# 12
仕事を終え、バックヤードで食事を済ませて家に帰ると、夜10時近くになっていた。大貴くんにLINEを返して、ゆーとぴあのLINEの未読を消化して、お風呂に入って、髪を乾かすと、あっという間に11時半。
それでも、寝る前に少し台本を読んでおきたい。本当は、今日は稽古の日だった。毎週休みをもらうわけにもいかず、今日は参加できなかったが、遅れは取り戻したい。
台本を開き、後藤さんから指示があった箇所を振り返る。
やっぱり、自分としては納得できない。
マーシャは、数年間声を発することができなかったのだ。見ず知らずの青年に心を開いたとしても、「君の声が聞きたい」の一言で堰を切ったように言葉が溢れ出すはずがない。迷いや戸惑いがあって、それでも勇気を出して振り絞った一言が、この台詞じゃないのだろうか。
それまでのマーシャのシーンを読み返す。
マーシャは何を考えて生きてきたのだろう。台詞がない分、推測で補うしかない。
そんなことを考えながら台本を読んでいたら、なんと1時を過ぎていた。
◆
翌朝。
ほんの一駅の移動の間にまどろみかけ、慌てて電車を降りる。
店に入ってから、気がついた。今日は日曜日。今日も店長は休みだ。売り上げの精算も弁当の発注も、すべて自分でやらないといけない。上司がいないのはある意味気楽だが、仕事量が大違いだ。
昨日夜更かししている場合じゃなかったよ。
◆
その日の仕事は散々だった。
精算は、金額が1万円分足りなくて、散々紙幣を数え直したのだが、原因は自分の単純な足し算の間違いだった。そこに時間を取られたせいで発注がまったく進まないまま、昼間のラッシュ、交代での休憩、弁当の納品の時間がバタバタと過ぎていく。それが終わると、15時からは、勤務3回目の新人がシフトに入る。人員的に、ずっと新人につきっきりという訳にもいかず、レジの回転も遅くなる……。
“勤務時間”の終わった18時、絶望的な気持ちで発注端末を起動させた。
◆
仕事を終え、バックヤードで食事を済ませ、夜9時過ぎ。駅に着いたが一本前の電車にはギリギリ間に合わず、次の電車は15分待ちだった。
これならもう少しゆっくりしてくればよかった。
いや、ゆっくりしていたらしていたで、何かトラブルが起きて帰れなくなっていたかもしれない。それだったら駅で待った方がいいか。
ホームの中ほどにあるガラス張りの待合室に入る。
椅子に座り、LINEを開くと、ゆーとぴあの未読が溜まっていた。ぼんやりと画面を眺めていると、その間にも未読の数は増えていく。多分、昨日の稽古の動画が上がったんだろう。
そちらは開かずに、その下の、大貴くんからのメッセージを開いた。
《やば。起きたら昼だった》
《皐月さんは今日もお仕事ですか? がんばってー》
その後に、犬が両手をあげて応援しているスタンプが続く。
そのメッセージに、《仕事やっと終わったよー》と返した。
すぐに既読がつくときもあるが、今日はそうではなかった。LINEを閉じて、返信を待つ。
どういうつもりか分からないが、“ヒロキン”の突然のLINEから数日、こんなやり取りが続いていた。なんてことない、日常のやり取り。
どうせ相手は、出会う女の子に片っ端から声を掛けているに違いない。それでも、自分が“女の子”の範疇に収まっているなら、悪い気はしない。
そういえば。前に付き合っていた人とも、最初はそんなノリだったなあ。
ゼミの追いコンで、それまでほとんど関わったことのない後輩と隣になって、Facebookを交換した。それ以来、写真を上げれば“かわいい”とコメントされ、軽い人なのかと思いきや、仕事の悩みを書いたらメッセージで相談に乗ってくれたり。初めて遊びに誘われたときは冗談かと思ったけど、会う回数を重ねるごとに、好かれていると確信することができた。
何回目かのデートで告白され、1年ちょっと付き合ったけど、自分が相手に依存してしまって、終了。
思えば、あのときから、好きなタイプは変わってないのかもしれない。さすがに、何があっても志波ちゃんの弟とどうこうなるつもりはないけれど。
《お疲れさまですー。今日はシフト長かったんですね》
スマホを見ると、返信が来ていた。
《シフトは18時までだったけど、要領悪くて仕事終わらんかった》
そう返すと、すぐに返信が来た。
《それは大変ですね。でも残業代がっぽりですね(笑)》
ああ。大貴くんは大学4年生。そりゃそう思うよね。
《私は“管理職”だから残業代はつかないんだ。でも、私が要領悪いだけだから》
《うわー、ブラックですね……》
《うん……まあマネージャーだし》
《うーん、皐月さんは、今の仕事でいいんですか?》
唐突な質問にドキッとした。親に訊かれることはあっても、それ以外の人に問われるとは。
《あら、こう見えてこの仕事、結構やりがいあるのよ(笑)》
どう返そうか少し迷った結果、冗談っぽく答えた。
《えー、それ、役割とかやりがいとか言って、まんまと乗せられてるだけじゃないですか》
みぞおちの辺りが、熱い空気が送り込まれたように、かあっとなった。
確かに、大貴くんの言う通りかもしれない。
《そうね。だから私も、いつでも抜け出せる準備はしてるんだ》
電車が来る。
台本やLINEを見ている時間が長くなって、つい後回しにしていた医療事務のテキストを、そろそろ開かないといけないな。
そう思いながら、待合室を後にした。
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