう庫を開き、ドアポケットから二リットル入りの麦茶のペットボトルを取り出すと、目の高さまで持ち上げ、じっくり観察する。
「こんなに小さかったかな?」
無意識に独り言がこぼれる。
奥のたたみの部屋へ移動すると、すでにえみととらのふとんがしかれている。
が、とらはまだリビングでお気に入りのドラマを見ていて、当分ふとんに入る気配はない。
えみは、ペットボトルを持ったまま、押入れを開ける。
ふとんがしかれている今、押入れは空っぽだ。
「よし、今のうちに」
えみは押入れによじ上り、天井裏に続くはめ板をそっとはずす。
そこは、えみたちの毎日のくらしのすぐとなりのスペース。
なのに、見知らぬ暗やみがひそんでいる。
昼の間に首を突っ込んでのぞきこんだ暗やみとは、まったくちがう印象を受ける、不気味な闇だ。
ごくりっ。
生つばを飲み込み、ひとつ息を吸い込むと、手に持っていたペットボトルを頭上の穴から差し入れ、天井裏に置いてみる。
穴のふちに置いたそれを、押入れの中から見上げるえみ。
唇を突き出し、まゆをしかめる。
「だめだ。角度が違ったんじゃ、実験の意味がないわ」
仕方なく、天井裏のやみに手を突っ込み、ペットボトルを少し奥に押し込む。
迷ったのは二秒か、三秒か?
天井に開いた穴に、かろうじて目が天井裏に入る高さまで頭を突っ込む。
闇に、じっと目をこらす。
「うん、やっぱりそうだ。これよりも、少しだけ背が高かった。二センチ?それとも三センチくらいかな?」
つぶやいて、えみは頭を穴から出そうとした。
が、何かがえみを呼び止めた。
と言っても、だれかの、あるいは何かの声が聞こえたわけではない。
音が聞こえたわけでもない。
ただ、何かがえみのかんに引っかかった。
目を細めるえみ。
その目つきは、あるいは野生のネコ科の動物のそれに似ていたかもしれない。
「何だろ?私、何に引っかかってるんだろ?」
細めていた目を、さらに細める。
細く開けたまぶたの奥で、瞳が右へ、そして左へ。
しかし、まだ「何か」の正体がつかめない。
ついには、すっかりまぶたを閉じてしまうえみ。
深呼吸を一回。
もう一回。
「!?」
えみのひたいにかすかなしわがよる。
鼻を鳴らす。
二度。
三度。
素早く穴から頭を出し、今度は押入れの外に突き出す。
また、はなをならす。
二度。
三度。
首をかしげるえみ。
再び鼻を鳴らす。
二度。
三度。
小さく首を横に振ったあと、今度は天上の穴に勢い良く頭を突っ込む。
さっきのようなためらいも恐れも感じさせない動き。
そして、鼻を鳴らす。
二度。
三度。
四度。
五度。
だんだんと、鼻を鳴らす音が大きくなり、間隔は短くなっていく。
「!!」
小さくうなづくと、えみは目を開き、もう一度、たしかめるように鼻を鳴らす。
まちがいない。
ペットボトルを手に押し入れから出る。
もちろん、天井の穴にふたをするのも忘れない。
と、押し入れから出てきたえみの耳に、母さんの声が聞こえてきた。
となりのリビングで、電話中のようだ。
「ええ、できれば、早い方が……ええ……ええ。では、金曜の晩にクジョに来ていただけますか?」
クジョ?
何だろう?
首をかしげながら、えみはたたみの部屋からリビングに移動する。
「はい。それは大丈夫です。……はい。よろしくお願いいたします」
リビングでは、想像した通り、母さんが電話中だった。
電話に向かって一人で頭を下げている。
変なの、と思いながらながめていると、受話器を置いてえみの方に向き直った。
「あら、お風呂、上がったのね」
「うん。電話?」
「ええ。私の知り合いのネズミ退治の業者さんに」
あ、納得。
「クジョ」は「駆除」だったのだ。
しかし、それって、大丈夫なんだろうか?
