# 18

 とは言ってもなあ。


 あんな逃げ方しておいて、のこのこ戻れないよなあ。


 兼役がうまくいっていないというのも、どこまで本当のことなのか。


 おそるおそる、スマホの検索ウィンドウに、“劇団ゆーとぴあ”と入力する。HPには、相変わらず“団員募集”の文字があった。稽古のブログは、当たり障りのない内容だけで、順調なのかどうかは見てとれない。


 とは言ってもなあ。


 私はカレンダーに目をやった。本番までは、気づけばあと1ヵ月ちょっとなのだ。


 ◆


「中村、元気ないね。何か悩み事?」


 休憩中、事務所で廃棄の弁当を食べていると、オーナーに訊かれた。


「えっ? いえ、特に……」


「そっか。そういえば、舞台の練習、うまくいってる?」


 しまった。そういえば、オーナーへは舞台をやめたことも何も話してなかった。いや、もしかしたら店長から話がいってるかもしれないが。


「すみません、ご報告が遅れたんですが、その話、ナシになったんです」


「なに、クビになったの?」


 冗談めかしてオーナーは言う。


 ははは、と私は笑った。


「自分から辞めたの?」


「まあ、そんな感じです」


「ふーん、舞台の方は大丈夫? 他に代役いるの?」


「さあ……」


「さあ……って、そんなことでいいの?」


 私は愛想笑いで答えた。


「もしかしてだけど、うちに気を遣ってたりする?」


「そういう訳じゃないですけど……」


「じゃあどうして。まだ数回しか行ってないじゃん」


 正直、このやり取り、面倒臭いなと思った。私の個人的なことなんだから、ほっといてほしいのに。


 でも、こういうときにその場しのぎの答えを考えても、ボロが出るだけだと分かっている。


「やっぱり、自信なくて」


「……なるほどね」


 そうだ。言ってしまってから、改めて自覚した。自信がない。その一言に尽きる。


 大貴くんに言われて、考えてみようと思えても、今更稽古に戻って何ができるのか。


「自信ないって言っても、向こうから誘われたんじゃないの?」


「そうです。でも……」


 でも、何だろう。


 買いかぶられたからこそ、期待を裏切って、がっかりされるのが怖いんだろうか。


 それも、ちょっと違う気がする。言葉にして表現してしまうと、なんだか安っぽい理由になってしまう。


「舞台、学生のときからやってたんでしょ?」


「まあ、でも、学生のときは、所詮ただのサークルでしたから。掛け持ちしてる人もいたりして、みんな気楽な気持ちでしたし」


「うん」


「だから私もうまくやっていけたんです。たまたま、うまくいっていたんです」


 そうだ。だから、志波ちゃんも、後藤さんも、私のうまくいってるときしか知らない。世間話ひとつできない、忘れっぽくてどんくさくて、何度も同じミスを繰り返すような姿は、多分知らない。就職もうまく行かなくて、こんな底辺みたいな仕事をしている姿だって知らなかった。


 なんとかボロが出ないまま、“お芝居のうまい中村さん”のままで4年間逃げ切ったと思ったのに、こんなことでメッキが剥がれるなんて。


 こんなことなら、引き受けるんじゃなかったと思った。志波ちゃんと再会した、あの夏の終わりまで、時間が巻き戻ってほしかった。


「じゃあ、うまくいかなかったら、もう終わりなの?」


「終わりだと思ってました」


 そうだ。うまくいかなかったらそれまでだ。ずっとそう思ってやってきていた。


「けど、もし、まだ受け入れてもらえるなら、戻ってみようか迷ってます。でも、またうまくいかなかったらと思うと……」


「うまくいかなかったら、またやめればいいんじゃない?」


 オーナーはあっけらかんと言った。


「ええ? そんな無責任なことできませんよ」驚いて私は言い返した。まあ、そんなこと言える立場にないので「もう、1回やってますけど」とつけ加えて。


「じゃあ、今度うまくいかなかったら、俺のせいにしていいよ」


「はい?」


「職場の上司に、仕事に差し障るからやめろって言われたって」


「そんな……それじゃあ、オーナーが悪者じゃないですか」


「うーん、そうだなあ。じゃあ、そうなったら、代わりにうちの娘にでも出てもらうよ」


「ええ? 娘さん演劇経験者なんですか」


「うん、小学校の学芸会で、風の役でね」


「だったら私がやった方がマシです」


 2人で笑った。


 ◆


 家に帰ると、真っ先に、雑誌の束を紐解いた。


 間に合ってよかった。あと数日後だったら、台本は跡形もなくなっているところだった。


 間に合ううちに決心がついたんだ。それだけでも、もう一度やってみる理由になるだろう。

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