# 11
稽古の後、恒例らしい飲み会に付き合ったはいいが、抜け出すタイミングを逃してしまった。大人しく下座側の端っこに座ったのに、わざわざ後藤さんが隣に来て、終わらない演劇トークを繰り広げたからだ。結局、終電の時間を過ぎてしまった。
「こんなこともあろうかと、今日は車なんだ」と言う志波ちゃんに甘えさせてもらうことにした。あ、志波ちゃんは飲んでないよ。
「大丈夫、引いてない?」
夜遅くの、空いている道路を走らせながら、志波ちゃんが尋ねる。
「何が?」
「すごかったでしょ、飲み会。特に団長」
「ああ……。でも、楽しそうでいいなって思った」
「そっか。皐月ちゃん、サークルでもあんまり飲み会とか来なかったから、ああいうの苦手かなって思って」
「そんなことないよ」
信号待ちで、車は停まった。私たちの会話も止まった。
その沈黙を破るように、着信音が鳴った。志波ちゃんはポケットからスマホを出すと、訝しげに見つめた。
「……出ないの?」
信号待ちとはいえ運転中の通話を勧めるのもよろしくないかなと思いつつ、私に気を遣う必要はないと伝えたくてそう言った。
「あー……」
志波ちゃんは、面倒臭そうに唸りながらも、スマホを耳に当てる。電話の向こうから聞こえてくる声は、若い男の人のようだ。
「はあ? 今は無理」
志波ちゃんは気だるそうに答える。
何だろう。もしかして私、邪魔しちゃってる?
「は? 今何時だよ。今どこ」
「……何でそんなとこいるんだよ」
「ばかじゃねえの」
うわー、志波ちゃん、結構キツイこと言う。それとも、それだけ言える仲の相手かしら。私は少し居心地の悪さを感じた。
「いや、私友だち送ってるところなんだから」
あ、それ、私のことだよね? やっぱり、邪魔しちゃってる?
「いや、今は……」
信号が青になっても、志波ちゃんはそのまま話し続ける。
おいおい、事故らないでよ。でも、出るよう促したのは私か。
「ちょっと待って」
志波ちゃんは、スマホを置いて私に話しかける。
「あのさ……ほんっと申し訳ないんだけどさ……」
うんうん。大丈夫。私のことはここで置いてっていいから。彼のこと優先してあげて。私はもう首を縦に振りかけていた。
「うちの馬鹿な弟がね」
え、弟?
「今、常葉園駅にいてね」
なんと、私の地元に。
「終電逃したって言っててね」
ああ、終電早いからね。
「迎えに来てくれって言われたんだ……拾ってってもいい?」
ああ、もちろん。私の家は常葉園駅の北側にある。ここから駅のそばを通って私の家に向かって、さらに北にある志波ちゃんの家に向かうなら、それが自然だ。
「全然大丈夫。だって通り道だし。素通りする方がおかしいし」
「ほんっとごめんね」志波ちゃんはそう言うと、スマホを口元に持ってきて「ヒロキ、そこで待ってろ」とだけ答えた。
◆
「姉貴ー! 待ってたよー!」
駅前のロータリーに車を停めると、志波ちゃんの弟さんは早速、車に飛び込んできた。
「ちょっと! まずは、心の広ーいお友だちが、お前も乗っていいよって言ってくれたんだから、挨拶しな」
え、私?
助手席から振り返ると、彼は笑顔で答えた。
「
志波ちゃんへの態度とは打って変わって礼儀正しい挨拶に恐縮する。
こっちが却って口籠ってしまい、「いや、こちらこそ……」とごにょごにょと言葉を濁した。
さすがは志波ちゃんの弟だ。大きな瞳に高い鼻。髪形は、パーマなのかワックスなのか、ふわっとした毛束がいろんな方向を向いている。典型的なイケメンだ。
「お友だちってことは、もしかして姉貴と同い歳ですか?」
私は、戻しかけてた首をまた後ろに向ける。
「はい、そうですけど……」
「えー! お綺麗なので、もっとお若いのかと思いました」
突然のおべんちゃらに困惑していると「ばか、お前、ねーちゃんの友だちまでナンパするんじゃないよ」と志波ちゃんが一蹴した。
「いやー、でも運命感じちゃって。姉貴呼んだら、こんな美女が一緒にいるなんて」
ちょっと待って。美女って私のこと!?
「今日も、こんなところまで女の子送ってって、ワンチャンあるかと思ってたのに、部屋にもあげてくれなかったんだよー? で、駅戻ったら電車ないしー」
うわー。本当にそういう男の人いるんだ。
「大貴、いいかげんにしろ。毎週毎週、遊び歩きやがって」
「いーじゃん。こんな遊び歩けるなんて、人生で今だけだよ」
「うっせ、口答えすんな」
「ねえ、いくら弟だからって、この人ひどくないですかあ?」
大貴くんはそう言って、私の座っているシートに両手をかけた。
こういうときは、大貴くんに合わせて軽くノッておくべきか、志波ちゃんに合わせて叱っておくべきか。迷っていると、志波ちゃんが「皐月ちゃん、無視していいよ」と言い放つ。
うーん、確かに志波ちゃんも、ちょっとキツいなあ。けど兄弟って、そんなもんなのかなあ。
そうこうしているうちに、車は家の前に着いた。
「え、皐月さん、もう帰っちゃうんですか」
大貴くんは、いつの間にか私の名前を覚えていた。
「う、うん」
何と返していいか分からず、私はぎこちなく頷いた。
「もっとお話ししたかったのに。そうだ、LINE教えてくださいよ」
「大貴っ!」
すかさず志波ちゃんが大貴くんを睨みつける。そして、私に向かって笑顔で手を振った。
「ほんとごめんね。また今度の稽古で」
「う、うん。おつかれさまっ」
私は車を降りた。振りかえると、大貴くんが、車の中から手を振っていた。
別にLINEくらいよかったのに……。
「って、何考えてるの、私」
◆
3日後。
仕事を終えると、見覚えのないアカウントから、LINEのメッセージが届いていた。名前は“ヒロキン”。
うそでしょ、と思いながらトーク画面を開く。
《姉貴のスマホ、侵入成功! 笑》
《サツキさんですよね。先日お会いした志波大貴です! よろしくです》
驚いたというか、呆れたというか。
さて、何て返そうかな。考える私の口元は多分、少しにやけていたと思う。
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