図書館で読んだ本の中には、ざしきわらしが出ていった家には不幸が訪れる、と書いていた本もあった。
「ふうん。ネズミ退治に来てもらうんだ」
何気ない風をよそおって、探りを入れる。
「ええ、あさって来てもらえることになったわ」
それはまた、えらく急な話だ。
内心、冷や汗。
「速攻だね。ネズミが怖いの?」
「それもあるけど、ふけつでしょ?ネズミって、悪い病気を運んできたりすることもあるのよ」
「ペストとか?」
「あら、よくお勉強してるじゃない。まさかとは思うけれど、そんなこわい病気に家族がかかったら一大事でしょ?だから、できるだけ急いでってお願いしたの。そうしたら、特別に急いで来てくれるって」
「主婦は何かと大変なんだ」
「こんなことにまで、父さんの気を使わせたくないでしょ?だから」
「お疲れ様。私、もう寝るね」
「ちゃんとかみを乾かしてから寝るのよ。かぜひくわよ」
「はあい」
これは、明日学校できん急会ぎね。
のんきに大あくびするふりをしながら、えみは対策を考えていた。
翌朝。
「玉子焼きのにおい!?」
ナツがめずらしく大きな声を上げたので、近くにいたクラスメイト達の視線が集中する。
その中には、空き缶コンビの視線もあった。
あわてて人差し指をくちびるの前に立てたえみだったが、あきらめたように空き缶コンビに手招きし、ナツもいっしょにろうかに出る。
四人が連れ立って、ぞろぞろと教室から少し離れた階段の踊り場へ。
今日もいい天気で、窓から差し込む陽の光がまぶしい。
梅雨入りは、まだまだ先の話になりそうだ。
「ごめんね。私としたことが、つい大きな声を出しちゃって」
ナツが両手を合わせて、えみの顔を見ながら舌を出す。
「いいって。私だってこんな話を聞かされたら、大きな声の一つも出しちゃうわよ」
えみは手のひらをぱたぱたと振りながら、笑顔で応じる。
「おいおい、何の話をしてたんだ?」
空が好奇心丸出しという表情で一歩近づいてくる。
えみは、かいつまんで昨夜のことを話して聞かせた。
「で、天井裏から玉子焼きのにおいがしたの」
「それを、行方不明になった玉子焼きを食べた犯人の手がかりだ、とえみは考えたわけね。鋭いじゃない」
ナツにほめられて、えみは自分のほほがゆるむのを感じた。
「だけどさ、ざしきわらしなんて、本当にいるのか?」
寛がほほをかきながら、もっともなぎもんを口にする。
「そうだぜ。ようかいなんてのは、人間が勝手に想像してでっちあげただけのものなんじゃないか?」
空き缶コンビにそろってそんな風に言われると、せっかくふくらみかけた胸も、すぐにぺしゃんこになってしまう。
「やっぱり、私の見まちがいなのかなあ?」
「こらこら、えみ。そんなあっさり空き缶コンビにペースを乱されないの!」
しょぼんとしかけたえみをかばうように、ナツはえみの正面に割り込む。
「ざしきわらしが本当にいるのか?とか、そのようかいがこっそり玉子焼きをつまみ食いするなんてあり得るのか?とか、正直、私も大いにギモンだわ。けど、えみが今日、私達と話さなきゃならないのは、そんなことじゃないでしょ?」
ナツはえみの目をのぞき込むように言う。
「とにかく、今日中に何とかしなきゃ、明日にはネズミ退治の会社が来ちゃう。だから、力を貸してほしい。えみはそういう話をしたいんでしょ?信じる、信じないは後回し。とにかく急いで、何とかしなくちゃ」
「そうなの。お願い、助けて」
ナツのおかげで、話の要点がすっきりした。
えみはナツと空き缶コンビに両手を合わせてお願いした。
「まあ、ふだん全然素直じゃないワラエーに、そういう風に素直にお願いされちゃあ、なかなか断りにくいもんだわな」
「空兄ちゃん、手伝ってやろうぜ。ようかいなんていませんでした、となったらなったで、そん時は、あははははと笑っちまえばいい」
「へ、そんなものかもな。いいぜ、手伝ってやるよ。お前はどうする、ドーナツ?」
「決まってるでしょ。友達が困ってるのに、手を差し伸べないなんて考えらないわ。だから、えみ、その初もうでみたいなかっこうはもうやめて、作戦会議といきましょう」
「ありがとう、みんな」
ナツの言葉に上げた頭を、もう一度、深く下げるえみ。
たまたま踊り場を通りかかった三年生が、何事だろうと目を丸くしながら通り過ぎる。
が、にらみつける空の視線に気づき、肩をすくめて走り去る。
「で、そのざしきわらしらしきものとご対面するためにどうやったらいいか、見当はついているのか、ワラエー?」
「天井裏には、ドアチャイムもないしな」
空の問いかけに寛が茶々を入れる。
「うん、そこなんだけど、何かいいアイディアがない?」
顔を見合わせる四人。
しばらく考え込んだのちに、ナツがおずおずと右手を上げる。
「アイディアなら、なくもないわ。ただ、うまくいくかどうかは保証できないけど」
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