# 14

 店員のプライベートに何があっても、コンビニは24時間365日営業している。


 今回はそれが逆に助かる。昨日の出来事を忘れられるようにと、仕事に没頭した。今日は調子が良い。弁当類の検品と品出しもスムーズに終わったし、スタッフの休憩も遅れなく回せた。店長は私がテキパキ動くので安心したのか、レジに入りながらずっとコーヒーメーカーを掃除していた。


 無事1日が終わって帰ろうとしたとき、店長に呼び止められた。


 店長は、声を潜めて言った。


「盛田くんが、九州のご実家に帰るとかで、再来週で辞めることになった」


「えっ」


 それは困った。真っ先に心配したのは、土日のシフトのことだった。盛田くんがいるから、土日を任せて自分も稽古に行けたのに。


「まだみんなには言ってないけど、そういう状況だってことは一応知っといて」


 いや。


 もうそれも気にしなくていいのか。むしろ丁度いい。


「あの、実は今日ご報告しようと思ってたんですけど……」


「何?」


「先日お話しした、舞台に出るって話、なくなったんです」


「本当?」


 心なしか少し嬉しそうに、店長は聞き返す。


「うまく一人二役で回せそうってことで、私が出なくても済んだので。なので、次から土日どんどん入れてください」


「本当に? 無理してない?」


「本当ですよ。最初から、今日その話しようと思ってたんです」


「そっか。助かるよ」


 ◆


 翌日、盛田くんとシフトが一緒で、上がりの時間も一緒だった。素知らぬふりをしていたら、本人の方から報告があった。


「相方が、彼女に子どもできたって言うんですよ」


 そうだったのか。そういえば、本人から話を聞くまで、シフトの心配ばかりで、盛田くんの事情には考えが及んでいなかったことに気がついた。申し訳なさから、もう少し話を聞いてみることにした。


「九州に戻って、どうするの?」


「実家の農家手伝います。僕、次男坊なんですけど、兄貴の方は会社でうまくいってるみたいなんで」


「もう、お笑いはしないの? ピンでやったりとかは」


「僕、もともと、相方に誘われてお笑い始めたんですよ。相方が辞めるってなったときに、自分1人でとか、他の相方探してまでとか、そういう気になれなかったんですよね」


「そっかー」


「結局、お笑いやってたのも、自分の意志じゃなかったんだなって」


「……そっか」


 ◆


 さて。何て言おう。


 出演を断るなら、早めがいいと分かってはいるものの、気が重い。


 正直、志波ちゃんには言い出しづらい。せっかく誘ってくれた志波ちゃんに対して、申し訳なさすぎる。いや、それ以上に、私が辞めると言ったときの、志波ちゃんのリアクションを見るのが怖い。志波ちゃんは優しいから、もしかしたら、無理に誘ってごめんね、なんて声を掛けてくれるかもしれない。そうしたら、ますますいたたまれなくなる。


 志波ちゃんは悪くない。悪いのは私だ。実力もないのに、妙にプライドだけ高くて、そのくせ自分がない。


 それに、そもそも志波ちゃんは、前回の稽古に来ていない。どんな様子だったかを見ていない。


 あの現場を見ていれば、私が辞めると言い出しても納得できるだろう。だからといって、何も知らないでいた志波ちゃんに、自分の醜態を事細かに説明したくはない。


 直接後藤さんに言ってしまった方が、気楽かもしれない。方便ならできたばかりだ。仕事で人が足りないと言えばいい。


 ――などと考えているうちに、3日が経ってしまった。


 今日こそは連絡しないといけない。そう思った仕事帰り、スマホを開くと、大貴くんからのLINEに交じって、後藤さんからLINEが来ていた。


《中村さん、最近ゆーとぴあのLINEあんまり見てないみたいだけど、忙しいのかな? この間はつい熱くなってしまって、いろいろ言ってしまいました。僕の悪い癖です。そだ、知らないかもしれないけど、安西さんって女優さんが、同じように喋れん役やってて、ブログにいろいろ書いてたから、よかったら参考にしてください》


 その後に、ブログのURLが貼ってあった。


 リンクは開かずに、文章を打ち始めた。


《LINEありがとうございます。でも、せっかくブログとかも教えてくれたのにすみません。実はここ数日、職場と相談していたのですが、退職者が出たため、休みを取って稽古に出続けるのが、かなり厳しい状況です。自分のレベルで、ろくに稽古も出られないのに舞台に乗るのは、失礼と思っています。一度やると答えてしまったのに大変申し訳ないのですが、今回の件は、辞退させてください。よろしくお願いいたします》


 3回読み直して、送信した。すぐに既読がつく。


 でも、返事はなかなか来ない。


 私は何を期待しているんだろう。本番当日出られなくなったとかなんとか、もっと決定的な理由で断ればいいものを。引き止められるとでも思っているのだろうか。


 家に着いてスマホを見ると、返信が来ていた。


《お仕事、大変なんですね。ご無理言ってすみません。ただし、「自分のレベルで」と言われるのは心外です。みんな中村さんに期待しているし、頼りにしてます。日程的な面がご不安ということであれば、極力調整したいと思っています。中村さんが平日の方が都合よければ、平日稽古に出られるメンバーもおりますし。どうにか、考えてもらえませんか》


 後藤さん、自分で言った通り、熱い人なんだな。


 期待されても、頼りにされても、自分の都合に合わせられても、尚更困る。そうじゃない。言いようのない不快感で、そのままスマホを投げ捨ててしまいたい衝動に駆られた。


 やっとの思いで、丁寧な断りの文章を送った。


 しばらくして、残念だが了承した旨の返事が来た。


 私は、ふーっと、長い溜息をついた。


 例えば、落とさないように、落とさないようにと気を張り詰めながら運んでいたグラスを、落としてしまった瞬間。


 例えば、走って、走って、あと少しだけ急げばギリギリ間に合いそうな電車が、出発してしまった瞬間。


 もうこれ以上、気を張らなくていい。急がなくていい。頑張らなくていい。そんな、諦めるときの快感。


 保険の仕事を辞めたときもそうだった。


 支店長の、残念そうな顔を思い出す。


 不思議と、申し訳なさはなかった。私が辞めた方がみんなの為になる。むしろ私は、善いことをした。そう確信していたのだった。

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